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「姫を見失っただと? どういうことだ」
冷酷な眼差しで見据えられ、ステファン王子に報告していた衛兵達は震え上がった。
「森の国境近くまで追いましたが、その…」
森の国境と聞いて王子は小さく舌打ちした。
城から出る手引きをした者がいたのではなかったのか。
手引きした者がこの国の者ならば、森の国境を選ぼうとは思わない筈だ。あの森には魔物の伝説がある。
ただでさえ鬱蒼とした暗い森で若い娘は近付きたがらないのに、どうして姫は森の国境の方に向かったのだろう。
…森の女王を崇める血筋の者だからか?
若しくは、伝説を逆手に取ったのかもしれない。他国の者にあの伝説は通用しなかったということか。
そう思い至ると王子は頭を軽く横に振った。
「姫はそのまま森の国境を越えたのだな。それで、お前達は姫の姿が見えなくなるまでただ黙って見ていたのか?」
「いいえ、王子。いくらリブシャ王国領内であろうと、あのような曰く付きの場に姫君を追い込むわけにはいきません。そう思い、我々は出来る限り姫君に追い付こうとしました。しかし距離は姫君が森に入ろうとされるまで縮まる事無く、姫君は急に馬に振り落とされてしまい…」
「何だと?」
その言葉に驚いたステファン王子は椅子から急に立ち上がった。
「姫は無事なのか!」
「はい。いえ、しかし…。場所はあの森だったのです、王子。やはりあの森は呪われています」
「きちんと説明しろ!」
歯切れの悪い報告に王子は苛立つ。王子の剣幕にすっかり恐れをなした衛兵達は、それでも王子の問いに忠実に答えようと努めた。
「姫君が宙に投げられた次の瞬間、森から一斉に草木の蔓が伸びて来て…姫君を受け止め、包み込んでしまいました。姫君は…地に叩き付けられることだけは免れましたが、その代わり蔓と一緒に森の中へ引き込まれてしまったのです。姫君は森の魔物に攫われました」
久し振りに感じる心地良い感触にすっかり安心していたサラは、軽く身体を揺すられたような気がして、ゆっくりと瞳を開けた。
「気が付いたか」
「ここは…」
柔らかい蔓と葉で編まれた籠の中で目覚めたサラは、恐る恐る起き上がる。揺り籠のような形状の籠が、馬から落ちる直前に森から伸びてきた蔓で出来たものだと気付くまでに時間はかからなかった。
籠の側でサラの眠りを見守っていた様子のソニヤは、サラが起き上がると手を貸した。籠から出たサラは籠とソニヤを交互に見比べた。
「ソニヤ。どうして…」
「私を呼んだのは其方だ、サラ」
そういえば、確かに心の中でソニヤを呼んだ。力を貸して欲しいと。
思い当たったサラはまじまじとソニヤを見た。
「私、馬に振り落とされて…この蔓に救ってもらったのね。ありがとう。ソニヤ、あなたが…」
「助けたのは私ではない。其方の力でもない。森が、いつも通りにしただけだ。其方は幼い頃からこのように護られてきた」
「そう…。そうだったの…」
サラは青々とした蔓を見る。この蔓は、まだ若い野薔薇の蔓。森の女王のお気に入りの薔薇だ。あの薔薇は良い香りがしてとても美しいのだけれど、大輪の花をつける頃には茨の門と同じ固い棘がこの蔓を覆うようになる。
若くてしなやかな蔓はまだ棘をつけておらず、滑らかな葉と一緒にサラの褥となってくれていた。
周りの景色に目を移すと、そこはリブシャ王城の趣とはまた違った、美しい庭だった。所々が野趣に溢れているが、全体的にはサラの育った村長の家の庭のような雰囲気だ。
「ここも女王の庭なの?」
見覚えのない美しい庭の様子にサラは感心した。
「ここは其方の庭だ」
「え?」
聞き返すサラにソニヤはもう一度言う。
「ここは王女の庭だ。この庭は、其方の王女としての自覚と共に少しずつ形作られていく。完成するのはまだまだ先だ。だからと言って焦ることはない。自覚など、急に出来上がるものではないからな。今の女王の庭も、気の遠くなるような時間をかけて完成したものだ」
「私の…」
そう言われてサラは改めて庭に咲く花を見た。綿の花に、フローラの花冠と同じ種類の精霊の世界に咲く花。マイリに花冠を作って欲しいと強請られた季節の花々。どれもサラにとって見覚えのある花ばかりだった。
「どうして私、この庭に…。そうだわ! リブシャ王城にはどう行ったらいいの? セレナとデラに早く追い付かないと」
「サラ。其方は本当にそれを望んでいるのか?」
「勿論よ。だって…」
「ならば、何故そのドレスを着たのだ? 何故私の名を呼んだ?」
「それは…」
言葉に詰まったサラはソニヤの薄青の瞳を見つめた。
エリーのドレスを着たのは、確実にエリーをリブシャ王国へ届ける為。身代わりになって追手の目を逸らし、エリー達が逃げる為の時間を稼ごうとしたから。
ソニヤの名を呼んだのは…エリーの為に精霊の力を使おうと思ったから。人間としての暮らしに訣別して、この森でエリーとクレイを見守っていこうと思ったから…。
そうだった。私はもう、リブシャ王国の民としてではなく、森の女王の娘として森に戻る決心をした。
私が帰るべき場所はリブシャ王城ではなく生まれ育った村でもなく、この森の世界だ。
戴冠式前、それを狩猟小屋でケイトに打ち明けた時からずっと…私の覚悟は決まっていたはずだ。
急速に戻ってきた記憶にサラがはっとすると、ソニヤはそれを見越したかのようにサラに尋ねた。
「思い出したか」
サラは頷いた。
「はっきり思い出したわ。…あなたを呼んだ理由も」
「決心がついたのだな」
「ええ。でも、その前に…気になることがあるの。もし知っているのなら教えて。森から急に出てきたのは誰? その人は無事なの? 私を振り落とした、あの馬はどうなったのかしら…」




