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作戦会議

くるくると感情を踊らせる雄弁な目に安堵が落ち、同時に零れ落ちた大粒の涙。

さぁっと血の気が引いた理由はどちらだろうか。



取りあえず反応速度は自画自賛してもいいと思えるものだった。反応速度だけは。


「…っ……、…」


声の代わりに耳に届くのは途切れ途切れになる呼吸音。素早く細く吸い込まれたかと思えば時折詰まるように止まる。不規則なそれは本来なら大声で泣いているであろうことを教えてくれる。

抱き上げた小さな体の何処にそんな力があるのだろうと不思議に思うほど力を込めて俺の首下にしがみついて泣くリトの涙が首筋を伝って流れていく理由特定に思考を走らせるよりも先に目の前の事象をどう回避するかに必死になれる。

ゆらゆらと淡い燐光を放ちながら宙を揺らめく水精霊、多数。


泣き出したリトを抱き上げてバックステップを踏むと同時に翼を顕現させた俺に驚きの声が聞こえたが、そんなものに気を取られている暇なんてなかった。

着地よりも僅かに早く一つ目の法を紡ぎあげ、自身を中心に円状の防壁を作り上げる。詠唱を終え発動に至る防壁が完成するよりも早く次の法へと移行、手持ちの中から取り出した糸を防壁の外へと放り、糸に込めた力を法の発動と同期させて展開解放、防壁を包む紗幕を完成させると広げていた翼を自分の姿を隠すように縮めて、息を潜める。

十秒にも満たない短い時間で行った一連の動作、その速さは自画自賛してもいいはずのものだが、現状を見るととても褒める気は起きない。


外からの侵入を阻む防壁と目隠しの効果を持つ紗幕の炎による二重結界、その内側から見る周囲の光景に冷や汗通り越して脂汗が滲みそうだ。

ないよりはましと閉ざした翼の向こう、防壁の外には翼の内側を窺おうと睨みつけてくる印象を与える水精霊が十数。目隠しの紗幕の向こうではきょろきょろと何かを探して飛び回る水精霊と紗幕の周囲を旋回する水精霊が多数。

さらに翼の内側には涙を零すリトの周囲をおろおろと飛び回るリトの加護精である水精霊が五。

目と鼻の先にも水。防壁の外にも水。紗幕の外にも水。水、水、水…。

ちょっとくらいなら泣いても許されるだろうか。

実は初日の休憩室でシェネレスの家でリトを引き取る話をした時にも同じ状態に陥ったんだが、どうもその時よりも状況がよろしくない。


自然結晶化、つまり霊泪石になるには至らないまでも精霊を引き寄せることが可能な力を含んだリトの涙は、放っておけば相性のいい水精霊がどんどん集まってくるなんていう恐ろしい吸引力を持っている。

集まってくる水精霊の反応が通常のものであれば多少多くとも支配下に置いて散らせてしまえばいいのでどうということはないのだが、水属性一点特化の計測不能域であるリトの力に惹かれて集まる水精霊は揃いも揃って皆リト以外の声を聴く気がない。

特に反属性たる火属性の俺の声など聴く価値もないと言わんばかり。そんな天地がひっくり返っても呼びかけに応じてくれるわけがない、リトを除いた誰の支配下にも入ってくれない水精霊をそのまま放置、なんて真似は何かの拍子に最悪俺の命が危ぶまれる可能性が異常に高いので絶対に選択しない。


そのため、強制的に集まった水精霊を減らすことができない以上取れる行動は限られてくる。

俺が取ったのは阻害と遮断だ。

まず防壁でリトと水精霊との間に距離を確保して接触を阻害する。リトの周囲に固まられては近付くことすらできなくなってしまうから防壁で隔てたのだが、そのお陰でリトに気付いている水精霊は俺のことを反属性を行使して邪魔をする嫌な奴だと認識されている様子。

いま防壁を解いたら何らかの危険な目にあうことは想像に難くない。勘弁願いたい。


近付けさせないという目的ならば防壁だけで事足りるが、紗幕まで重ねているのは防壁と紗幕の外に零れ、力の残滓を漂わせる涙に惹かれて新規で集まって来る水精霊からリトの存在を隠すためだ。

