下編「演奏、おわります」(1)
6月18日の日曜日、降りしきる雨の中、ミカはノエルのお見舞いに行きました。
2時頃に個室に入ります。今日はお父さまもお母さまもいません。
「ご両親は?」
「うん、用事があってさっき帰った」というノエルは、前と変わらずゆっくりとした口調です。
「どうだった? ライブ」とミカ。
「うん。疲れたけど、それ以上に楽しかった」
「よかった」
「どんどん上手くなってるな。ベースも、歌も」
「ありがとう。額面通り受け取るね」
「おれはいつも真正直のつもりだが」
「オヤジギャグさえなければね」といって微笑むミカ。
「あのおまえがひとりで作詞したって曲」
「『あなたがいま、いる』? どうだった?」
「とてもいい曲だ。でも、あんなの面と向かって聞かされたら、『惚れろ』って言われてるみたいだ」
「正直言って...たしかに、ノエルのこと考えながらあの歌詞は書いた」
「...」
「でも、恋愛感情とはちがう...うん、そのはず」
「わかった」
ミカは8月に病院のホールでのライブが決まったこと、それがミクッツのラストステージになることをノエルに告げました。
「ということは、入院してても退院してても、おれは問題なく見に行けるわけだ」
「できたら退院してる状態で見に来てほしい」
「おれもそうだ」
ミカが病院を後にしたのは3時半頃。相変わらず雨が降っています。
城址公園の横を南に向かいます。
歩き始めて5分くらいしたころ、後ろになにか気配を感じました。
立ち止まります。後ろの気配も止まります。再び歩き始めると、後ろの気配もついてきます。
(つけられてる?)
マイの警告が思い出されました。
(でも、今頃になって?)
通りを右に曲がるときに、ちらっと気配の主を見ました。男性。背は低そうで細身の体です。顔は傘に隠れて見えません。
そのまま学校の前まで来て、左へ、駅のほうへ曲がります。
家へは、1ブロック先を右へ曲がって行けば10分もかからずに着くのですが、ミカはそのまま駅へ向かいました。
気配の主もついてきます。
駅前で止まっていたタクシーに乗り、家の住所を告げます。
タクシーが動き出して、ほっとしました。
日曜日のことは、バンドのみんなにはとりあえず黙っていました。
20日の火曜日はリハーサルはないので、授業が終わるとミカは図書館へ向かいました。校門のところを右に曲がって真っすぐ行きます。
梅雨の晴れ間の帰り道。湿気が高くてジメジメします。
しばらくすると、また気配を感じました。図書館までは曲がり角がないので、そのまま行くしかありませんでした。
図書館に入って学習コーナーに向かいます。奥の空いている席に座ると、気配の主らしき人物がひとつ隣の机の、ちょうど斜め横の方向になるところに座りました。
背格好は日曜日に見たのと同じです。
スポーツ刈りに日焼けした顔。どこかノエルを思わせる雰囲気があります。
細身の体を包むのは、県立天歌高校の制服です。
怪しい雰囲気はないので、思い切って彼のところに行きました。
「ええと...あなた、わたしのことはご存知よね」
「はい。森宮美香さんですね」
「わたしは、あなたのことを知らない。だから名乗るのがフェアだと思うんだけれど」
「自分は宮内翔。天歌高校の2年です」
「宮内さん。どうしてわたしのことを?」
「自分は、中上センパイの陸上部の後輩です。森宮さんにどうしても聞きたいことがあって」
「そう...ノエルの後輩の方。わかりました。図書館ではなんだから、外でお話ししましょう」
図書館を出て、二人は南へ向かいました。10分ほど歩いて、線路沿いに東西に走る国道との交差点の角にある喫茶店に入りました。
窓際の席に向き合って座り、コーヒーを注文するとミカが話し出します。
「で、わたしに聞きたいって、どんなことかしら」
「単刀直入に言います。森宮さんは、中上センパイと恋人なんですか?」と勢いをつけて宮内君がいいます。
「...たしかに単調直入ね。でも、なんでそんなことを聞きたいのかしら」
「自分の同学年に、中学の陸上部からいっしょだった女子で、コトネっていうんですが、走り幅跳びの選手がいます」
「そう。ちなみに君はなんの競技?」
「自分は短距離です」
「君はなんて呼ばれているの?」
「カケルです。名前そのままです」
コーヒーがきました。
「コトネさんの話よね。彼女がどうしたの?」
「彼女は、入部したときから、ずっと中上センパイに憧れてるっていうか、好きなんです」
「なるほど」
「ご病気になられて入院されてから、一度、部のみんなとお見舞いに行ったんですが、それから行くことができないんです」
「どうして?」
「中上センパイには、中学の頃から付き合っている人がいて、その人がいつもお見舞いに行ってるって」
「それ、誰から聞いたの?」
「三中出身のセンパイの中では、有名な話です」
「なるほどね。そういう話か」
「コトネの気持ちを思うと、おれ、たまらなくなって。森宮さんがルミ女でバンドで歌ってるって聞いて、文化祭のライブに行きました。それで顔がわかって、森宮さんに直接聞こうと思って...」
