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子供扱いは結構です

寝汚い自覚があるものが微睡むこともなく瞬きと同時に目が覚め、思考が走る時とはどういう時か。



ぱちんと何の前触れもなく目が開いた。

夢の途中、覚めそうで覚めない夢現を揺蕩いながら続きを追って二度寝するようなこともなく、不自然なくらいに頭が起きた。

寝入る前の直前記憶が即座になぞられ、現状把握に思考を割く為に既に開いている五感を手繰る。


狭い、かもしれない。いや、ジャストフィットよりは大きいので狭いと言えるのかどうか悩むところなのだが、少なくとも広くはない。それだけは間違いない。

だって天井が手を伸ばせば届きますからね。ええ、植物で編まれたそれの隙間から差し込んでいる光で薄暗いその場所は、四大室まで私を運送する為に使用した大きなバスケット本来の使用目的ではない、の中ですね。何故だ。


お師匠さんにやさしいけれどやさしくないもち肌ほっぺをぎゅむぃっと摘まれてあんぎゃあっと泣き虫発動させられた後に軽く意思の疎通に失敗したけれどひょんな感じに抱っこ成功しちゃって甘やかして貰っていたはずなのに気が付けば箱入りに逆戻りとはこれ如何に。

泣いた後で人肌が温かくて瞼が重くってうととんと眠気に負けたら箱入りって一体全体どうなってこうなったのか誰か具体的に話しておくんなまし。

と、恐らくひどく落ち着いて見えるだろう平然とした顔と態度で内心だけがあわわわわ状態の静かな私の耳に音が届く。


「提出日を指定されていたのに不在ですか。お忙しいのですね、四大位は」


それは聞き覚えがあるけれど何か違う、なんて意味が全く分からない瞬間的な疑問と回答だった。

きっと寝落ちしてからそれほど時間は経っていない。だって恐らく加護精霊さんが過保護発揮してくれているひんやりが心地よい目元がまだ腫れぼったいもの。

だからボクがインしているバスケットの現在地は四大室。さっきの声は自己紹介を済ませてある四大の誰かではないことから客、と言っていいのかはわからないが四大位ではない誰かなのだから来客と判断しよう。


そう判断すると気にかかるのは、聞き覚えがあるって瞬間判断した自分だ。

四大室に立ち入れるような誰かで聞き覚えのある声、でも面識のある側近の二人でも両王様方でもないのに覚えがあるのはどういうことか。

四大室でも聖魔殿でもシェネレスの家でもない、それ以外の場所となれば……。


「そういえば、例の天使を引き取られたのも四大位の方でしたか。いつ見ても訳の分からない騒音を周囲に撒き散らしていた問題行動は改善されたのでしょうか?やはりご自宅で心声を使えないようにして閉じ込めていらっしゃるのでしょうか?いくら力が強くてもアレでは躾けるのは大変でしょうね」


新生の地。

ああ、あぁあぁそうだ。この声は覚えているぞ。卵の中で、最も多く聞こえた何よりも不愉快な声だ。


ボクとは違う正しく生まれたての天魔の赤子たちはくすくすと拙く、初めは近くの卵の子へ、そうして段々と周囲の卵の子らへと範囲を拡げて心声でおしゃべりをするのだ。

聞こえる言葉は本当に幼くて、今日は大樹にこんなことを教えて貰ったとか、家族になる天魔が話しかけてくれたとか、教わったことが難しくてよくわからないとか、それはこうだよなんて教えてあげているとか。

正直子供は嫌いなのだが、ここまで幼いと逆に微笑ましくなってくる。世界に産まれる未来にわくわくと胸を躍らせながら、同時にちょっと怖がってもいるおちびちゃんたちが、可愛らしく思えた。


ねえねえと声をかけられたことは実は数えきれない。ただ……私は心声ができなくて、何をどう頑張ってみても音らしきものにしかならないから意思の疎通が図れない。

大層不思議がられたよ。何でかな、どうしてかしらと大量の疑問符をとばされて、時には大丈夫その内できるようになると根拠もなく慰められ、励まされたりもした。


流石にちびっこに当り散らすほど我が精神は病んでないし堕ちてもいないぞ。子供は嫌いだが、……ちゃんと可愛いものだと思っているのだ。何もかもに正直で、時折素直すぎてひどく残酷にもなり得るけれど、その純真さが眩し過ぎて自分が浅ましいと卑下することもあるけれど、この幼くも儚い子たちは、守らなくてはいけないものなのだと思っているから。


全ての命がつつがなく、何の問題もなく生まれいづる訳などありはしない。人間であった時そうであったように、命が宿ったのに誕生することなく消えていった子たちも、当然いるのだ。