火属性で紡いだ法で近付くことを躊躇わせ、用いた糸の繊維質な材質特性を活用していることで法だけの時よりも物理的に視覚遮断効果を上げている。

紗幕の周囲を旋回しているこちらを窺う水精霊は立ち去ってくれるか微妙なところだが、きょろきょろと見当違いの位置を探している水精霊には勘違いだったのかとでも思ってもらいさっさと退散願う。

これ以上敵視してくれている水精霊が増えては本格的に俺の手に負えなくなるので、増えるという脅威だけは早々に潰しておきたかったのだ。


もう本気で勘弁して欲しい。ただでさえ水は反属性で分が悪いってのに。

実に地味で静かに必死なんだが周囲の水精霊にそんなことは関係なし、気に留める価値もなし、むしろ精霊からすれば余計なことしている俺の存在は目障りの一択だろう。

ああ、生きた心地がしない。


天魔に位があるように精霊にも位のようなものがある。こちらが勝手に分類わけしているだけかもしれないが、優劣が存在しているのは確かだ。

天魔の大まかな位に倣い上・中・下の三分類。世界を巡り流れる精霊は中・下位精霊で最も比率が多いのが下位精霊のようだ。上級位は滅多にお目にかかることはなく、一点特化の偏った属性地などに稀に存在することがあるらしい。これでも長く生きている方だが俺はまだ見たことがない。


力の弱い下位精霊を単体で視認することはほぼない。ある程度の数が集まれば属性特有の周辺反応が発生するので視認はできないが力として存在を認知することができる。あまりに数が多くなれば燐光を伴うので一塊としてならば視認することはできるが、自然発生でそんな状態になっていることは稀で、見る確率としては高威力や大規模な法を行使しようとするときの方が多いくらいだ。

中位精霊も単体で視認するのは難しいが、下位と比べれば燐光を伴いやすいため単体視認することは不可能ではない。

上位は精霊側が姿を隠していなければ視認することが可能だと聞く。人型を取っていることもあり会話も可能らしい。


さて、改めて精霊の存在を再確認しているのには訳がある。外部から隔離した防壁内、泣いているリトを案じておろおろと傍らを飛び続けている加護精が、実体を視認できるほどの力を持った精霊だからだ。

人型を持っているわけではなく淡い光の塊として見えているわけなのだが、明らかに上位側に近いであろう中位精霊が五つだ。この五つがリトの加護精の筆頭格らしいのだが……本当に参る。


「………」


リトの周りを飛びながら、加護精は時折俺を威嚇してくる。気の所為だと思いたいが代わる代わる同じように目と鼻の先で停止し、明滅行動を繰り返されては気の所為だなんて楽観視はとてもできない。

例え何が起ころうと傍に在り、離れず、全ての害悪から守り通す。

それが世界を巡り流れることで存在する精霊の在り方を外れ、たった一人だけに全てを捧げる加護精霊の在り方。

加護する存在以外を気に掛けることのない加護精は時に加護されている当人よりも的確に心の機微を察する。


一度目の時は泣き出した理由が様々な不安で押し潰されてしまいそうな状況下からの解放による安堵だったからか、リトはほっとして泣き出してしまっただけ、俺は偶々その場に居合わせただけの案山子か何か、その程度の認識で見向きもされていなかった。

だが、二度目のいまは認識された上で威嚇までされている。それ即ち現在リトが泣いている理由が良し悪し不明とはいえ俺にあるということの証明に他ならない。

実にまずい状況だ。本気で洒落にならない笑いも起きない。生きた心地がしない代わりに危険を知らせる警鐘が鳴り響き、背筋にはべったりと張り付くような寒気をさっきから感じている。逃げたくて堪らないが逃げるどころかむしろ展開した二重結界内へと自ら立て籠もっている。

そもそもいま結界の外に出ようものならば阻害に遮断と邪魔をされて立腹な水精霊に、やられる。


ああ、これは本当にいただけない。

逃げ場が何処にもない上にどうしてリトが泣き出したのかもわからないので現状打破の為の的確な言動が導き出せない。お陰で加護精の威嚇が治まらない。その威嚇に俺の加護精が焦りを感知して威嚇返しをしそうになっているのを必死に押し留める。

自身の力の制御ができないリトに存在認知すらできているかも怪しい己の加護精を御することは恐らくできない。いまリトの加護精はリトから伝わる感情の動きで周囲のもの全てをリトに害成すものなのか否かを量っている状態だ。そこに危機感を募らせて焦る俺を案じた俺の加護精である火精霊が威嚇を返せば、間違いなくリトの加護精は俺と加護精を害判定として排除しようとするだろう。