そこまで一気に話すと、一呼吸おいてカケル君は続けます。
「後つけたりして、ごめんなさい」
そう言ってカケル君は頭を下げました。
しばらく黙って二人はコーヒーを飲みます。
「実はね」とミカ。
「うちのバンドにストーカーがついてるんじゃないか?っていう話が前にあってね」
「はい」
「だから、君の気配を感じてちょっと焦った。わざわざ駅に出てタクシー乗ったのもそのため」
「本当に、ごめんなさい」
「まあ、ノエルの知り合いだってわかって、ほんと、ほっとした」
水を口にして、ミカが続けます。
「さて、君の言ったことだけど、たしかにわたしはノエル、中上センパイとは中学のときからの知り合いです。中学の頃はよく話をする仲だったから、付き合ってるって噂が立っているみたい。しばらく疎遠になっていたけれど、高2の冬に再会して、それから退院しているときは外で会ってるし、入院しているときはよくお見舞いに行きます」
「じゃあ、やはり恋人なんですか?」
「そこは、ちがう。はっきり言ってちがいます。お互いに恋愛感情は抜き」
「じゃあ、二人はどういう関係なんですか?」
しばらく考えたのち、ミカがこう提案します。
「一度、3人でお見舞いに行きましょう。そうすればわかってくれると思う」
「3人って?」
「コトネさんとカケル君、そしてわたし」
「えっ? そんなのありですか?」
「わたしは全然、かまわないわ。コトネさんと君さえよければ」
「わっ、わかりました。コトネに聞いてみます」
「メールちょうだい。わたしはLINE苦手だから」
二人はメアドを交換します。
翌日、音楽室でのリハーサルの後カフェテリアで、バンドのみんなに一連の「事件」について話しました。
「まあ、ストーカーじゃなくてよかったけれど、なんかビミョーな話だね」とマイ。
「うん。だから変に説明するより、関係者が一堂に会したほうが早いと思って」をミカ。
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3人でお見舞いに行ったのは、6月25日の日曜日。天歌駅の改札で1時の待ち合わせです。
ミカが最初に着きました。しばらくするとカケル君とコトネさんと思しき二人連れがやってきます。
「走り幅跳び」と聞いて、ミカは大柄な女の子が来るかと思っていましたが、小柄なカケル君よりさらに背が低い子でした。陸上の練習のせいか、顔はカケル君に負けないくらい日焼けしています。
ミカの前まで来て、二人がそろってお辞儀すると、カケル君がミカをコトネさんに紹介します。
「こちら、森宮美香さん」
「はじめまして。ミカでいいよ」
さらにコトネさんをミカに紹介します。
「こちらがコトネです」
「はじめまして、永山琴音です」と言うとコトネさんはぎこちない笑顔を浮かべました。
雨が落ちてきそうな空模様ですが、降っていないので3人は歩いて付属病院へ向かいます。
天高の横を通ってさらに行き、駅から20分ほど歩いて病院に着きました。
ノエルにはメールで、きのうのうちに事情を告げています。
ふだんミカが行く時間より、30分ほど早くノエルの個室に着きました。
「おう。これはカケルにコトネ。久しぶり」とノエル。ミカに話すときより早い口調で話します。
「中上センパイ、ご無沙汰してます」とカケル君。
「...お久しぶりです。センパイ」とコトネさん。
「うれしいねえ。かわいい後輩がそろって来てくれるなんて」とノエル。
「センパイは、お加減いかがですか」とカケル君。
「まあ、病気は病気だが、そんなに気分は悪くない」
それからしばらく、陸上部の最近の話題で盛り上がっていました。ミカは黙って聞いています。
「で、なんかコトネが、おれに話したいことがあるんだって?」とノエル。
「えっ?、、、」と驚くコトネさん。
カケル君も目を丸くしています。
「じゃあ、ミカとカケルは、しばらくデイルームに行っててくれないか。メールで呼ぶから」
「了解」とミカは言うと、カケル君を促してデイルームに行きます。
自動販売機でミカが買ってきた缶コーヒーのうち1本をカケル君に渡して、ミカは座るとプルタブを開けて一口飲みます。
「意外な展開だった?」とミカ。
「ええ、まさかこうなるとは...」とカケル君。
「カケル君の目から見て、いっしょにいるノエルとわたし、どんなふうに見えた?」
「はっきり言って、わからないです。恋人だと言われればそう見えるし、そうでないと言われれば...」
「たしかに、それを見分けるのはむつかしいわね。ところでノエルは、コトネさんにどういう話をするでしょうか?」
「もしミカさんとセンパイが恋人なら、そのことを言って、あきらめるように言うんじゃないでしょうか」
「でも、仮にそうだとして、そんな場に、自分の恋人を立ち会わせるようなことするかしら」
「はあ」
「いくらノエルがああいう性格だとしても、そこまでデリカシーのないことはしないと思う」
「そうですね」
「まあ、どうなるか、すぐわかるわ」
しばらくして、ミカのスマホにメールが着信しました。