新しい命として生まれ、誕生する日を心待ちにしていたのに、楽しそうにはしゃいでいた声が……急に消えてしまうことが、幾度となくあった。そんな時、残された子らは一人、また一人とぐずり泣く。

それは悲しみ悼み、同時に別れを告げるものでもある。大樹と、同じ境遇の子らがいるこの場所は、命が生まれ育まれている場所であり、同時に失われ消えていく場所でもある命の巡る場所だ。

神聖な場所。そう認識したからこそ、その声は余計に耳に障り、ひどく不愉快だった。


時折赤子しかいない場所に違う声が混ざる。それはこの場所を管理していると取れる様子のものから新しく加わる家族を待ちわびるもの、更に誕生を促す歌声を届けるものなど、その目的は幅広い。

異変に気が付いたのは、私がリトネウィアとして生まれてどのくらいだっただろうか。

元気がないと心配されている子の様子に、もしかするとそのままいなくなってしまうのかもしれないと不安そうに交わされる心声を耳にしている時に、それは聞こえた。


「産まれることすらできない力しかないのならとっとと消えろ。孵化前死亡は確認項目が多くて面倒なんだ。孵る気がないなら初めから生まれるな、この屑」


耳を疑った。ちゃんと耳で聞いているのか自信がなかったから言葉を認識した頭も疑った。


「消えるなら一息に消えろ。産まれる力も育つ力もないゴミが未練たらしく生にしがみ付くな。お前がしつこい所為でいつ死んだか何度も何度も確認に来なきゃいけないんだよ。もう今すぐ死ねよ」


ぶちりと何処かから紐状の何かが切れる音がして、音にすらなりきれない残念な心声を張り上げ叫んだ。



お前が死ねっこの糞戯け!!



いきなりこの一文だけ見ればなんちゅーことをのたまっているのかと教育的指導に即座に取り掛かるだろうひどい発言だったが、反省するどころかそれでは生温いとやり直し要求する心持ちだった。


希望を抱いて宿った命に対する許し難い暴言、万死に値する。漫画に小説、ゲームに現実、ありとあらゆるジャンルから得た碌でもない知識を総動員させて命を軽んじるだけでなく踏み躙る理不尽極まる身勝手な雑言を平然と吐き捨てた顔も名前もその存在も知りたくないこの野郎に生き地獄を味わわせてやりたい所存。

だがしかし、私もまだ誕生前のおちびにすぎぬ不自由の身、命拾いしたな腐れ外道。純粋無垢な幼子らを脅かした暴言以上の存在否定でもって私は必ず貴様の心をへし折ってくれる。首を洗って己の終焉を待ちわびるがいいわ。


ん?なんか何処かのゲームの悪役だか魔王みたいな発言していることに気が付いたが……まあ、いいか。

命大事に慈しみ愛しんでの考えがある私のいる前で真っ向から喧嘩売ってきたそいつが悪い。

何があっても許さん。絶対に許さん。地べたに這いつくばって泣いて叫んで懇願したとて許しはせん。

一度口にされた言の葉の悪意と殺意によって負わされた心の傷が消えることがない以上、私は私に課した信念に基づいて、徹底的に牙を剥き続ける。元々少ないやさしさを命を軽んじ蔑ろにする屑にかけてやる気など、毛頭ない。覚悟していろ糞野郎。


大変殺る気に満ちた決意を新たにしている私のお耳が拾った醜い音。野郎かどうかも知らないし知る必要もない糞野郎の声が、何故に、四大室で聞こえるの?


ねえねえ教えてお師匠さん。ぱかりとバスケットの蓋を開けて記憶の回想していたお陰で何処も見ていなかった私の視界に入ってきたお師匠さん。

あの野郎大樹に実った卵たちを管理している新生の地担当天魔ってやつなんでしょう?

しょっちゅうしょっちゅうやってきては仕事をしている素振りも見せず挨拶代わりに聞くに堪えない暴言を吐き捨てやがって毎回毎回ボクの喚き散らす音に耐えきれず三下キャラ張りの「覚えてろよ」発言残して逃げ出していた愚か者が、よりにもよって新たな命を守り育む新生の担当ってやつなんでしょう?

ボクが元より有する記憶と大樹に御教授頂いた知識が教える新生担当ってのは位としては中級位、そしてその中級位は四大の下になる司令ともう一階級下の二階級を指し示す。

自分のことは大きな棚に別件として置いておき、四大室はそんなにひょいこら気安く下位の天魔が出入りできる場所と違うんじゃないのですか?私の認識間違えているのですか?