実体を伴う視認可能な上位寄りの中級位水精霊五つに、この至近距離で、容赦などするはずもない攻撃を、回避する場所のない防壁と紗幕の二重結界内で繰り出されて、無事で済むわけがない。


「…ぅ……」


悲惨どころか無残な末路しか想像できないことで内心大荒れの俺をさらに案じる加護精に頼むからおとなしくして威嚇返しなんておっそろしいことだけはしないでくれと抑えつけることに必死になる。

加護する天魔の意思こそ絶対命令な加護精は、加護精からすれば理不尽と取れるであろう願いも加護する子が望むならば全身全霊で応えようとする。とはいえ、お願いしているこちらが感情的になればそちらに寄り添うので、暴れないよう願っていてもこちらが怒ってしまえば一緒に怒り出して周囲へと影響を及ぼしてしまう。俺の場合なら火精霊だから物理的に火を噴くとかだが、いまはその可能性すら考えるべきではない。

余計に焦って加護精が揺らぐ悪循環だ。一体何の耐久鍛錬だ。全くもってお求めじゃねえよ畜生。

一秒が一分にも一時間にも感じられそうな緊張は結界内だけに留まらず、四大室全体へと広がっている。

多数の水精霊が周囲に飛び回っているので下手に刺激しないよう静止している三人の姿は視界にこそ入っているが、とても意識を向ける余裕がない。変化があるとすれば、リトが泣き止むタイミングだが…理由が俺と知って早く泣き止んでくれなんて思うのは身勝手だよな。

そう思いながらも時折ひゅっと耳に入る呼吸音に、首筋を伝い流れていく涙の熱さに、思わずにはいられない。

泣かないでくれ、と。

傍にいるから、怖いと、恐ろしいと思うものから守るから…どうか、そんな風に泣かないでくれ。

そんな風に、震える音で泣かないでくれ。

極度の緊張を強いられながらもリトの背を撫でることは止めなかった。




どれ程の時間が経過したのかと壊れた体感時間で思えたのは、リトの呼吸が落ち着いてきた頃だ。

しがみついていた力が少しずつ緩んでいくのと同時に肩に重みがかかる。意識がある時には無意識に調整されている体重移動機能が失われていくということは、リトの意識が失われていくことと同義。

いや、この場合は意識を失うんじゃなくて泣き疲れて眠りに落ちるが正しいな。泣きながら眠るのではなくて泣き止んでから眠りに落ちるお陰で俺を威嚇し続けていたリトの加護精も落ち着き、眠りに落ちる頃にはその姿を消している。

最も近くにあった最大の脅威がなくなったことで表には出さずに胸を撫で下ろし、周囲の反応を窺う。

どうした理屈なのかリトは意識を失くすと気配が極端に薄れる。目の前にいてもその存在を疑うほどの希薄さは、こうして直接触れていない限り見失ってしまいそうで、怖いものがある。

ただ、その急激な気配の薄れ方のお陰で執拗にこちらを窺い続けていた水精霊たちがリトを見失ってくれるんだが。


「解けよ」


短い合図で結界としての役割を終えた紗幕を解けば、使用した糸は力として分解され法と共に消失する。

リトが眠りに落ちるよりも早く力の残滓に集まっていた水精霊たちは少しずつ数を減らしていき、紗幕を窺っていた水精霊も眠りと同時にあっさりと消えた。残るのは防壁と紗幕の間にいた俺を睨む様子まで与えていた水精霊達だが、紗幕が失われればリトを見失った水精霊たちは反属性の防壁を嫌い、こちらもあっという間にいなくなってしまう。その落差に残される俺の方が戸惑いを覚える程だが、それより何よりすることがあるのですぐに残る防壁も解いてしまう。縮めていた羽をばさりと開いて、


「ふっはああぁー」


詰めていた息を吐き出した。ああ、解放感が身に染み渡る。

変に凝り固まった翼を数度羽ばたかせてから消し、そのまま(くずお)れる様にして床に座り込む。

少し移動すればソファがあるとわかっているが、その気力がない。


「………本っ当に生きた心地しねぇ」


がっくりと項垂れて立てた膝に額を押し当てることで倒れ込まないよう上体を保つが、抱き上げているリトはちゃんと抱えている。落としたりなんてするものか。

平静さを取り戻そうと続け様に息を吐き出す俺の周囲にはほわほわと熱を伴った空気が流れ出し、張っていた気が緩まったので抑え込んでいた俺の加護精がリトの加護精と入れ替わりで周囲をおろおろと飛び回り始めている。視認はできないが、長い付き合いだからすぐにわかる加護精が与えてくれようとする熱で血の気が引いていたことに気が付かされた。どうりで額を押し付けた膝の方が温かいと感じるわけだ。


