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とある王女の恋物語  作者: 藍田 恵
第七章 ひとつの選択
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「サラさん!」

 暗い森の中で響く自分の声を聞きながら、デラは何度目かの溜息を吐いた。

 ひっそりと静かな森では、物音が聞こえてくるどころか自分が立てている物音さえ吸い込まれてしまいそうだ。

 完全な静寂の中にいると、自分の立っている位置さえ不確かなものに思えてくる。時折木陰から漏れてくる月明かりが、デラの唯一の心の拠り所となった。

 こうしていると、日々の糧を得る為に盗みをしながら土地を転々としていた頃を思い出す。あの頃は、暗闇こそが味方だった。暗澹たる心を照らしてくれる月光も、いつだって味方でいてくれた。

 夜の森を恐れずにいられるのは、あの頃の生活があったからこそだろう。もし自分が普通の暮らしで生きてきていたならば、魔物が棲むという噂のある森の中を彷徨う勇気はなかったかもしれない。

 慎重に馬の手綱を引きながら、デラは僅かな物音も聞き逃すまいと耳を澄ました。

 サラさんが森の中にうまく逃げおおせていたらいいのだが…。

 問題は、馬の方だ。城や騎士団の馬と違い、あの馬はこの国で調達してきた普通の馬だ。自分が乗るつもりだったから、若くて力のある馬を選んだ。当然、暗闇の森の中を歩く訓練など出来ていない。あれはサラさんはおろか、ジェスさんですら安心して乗れるような馬ではない。

 遅かれ早かれサラさんはあの馬に振り落とされるだろう。森の中に取り残されるだけならまだいいが、もし大怪我でもしたら…。

 不吉な考えにデラは身震いした。

 早くサラさんを見つけなければ。

 幸い、今夜の月の光は明るい。サラさんの髪の色なら、暗い森の中でも見つけやすいだろう。

 森の中から国境近くの様子をデラは窺ったが、特に騒がしい様子はなかった。サラさんの追跡を諦めたのだろうか? それともサラさんが全く別の方角へ向かってしまったのか…。

 突然、がさり、という音が聞こえて、デラははっとして振り向いた。

「誰だ!」

 大声で叫ぶと低木が揺れ、人影がゆらりと立ち上がった。

 身構えていたデラは、月明かりが映し出した人影を見て思わず呟いた。

「お前は…どうしてこんな所に」

「…デラ様! 本当にデラ様ですか?」

 その人影は、リブシャ王国でエリーと同時に姿を消したワイルダー公国の騎士だった。デラは警戒を解いて馬を降りると、信じられない気持ちで騎士に近付く。

「よく無事で…しかし、どうしてここにいる? エルマ王女を追っていたのか?」

「ええ。そのつもりでした。リブシャ王城から単身でハーヴィス王国の一行を追っていたつもりだったのですが、いつの間にかこの森に迷い込んで…。もうどのくらいの間、ここにいるのか自分でも分からなくなってしまいました。森の中なので食糧に困ることはありませんでしたが、どうしてもこの森から出ることが出来ず…」