何よりあのどうしようもない糞野郎がどうしておふざけはすごいらしいが職務と責務に忠実である貴方様方の執務室に偉そうな口振りで立ち入ることができているのか納得のいくご説明を頂きたい!


「……取りあえず、そこから出してもいいか?」


何とも難しい色を浮かべたディルが最初に提案したのは、現在進行形で箱入り天使の私をバスケットから出すことでした。うむ、了承致します。出してください。

ん、と据わっているかもしれない目を空色に固定して両腕を伸ばしたその意図は、今度はちゃんと抱き上げてくださいの意味です。

そんなボクの行動に何か躊躇われるものがあったのか、瞬き分の間を空けてディルの手が伸ばされたのに、ボクは構えることも怯えることもなかった。うん、平気だな。ただし現在脳内沸騰中なので参考にはならないと思われるため正常時に改めて試してみたいと思う。その時には協力してねお師匠さん。


「悪いな。お前を見られると色々と面倒な奴が来てたんだ」


掛布団ならぬ腹上羊さんになっていた我が布地の友、断じて梱包材代わりではないを一度避けてから慎重に抱き上げてくれたディル。もふっと羊さんを渡してくれながら何故箱入りに逆戻りだったのかの説明も忘れないところが憎いぜ。


正直どうしてボクの存在を隠してくれようとしているのかがいまいち把握しきれていないが、ごく少数にしか伝えられていない王命でのひとりぼっち禁止故の四大室出入り許可はいらぬ憶測を生むことだけはわかる。目撃者が少ない方がいい意図は恐らくそういうことだろう。

多分きっと恐らくの曖昧表現しかないが、それはこの際構わない。いま聞きたいのはそんなことじゃない。


「  」


はくはくと音のない言葉を唇に乗せるボクにディルは瞬きながらも反応してくれた。

だから私は言葉を紡ぐ。


「       」


何故、あんな奴が、と。

伝わらないなんて思ってない。きっと読み取ってくれると勝手に信じて疑わない。

だからこそ、働かない表情筋でもわかるように目一杯不快だと示してゆっくりと、はやる気持ちを抑えながら一文字ずつ言葉を紡いだ。


反応は、顕著だった。

驚きに目を見張り、それから何かを堪える様にして顔を歪め、きつく目を閉じる。

噛み締められた唇が色を失って痛そうに見えた。


ああ、伝わった。読み取ってくれた。勝手な期待に応えてくれた喜びと、私の問いの意味に気が付いて何かに迷ってくれているその様子に、あの野郎への不快さは消えないけれど、伝わらないとわかっているのに感情的に叫んでやりたいと訴えていた部分がほっと息を吐いたのがわかった。

そんなボクの様子が伝わったのか、開かれた空色には沈痛な色が浮かんでいて……聞いてはいけないことを聞いてしまったかもしれないとちょっと胸が痛んだ。


「そう、か。聞くことはできたんだから、聞こえない訳、ない。敏いお前が聞き逃すことも、ないか」


…………なんか過大評価されている気がしてきましたよお師匠さん。

私は同年代に比べれば前世分の思考能力が備わっているため多少なり敏いと言えるでしょうが、生憎天才の領域には程遠い平均値の頭しかないですからね。ハイスペック天使体が何処まで人間時の平均を押し上げたか知りませんが、貴方様方のような一握りの精鋭天魔の中にはどんなに頑張っても入れませんからね。

潜在能力がどれだけ高くて立派であろうと使う奴が残念ならそのくらいの働きしかできませんからね。

そこのところ御理解頂きたいのですが如何でしょうか?


「子供らしくできないのは、辛いな」


「……」


脳内疑問への回答が返ってくる訳はないので構わない。むしろ返ってきたら心が読めるのかとちょっとビビる。

そんな風にふざけた方向に思考が逃げたのは、予想以上の反応が返ってきたからどうしていいのか少々混乱致しておるからでございやす。


いやだって、ねえ?問いじゃないんだもの。確認でもないのですよ。非難しているのでもなければ哀れんでいるのでもない……共感、なんですからどうしていいのか誰か教えてプリーーーーーィズッ!!


やだちょっとどうしようどうすればいい?ぶっちゃけてしまうと保護者のイルファよりもお師匠さんのディルの方が設定掘り下げたことある分複雑で救われない感じのご家庭事情を知ってんですよわたくし。

それが現実に起こっている事象なのかどうか誰にも確認すらできないむしろやったら突っ込みが入るのでひっそり一人で情報確認するしか方法はないのにその術がない安定の行き詰まりに打ちひしがれてもいいですか?それどころじゃないので我慢しろですねわかってます御免なさい。


あーあーあーあーあーあーーーっ!