「イ、イルファ?平気?生きてる?」


何度目かわからない息を吐いたところで声をかけられてひどく億劫だが頭を持ち上げる。視界に入るのは声でマリエルだとわかるが、声を潜めて聞いてくる様子に現在の己の疲弊ぶりが知れた。

いつもなら大慌ての大声でわーっと騒ぎながら聞いてくるマリエルが控えめに聞いてくるときってのは、傍から見てよろしくは見えないってことだからな。それでもまだ慌てた調子の声音が残ってるから救いようはある感じか。本気でやばいときは普段の抜けっぷりが綺麗さっぱりなくなるからな。


「顔色でもまずいか?」


「イルファに睨まれたディル程じゃない」


即答したマリエルの言葉に一つ瞬いてくつりと笑う。なんだそりゃ。


「…笑い事じゃない。意趣返しのつもりか、凄まじいもんぶつけてきやがって」


はあっと思い切り吐き出された息に首を回せば…色白な肌から血の気を引かせたディルが恨みがましい目で俺を睨んできていた。すげえ眼力。


「あまりに急でしたから目を逸らし損ねて直視して固まっちゃいましたよ」


あははと笑ってはいるがいつもの張り付けた笑顔ではなく、困った笑顔になっているカーリィ。

三人の姿を視界に映して気が付く。いつの間に三人とも俺と同じように床に座ったんだか。

視線の高さが同じ位置にあって、三人とも疲れた様子で息を吐いていた。


「落ちたのか?」


端的な問いを向けてきたディルの視線は、俺が抱いているリトへと向かっている。


「泣くのは体力使うからな」


全身の筋肉を使って叫び泣くのだから疲弊もする。さっき指摘されたように俺が構ってる所為で体力が付くことなんて何もしてないからそもそもの体力の値自体が少ないんだよなリトは。


「…体力の問題じゃないと思うぞ俺は」


「右に同じ」

「左に同じ」


ぽつりと零したディルの言葉にマリエルとカーリィが顔の横に手を上げてほぼ同時に同意した。

間を置かずに同意したってことは同じことを考えてたってことだが…、と思案しかけたところに疲れた表情を浮かべたディルがさっきの延長みたく零す。


「お前に向けた俺の殺気に中てられたんだよ」


誰がなんて言うまでもなく、ディルの視線を追わなくてもわかるその相手。


「その上お前が俺に向けたのにもな」


続いた言葉に顔が引きつるのがわかった。


「イルファのは対象者に一点集中で実害は一人だけなんだけど、周囲に影響がない訳じゃないものね」


「ばら撒かれていないだけで緊迫した空気は変わりませんからね。逆にあって然るべきものがない分異様な雰囲気を感じさせて薄ら寒いというかなんというか。多少なり同じ場に居合わせたことがある我々でも身動ぎを躊躇うほどですから殺気初体験が済んだばかりの身には堪えたでしょうね~」


「…俺の足元だったのも問題だ。真正面からあの状態のイルファを見たのは不幸としか言い様がない。多少見慣れてきたとはいえ近付かれるのを未だに良しとしない警戒心の塊が足にぶつかってそのまま張り付いてたからな。相当な衝撃だったと如実に表してる」


立て続けにぶち込まれる事実が、がっつんがっつんと頭を強打してくれている錯覚を覚える。

いっそ現実に痛い目に合えばいいのになんて考えがちらついている思考は割と大丈夫じゃない。


「僕の守護が後だった所為で可哀想なくらい怖がらせちゃったからね。遅れた分イルファのには対応できたみたいだけど。ただね…信用と安心感が足りないのか僕じゃ泣きそうなのに泣かせてあげられなくて我慢させちゃって」


