束の間の休憩
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王太子の書斎にて、レオンハルトは机に積み上げられた公務の書類へ目を通していた。
書類に目を通し、羽ペンを手に取る。
署名をしようと紙へ視線を落とすものの、文章を最後まで読み終えるより先に、別のことが頭をよぎった。
(…もう二週間か)
ヴィクトリアが姿を見せなくなって、もう二週間になる。
初めて出会ったあの夜から、彼女のことを考えなかった日は一日たりともなかった。
再び会えたら、何を話そう。
そんなことばかりを考えている。
なにせ、あの日は驚きと緊張で頭がいっぱいになり、気の利いた言葉をひとつも口にできなかった。
普段のレオンハルトなら、ドレスを身に纏った女性を前にして「綺麗だ」と告げることくらい、そう難しいことではない。王太子として多くの女性と接してきたのだから、それなりに慣れているつもりだった。
それなのに、彼女を前にした途端、どうしていいのか分からなくなった。
見事な漆黒の髪に琥珀色の瞳。
そして、どこか寂しげでありながら、不思議なほど強く印象に残る佇まい。
気づけばレオンハルトは、夜が来るたびに彼女の姿を探していた。
「……はぁ」
レオンハルトは小さく息を吐き、手にしていた羽ペンを机へ置いた。
これ以上ここで公務を続けても、まともに集中できそうにない。気分を変えようと立ち上がり、執務室と続きになっている応接室へ向かう。
その途中、前室に控えていた侍女へ声をかけ、紅茶を用意するよう頼んだ。短く頭を下げる侍女を残し、レオンハルトは応接室へ入る。
この部屋は、王太子であるレオンハルトがごく親しい者と過ごすための私的な応接室だった。訪問者を迎えるための前室とは異なり、堅苦しさは少ない。
広々とした室内の中央には大きな丸テーブルが置かれ、その周囲を囲むように長椅子が円形に並べられている。大きな窓からは夕暮れの王都を一望でき、昼間ならば柔らかな陽射しが室内へ差し込む場所だ。
レオンハルトはその長椅子のひとつへ腰を下ろした。やがて侍女が運んできた紅茶を手に取り、ひと口だけ飲む。ティーカップからふわりと立ち上る香りを楽しみながら、視線は壁に掛けられた時計へ向かう。時刻はすでに十七時を回っていた。
(どうせ今日も行ったところで、彼女はいないのだろうな…)
諦めにも似た感情が浮かぶ。
これまでも、同じことを繰り返してきた。
今日こそは来ているかもしれない、そう期待して会場へ向かうが、どれだけ人混みの中を探しても、ヴィクトリアは見つからなかった。
そして、期待していた分だけ、彼女がいないと分かったときの落胆は大きかった。最近では、仮面舞踏会へ向かうことさえ億劫になりつつある。それでも王太子である自分が、毎晩開かれている舞踏会を欠席するわけにはいかない。
レオンハルトは残っていた紅茶を飲み干すと、ゆっくりと立ち上がった。舞踏会用の正装へ着替えるため、応接室を出ようとした、そのときだった。
窓の外を横切る黒い影が、視界の端へ入り込んだ。
「……?」
レオンハルトは思わず足を止め、窓へ目を向ける。
窓の向こうには、一羽のカラスが、王城の上空を飛んでいた。その嘴には何か巾着のようなものが咥えられている。
だが、カラスはあっという間に遠ざかってしまい、何を咥えていたのかまでは確認できなかった。
そしてカラスが飛んで行った空の向こうに目を向けると、丸い月が浮かび始めていた。
「今日は満月か」
今はまだ月は淡く霞んでいるだけだが、夜が深まれば、きっと美しい満月が王都を照らすだろう。
レオンハルトはしばらく、その月を眺めていた。
ふと、ある場所が頭に浮かぶ。
舞踏会が開かれている間でも、ほとんど人が訪れない場所。それは薔薇園の奥にひっそりと佇む東屋。
今夜は、必要な挨拶だけを済ませたら、あの東屋で時間を潰すのも悪くないかもしれない。
満月でも眺めながら、静かに舞踏会が終わるのを待つ。少なくとも、誰もいない場所で一人になっていれば、彼女を探してしまうこともないだろう。
そんなことを考えながら、レオンハルトは応接室を後にした。
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