へいへいお師匠さん、子供らしくないボクを通して自身の過酷な幼少期を思い出すのはやめてあげてください声を紡げない私の精神がガリガリと削り取られて現在の貴方様以上に痛々しい顔になりますよ。

嫌でしょう嫌でしょう面倒くさいでしょう!だからお願いっ、せめて基本表情でお願いします!


無表情を懇願するちびっことかきっとボク以外にはいないだろうおかしさにはきっちり蓋をして、ふわもこ羊さんから伸ばした短い手を何処か……泣き出しそうにも見えた頬に滑らせる。

本当は無礼承知で頭を撫でてあげたいところだが、ちょっとこの抱き上げ位置だと届かない。

なので届く頬にターゲットロックオン。保護者様と同じく肌荒れなんて言葉を知らないだろう艶美肌が憎らしいなんてちょっぴり思っても自重します。

だから、ね?そういう御顔ではなくてスマイルひとつお願いしますよお師匠さん。

この際皮肉気に鼻で笑うとかでもギリギリOKしますから、ね?


「っ?!」


とかなんとか死滅疑いの我が表情筋に笑顔作れと働きかけていたボクの予想外の事態がまたも発生しましたよ突発事態に弱い頭はとっくの昔にパニックですよお師匠さん!

ぽふっ。音としてはこれだけだ。そんな可愛らしい音を立ててボクが抱きかかえる布地の友、羊さんに顔面ダイブしたお師匠さん。とっても大事なことなので繰り返す。ボクが抱きかかえている羊さんに顔面ダイブしたのはお師匠さんです!

どうしたディル!気でも触れたか!?


弁解の余地なく失礼な叫びは幸いにも伝わることはなかったが、もそもそとふわもこに埋もれた顔をボクの方へと向けて、隠れていた表情を見せてくださったお師匠さん。


「…………騒音兵器の癖に生意気だ」


ツンデレきたコレェエエエェェエエェェーーーーーーーッッ!!


言ってることは理不尽でツン、なのに態度は我が布地の友に秀麗な御顔をお乗せになってのデレ!

ちょっと悔しそうな拗ねたようなでも心配して貰えて嬉しくって照れくさいそんな誇大妄想を掻き立てる複雑で神々しい微笑にあっしのつるぺたお胸はどんどこどんどんわっしょーーいっとかおかしな鼓動を打ってお祭り騒ぎでやんすよお師匠さん!!

脳内妄想という名の心象風景では我が鼻からぶふぉっと鼻血が噴き出してボッタボタと大流血しているのでありやすが現実はどうなっているのか確かめた方がよろしいですかねお師匠さん!

目の毒ってこういうことなんですねお師匠さん!不整脈が止まらねえでやんすよお師匠さぁーーんっ!!

いまこの場で召されたら…………ずぅええぇったいに後悔するだろうからそのツンデレ表情が夢幻と化す前にガン見して脳味噌だけでなく脳髄にまで刻み付けます御馳走様です!!


「っはは、追いきれないから落ち着け」


そこで笑顔は惚れてまうやろぉおおおぉぉおぉーーーーーっ!!

何なんですかお師匠さんよ!貴方様は生きた年数イコール彼氏いない歴の恋愛初心者を誑かしたいのかナイスガイッ!危険なスマイルありがとぉーーーっ!


「わぁお、ディルがおちびちゃんを誘惑してるよ」


「っ!?」


ドゴォッ!とか激しく鈍い音聞こえたよお師匠さ…………ん。


「…………誰が、何だって?もう一回言ってみろ、救う気の起きない下種脳」


「…ぐ…ふぅ………………な、んでも………ない…れふ……」


わ、私の背後で知らない方が幸せな何かが起きた。つい先程の危険なスマイルが百八十度逆方向に危険なスマイルに変貌した。御顔の位置は羊さんから元の位置へと戻されたが、お手々の位置は寸分たりとも変わりがない。ないのに鈍い音が聞こえたのは、何度か見て慣れてきた拳骨粛清ではないってことですよね。

もしや……足、ですか?格闘による攻撃手段が足技に偏っている貴方様方天魔の足での攻撃って程度と実力によっては法の威力に達する大変な危険物じゃありませんでしたか?!

ちち違いますよねと聞きたいけれど知りたくないので聞けないよお師匠さん!