「その止めがいまのところ唯一といっていいほどに懐いているイルファだなんて笑うしかないですよね~」


申し訳ないと表情に表したマリエルとあははと笑いながらも異なる色彩のカーリィの目には憐れみの色が見えて…。


「……………………もうやめてください」


リトを抱いていない手で顔を覆って項垂れた。

え?何?つまりリトがあんなにも泣き出したのは俺が恐かったってことなのか?だからリトの加護精にあんなに威嚇されてたってことなのか?俺が恐くて泣き出したから俺憎しってことなのかそうなのか。もう疑う余地もなくそうなんだろう三者三様にぐったりと疲れの見える様子でリトが泣き落ちしたのはお前が精神的に圧力かけたからだって言ってんだからな。常日頃言動のそこかしこに多量に盛り込まれている適度なおふざけがないまともな言葉の数々が耳に痛いのではなくてぐっさぐっさと身に突き刺さる。


「お前がちびの前では笑顔の椀飯振舞だった所為で、無表情のお前が本物なのか疑われたんだろう。どうやらちびの方から触れてきたのはさっきのが初めてだったみたいだが、真偽を問う為の触れ合いが初とは…ご愁傷様」


ドスッと貫くディルの憐れみを含んだ発言に今度は俺が止めを刺された。立ち直れない。

座り込んだ時と違う理由で膝に額を押し付けた俺の周囲で加護精が慌てふためいているのがわかったが、しばらく放っておいて欲しい。そっとしてくれ。


「リトネウィアがイルファに触ったのって本当にいまのが初めてなの?でももう引き取ってから三日」


「マリエル、流石の僕でもそこまで追い詰めるのは酷だと思うのでやめてあげてくださいと言っておきます」


嘘でしょと言外に告げるマリエルを止めたのは先程よりも憐れみ成分が多くなったカーリィだ。

自覚のない追い打ちを止めてくれたのは有り難いと思うが、止められるほどの状態とわかると無性に泣きたくなってくる。


「顔面触られてるときのこいつの戸惑い様を思い出せば言葉はいらないだろう」


「あ~確かに。嬉しいんだか困ってるんだかどうしていいんだか複雑な顔してたね~」


淡々と告げたディルの言葉で記憶をたどって納得するマリエル。言葉がいらないと納得されるほどだったと突きつけられる俺。


「…この二人が揃うと地味に性質が悪いんですよね」


二人よりも近い位置にいるカーリィの呟きを拾った俺は心の中で深く深く同意する。天然と無自覚がタッグを組むと結末は極端な良しか悪し、見事に掬い上げられるか容赦なく地面に叩きつけられるかだ。

…明らかに後者だよ畜生。


「あ~えーっと、イルファはいきなり態度を百八十度変える程ディルの何に腹を立てたんですか?」


普段アシスとふざけて回るカーリィが気を遣って話を変えようとするくらいに可哀想な状況だってことなんだなと思うと本気で涙が浮かんできそうだ。幾らなんでもそれはあんまりにもあんまりなので、のろのろと顔を上げて耐える。いま鏡を見たらなかなかに愉快な面してるだろうと思われる俺、間違いなく生気はない。


「…………裾」


「裾?」


吐息と勘違いされそうなくらいの小声を拾い上げたカーリィは何のことだという反応を示したが、ディルはくっと眉根を寄せた。


「おい、まさかとは思うが自分が自発的に触れられたことがないのにちびが俺の服を掴んでたのが腹立ったとかいう頭の沸き上がった愚劣極まりない理由じゃないだろうな」


すっと切れ味の良さそうな鋭さに細められた空色の目と向けられた馬鹿以外の何ものの意味も含まれていない言い様に、吹っ切れる。


「あーあーそーですよそーだとも悪かったな頭の沸き上がった愚劣極まりない理由でっ!」


やけっぱちに返した俺、


「そんな仕様もない理由の余波でガキを泣かすな救いようのない馬鹿が」


ぐうの音も出ない返しに撃沈。


「ったく服の裾だぞ、裾。体の何処でもなく身に着けている衣服の一番端。それを掴まれているからって羨むな。ちびからの行動よりちびに嫌がられてない事実に重きを置け。お前以外の誰に触れられることを恐れてないと思ってるんだ底なしの間抜け」


「りょ、両王様方、とか」


そう言えば自発的に手を伸ばしたのを見たのはあれが初めてだった。


「例外的すぎて話にならん」


ばっさりと切って捨てられたが反論もしない。俺もそう思ったから。


「そもそもお前がちびに自発行動をする必要がないと無意識に思わせる程構いたて、無自覚な行動制限を強いたことが原因だ愚か者。俺に中てられても竦むこともせず目を合わせてくるおかしな感覚持ちを泣かせた所業を誠心誠意込めて詫びろ戯けもの。今回の件で変に距離を取られても俺は責任なんて取らないぞ阿呆。ついでに身勝手で愚かしい完全な見当違いで凄まじいもんをぶつけられた俺にも謝れこのげろ飴」


