子供らしさはありません
水の痕跡を残していた砂浜が水底に沈み、その痕跡を上書きする。
ちりんちりんっと涼やかな音が制止するようにも聞こえた。
「「?!」」
最初に反応したのは誰だろうか。
息を呑む音が聞こえた。驚愕する視線が突き刺さった。
でも、それが何だっていうんだ?どちらも驚きを表しただけで制止の効果も抑止の効果も持たないそれに、何の意味がある?その程度で私の怒りは治まらないぞ。
私には明確な優先順位が存在する。気に入った一部、その厳選者、特別に唯一。
その四つに区分されたものの為に私は持てる力の全てを注ぐ。行動理念はひどく単純で、人によっては失笑もの、精神異常とも取れるだろう程に愚か極まりない。
けれど、それが自分自身を支えきれぬ弱い私が持てる唯一の核。
ただ守るために在ろうとする。
そして現時点でボクの私の最上位は決まっているんだ。
守らなければいけないのは自分自身ではなく、何も語らぬ卑怯者を守ろうとしてくれているもの。
なに、多少の無茶なら利くのだろう?だったら、限度を超えさえしなければいいだけの話。
幸いこの耳は音として限界を感知しているのだから、問題ない。
「ちょっと待ったっストップストップ!!呼びかけるなっ!」
両手は顔の横、ホールドアップな手が必死な表情を反映して大声を上げた言葉と同じくやめろと振られているが、私のお怒りスイッチをぽちっとONにしたのは誰だと思っているのだこの側近。
聞く耳持つ気なく騒音指定を食らった心声もどきを行使するときの要領で深く息を吸い込もうとしているボクにリフォルドは説得と表現するであろう言葉を続けた。
「明らかにレイジェルと同じ、呼びかけた張本人以外の誰の声にも耳を貸さない水精霊をリトネウィアは制御できないだろう!この場の誰も助けられない状況を望まないなら封印石に負担をかける行動はやめてくれ!俺への怒りを治めろとは言わないからっ」
吸いかけた息をぴたりと止め、代わりに眉間に皺を寄せた。
自己処理できないだろうと的確でさらに腹の立つ言い様と問い質してやりたい発言を受けて制止はしたが、その行為がどれだけ不本意で不愉快なのかを眉間に線を刻むことではっきりと示しつつ、発散されなかった怒りをこれでもかと込めて、呼びかけをやめたことでぶんぶんと横振りしていた両手を止めたリフォルドを思いっきり睨みつける。
四大のディルが発した殺気の余波で竦み上がって身動き一つ取れなくなる弱小新生が命知らずな真似をしていると失笑も貰えずむしろ目撃してしまったものを恐怖のどん底に突き落とすだろう我が行為は、よりにもよって側近に、それも天魔最強の力保有者で、恐れられる禁忌の子でもあるリフォルドに喧嘩を売っているなんて命が幾つあっても足りない愚か者の最上位行動だ。
そんな見ている方が真っ青行動を向けられているというのに、リフォルドはそれを咎めるどころか両手を挙げた姿勢を維持したままで安堵すらしている。
「そう、呼びかけるのは駄目だ。自覚がないだろうが俺に怒りを向けた時点でリトネウィアの加護精が迎撃態勢に入ってる。感情が大きく動いたことで周囲の精霊が自発的に集まってきて統率を取る加護精の指揮下に入ったのがわかってないだろう?一点特化の属性持ちはそういった感情の揺らぎによる精霊の反応が激しい傾向にある」
加護精霊と言われても正直よくはわからないが、少なくとも耳に届くFの唸る低い音と目に映る蒼い五つの光を筆頭に蛍火が煌くように幾つも浮かぶ青い光が明滅するのは、いまのボクの感情に同調しているのだろうというのはわかる。
なにせ今現在のボクの心境はピンと張ったキレてはいけない糸に向かって刃物を近づけている状態でしてね。視覚と聴覚に訴えかけるこれが呼びかけをしていない状態で自発的に集まってくれた精霊とボク自身の加護精霊だと説明してくれるのはいいが、肝心要の部分はスルーですか、側近殿。
行動制止と何故と問い質したい部分がない説明に苛立ちが募りさらにきつく睨みつけるボクは、どうして側近が新生に怒ったままでいいから聞いてくれなんて下から頼む調子で語りかけてきているのかに気が付かない。
「レイジェルはその中でも別格だ。呼びかけなくても無数に水精霊が従い集い、呼びかければ想定の何十、何百倍の水精霊が我先にと争うように集う。レイジェルが呼びかけた水精霊は呼んだ本人以外の誰の声にも応えない、見向きもしない、完全に無視されるばかりか煩いと迎撃されることもある」
何故急に魔王の話をされているのかと思うだろうことに一切の疑問も抱かないことがどれ程おかしなことなのかにも気が付かない。だから話を続けろと行動制止を続けるボクの様子にリフォルドが口元を引きつらせたのにも当然気が付かない。
「そんなレイジェルが自分と同じだと言ったリトネウィアに渡すよう頼んだものがある」
レイジェル様がボクに、リフォルドを経由しての渡し物?