「…………ディル、おちびさん顔面蒼白だから落ち着いて。君が抱き上げてるから気付いてないみたいだけれど加護精まで動いて四大室揺れてるからね。直ちにやめるように」


困った調子で窘める声は一応聞き覚えのある声だ。しかしマリエルでも……ついさっきぐふって力尽きたもう一人のお調子者の声でもない。

ああけれど、邪悪と言いたくなる凶悪スマイルのお師匠さんを基本装備に戻そうとしてくださっているのならばこの際誰でもいい!私は人見知り返上でみっともなく縋り付く!

私の精神の為に死なない程度に頑張ってください誰か!


きしり、と座っている椅子ごと顔の向きを変えたお師匠さんのご機嫌は、ゴゴゴゴゴと幻聴の地鳴りが聞こえるレベルのどん底です。そしてボクにはまったくわかりませんが、大層機嫌を損ねたディルの加護精霊さんが荒ぶって四大室を揺らしているらしいです。

あー、ではこのゴゴゴゴゴ音ってもしかすると地属性の音ってことかもしれないってことで幻聴ではないかもですかそーですか。わかったところで何の救いもない情報をありがとうございます。


凶悪スマイルに視線が固定になってしまっているボクが精神だけを遠くに逃がしている間に、ディルは声の主に視線を向けていた。


「あの下種脳の肩を持つ気か?」


「持たないよ。いまのはアシスが悪い。そっちは放置していいから加護精を引っ込める。地属性だから大した影響は出ていないけれど皆無じゃないんだからさ。その証拠に目の色揺れてるでしょ?」


ヤのつく職業の方が脳内を横切っていきそうな低い低いお声にボクは硬直しっぱなしなのに、呆れの溜息を吐いてさり気なく、きっと床に愛を囁く羽目になっているだろうアシスを放置することを決定したすごいのかひどいのか悩む御人。

一体誰なのかと反応した恐いもの見たさの好奇心に動いてくれた目に映るのは、ちょんっと左の側頭部に纏められた短いパステル系の柔らかな黄色の金髪。

ショートカットだけれど結べるんです的な結われ方をした髪の部分は……アレだ、耳かきの梵天を大きくしたものというかウェルシュコーギーのペンブローク尻尾というか。触覚やアホ毛みたいなぴょこっとではなく、かといって梵天や尻尾みたいにもふっともしてはいない絶妙に、ちょんって感じの気になる御髪。

そんな貴方様は、四大最年少天使のナヴァリエル・クラッジア・セイルノールさんではありませんか。


……どういう覚え方だとかいう突っ込みはなしの方向でお願いします。私が一番そう思っているので勘弁してください。

最年少とはいってもそんなに皆と年齢差ないのに幼く見える容姿とか、リフォルドの深紅とは違うけれど赤桃色の目立つ瞳とか、他にもあるのに気になったのはそこだったんだからしょうがないんですよ。

結んでいる理由が気になったんですよ。別になくても困らないいんじゃないのと思っちゃったんだもん。

そうしたら余計に気になって……。


ええ、別にそのナヴァの発言のお陰でスマイルだけが引っ込んで凶悪が残った表情と目でボクを見つめる空色から意識を逃がしつつ、なんてことをしてくれたんだと非難しているつもりはないです。

ないったらないです。


「はあ」


空色が伏せられ、息を吐いた直後、タンッと大きく一つ足を踏み鳴らしたディル。


「良く出来ました」


にっこりと笑ってディルに告げるナヴァの言葉の意味が分からず、頭上に疑問符を大量に生やそうとしかけていたが、ゴゴゴゴゴ音が消えたことに気が付いた。

ということは、いまの足を踏み鳴らした行動で加護精を抑え込んだってことですかお師匠さん。

いや、言葉にしなくても思うだけで精霊さん方が応えてくれるのは初っ端にやらかした件で承知しておりますが、足踏み……いや、行動はついでで心の中でお願いしているってことなのか?苛々している時とかに自分の掌に拳を打ちつけて音を鳴らすとか、鬱々気分を吹き飛ばしたり気合入れに自分の頬をぱちんっと叩いたりすることあるものね。そういう類ならわかる。特に拳打ち鳴らしはやったことある。良い音鳴るとちょっとはすっきりするのよ、アレ。