あまり口数が多くないディルの苦言及び罵倒が立て板に水状態。ただ怒って告げている文句の八割がリトを慮ってのことで、それがリトのこと気に入ったんだなと教えてくれて胸をもやもやとさせるが、これを言ったが最後確実にぶん殴られるか蹴り飛ばされる。空色に宿った剣呑さは真剣だ。


「もうしわけございませんでしっ」


ごっと頭にぶつかって床の上をころころと何かが転がっていった。鋭く鈍い痛みに声もなく震えた俺へぎろりと睨みをくれたディルからは殺気ではないが怒気が噴き出している。


「欠片も心の籠ってない謝罪に何の意味があるんだ屑」


殴るでも蹴るでもなくぶん投げられた。いてえ。


「すみませんでした」


身勝手な怒りをぶつけたことは事実なので改めて謝罪を述べれば、ふんっと一応受け入れて貰えたようで鼻息を頂いた。釈然としないこの気持ちをどうしよう。

何なんだろうな今日は本当に。アシスの石投げから始まりレミィ、ディルと投げることからそろそろ離れてくれ。大体、どうして俺はこんなに怒られているんだろうか。そんなわかっているのに理解していないと装い、脇に置いて遠ざけたことを態と疑問にして思考を違うことへと逃がしつつ、一体何が頭にぶつかったのかと視線を向けることで思考だけでなく現実でも逃避…できないかと思ったのだが、転がる琥珀色の丸い結晶石を見つけて痛くて当然だと思い逃避失敗。一先ず現実逃避は置いておいて、投擲された物品を確認することにする。拾い上げて見つめるそれは地属性の上物、ディルの力を結晶化させた石だった。

何てものを投げてんだ。何なんだ一体。四大では突っ込みを入れる必要があるものをぶん投げるのが流行っているとでも言いたいのか。全く意味がわからないがわからなくても別にいい、自分が痛くなければもうそれでいい。


「消耗品としてくれてやる」


「は?」


さらっとなんてことない調子で言ったディルに、聞き間違いか?疲れてるんだななんて瞬いていれば、能天気な声が続いた。


「あ、じゃあ僕のもどーぞ」


はい、なんて緑柱石を取り出してこちらへと転がしてきたマリエルのそれは風属性の結晶石で、マリエルの力を結晶化させたもの。


「当然僕もですね。属性的に役に立てるかは微妙ですが」


床の上を滑ってきたのは半円形の紺色をした結晶石。水属性でカーリィの力を結晶化させたもの。

余剰分の力を体外に排出させて結晶化したものを結晶石と呼び、その中でも長い年月を経て力を蓄積、内包する力の純度を高めた結晶石を精霊石と呼ぶ。

手にした一つ、転がし滑らせ足元に届けられた二つの計三つ。どれも上物、歪みも曇りもない純度の高い一級品の精霊石。

俺も同じように自分の力を結晶化させて作る精霊石を持ってはいる。討伐や法を使用することがない日にはどうしても余剰になる力があるので消費する意味合いもあって作るには作るが、結晶石は多く作れど精霊石は多くは作れない。それが一級品ともなればかけた年月は下手すれば千年単位だ。

それを、さらっと。


「消耗品の度を越してるっつうの。普通はこの規模宝物庫行きだぞ」


「感情的になって泣き喚いたわけでもないちびに集った精霊の異常な数と好戦的な反応を見てればそれでも心許ない」


零した呟きを拾ったディルの言葉に返せるものがなくて沈黙する。何せ一番の問題は集まってきた数多くではなく、上位寄りのリトの加護精だ。あの筆頭加護精に敵視されればどうにもならない。

集まってきた水精霊を束ねて迎撃なんて真似も十分に可能だろう。止められるのは加護されているリト唯一人なのだが、現在のリトにそれを求めるのはどうにも難しいので敵視された瞬間に命運尽きる。


「力の扱いすらわからない新生がよく無意識に法を行使していないとは思うが、封印石が魔王様のものだっていうそもそもの基準がすでにおかしい。精確性の欠ける憶測じゃ当てにならん」


