出陣
今日は、二話投降! 12時に予定しています。
1554年1月下旬 信濃国 花岡城 武田信之
正月に皆の面前で恥をかいてからの記憶があんまり無いが父から正式な家臣として真田幸綱の四男の加津野信昌が加わった。それと躑躅ヶ崎から早馬で陣触れのお達しがきた。
俺が率いて参陣する部隊として長槍250人・騎馬50騎を準備できた。
軍勢を引き連れ躑躅ヶ崎に参陣すると一斉に視線を集めた。それもそうであろうが槍が3間半もあり始めて見た者は皆馬鹿にするが数人だけはその有効性を見抜いており驚くと共に誠に初陣なのか疑った。
甲斐及び諏訪の軍勢が甲府に集まったところで主な者達が集められた。今回の戦には、北信濃の諸将は参陣せず城の改修や領地の掌握に努めていた。
「 皆の者これより下伊那及び木曾の平定戦を始める。鈴岡の小笠原と神之峯の知久は、抵抗する亀のようじゃ。飯富三郎兵衛尉、三郎に付き知久の神峯城を落として参れ。小笠原左衛門左は、鈴岡を攻めよ。落とした暁には松尾をくれてやる。三郎、三郎兵衛尉の言葉をよく聞き落として参れ。此度の戦武田の精強さを美濃まで轟かせてくれる。」
「 ”御旗楯無ご照覧あれ” 」父が御旗楯無に誓うとそれに家臣も続いた。「 御旗楯無ご照覧あれ 御旗楯無ご照覧あれ 」
そこからの動きは早かった。父上が諏訪を通り高遠に移り本陣とした。それを聞き寄せた国衆たちは
我先にと帰順して参ったが戦前の予測通り鈴岡の小笠原と神之峯の知久は帰順せず徹底抗戦の構えを見せていたので取り決め通り神之峯城を攻めることになった。
一緒に攻める飯富左衛門尉殿は、あまり聞き馴染みがない名前でしょう。しかしこの者の後の名を山県左衛門尉昌景であり兄である飯富虎昌殿から受け継いだ赤備えを率い武田の勢力拡大を支え武田四天王の一人に数えられる猛将である。ちなみに我が家臣の内藤昌秀も武田四天王の一人であるので四天王の内2人が揃い戦うのだこれほど頼りになることはなかった。神之峯に攻める前に帰順してきた国衆を待ちながら飯富殿と城攻めについて話していた。
「 私が出丸から攻めますので飯富殿には二の丸から攻め上げてい頂きたい。 」
「 お待ちください、それでは三郎殿の隊に損害が大きすぎまする。それに、敵は貴方を初陣と侮り一揆果敢に攻めてくるでしょう。私が出丸から攻め上げますから裏にどんと陣を構えていてくだされ。」
「 飯富殿大丈夫です、私に策があります。敵は私を初陣の小童だと侮り攻めてくるでしょう。横目衆を使いすでに城下で噂を広めてあります。更に長槍を活かすには野戦の方が都合がいいのですし私が引き付けている間に城を落とし裏から強襲してください。 」
初陣は、近づいていた。国衆たちも参陣し夜のうちにそれぞれの配置に着き戦に備えた。夜が明けたら戦は始まる、藤吉郎のみ武田の旗印を背負わず機を伺っていた。
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