「?」


なんて過去に思いをはせていたら、なでなでとぎこちなく頭を撫でられた。

どうして頭を撫でられたのかわからずに小首を傾げて手の持ち主たるお師匠さんを見上げれば、やや眉が下がっていらっしゃる。ふむ、ばつが悪い感じかな。


「……ビビらせて悪かった。別にお前が悪い訳じゃないからそう固まるな」


いや、別に謝らせるようなことをされた訳ではないので別に構いはしませんよ。ええ、ボクが勝手にビビっただけなので実害は…………背後の反応がない火悪魔殿だけです。

どうやら何かまずい言動があったようですが、生憎思考が全力で暴走していたので何が何やら不明でして。

きっと問うても教えてはくれないのでしょうから別にいいです。

ええ、ボクは何も聞かなかった。知りません。だから問題ありません。

ふるふると首を横振りして大丈夫ですよと返答しますが、硬直が解けきれない体についてはちょっとばかりご猶予ください。急には無理。


「ふうん、僕が忙しくしている間に随分仲良くなったんだねディル」


「っそうだよディル!何で何で何したの!?どう考えても子供に好かれる態度じゃないのに何処がリトネウィアの琴線に触れたの妬ましい!」


良いことだとにこやかに頷いていたナヴァの横から勢いよく食いついてきたマリエルが、のほほんとした緩い雰囲気は床にスパンッと叩きつけでもしたのかと問いたくなるご様子で叫んでます。

私はどっちの台詞と様子に突っ込みを入れていいのでしょうか。


「煩い、知るか」


「うわぁーーもおぉーーっ納得いかない!騒音兵器呼ばわりだけでなく一人で歩くのはまだまだ難しそうなのに半ば引き摺る形で歩かせる無茶振りに主に眉間に皺を寄せた状態で会話なんて言葉の意味こそ噛み砕いても話の内容は僕達に対するのとほとんど変わらないしょっぱいどころか辛過ぎる対応なのにどうしてディルなのリトネウィぁんぎゅっ?!」


第三者視点での遠慮のない意見が手厳しいけれどやっぱりそう見えるよねと思いますが、詰め寄り禁止で却下です。とか思うより早くディルの手がマリエルの顔面を掴んでいらっしゃいました。

鷲掴みしているそのお綺麗な手にどれくらいの力が籠められているのかは不明なのですが、みしっと聞こえた気がします大丈夫なのでしょうか。


「人見知りのガキに詰め寄るな非常識。もれなく俺にも近くて鬱陶しいんだよ離れて勝手に僻んでろ。それから、ガキの取り扱い方法なんぞ知る気も学ぶ気もない俺に縋っておいてその言い草はなんだ役立たず。文句が言いたいのなら昨日に戻って初めからやり直して来いお門違い」


ペイッと不要物をその辺に打ち捨てるようなご様子でマリエルの顔面を押し放したお師匠さんの澱みのない流れる叱責は、三歩後退してしゃがみ込み顔を押さえながら呻いている風天使の耳にちゃんと入っているのだろうか。


というか、縋られたのですかお師匠さん。昨日に戻ってということはアレですか?ボクがソファで構ってくれるなと余裕なく精神漂流していた時のことでございましょうか。

やっぱりマリエルもカラリナも困っていたんですねボクの取り扱いに。それは済まないことをしましたが、個人的には放置のままがあの時のベストだと思っているので反省はしません。御免遊ばせ二人の四大位。

そして中身がコレなので必要以上に子供対応されますとやさぐれますので傍から見て辛い対応でも問題なしです。


思うに、子供だからわからないだろうっていうのは、わかる訳がないのだから適当にあしらっても何言っても問題ない、そんな身勝手な蔑みと変わらないのだということを御存じないのかもしれないですね。

子供は大人が思うほど鈍くなければ馬鹿でも愚かでもないんですよ。侮ってくれるな。

とはいえ、こんなことを瞬時に考えて不満たらたら口にはできずに訴えるのは、思考能力に前世分のリードがある私くらいなものでしょう。同期生まれの天魔のおちびさんたちがボクと同じひねくれ思考回していたら間違いなく可愛くないと顔面歪めているところだ。生意気なガキんちょとか御免被ります。


おっと話が逸れてるね。へいへいお師匠さん、私はあの野郎がどうして四大室になんて居やがったのかを知りたいのですよ。すでに居ないことは隠したボクをバスケットから出してくれたことと現在我が目で確認できたのでわかっておりますが、あんな性根の腐ったド畜生野郎が何しにきやがったのかの部分をご説明頂いてない。