というかいま聞き捨てちゃならないとんでも発言聞こえた。自分と同じって言った。
ボクと、レイジェル様が、同じだって。
一瞬にして血の気が引きそうな発言に意識の全てが持って行かれそうになるが、同じと判断した上でのリフォルドを経由しての渡し物にどうにか焦点を持って来る。
だってその一言があるかないかで意味合いも重要度も全然違う天と地程の差があると言っても過言じゃない。
余りにも予想外のタイミングで暴投された情報はぷちキレ状態だった頭に思い切り氷水をぶちまけてくださり、妄想脳内では不吉と冠を掲げる疑問が怒りを勝り、現実では聞こえていた音と見えていた光が初めからなかったとでも言うように綺麗さっぱり消失した。
途端四方から安堵の息が漏れ聞こえたが、私の関心は一点集中している。それに気が付いているリフォルドは未だ両手を挙げたままだが、私に示すようにして左手を振ると無造作に伸ばした手の先を亜空間に突っ込んだ。
…それ、予告してからやってくれないかな。急激に魔法的要素がぶち込まれて吃驚する。
驚くボクは置いておき、亜空間から抜き出したリフォルドの手には長方形の……封筒?
脳内テレパシーな心声に映像を空中投影して通信できる機器まであるのにここで紙媒体ですかと意外過ぎて首を傾げれば、その反応は予測していたのか引きつった表情にほんの少し苦笑が浮かぶリフォルド。
「レイジェルの加護精による封付きの手紙以上に厳重なものはないぞ」
あーなるほろ。絶対にレイジェル様以外の誰の命令も聞きやしない完全無欠の鍵付き書類だねソレ。
配達員と受取人以外の手に渡り剰え勝手に封を切ろうとした暁には、彼岸が見えるんでしょうね。
聞いたことねえよそんな恐怖レター。受取人は本当にボクなんだろうな。天使違いでしたとか通用しないどころか聞けないからな永久に!そして気になるのはリフォルドの手に同じ封筒の手紙が二つあるところだよもう一つは誰宛てですかレイジェル様!
と、説明があったとはいえレイジェル様の加護精による封が何よりも厳重なものであることに何の疑いも持たず、それどころか納得して首肯を返す新生の異様さにも、リフォルドとのやり取りを四大三名がどう思い、どう見ているのかにも当の本人だけが気が付かない。
急速冷却をされて表面が冷えただけで頭も腹も熱が燻るどころかちらりとでも酸素が入り込めば一気に燃え上がる準備万端の待機状態なのだから始末に負えない。更に性質が悪いのは一見己の状態を把握しているようで全く把握できていない私自身だ。
ふぅっと一つ息を吐き出し、けれどやや引きつった表情のまま緊張状態にあるリフォルドが視線をボクから動かさないまま呼ぶ。
「マリエル、ディル」
傍観者状態の四大の二人を。
「ふぇいっ!?」
「………」
全身で驚きを、表情で慌てっぷりを示したマリエルと、寄せられた眉間の皺が色々物語っているディルはリフォルドを見たが、リフォルドは視線を動かさない。そしてボクもビビり返上と思わせる程に深紅を睨み据えたまま動かさない。
「手紙を渡したいんだが、リトネウィアから怒りを買ったお陰で加護精に敵認識された。俺じゃ近づけないから頼みたいんだが、お前らどっちの方が慣れてる?」
「ディル」
間髪を容れず即答したマリエルに、自ら問うておきながら返ってきた答えに瞬くリフォルドとその様子を見て先刻の渓谷よりはましだが思いっきり眉間に皺を寄せるディル。
ただ、どうしてかディルの視線が向いた先は即答したマリエルでも問うたリフォルドでもなく、こちら。
ボクからほんの少しずれた位置だ。
「二度やらかしたら見下げ果てるぞ」
「……わかってる」
不満、そうとしか聞こえない声はすぐ傍らから聞こえるイルファのもの。
自分以外の不機嫌な様子に少しばかり考える余裕が脳内に作られるのがわかったが、すぐさま疑問で埋まったので容量は変わりない。ディルに対しイルファが何らかの機嫌を損ねる行為を行ったのだろうと認識して処理しておこう。深く考えないそれどころじゃない。
視線を上向けてどういう意味の息なのか、はあと一つ息を吐いたディルはリフォルドへと視線を向ける。