 どんなに捜しても見つからないと思ったら、森に閉じ込められていたのか。

 とりあえず騎士が無事だったことにデラはほっとする。

「まるで幻惑の術にでもかけられたかのような話だな。森に長時間いると、方向感覚が狂うという話は良く聞く。では、お前はずっとこの森の中を彷徨っていたのだな?」

「はい。…それで、ここはどの辺りなのですか?」

「ハーヴィス王国との国境近くだ。ずっとこの辺りを彷徨っていたのなら…馬に乗った青いドレスのご婦人を見かけなかったか?」

「金髪のご婦人ですか?」

 思わぬ返答にデラは思わず身を乗り出した。

「見たのか!」

「ええ、見ました。最初はエルマ王女かと思いましたが、背格好の良く似た別のご婦人で…。しかし、あれはてっきり幻か何かかと…」

「…どういうことだ?」

「馬の足音が聞こえてきたような気がしたので様子を見に行ったのですが…突然現れた私を見て馬が驚いて暴れてしまい、ご婦人を振り落としてしまったのです」

「何だって!」

 蒼白になったデラとは対照的に、騎士はどこかのんびりしている。

「ご婦人に怪我は?」

「なかったと思います」

「思います、とはどういうことだ?」

「嘘みたいな話なので、デラ様に信じて貰えるかどうか…」

「どんな話でもいい。話してくれ」

 嫌な予感を感じつつ、デラは話の先を促す。騎士は軽く咳払いすると、ひどく真面目な顔をした。

「ご婦人は確かに馬から落ちました。ですが、そのご婦人は一斉に伸びてきた植物の蔓に包まれて、忽ち姿を消してしまったんです。馬はすっかり興奮して、何処かに逃げてしまいました。…私もワイルダー公国の民です。この話がどんなに馬鹿げているかは、他人に言われなくても重々承知しています。騎士が語るには憚られる内容の話だということもです」


 無事に国境を通過したエリー達の一行は、予定していた合流地点でデラが率いる隊の到着を待っていた。

 クレイは漠然とした不安を胸に、ひたすら暗闇の向こうを見つめる。

 今のところは予定通りだ。順調と言ってもいいだろう。

 長時間走った馬達を休ませる為に、クレイは合流地点で新しく用意されていた馬に乗り、女性達は馬車に乗り換えている。残りの騎士達は馬を休ませながらゆっくり移動する予定だ。

 それにしても遅い。

 クレイは大きく息を吐いた。

 エリーの安全を最優先にする為に、合流地点で待つ時間は限られていた。あまりにも時間がかかる場合は、もう一方の隊の到着を待たずにクレイ達だけ先に出発することになっていた。

 …まさか、途中で何かがあったのだろうか。

 デラがいるから大丈夫だとは思うが…この胸騒ぎは何だろう。デラだけでなくセレナも一緒ならさすがにサラも無理はしないだろうと思ったのは、いささか楽観的過ぎたのだろうか。

「王子。隊が到着したようです」

 夜目が利く騎士の一人がそう言い、クレイは耳を澄ました。複数の馬の足音が聞こえる。やがて馬に乗った騎士達の姿が現れてきた。

 しかしその中に、デラとサラの姿はなかった。

「王子。ただいま到着しました」

 そう報告したのはセレナを乗せた騎士だった。

 セレナはサラと一緒に、デラの馬に乗る予定ではなかったのか。そういえばデラの馬も見当たらない。

 次々と沸き上がる疑問を表情には出さず、クレイは穏やかな笑みをセレナに向ける。

「ご苦労だった。…セレナ、よく無事で」

「エリー達は?」

「馬車の中で待っているよ。セレナも急いで移動してくれ」

「分かったわ。…でもクレイ、その前に伝えておくことが」

「セレナ様。その報告は我々がします。セレナ様は早く馬車に移って下さい」

 セレナより先に馬から降りた騎士がそう言うと、セレナは頷いた。

「…そうするわ」

「手をお貸しします。失礼します」

 騎士はそう言ってセレナが馬から降りるのを手伝った。すとん、と着地したセレナはクレイの馬に近付くと、クレイにそっと囁いた。

「デラは今も隊長の役目を立派に果たしているわ。今回、悪いのはサラの方なの。どうかデラを叱らないであげて」

 その言葉でクレイは嫌な予感が的中したことを知った。

「約束するよ」

 クレイの相変わらず穏やかな返答にほっとした笑みを浮かべて、セレナは馬車に向かった。そんなセレナの背中を見送ったクレイは、振り返ると馬の体を撫でている騎士に向かい、今度は厳しい表情で問う。

「あまり時間がない。手短に報告しろ。一体、何が起きたんだ?」


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