ぺっしぺっしと注意を引くにしても少々機嫌がよろしくない動作でもって示したボクへと視線を落としてくれたディルに再び口を開く。

眉間に皺を寄せてただ一言で十分。あいつ、と固有名詞ですらない情報だけで示す不愉快極まりない存在の提示に、またも表情を曇らせて言葉に迷うディル。


「あー、……誰か、はわかってるんだよ、な?」


おう。名前も顔も知りたくはないがあの野郎だとは認識できているよ。

こっくりとはっきり頷けば、より曇る御顔。言葉を探して視線を彷徨わせなくていいから、さっきマリエルに言い放ったくらいに流暢にひどい言葉を並べ立てる勢いで説明求む。


「…………はぁ……」


はよはよと説明を要求するボクのぺしぺし攻撃に諦めがついたのか、ナヴァから机へと向き直ったディルはカタカタと機器を操作して一人の天使の姿を画面に映し出した。

ショートカットだが右サイドだけが長い金髪にきつい印象の釣り目は薄い茶色。まだ幼い年齢に見える見た目だが……なんというか、いけ好かない。雰囲気的には、ガキ大将の腰巾着。虎の威を借りまくる狐。

そんな感じ。

そんな何とも言えない感想を抱いていれば、これが誰で何なのかをディルが教えてくれた。


「元老マヌセイン配下の新生担当風天使で位はプルヴァ、マイア・ゼラ・クフェト。覚えたくもないだろうが覚えておけ、面倒事を避けるには情報は不可欠だ」


知りたくない情報から投下されてしっぶい気持ちになったのがお分かりになったようで窘められた。

でもおっしゃることは御尤も。あの声で認識しているのだから聞かなければ奴とわからないもの。

知っていれば名前だけ、遠見の姿だけでも避けて通れる。私か奴かが死にでもしない限り、何処かで顔を合わせることがまったくないなんて言えないのだからしょうがない。そのくらいは我慢する。


ああ、位のプルヴァってのは四大位の一つ下の司令位、そのもう一つ下の位だ。

天使の位がプルヴァで悪魔の位はベリルといい、司令とプルヴァ、ベリルの二階級が中級位天魔になる。

天魔共にその下に二階級ずつあって更にその下が新生、この三階級が下級位天魔になるが、位の話はまた追々でいいだろう。


しかし、元老配下の新生担当ね……。マヌセインとかいう元老は知らないが、よくない感じですこと。

以前元老位のことを直轄領を持った貴族に例えたが、それがまた適用できそうだ。


領主である元老は自領を豊かに、尚且つ快適にするために多くの雑務をこなすための配下を必要とする。

執事さんにメイドさん、料理人に庭師、衣服を誂える御針子に宝飾品を扱う装飾師、自領を警備する騎士や軍人、建築士に農民といった感じに拝領された領地が大きければ大きい程に多くの人手が必要になる。

そしてその人手は優秀であればなおよい。


つまり優秀そうな天魔、力の強い将来有望株の天魔が大樹に実り、それがボクみたいな生家を持たない孤児さんだったら、いち早く情報を得て詐欺師まがいに引き取り手として優先的に手を回せるように伝達、なんて不埒なこと考えてる可能性があるってことですよ。

自我の芽生えもまだない無垢な幼子を洗脳教育して都合の良い働き手にする光景が目に浮かびます。

いやあ、実に反吐が出る考え方だ。くたばれ。


「……敏いというか……賢しいというか」


はい?何を溜息吐いていらっしゃいますのお師匠さん。そんなことより情報くださいな。

ぺちぺちと催促をするボクを見ていた空色を画面に映るあの野郎へと移す。


「こいつが卵たちにとんでもないことを口にしていたのは、言わなくても知っているな」


えぇえぇ、よぉく覚えておりますので深々と肯定しますよわたくしは。

ゴミ屑扱い、死ね死ね殺してやろうか等々。卵として命を宿した幼子の存在自体を否定するあまりにも極悪非道な暴言の数々、ボク自身が誕生することができるかできないかの瀬戸際であっても、あの暴力と変わりない悪意の言葉はちゃんと拾い上げたよ。例え何があろうと許してはいけない発言だったからね。


「……」


あー、もしかしなくてもお師匠さんってばそのとんでもないお言葉大全集の全容を御存じだったりするのかしら。それで子供らしくなんてないけれど、生まれて四日の一応おちびちゃんに区分できるボクが傷ついていると思って思い出させることを気に病んでいらっしゃる?