「それは触れる者を限定はしてないのか?俺が触れた瞬間に自壊したり、俺に害があるなんて指定は?」
作成者、配達員、受取人の三人以外が触れることをレイジェル様の加護精が許容しているのか否かを問うディルに想定内といった様子でリフォルドが返す。
「指定した相手以外が封を切らなきゃ問題ない。期限は一日、これを過ぎた時と相手以外が封切りした場合手紙は氷片、塵と化すが実害はない」
セーフ。お手紙の自壊だけで受取人が実は違いましたとかが起きても実損はなく、肉体に実害がある恐怖レターの線もなくなった。残っているのは受取人がボクであることを間違えていなくて…書いてある内容だ。
無駄な抵抗やめようか。魔王に依頼された側近でもレイジェル様に頼まれたリフォルドでも、相手を間違うことはないだろう。絶対の信頼、確証、そういったもので成り立っているからこそ任されたものだもの。
あーもー良い予感とかしない。
「厳重だな。騒音を撒き散らした問題児とはいえ、生まれて間もない新生を保護者付きで聖魔殿に呼び出されたことといい、側近を使っての手紙配達といい、こいつに一体何があるんだ」
無造作に、けれど慎重にリフォルドの手から二通の封筒を抜き取ると表、裏と眺めた後に何とも複雑な表情に顔を歪めるディル。分かり易いのはその手紙を持っているのは正直嫌だということ。
どうやらそれは配達員であるリフォルドも同意見のようだ。ディルの手に手紙が渡ると少しばかりほっとした様子が読み取れたのは睨み続けているガン見状態だったからだろうな。
「俺が知りたい。リトネウィアに対する両王の反応ははっきり言って異常だ。力の強い制御不安定な新生として配下に様子を見るよう命じることはあっても、自ら進んで接触を試みようとするなんて言動は少なくとも俺が側近位に就いてから初めてのことだ」
余程腑に落ちないのか表情も不可解だと言いたげに歪められる。
しかし会話先がディルで、記憶を手繰り、思考しながら話しているのに注意を向けるべき対象、ボクから視線を外さないのは流石というべきだな。
「それだって自ら足を運ぼうとしてたレイジェルに待ったをかけたから託されただけで、本当なら今頃この場にいるのは俺じゃなくてレイジェルのはずだったんだぞ」
落とされた爆弾にボクとリフォルドの間に発生している緊張感とは別の何かが発生した。
敢えて軽く表現するのならば、この一言だろう。
マジで?
「お前らには王が突然の来訪をするより驚かなくて良かったが、リトネウィアには俺よりレイジェルの方が良かっただろうな」
封筒をディルに渡して空手になった手は変わらずに顔の横に挙げられたまま、視線もボクに固定しているリフォルドの緊張を保ったままの御顔を睨みながら半分同意して半分否定する。
あなたはボクにとって少々苦手な悪魔ではあっても会うことに否定的な存在ではない。まずかったのはイルファを試すきつい問いかけの内容だ。
いまこの場にいるのがレイジェル様でも私は決して歓迎はしないだろう。手紙という形を取っている内容が本人の口から発せられるだけで恐らく浮かぶ感情は変わりないはずだ。
彼の方が自分と同じという判断を出してから作成していると思しき手紙に楽しい内容は書かれていないはずだからな。
「生まれて間もない新生相手になんて無体をとは思うんだよ。正直俺の主義に反する。幼子を虐げる趣味も追い詰める嗜好もない。むしろ嫌悪対象だ」
そんなものがキミにあったら大惨事だよ。ちびっ子にも人気、憧れの側近様像が木端微塵に打ち砕かれるわ。
というか何が言いたいと抑え込んだ怒りが舞い戻りそうなボクを見る深紅に真っ直ぐな意思が見えて、怒りで誤魔化されている身が竦んだ。
「それでも俺にとっての最優先はレイジェルで、側近として王の安寧を守る責務もある。問い質しても詮索するな、続く言葉は危険だから、だ。何に苛まされているのかもわからず調べることすら許可されない現状は苛立たしい以外の何ものでもない。それを生まれただけのリトネウィアに向けるのはあってはならないことだと十二分に理解しているし、現状では明確な答えが得られるとも思ってない。それでも一つだけ確認したくて試した」
