01_査定①
俺は生きるのに必死だった。というより、死なないようにするのに必死だった。
表面的には変わらないことかもしれないが、根本のところは全然違う。
前者は生きていくことを考える余裕がある。対して、後者は次の瞬間を生きることなんて考えている余裕はない。この時を、この瞬間を生きるのが精一杯なのだ。
そんな死なないように必死だった俺が冬のある日、1匹の犬と出会った。
“ある事”が原因で高校入学後、早くもクラスカーストの最底辺に位置していた俺は生き地獄の様な日々を送っていた。日常的なイジメや暴力。人権なんてあったもんじゃない。
そんなの地獄じゃないって言う人もいるかもしれないけど、体験してる本人からしたら紛れもない地獄なんだ。
だが、一番辛かったのはそんな現状を受け入れ、打開できないと諦め、これ以上現状を悪化されない様にとカースト上位の奴らに媚びて常に作り笑いしている自分がいることだった。
きっと、その時から“俺”はもう死んでいたのだと思う。
だが、そんな媚びも結局は無駄に終わった。
「こいつすぐ病気にかかるし、怪我するし、どんだけ金使わせるんだよって感じでさぁ。俺の親もかなり困ってんだよ」
灰色の空の下。学校の帰り道。土手を歩いていると聞き覚えのある男の声が川の方から聞こえてきた。ゾッとした。自然と顔が引きつり変な笑顔が顔に浮かぶのを感じた。
声の主はクラスの前田だった。その横には越前、野村。クラスの中心には必ずこの男3人組みがいる。
前田は家がかなりの金持ちで、そのくせして俺によく奢らせる。だが、俺の親はあいつの親父が社長を務める会社の社員だから変にやり返せば俺の親がどうなるか分からない。だからいつも、何もできない。
実際にやり返した奴がいたらしいけど、その後なぜか親の職場が急に移動するとかで転校していった。そいつの親は俺の親の同僚で、理由もなんとなく分かっていた。
「なぁ、前田。マジでやんのかよ?見つかったりしたら俺たちやばいんじゃ…」
心配そうに越前が言った。
何をする気なんだ?
恐る恐る見ると前田の手には1匹の真っ白い犬が掴まれていた。
「別に1匹消えたところで、あと10匹ぐらいいるし、いいんだよ。それに、犬が川で溺死なんてよく聞く話だろ?」
前田は犬の首根っこをつかんで後ろに振りかぶった。
まさか、あいつっ!
立ち上がって止めに入ろうとした。だが、足が動かない。震えている。制服のズボンの下には防寒用にタイツを履いている。この震えは寒さからのものじゃない。
動けよっ!なんで震えてるんだよっ!
「発射まで、さーん」
前田がふざけた声でカウントダウンを始めた。
くそっ、このままじゃ、あの犬がっ!
「にー」
前田が後ろに重心をかける。
俺は足を力強く何回も叩く。叩く。叩く。だが、震えは止まらない。腰に力が入らない。
「いーち!」
もう…ダメだ。
俺は犬の顔を見た。自分の最期の瞬間をあの犬はどんな風に感じているのだろう、と思うと自然と視線はそちらに動いた。
こちらを見ていた。真っ直ぐな瞳で。ブルーグレーの澄んだ瞳で。暴れもせず、踠きもせず。その現状を、もう打開できないと諦めてしまったかのように。
あいつ…。
スッと力が抜けた。今まで震えて固定されていた足から。
グッと力が入った。今まで弱々しく怯えていた腰に。
「発し___グハッ」
拳が痛い。生まれて初めて人を殴った。
前田が数メートル程先で倒れこむのが確認できた。
「「前田っ!」」