だからこのお話に乗り気でない……いや、子供にする話としては適さない以外の何ものでもないお話ですけれどね、これ。


別に、いいのに。むしろ私はこの腐れ外道をこてんぱんにのしてくれるのであれば、情報提供並びに協力を惜しまないし利用だってしてくれて構わない。ボクが卵としてあの場にいた間は徹底排除に務められていたが、誕生してしまった以上あの場所に残されている卵たちを守ってあげることが叶わない。

特に性格的におとなしい子たちは孵る前に心がへし折られて内側から殺されてしまう。生きようとする気力のない卵は誕生する権利を放棄したと見なされて、誕生することなく消えてしまうのだから。

守ることができなかったあの歯痒さに比べれば、私が思い出して苛々することぐらい、どうということではない。

そういう訳でお師匠さん、複雑な顔していないでお話の続きをはよはよ。


「新生担当として相応しくない言動だとナヴァが一時的に謹慎を言い渡し、仕事内容についての報告や反省を書類にして司令へ提出するよう命じていたらしいが、何をとち狂ったのかそれとも狙いがあったのか、提出命令を出したナヴァ本人へと直接提出をしにやって来た。それだけだ。入室許可は与えたが、俺たちが招いた訳じゃない」


パネルを叩いて画面を消したディルの言葉をふむふむと拝聴し、考え込む。

プルヴァのすぐ上の位が司令で、司令室には確か生死の管理をしている担当天魔がいたはずだ。

だから仕事内容の報告も、それに伴う問題行動についての釈明や反省も、まず提出すべきは近い位の上位者だ。

平社員が係長を通り越して課長に書類を提出したと考えればあの野郎の非常識具合がわかるだろう。

係長の立場は一体何なんだってこと。係長的には舐めてんのか平社員、いい度胸だ平社員的な叱責が降り注いでも文句は言えないだろうよ。……係長が横暴かつ無能だっていうのならまた話は別だろうが。


わからないな……。元老配下と王直属配下は険悪だ。特に王に近しい高位者は名前を聞くだけでも顔を歪めて不愉快さを隠さない分かり易い態度を取る。そんな高位者である四大へと歓迎される訳もなければ、当然出向いたあの野郎自身も良く思っていないだろう天魔しかいない場所にどうしてやって来たのか。


ナヴァが謹慎を言い渡したと言ったからには、本来の司令ではなく四大から直接謹慎命令が出たということで、これはこれで通常とは異なるのだろう。穏便に事を進めたければ司令を通すはずだ。その方が四大へと目が向かなくてただでさえ悪い元老との確執を刺激せずに済むし、あの野郎も精々上司に悪辣な態度がばれて注意されたくらいにしか思わないはずだ。


それなのにいきなり四大から謹慎命令、それは間を経由させる手間を惜しんだということ。

どんなに機械や書類上で最速処理しても目の前で告げることに比べれば、遅い。

そこに生じる時間差の間に起こり得る問題を看過できないと判断したということだ。

さらに、四大が直接命じたことで親玉であるマヌセインとかいう元老に、配下の躾がなってないぞとケチをつけたことにもなるはずだ。

それによって先に述べた優秀な天魔の卵たちへの唾付け行為はわかってんだよと示したことにもなる。


では今回の突撃四大室はその行為への返答なのか?いや、司令でもないただの中級位を四大室に放り込むのは流石にないんじゃないだろうか。全くない訳ではないだろうが、何らかの目的があってならばもう少し使える天魔を放り込んでくるだろう。間違っても心声もどきを食らって覚えてろよと退散するような残念には任せない。そこまで上がお馬鹿ならもうどうしようもないが、そうでないなら……蜥蜴の尻尾切り扱いで、勝手に動いたところでさしたる問題はないということなのか。

なんにせよ入室許可が求められるということは誰が何時出入りをしたのかを管理されているということで、そこに名前を残すことにメリットが見いだせない。……何がしたいんだこいつら。


情報が足りなさすぎて行き詰った耳にくすりと笑う声が届いた。

何だ、と視界を広げれば、笑っていたのはナヴァでした。


「いや、ごめんごめん。ディルが態々説明を始めたから何事かと思って見ていたんだけれど、成程ねと思ってちょっとおかしくなってさ」


ばれたからくすくすと笑っているのは別にいいのだが、何が成程なんでしょうかね地天使殿。

じぃっと訝しさを含めた視線を送っていれば、にこりと口角を上げた笑みが面白いと書いてあるように見えた。


「ん?気になるの?」


そりゃ自分のことで笑われているとわかって気にならないほど自分に無関心じゃないですし、生きるのに必死なので無視は選択肢にないです。

だから首肯を返せば、幼く見える御顔をにっこりとより深い笑みに変えるナヴァ。


「新生位がこぞって君を捜す訳だと納得したんだよ」


は?


「どういうことだ?」


言われている意味が分からなくて小首を傾げたボクと即座に問いを返したディルの気持ちが一致した。


「おちびさんが孵化するまでの間に誕生した同期の新生はこの三日間、皆必死になってリトネウィア・レム・オルテンシアの行方を捜してるんだよ」


…………はぁあ?!

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