ここで何をと問うほど私も察しが悪くはない。
「自分を守ることを優先するのか、それとも自分を守ってくれるものを優先するのか」
聖魔殿での天王殿の王命、そしてその言葉にそれまでのガッチガチの緊張も何処へやら堂々と答えた姿を知るが故に、例えその相手が天魔最強を冠する側近であろうとも唯一庇護してくれるであろうイルファを我が身可愛さで犠牲にすることを厭わない考えなのか否かをボクの前でイルファに圧力をかけることで反応を試したということ。
「結果は敵認定される程のお怒りを買うことになって加護精のきっつい敵視に晒されてるんだが…」
リフォルドの表情を引きつらせているのは先程見えていた精霊なのだろうな。
特に蒼い光は怒ってますと見て取れるものがあった。言葉が現在進行形なのが気になるところではあるが無視します。考え事に忙しいので。
確かに本人が言うように幼子相手にすることじゃない。それもボクはまだ生まれてたった三日、自力で何かをするのは今日が初めてだなんて怠惰なおちびだ。
そんな正真正銘の新生を相手にリフォルドがやったのは究極の二択。
いまにも崩れそうな崖の上、一人分の身動きにならどうにか耐えられそうな現状で、自分と保護者のどちらを安全な場所へ移動させて助けるのか、と言った感じのね。
こんな問いをちびっ子に投げかけて求める答えが返ってくるわけがない。生きるのに必要な最低限の知識は大樹に授けて貰えても、自分にとって何がどうあるからこうであると考えて判断するという思考と情緒はまだまだ育っている訳がない段階だ。よくある「お母さんを虐めるな」な言葉すら出てはこない程に幼い状態なのだよ本来は。
だからボクが返した反応は幼子がするものではないということだドちくしょい。
完全に駄目な反応だ。子供らしさなんて欠片もない。だってボクを守ってくれようとしているイルファに圧力かけるリフォルド許さん、だもの。リフォルドの言う自分を守ってくれるもの優先に見事に該当。
問題なのは自分が守られていると認識した上でのやめろこの野郎反応だってところなんだよ。
「お母さんを虐めるな」はどちらかといえば困っているとか怖がっている母親の様子や負の感情を何となく感じ取って何するんだよーと食って掛かるのであって、そこに自分という存在は介在してない。
会話の流れなんて理解してないんだもの。あるのはただ母親を困らせている何かを遠ざけようとしている漠然とした危機感。
でもボクが返したのは駄々っ子ちゃんみたいな可愛いものじゃなくて明確な敵意を持っての排除してやると意気込んだ意志あるもの。
さらに問題なのはこういう理由なのでやめなさいと諭されて、腹立たしくて仕方ないのを歯噛みしながら我慢したことだ。どう考えても言われている言葉も現状もその後に起きるだろう厄介事も理解した上で怒りを堪えたとしかとれない。少なくとも私の考える幼子のする行動ではない。絶対違う。
子供ってのは自分の求めに答えて貰えない時には可能不可能関係なく何で駄目なんだよと理解することを全面放棄して只管に不満をぴぎゃーと訴え続けて苛立ちを発散させるものだと思っている。
正直子供を好ましいとは思っていないので多分に偏った見解だろうけれど、それと同一視されるくらいなら異端で結構、そもそも中身が四捨五入三十路だったんだから同じことができたらむしろ大問題だよ。
開き直りはするが何て事をしてしまったんだと後悔もし、そして後の祭り。
しかし正しい意味での後悔はしないのだから救えない。何故何どうしてを知った上で同じことを行われたとしても、全く同じ反応しか返さない自信がある。私にとってそれは例え何があろうと譲ってはいけない物事なのだから実情など知ったことかなのだ。どうしようもないしどうにもならない。
これを矯正しようとすれば私という存在を葬り去ることになるのだから譲れる訳もない。
結論が行き詰るかどうにもならないと放棄するかの二択になるところで、引きつりを残しているのに口角を上げるリフォルドへ意識が戻された。
「主義に反した分の収穫はあり、だ」
その表現、当事者同士はよくとも傍で見ているものにはただの幼児虐待肯定にしか見えんよ側近殿。
