とある雑誌編集者の手記①
――これを読んでいる頃、私は既にこの世にいないだろう。
いや、この表現は適切ではない。生きているのかもしれないが、生者の世界に属してはいないだろう。兎にも角にも、私が体験した恐ろしい出来事を全てこの日記帳に記そうと思う。
西暦2022年、8月22日。私は、S県某所にある旅館へと訪れていた。
この旅館の裏手にあるという秘湯。入る者によって色が変わるという噂の温泉がつい最近注目されたことで、弊社が発行している旅行雑誌に特集ページが組まれることになった。今回ここに来たのは、雑誌掲載の為の取材である。
曲がりくねった山道を走ること1時間弱。鬱蒼とした森の中に、その旅館はあった。
旅館にしては珍しい2階建ての完全木造建築で、風雨によって所々色が変わっていたり修繕した箇所もあったりと随分と年季が入っているようだ。
鳥の足跡のような、或いは爪で強く引っ掻いた跡のような模様が付いた引き戸を開けると、薄桃色の着物に身を包んだとても美しい女性が出迎えてくれた。
その女性は、私が嘗て育成した後輩の姿によく似ていた。
「すみません。本日お伺いするとお伝えしていた、週刊メランジの長谷川と申しますが」
「長谷川信夫様ですね。ようこそ、お待ちしておりました。ささ、どうぞお入りください」
笑顔の美しい女将に歓迎され、私は靴を脱いで旅館の中へと足を踏み入れた。檜のいい香りが鼻腔を擽る。外の古めかしい見た目とは裏腹に、内装は随分と綺麗だった。
入って正面には奥まで続く廊下と2階につながる階段があり、左側には受付があった。廊下の奥には源泉かけ流しの大浴場へ続いているらしい。
右側には無人の売店があり、今は人手不足から閉めているのだという。なんでもあのコロナウイルス発生から壊滅的な打撃を受け、一時は閉業も考えたそうなのだが、様々な縁があり何とか続けていられるのだと言う。
「最近、裏の温泉がテレビで放送されましたでしょ? あれからだんだん人が泊まりに来てくれるようになって、本当に有難い限りです」
「はは、それは良かった。今度弊社で掲載する雑誌にも、温泉と合わせてこの旅館も紹介しますから、そしたらもっとお客さんが増えますよ」
「まあ! 期待してますね!」
そんな事を話しながら、女将さんは2階へと私を案内する。今日私が泊まる部屋は、一番奥にある最上級の部屋らしい。特別に泊まらせて頂けるようだ。
女将の後を歩きながら、私はその後ろ姿を盗み見る。
――やはり、似ている。
見れば見るほど、彼女の姿はあの娘によく似ていた。身長は勿論のこと、髪の色や目の形、瞳の色、挙句の果てには首にある黒子の位置までよく似ていた。
私の視線に気づいたのだろう、女将が振り返って私を見る。
「どうかされましたか?」
「え。……ああ、いえ。私の知り合いによく似ていたものですから。つい」
「あら、そうでしたか。とはいえ、女性の顔をまじまじと見つめるのは、マナー違反ですよ」
「す、すいません」
悪戯っぽく笑う女将に頭を掻きながら、私は愛想笑いを浮かべて謝る。
全く以て女将の言う通りだ。それに私は雑誌掲載の為に取材に来ているのだ、仕事をせねば。
私は一言断りを入れてから、バッグに入れていたカメラを取り出す。
旅館の中を撮影しながら、ぎしぎしと音が鳴る入り組んだ廊下を進むこと十数分。畳八畳分の一室に案内された。
部屋の名前は沸鳥。
程よく冷えた部屋に入ったことで、私は自分が酷く汗を掻いていた事に気が付いた。部屋の中央には椅子とテーブルがあり、その奥には大きな窓が取り付けられている。窓の奥には雄大な自然が広がっていた。
襖の向かい側、床の間には大きな掛け軸が掛けられていた。これも何かの作品だろう、私はその掛け軸にカメラを向け、私はぎょっとして身を凍らせた。
その掛け軸に描かれていたのは、風光明媚な絵画でも、有名な書道家が書いた達筆な文字でも無かった。
人間の脚、灰色に汚れた胴と黒く染まった翼、長く一直線に伸びた首。その頂点にある頭。鋭い嘴は血の色に染められ、滴るような模様が描かれている。頭頂部は殆ど禿げあがり、人間の髪のような長い毛が数本後ろに垂れ下がっている。
何かを訴えかけるかのような血走った眼をした奇怪な鳥が、私をキッと睨みつけていた。
「お、女将さん。この掛け軸に書いてある鳥は?」
「え? ――ああ、怨咽鳥ですね。この辺りでは、有名な鳥ですよ」
「ひしめき? 野鳥か何かですか?」
そう言うと、女将はころころと笑って否定した。
曰く、怨咽鳥は遥か昔からこの地に伝わる妖怪だという。
新月の夜に現れ、強い恨みや憎しみを抱いて死んだ者を貪りその者に成り代わる。
長い年月を経て同じ月、同じ日の新月が近づくと昼夜問わず美しい娘の姿で現れ、町中の戸を叩いては扉に印をつけていくのだと言う。
「一体、何の為に?」
「あらあら。死んだ人に成り代わるぐらいですもの。目的なんて決まっているでしょうに」
「……復讐」
そういうと、女将は小さく頷いた。
次の新月の夜、娘は付けた印を元に恐ろしい鳥の姿になって復讐を果たすべき相手の前に現れる。そうして、その者の体にこれまで溜め込んだ怨恨を全て注ぎ込み、自らは灰となってこの世を去る。
怨恨を注ぎ込まれた者は次の怨咽鳥となって死ぬことも出来ないまま、次の器が見つかるまで強い怨嗟の声に苛まれながら生きながらえるのだと言う。
それを聞いた私は、冷や汗が止まらなかった。今の仕事上、誰かに恨みを買われることなど日常茶飯事だったからだ。
いや、それだけではない。
かつて私は、かつての後輩を自殺に追い込んでいる。その娘はある女性アイドルのスキャンダルを追っていたが、対象者には裏社会との繋がりがあると噂されていた。
俺が何度警告しても話を聞かず、しまいには行き過ぎた尾行までするようになった為、独自の判断で俺が証拠を掴みすっぱ抜いた。
結果、女性アイドルは違法薬物に手を出していたとして逮捕。交際関係にあった俳優もイメージダウンを免れず、現在は引退して海外で生活している。
しかし後輩は、自分の仕事を奪われたと思いその怒りを俺に向けた。編集長と俺とで対話を続けたが、彼女は結局納得できずに退職。その2か月後に自ら命を絶った。
後で聞いた話だが、後輩と男の俳優は大学の先輩後輩で、嘗て交際関係にあったらしい。後に価値観の違いから交際は解消され、男は女性アイドルと付き合い始めたのだが、後輩は別れたのは女アイドルの所為だと恨みを募らせていたという。
復縁する為にアイドルのスキャンダルを追っていたようだが、俳優は復縁する気は無く、別れた原因が後輩の金遣いの荒さによるものだと分かってからはなんだかやるせない気分になり、それ以上は考えないようにしていた。
警察から手渡された遺書には、俺のせいであの女への復讐が出来なくなったと書いてあった。この恨みは忘れはしないと。
俺が直接手を下したわけではないが、人間関係のトラブルによる後輩の自死と怨嗟の棘は、まだ俺の心に突き刺さったままだった。