野村と越前が驚きの声を上げる。
「テ、テメェ、いつから…」
前田の鼻から血が垂れている。
「クソッ、何やってくれてんだよ!」
地面に倒れた前田が血を拭いながら吐き捨てる様に言う。
「おい越前!野村!そいつを押さえつけろ」
その言葉に一瞬たじろいだ越前と野村だったが、野村はすぐに体制を低くして突進してきた。越前も遅れて殴りかかる。
「うわぁっ!」
俺は情けない声を出して呆気なく倒れた。すかさず越前と野村が俺を地面に押し付ける。
「おいおい、痛かったぜカモ野郎」
カモ野郎。俺のあだ名だ。コイツの財布に成り下がり、そう呼ばれている。
俺の10倍は金を持ってるくせに…。
コイツの財布になったお陰で、高校になってから所持金を自分のために使ったことなどほとんどない。金を持ってないと言うと決まって暴力の嵐だ。
「お前、その犬投げようとしただろ!」
未だに前田の手に握られている犬を見て言った。犬の首元が赤くなっている。どんだけの力で首元を掴んでいたのか。
「は?お前マジでそれ言ってんの?犬のために俺を殴ったのか?」
前田が俺の顔の前まで歩み寄る。
「カモの分際で人間様を殴るとか舐めすぎなんだけど。お仕置きしてやるよ」
そう言うと、前田は大きく足を振りかぶる。綺麗なフォームだ。前田はサッカー部のエースだ。
「オラよっ!」
グジャッ
首に衝撃が走る。直後、激痛が顔面を襲う。鼻の骨が折れるのを感じた。
「ア"ア"ァー」
今まで出したことのない声が勢いよく口から飛び出す。絶叫。
「調子乗るからだよ!」
もう一発蹴ると自分のカバンから何かを取り出した。靴だ。スパイク付きのサッカーシューズだ。それを履いて再びこちから歩いてくる。
「おい前田。そろそろいいんじゃないか?これ以上やったらマジでヤバいって」
越前が焦った声で言う。
「お、俺も…そう思う」
野村も後に続いて言った。
「分かったよ〜。じゃあこれで最後な」
前田が視界から右に外れていく。血まみれの頭動を動かすと前田は俺の足元に立っていた。
「もうこんなことすんじゃねーぞ、カモ野郎」
次の瞬間。太ももに激痛が走る。スパイクが太ももにめり込む。突き刺さる。
「ア"ァ"ァ"ー!」
「おっけ〜。お仕置き終了〜。お遊びに戻ろうぜぇ」
越前と野村がようやく俺を解放し前田のもとに向かった。
「気を取り直して、さーん、にー、いーち、発射ー!」
俺はボーッとする視界でその瞬間を見ていた。全てがスローに見える。
真っ白い犬が曇天の空を舞う。
スッキリしたかの様な満面の笑みの前田。
ダメだ。このままじゃ、ダメだ!
俺はボロボロの体にさっきよりも強い力が湧き上がるのを感じた。
立ち上がる。
「うおぉー!」
走れ!走れ!まだ届くっ!
俺は犬の方向に飛ぶ。手をめいいっぱい伸ばす。
「マジかよ、アイツ」
後ろで前田が呟く。
ドボォン
体中を冷たい水が包み込むのを感じる。
胸元に温かいものをしっかりと抱きしめている。
これで大丈夫だ。
川から出ようと水面上に向かおうとすると何かがおかしい。足が…動かない。体が硬直して思うように体が動かない。息がもたない。
ゴボゴボゴボゴボ
「た、助けて!」
なんとかして水面から顔を出して助けを呼ぶ。口に水が入ってうまく呼吸ができない。
前田の姿が見えた。こちらを見ている。
「助け、て!」
もう一度、叫ぶ。が、前田は動かない。
水が大量に口に入る。鼻に入る。痛い。
苦しい。このままじゃ、本当にやばい!