とはいえ、大切な人を守るためになら己の主義も捻じ曲げ放り捨てる、その考えには賛同する。
だからレイジェル様を第一に考えるリフォルドの行動を真っ向から否定できない。そんなことすれば自分自身に返ってくるからな。痛いどころの話じゃないのでどれだけ怒りを覚えようと、何故こんなことをしたのかの理由についてボクは批判の声を上げることはできない。
だって逆の立場に置き換えて考えたら同じことをしでかす。むしろ子供に対して好意的な印象を一番に持ってこれない分リフォルドよりも容赦ないと思われる。そう考えるとこの怒りは治めるしかなくなるのだ。
…相当根には持つがな。
はあ、と一つ息を吐いたボクの行動が何らかの影響を与えたのか、引きつり顔をきょとんと変化させ、ボクに固定していた深紅を動かして周囲を眺めたリフォルドは挙げていた両手を顔の横からそっと下げた。
「……いまの発言の何処に怒りを治めるに値するものがあったんだろうかと思ってるんだが、その反応はレイジェルと似てるところがあるな」
その言葉は全く持って歓迎できない。
「レイジェルを魔王と知った上で似てると言われて嫌そうにする新生は後にも先にもリトネウィアだけだと思うぞ俺は」
苦笑いを浮かべたリフォルドの指摘で顔に出たことが知れるが、取り繕っても遅いので気にしないことにする。
そんなことよりも目下問題なのはレイジェル様のお手紙と子供らしさなど欠片もないと示してしまったボクをイルファがどう見ているのか、だ。
否定されたら生きていけんよボク。
虚ろな視線を何処かに向けて現実を逃避しようとするボクの視界が突然白い色に塞がれた。
虚を衝かれて身を引くと白い何かも遠ざかり、代わりに見えたのは白い封筒をお持ちになられた呆れ顔のディルだった。成程ボクの視界を塞いだ白は封筒でしたか。
「騒音兵器」
はいなんでしょうかお師匠さん!
びしっと背筋を伸ばすボクの反応は本日身についたものであります。
「お前がガキらしくないのはすでに承知の上だ。くだらないことでビビるな」
…。
……。
………はい?
予想もしない言葉が出てきて目を見開きましたよ。何ですって?
ぱちぱちぱちと瞬くボクの様子に息を吐くディル。あ、溜息はやめてくだされ、いまやられるといつもより凹みます故。
「普通のガキはリフォルドやマリエルに懐いても俺には懐かないんだよ。顔を見るなり逃げ出すか逃げることもできずに泣き出すかのどちらかだ」
え、何その自虐ネタ。どういう反応していいのか困るんですが。
「そのどちらでもないどころか不満があれば俺を四大と認識しているにも拘らず睨みつけてくる無謀振り」
おぅふ。
「面白いのは無理だと訴えながらも挑戦するところだな。生まれてたった三日のガキは我慢するとかいった行動はとれないんだよ。不満なことには耳障りに泣き叫ぶのが当然で、感情の制御なんて真似は少なくとも十年単位は先の話だ」
ぐふぅ。
「なにより俺の殺気に中てられたとわかってるのに怯えも身構えもせずに目を見返してくるのは危機感が死滅してるか普通じゃないかのどちらかだ」
げふぅ。
「ついでにいえばイルファの怒り顔を直視して態度に変化がないのは異常だ。何度か目にしたことがある俺たちですらしばらくは後を引く面だぞアレは」
えーっと。
「オイこらディルてめえリトに何を吹き込むつもりだ」
妙な方向にハンドルを切られた内容に戸惑っていたら傍らから低く唸るお声がしてびくっと体が跳ねる。
何でなのかは直前のディルのお言葉で理解しても急に聞こえるとちょっと、なんて視線をディルから動かせないまま思っていたらディルの視線がイルファへと動いた。
…ボクを見ていた時よりその視線が冷たいのは気の所為ですよねお師匠さん。
「事実だろう。ガキらしくない自身を周りがどう見るのか、特にお前だイルファ。保護者のお前にどう見られるのかと虚ろになりやがったかららしくもなく余計な口出しをする羽目になった。とっとと疑う余地なしの信頼を植え付けろ愚図」
辛辣なお言葉が眉間に皺の相乗効果で威力が跳ね上がっておりまするお師匠さん。
ただ口にはしませんが、信頼って植え付けるものではないと思います。