「ノエル。もう大丈夫って」
ミカとカケル君が病室に戻ると、ノエルとコトネさんは楽しそうに話をしていました。主にノエルが話して、コトネさんが相槌を打つ形でしたが、コトネさんの顔に笑顔が広がっています。ずっと硬い表情でしたが、笑顔になるととても可愛らしい女の子です。
「ミカ、カケル、お待たせ」とノエル。
「あの...」とノエルに向いてカケル君。
「コトネと話した内容は、あとでコトネから聞いてくれ。それでいいよな?」
コトネさんがこっくりと頷きます。
それから4人であれこれと話をしました。
「カケルはミクッツのライブ、見に行ったんだって」
「はい、文化祭で」
「私もいっしょだったんです」と小さな声でコトネさん。
「じゃあ、今度、8月11日だっけ」
「うん」とミカ
「ここの1階のホールで、ミクッツのラストライブをやるらしい。おれも行くから、二人で見に行ってやってくれ」
「よろしくね」
「ぜひ」とカケル君。
「はい」とコトネさん。
着いてから2時間ほどたった3時半頃、3人はそろそろお暇することにしました。
「変な気兼ねしないで、また見舞いにきてくれよな」とノエルは二人に言います。
「そう、なるべくなら二人でいっしょに来てくれ。そのほうがおれも楽だ」
二人は顔を見合わせます。
「いいな。二人いっしょだぞ」
ミカと二人は病院を出てしばらく一緒に南に向かい、天高の前で別れました。二人は駅のほうへ、ミカはルミ女のほうへ向かって家へ帰ります。
その夜、めずらしくノエルから電話がかかってきました。
「今日はありがとう」とノエル。ゆっくりの口調に戻っています。
「うん。こういうふうが一番わかりやすいかと思って」とミカ。
「おかげさんで、うまくおさまったようだ」
「で、コトネさんにはなんて話したの?」
「おれはいま闘病中だ。治療に専念したい。だから恋愛は病気が治ってからにしようと思っている。だからミカとも恋愛関係じゃないし、いまのところ誰とも恋人になろうとは思っていない」
「そうしたらコトネさんは?」
「じゃあ、治ったら恋もされるんですね」
「へええ」
「私、待ちます。早く治ってくださいって」
「なんかウルウルきちゃうな」
「でもコトネは幸せ者だよ。こんなに思ってくれる男子が、すぐそばにいるんだからな」
「わたし、カケル君を絶賛応援!」
「ああ、そうしてやってくれ。おれの分も」
「...そんな言い方しないで」
「すまない」
6月30日。昼休みに、特進コースの5組になっていたマーちゃんが、1組のマイのところへやってきました。
「どうしたの」とマイ。
「『愛の才能』の歌詞をネットであらためて見てみたんだ」とマーちゃん。
「それで」
「結構刺激的な歌詞だよね」
「いわれてみれば、たしかにかなり強烈」
「校外でやる分には自由だけれど、校内でやるには...大丈夫かな?」
「そうね。一応これでも、お嬢様学校のはしくれだからね」
「香川先生に相談してみようよ」
「わかった。そうしよう」
マーちゃんとマイが香川先生のところに相談に行ったのは、次の週、7月3日月曜日の昼休みでした。ネット上から書き写した歌詞を香川先生に見せます。
「ライブでも聞かせてもらったけど、あらためて歌詞として見ると、相当刺激的ですね」と香川先生。
「校内のライブで先生方も来られますよね」とマイ。」
「大丈夫でしょうか」とマーちゃん。
「そうねえ。驚く先生方はいらっしゃるかもね」
「まずいですか?」とマイ。
「でも、この曲を演奏する理由があるんでしょ?」
「はい。特にこの曲については、趣向がありまして」とマーちゃん。
「では、自分たちの責任で演奏してください」きっぱりと香川先生が言います。
「いつも言ってるでしょ。とれる責任は自分でとりなさい。残りの責任は私が引き受けます。けどまあ、私も勤め人として、リスクヘッジはしておきたい。音源をいただけますか。ちょっと根回ししときます」
マイがUSBメモリを出して、先生のスマホに音源を装填します。
「DNA」の練習は、サプライズ相手の戸松さんの耳に入る「ソヌス」ではできません。6月初めに仕上がった譜面をもとに、まずはルミッコのほうで音楽室での時間に練習をしました。それから、ルミッコが録音した音源にあわせて、ミクッツの3人が音楽室で練習します。
初めて全員で合わせたのは、期末試験が終わった7月5日。30分の枠を二つあわせて、60分枠にして練習します。その間マイは部室で「愛の才能」の練習。
「DNA」の練習は、引き続き土曜と水曜に行うこととしました。7月17日の本番まであと2回です。
ミカは、3人で行った後、毎週日曜日の午後、ひとりでお見舞いに行きました。
例年より早めに梅雨が明けて、7月16日はもう真夏の陽が照り付ける一日でした。
「明日、校内ライブだろ。大丈夫?」とノエル。
「きのう最終リハーサルを全バンド参加でやった」
「コラボはうまく行きそう?」
「順調に仕上がってるよ。ルミッコをバックにして歌うと、やはり一味違う」
「そうか。直に聞けないのが残念だな」
「あとで音源あげるね」