法とわからずに力の行使をしていることは新生にはよくあることなんだが、その法を封じている封印石は魔王様のもので、天王様曰く多少の無理は利くだからな。リト自身目を覚まして一発目の暴走未遂で自分の力が制御困難だってことが身に染みてるのか使おうとする様子が一切見られない。その為いまのところ感情的になるのがリトにとって一番封印石に負担を強いる行為だな。

それも我慢することをすでに知っている所為で起きてはいないが…。


「欲を言えば光と闇も欲しいが、それをやると加工できる相手が限られる。一先ずは地水火風の精霊石を用いて限定条件下で自動的に隔離結界が発動するように保険を掛けろ。感情的にならなくとも泣くだけで勝手に水精霊がお祭り騒ぎだ、洒落にならない」


「「…」」


間違ったことを言ってないだけに否定できないが、言い様がなあ。

下手なことを口にする前に必要な俺の火属性精霊石を取り出して四つの精霊石を床に置く。

琥珀色の球体、八面体の緑柱石、紺色の半円形、柘榴色の雫型と個性豊かな色彩と形状の精霊石はどれも内包している力が側近以上王未満の一級品で豪華なことだ。これを消耗品扱いしてさらには追加で光と闇の属性までつけたいとか贅沢だ。

だが、贅沢だと思うがその判断は間違えてないと言えるから俺だけでなくマリエルもカーリィも何も言わない。


「問題は誰に加工を頼むか、だな。間に合わせ程度ならカーリィとタルージャでも何とかなるが」


ちらりと視線を向けられたカーリィは両手を顔の横に持ち上げた。意味は、言わなくともだ。


「僕らが扱えるのは二級品、司令からギリギリ四大クラスの純度の低いものです。簡易結界ならともかく隔離結界を組んで条件付けでの自動展開なんて荷が重すぎます。聞かずとも本職に依頼すべきとわかっているでしょうに…」


少しばかり恨めしげに答えるカーリィに「だよな」と一応確認しただけだとでも続きそうな様子で頷いたディル。……こういうところがあるんだよこいつは。

カーリィ、腹立てても無駄だと口にはせずに思ってやる。


「となると、一番はヴィシスか。マリエル、経由」


「だよね~。事情が事情だから受けてくださると思うけれど持参品が物々しいから流石に聞かれると思うよ」


装飾から武具まで何でもござれな職人一族ヴィシス家、確か当代は武具専門だったか。

本当に職人って家だからなのか滅多なことで工房たる家から出てこない為面識がある天魔が限られており、俺もお一人を除いて直接の面識はない。…気難しいというか、選り好みが激しいというか、気に入らない奴は相手にもしないどころか存在すら認識してもらえないなんて方々ばかりらしいからな。

伝手のある天魔経由での依頼でもものによっては断られる腕は確かなのに…な職人様方だ。

マリエルはそのヴィシス家の方に一時期お世話になっていたことがあるから四大の中では一番話を通しやすい。


「四大四名、四属性の一級品精霊石で条件付き自動展開隔離結界。物々しいわな」


一体何をしているのかと聞くのが当然だが、勝手に備えてるだけで納得してくださるのか、だ。


「位だけが高位な外道ども対策とでも言っておけ。実際ちびを連れたイルファが一人で立ち回るなんて腐り果てた状況が今後全くないとは言い切れないからな」


「あ、うん。それなら僕でも大丈夫だね。ないって確証何処にもないもん」


「嘘誤魔化しが絶望的なマリエルには最適情報だが御免被る状況を想定するな。本当にありえそうで不愉快だっての」


むしろ十分ありえそうといった様子に思わず入れた突っ込みだったがディルはさらりと言い放つ。


「お前はどんな最悪の事態も想定しておけ。お前ができなかった分は俺たちがするが、必ずしも近くに居る、すぐに駆け付けられる状況とは言えないからな。不愉快だろうが無駄になろうがしなかったことを悔いるより健全だ。使える手段は全て講じろ、最善を尽くせ。その為に俺たちに手を伸ばしたんだろうが」


違うのか?と挑発的な色を乗せて問うなよ。全く…。


「素晴らしいですね、友情」


ついさっき言われたばかりの言葉を口にすれば、カーリィがにこりと笑って、続いたマリエルが「そうだね」と同じく笑い、一瞬きょとんとなったディルも口元を緩める。

「確かに」の呟きに俺の顔も笑みを作った。

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