「言い様がまともなのかひどいのかどっちだよお前」
思わず入れたのだろうリフォルドの突っ込みだが、じろり動いた空色の目は深紅を標的にした。
「側近の責務があろうが何だろうが必要以上の圧力をかけて泣かせるより性質の悪い真似をしておいて開き直った上に収穫があった何ぞとほざくお前に発言権はないんだよ黙ってろ」
「………」
あ、うん。言葉が辛辣でも言ってることはまともですねお師匠さん。
客観的見ていればどうかと思われるものでしたからね、アレ。
「ディル、一旦深呼吸でもして落ち着こう。頭に血が上ってる所為か言葉選びもちょーっと厳しいよ。リトネウィアも吃驚してるからさ、ね?」
いつの間に歩み寄ったのかのんびりした声を出してディルの肩をぽんぽんと叩くマリエルが目に優しい。
髪色が緑だからでしょうか、などと失礼な現実逃避ネタにして御免なさい。
「素直にそのままの君で大丈夫だよ~って言ってあげればいいだけなのに分かりにくいなあディルはぐっ!」
握った拳が持ち上げられ刹那の静止と同時に振り下ろされてマリエルの頭を直撃したことをここに報告します。鈍い音が聞こえました。舌を噛んでなければいいですね。その場所、血がなかなか止まらないですからね。
合掌。
「お前も黙ってろ」
眉間の皺より米神の青筋の方が勘弁願いたいですね。スマイルと贅沢は言いませんので基本顔をお願い致したく。
はあっと盛大に吐かれた溜息ですがこればかりは仕方ない、お疲れ様です。
「ちっ、面倒くさい」
舌打ちなんて聞こえてません。聞こえてたとしても聞いてません。
「騒音兵器、よく聞け」
はい、耳を澄ませて拝聴致しますです隊長!
びしっと再度背筋を伸ばして見上げるボクに心なし険しい表情を基本顔へと弛ませたディル。
無表情にほっとする現状が異常だとは思いますが精神的にやさしければ最早どうでもいいです。
どうして表情が緩んだのかが理解できかねますが、間違っても問いはしませんおとなしくお言葉を我が耳に誘導いたします。
「上位者は立場と私情と生活環境で面倒な奴が多いが、少なくとも両王直属配下の天魔は基本的にはまともだ。大樹の助言に従い周囲全てを篩にかけるのは正しいが一つだけ妥協しろ」
前半の言葉にすごく突っ込み入れたいけれど諦めます。そんな空気じゃないし安心安全を買う警戒心全開行為を肯定したのに妥協しろってのが気になります。
「イルファを疑うな」
ん?ちょっとおっしゃっている意味が分かりかねます。
瞬いたボクの心境に気が付いてかそれとも無視して進むのかディルの言葉は続く。
「お前には終始笑顔のげろ甘態度だが、こいつは本来懐に入れたもの以外には無関心な奴だ。表面上の愛想こそいいがその他大勢に対する態度は俺より辛辣だぞ。当の本人がそんな様を見せる気が更々無い様だからお前が見る機会は余程運が悪くなければ無いだろうがな」
えっとげろ甘は一旦寄せておいて、ディルよりも辛辣ってすごくないですか。
いや何がすごいって自分のことを辛辣だと言い切った上で自分より上がいると言うところが。
ボクの知るイルファからは辛辣だなんてとても想像できないのですが、目撃することを運が悪い表現ってどういう状態ですか。それ程に衝撃的ということでしょうか。
「そんな引く程のげろ甘過剰愛を重すぎるくらいに注がれている例外が今後何をやらかそうがどんな無理難題を持っていようがイルファの態度はいまより重くなることはあっても軽くなることはない。安心して観念しろ、イルファの琴線に絡め捕られたのが運の尽きだ。ねちっこく構い倒されろ」
「なんつー言い草だこの野郎」
奇しくも同じ言葉が出てきましたね保護者殿。念のために訂正すれば野郎ではなく御人でしたがすっさまじいな。突っ込みしか浮かばねえよ。
ねえそれ何処のストーカーですか。琴線って触れるもので蜘蛛の糸見たく絡み付くものと違いましたよね。構って貰っているのはよくわかりますがねちっこいって表現はどうかと思います。でもって安心して観念って何だかボクが悪いみたいに聞こえて人聞き悪いよ。そして何より運尽きてますよお師匠さん!悪いどころの話じゃない!