再び視界が水で満たされる。
ゴボ
肺から空気が全て無くなった。意識が飛ぶ。
ブラックアウト寸前。最後に見えた光景は、俺を見つめる犬の顔だった。
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気がつくと俺は白いタイルの床の大きなホールにポツンと置かれた椅子に座っていた。
天井は雲の様な靄がかかっていて白く柔らかい光が降り注いでいる。
「え?」
状況が理解できない。数秒前まで水中にいたというのに髪はおろか、服も全く濡れていない。
前田に蹴られ蹴られた痛みも傷も綺麗さっぱり無くなっている。
辺りを見渡すも、自分とこの椅子以外何もない。見えるのは地平線まで続くタイルの床だけ。
再び目を前に戻すと先程までなかった赤のテーブルクロスの敷かれた丸机が置かれていた。その上にはガラスでできていると思われる小さなT字型の上皿天秤が置かれていた。
「いや…え?どういうことだよ?」
口からは頭に収まりきらなかった疑問や驚き、混乱の言葉が次々と出てくる。
「ここどこだよ。てか、俺なんで濡れてねぇの?わけわかんねぇよ」
どれほど時間が経っただろう。時の動きを感じさせるのは天井にかかっている靄の動きのみだ。
椅子から立ってなんとなくラジオ体操を始めた。4回やって飽きた。
「何やってんだろ、俺」
椅子に戻り前に置いてある天秤をいじってみる。いたって普通の天秤だ。
おもむろに片方の皿に指を置いた。
〈霊魂反応感知、担当案内人ヲ転送シマス〉
「な、なんだっ!」
久しぶりに自分以外の声?いや、音声を聞いて驚いた。
「大丈夫ですか?」
今度は確実に人の声だ。女性の声。
俺は慌てて声のした方を見る。驚いた。そこにいたのは俺の母親だった。
「え?母さん?何でここに?」
「いえ。残念ながら私は貴方の母ではありません。私は担当案内人。貴方の魂の行き場を決定する、貴方たちが言う神の使い、つまり天使に近い存在です。この姿は貴方が最も警戒しないであろう人を模したものです」
「そ、そうなんですね。…そうだよな。母さんなわけないよな」
そう。母さんであるはずがない。母さんはもう何年も前に死んでいるのだから。
「とゆうか、俺の魂の行き場ってどうゆうこと…なんですか?やっぱ俺、死んだんですか?」
「はい。貴方は先の一件で命を落とされました。そして、ここは死者の魂の行き場、即ち転生するか否かというのを査定するのです」
やはり死んでしまったのかと少し肩を落とす。だが、安心した自分もいた。生きていても正直、辛いだけだったからな。ん?待てよ。今なんて言った?
「転生っ ︎えっと、“査定”ってなにをするんですか?」
思わず大声を出してしまった。
「転生って、あの転生ですか?」
「あの転生、というのは分かりかねますが恐らくあっていると思います」
俺は目を輝かせた。転生。チートみたいな力を手に入れて世界を救う。英雄になる。最高すぎるだろっ!
「査定というのは__」
担当案内人は俺の歓喜の震えを横目に説明を続ける。
「貴方の魂の重み、容量と言ってもいいでしょう。それが“人生”という過程のなかで如何に拡張されてきたか。そして、その拡張に伴い更に進化を遂げていく可能性をこの天秤で測り、転生に適合か不適合かを判断するものです」
「えーっと、“進化”って何ですか?」
それに生前の行いとか思想って、俺大丈夫なのかな?
自分の人生を振り返ってみると結構心配になる。
「私は貴方がたの言うところの天使という存在になります」
この人が天使?俺は今、天使と話しているのか?信じがたい話だ。
「ですが私たちは決して万能という訳ではありません。不確定なものは神でさえも確定することはできないのです。ですが、私たちは知りたい。その不確定なものの先に何があるのか」
「な、なるほど。それと進化の何が一体、関係しているのですか?」
「つまり私たちは貴方たちの最も可変的で不確定な心理、感情というもの。そして、それに伴う行動を知りたいのです。言わば探求者です。しかし、進化を終えてしまった者たちのそれらは、ある程度一定になってしまう。簡単に言ってしまえばメリットがないということです」
メリットがない?
耳を疑った。神というのは全てにおいて公平と慈愛の精神を持っているかと思っていた。
「そんな横暴なっ!メリットがないからって切り捨てるなんて利己的にも程があります!」
「私たちに善悪の感情はありません。そもそも、感情すらありません。つまり私も貴方も互いを理解することは不可能でしょう。もうお話はお終いにして本題に入りましょう」
あまりにあっさり打たれた終止符に返す言葉もなかった。
「それでは査定を開始します」
担当案内人のその言葉を合図に目の前においてある水晶のように透き通った天秤が、怪しげに青白く光り始めた。