怒涛の勢いで我が脳内では突っ込みが発生しているが、同時にイルファをあしらうディルという状況も発生している。
「四大室という強固な結界に俺、マリエル、カーリィ、お前の四属性天魔が控えている場で、同じ室内にいる、見える範囲にいる、手を伸ばせば届く位置にいる、では安心できないと己が腕の中に収めっぱなしの現状を過剰以外の何で説明するつもりだ粘着質」
目覚めてからイルファの腕中状態がそんな理由だなんて知りませんでした。ねちっこいから持ってこられたのであろう粘性扱いにぐっと言葉に詰まって、それでも出たイルファの言葉はこれでした。
「か、過保護?」
「自覚があって何よりだが更にその上を行く執着だと理解しろストーカー予備軍。そしてお前にも発言権は与えてない、黙れ」
否定して欲しい意見がまさかの予備軍付きでかぶりましたどうしよう。
正直な話私はいま現実から全速力で逃げ出したい。怒りはどうにか折り合いはつけてもリフォルドには不平不満をまだまだ訴えたいし、不吉の文字が燦然と輝くレイジェル様からのお手紙は読まなければ読まないで別問題が発生するだろうから紐なしバンジーの心持ちで受け取らなきゃならない。
後に回しても良いことはなく、むしろ事態が悪化する可能性が否めないことを予想していながら逃げたいとなお思うのは、発言自体を制限されている場の空気があるからですね。
この場にいる五人の内三人に発言権は無く、一人はディル本人、残っているのはそもそも語る口を持たないボク。どう考えてもディルの独擅場ですね。
ふざけていないとイルファに向けた表情筋のみのスマイルに震えだしそうです。
「いいか騒音兵器」
はいっ逃げ出さずに切れ味鋭い罵倒も耳に入れております隊長!
「構い方に問題は多々あるがイルファは絶対にお前を裏切らない。だからお前もイルファを疑うな、信じろ。イルファはお前がどうあろうと否定しない」
気が付けば、眉間の皺も表情筋スマイルも三人を黙らせた威圧もなく、真摯な言葉が告げられていた。
「まだ生まれて三日、相手を知るにはあまりに短い時間だ。それでもイルファに全幅の信頼を寄せろ、例え何があろうと疑うな。これは万が一の時お前自身を守るための必要条件だ。自力で生きていけるようになるまでの限定措置でいい。妥協しろ」
まるで脅すような言葉繰りなのに、その内容は私が生きていけるように、あまりに弱々しく簡単に死の淵からダイブしてしまうだろう私に命綱を設置してくれようとしているのだから、びしりと背筋を伸ばした体から緊張感が薄れていく。
告げられた言葉を浸透させると同時に答えを出そうと回る思考の結果を待つことはせずにディルは言葉を続ける。
「さらにイルファが信頼している俺たち四大も間接的に信用しろ。信憑性がないと思うならイルファの怒り顔でも思い出せ。俺たち四大はイルファをからかい倒すことはしても怒らせることは可能な限り避ける。面倒な上に性質が悪いからな」
無表情イルファは思い出すの拒否で。代わりにあなたが身動ぎすることすら許されなかった事実を思い出し、怒らせるな危険の対象者ですよね、よくわかりますと刻み付ける。
しかし、妥協案はそこに落ち着くんですね。初めから自分たちを信用しろではなくて、イルファを信頼し、その信頼するイルファが信頼する自分たちを信用しろと。
遠回りなのはボクができる妥協のハードルを低くする為で最終着地点がボクの心身の安全の為なのだから頭が下がります。
「できるな」
疑問を乗せない問いかけは答えがわかって聞いているから。それでも確認を取るのはちゃんと自分自身で認めていると認識する為なのかな。生憎言霊にはできないからしっかと首を振りましょう。
「 」
音の出ない吐息を紡いで、砕いてくれる心に精一杯の礼を籠めて浮かべた笑みで、縦向きに。
「よし」
一度視界から消えたディルの口角が持ち上げられて短く紡がれた肯定にへれっと笑みを追加しかけたボクを続いた言葉が凍らせた。
「次はコレだ。さっさと受け取れ」
ずいっと差し出された二通の白い封筒を視界に入れてからそろそろと空色へと向ければ、よろしい笑顔がそこにある。
「お前じゃないと指先に冷気が吹きかけられていていますぐにでも放り投げたい気分だ。いいから受け取れ」
何をおっしゃっているのかよく理解わかりませんがその笑顔が表情筋でのみ構成されているものであることはよぉーくわかりましたので潔く諦めます。
そろそろと差し出されるのではなく突きつけられている封筒を二通とも受け取ることにする。
一通はボクとしてもう一通はどうしていいのか。ボク宛ての別件なのか、別の誰かに宛てたものなのかと浮かべる疑問はひんやりとした温度の封筒を手にして解を得る。
淡い水色の光がそれぞれの封筒から浮かび、片方は早く開けろと示したいのか封の部分を八の字浮遊し、もう一方は何処か申し訳なさそうに封の部分で静止してそこからそよそよと冷たい空気を送っている。
指先に冷気、成程。きっとこれがレイジェル様の加護精霊で封筒の封蝋代わりにされている鍵、つまりキミの方はボク宛てではないと言いたいのだね。
となれば誰に宛てられたものなのかとちまい手でどうにか握り締めている封筒の表面を確認することにする。見えていたのはずっと裏面だったから差出人の名前を書き込んでいない封筒は白一色なのですよね。
「……」
表面を見てそんな気はしていたが白紙でした。レイジェル様が直接リフォルドに託したんだから宛名の必要性は初めからないってことですね。
見つめる面を裏面に戻して視線を上向ける。そこには封筒を持っていた手をもう一方の手でにぎにぎと撫でているディルが変わらずに立っている。もしかして属性とか相手によって吹きかける冷気の度合いに差があるのかもしれない。
「ん?」
じぃっと視線を向けていると気が付いてくれたディルと目があったので、違うと申し訳なさそうに訴えている封筒を持ち上げて首を傾げる。
これは誰のですか、と通じているはずだ。
すいっと外された空色がリフォルドへと向かったのでよっしゃ。
「おい、こっちは誰に宛てたものだ。自分宛てじゃないと訴えてるぞ」
や、お師匠さん素敵です。
駄々漏れ扱いされた時は凹みましたがあっさり読み酌みして貰えると嬉しいでうぐっ!
喜びをぴこぴこ体を揺らすことで示していたらむぎゅりと体が潰された。
「…なんでディルに懐くんだよ本当に」
ぼそりと呟かれた不満しか感じさせない声は耳というより体に響いて聞こえたから腕乗せ抱っこじゃなくて抱き込まれたんだとわかる。位置は首下ですね、肌色が見えて流れて行く血流の音が聞こえるので。
「げろ飴より程度な飴鞭がお好みだからだろう。恨めしく睨むな、触りたい放題なんだからそれで我慢してろ」
何でだろうか、こんなに愛してるのに懐いて貰えないと母親に理不尽な嫉妬をぶつける残念な父親の図が浮かんでしまった。この例えでいくともれなくディルが母親ポジションになってしまう。正直違和感はそんなにないがばれたら身の危険があるので早急に脳内から消去しておきたい。脳内デリートボタンは何処だ。
なんて無意識に手を動かして気が付く。指先にそよっと冷気が止まった。
「何だよその微妙に聞こえが悪い言い様は」
「悪し様に取ってるのはお前の思考回路の責任で俺にそんな意図はない。そんなことよりもがいているからせめて力を緩めろ独占欲の塊」
突っ込みが必要な会話だがそれ以上に気掛かりなので一旦スルーします。保護者殿保護者殿むぎゅっとから解放願う。
もごもごと抱き込まれた腕の中いやむしろ押し付けられた胸の上?とにかくそんな状態でもぞつくボクの訴えに
「やらないからな」
「極めて重要な頭の螺子を何処に放り捨てた馬鹿野郎」
冷ややかなやり取りが聞こえてちょっとだけ見えなくて良かったかもしれないと思った。
きっと理解できてはいけない会話を頭から放り投げてようやく緩めて貰えた腕の中、痛くはなくとも苦しさは感じた為ふるりと頭を振って圧迫感の名残を逃がす。そうして視線を手元に落とし、確認する。
「リフォルド、もう一つは誰宛てだ」
一つはボク宛て、早く開けろと八の字浮遊する加護精霊の光。もう一つはボクじゃないと訴えて申し訳なさそうに冷気を送っていた、のだが…ちょこんと封の上に静止しているだけで冷気をそよがせてもいなければ申し訳なさそうでもない。
「宛名は万が一に備えてないが、もう一つは」
先刻といまの差は何だ。私が手にしているところは変わりない。他に変わったのは一体何だ?
手元に落とした視界、封筒を握る自分の小さな手以外に見えているのは…。
「イルファ宛てだ」
封筒が触れているイルファの胸元。