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「え…?」
戸惑うエリーに助け舟を出したのは、意外な事にもハーヴィス王国の従者だった。
「王子。ご歓談中、申し訳ございません。お伝えしたい事がございます」
「何だ」
驚くほど冷たい瞳で従者を見るステファンに、エリーはびくりと怯える。しかし年嵩の従者はそれがまるでいつもの事であるかのように、平然として続けた。
「この場で申し上げるのは少し…」
何か含みのある物言いにステファンは少し眉を顰めると、エリーの手を離して立ち上がった。
「急用が出来たので失礼します、エルマ王女」
「あっ…はい」
「ではまた」
ステファンと従者の後ろ姿を見送りながら、エリーはそっと安堵の息を吐いた。それは大臣も同様だったようで、ステファンが去ってくれて安心した、と言わんばかりの表情をしている。
「エルマ王女」
聞き慣れた声にエリーが振り向くと、すぐ側まで来ていたデラがエリーを見上げていた。
「デラ」
「大丈夫でしたか? ステファン王子は何を…」
「ご挨拶に来られただけよ。ダンスも申し込まれたけど、急用が出来たみたいで」
「ダンスを申し込まれたのですか?」
「ええ」
「そうでしたか…」
デラは視線をクレイのいる場所へちらりと向けると、クレイに向かって小さく頷いた。そしてまたエリーを見上げて、今度はにこやかに話す。
「何かお困りかと思って駆け付けたのですが、それを聞いて安心しました。ダンスは体力を消耗しますから、あまりご無理をなさらないように」
「ええ。ありがとう、デラ」
エリーがそう言ってにっこりと微笑むとデラは少し頬を赤らめ、それでは持ち場に戻ります、とその場を辞した。
デラの去って行く姿の先にあるクレイとサラを見て、エリーはもう一度溜息を洩らす。
クレイから何か予定外の事が起きればデラが駆け付ける、と告げられていたから、これは「予定外」ということなのだろう。
今夜の舞踏会でエリーが誰といつ踊るかは、大臣達によって綿密に計画されていた。
エリーがハーヴィス王国の招待客とダンスをする予定は組まれていない。これは、ハーヴィス王国側からダンスの要請が無かったことを意味していた。
事前の打ち合わせでそう決められていたのだから、まさかステファン王子が直々にエリーにダンスを申し込むとは、誰も想像しなかった筈だ。
村では誰とでも気軽に踊ることが出来たことを考えると、エリーは城で開かれる舞踏会の政治的意味のその強さに身が竦んでしまい、咄嗟に王女としてどう応じたら良いものか分からない。
暫し考え込んでいると急に大きな拍手喝采が聞こえて来て、エリーははっと我に返った。
少し長めに演奏されていた曲が終わり、国王夫妻が喝采に応えるようにお辞儀をしている。
いつまでも続くざわめきの中でエリーはようやく気持ちを切り替えると、大臣と一緒に次のダンスの相手の元に向かった。
広間の外まで連れ出されたステファンは、やや不機嫌な様子で従者の言葉を待った。
「…何だ」
「申し訳ございませんでした。リブシャ王国の慣習を王子にお伝えしておりませんでした。王女とのダンスに興味はないと仰られていたので、リブシャ王国側にダンスを申し込んでおりませんでした。ですから王女が一通り決まった相手と踊り終えられるまでは、新たに申し込むことが出来ません」
「そのことなら知っている」
「左様でございましたか。老婆心ながら、ご忠告申し上げます。この国の警護はワイルダー公国の兵によるものです。第三王子とはいえ、エルマ王女との婚約を望んでいる王子も同席しておりますから、あまりあの国を刺激するような言動はなさらない方がよろしいかと」
「…いずれにしてもこう警戒が厳しくては、二度と王女に近付くことは出来ないだろう。部屋へ戻ることにする。この国の大臣に伝えておけ」
「はい。ではお食事の手配をして参ります」
「頼む」
従者が去ると、ステファンは廊下にいる警備に視線を向ける。
今の会話はきちんと聞こえていただろうか。
デラが戻って来ると、クレイは椅子から立ち上がった。
「サラ、少し失礼するよ。序でに何か飲み物を貰って来る」
サラが頷くのを確認してクレイはデラに近付くと、そのまま料理長のいた場に向かう。
「…ステファン王子がエルマ王女にダンスを申し込んだそうです」
「エリーに惚れたか」
「そうかも知れません。衆人環視の中、あのように堂々と…。ああまで大胆不敵な王子だとは思いませんでした」
「だから言っただろう。油断がならないと」
会話を聞かれないように早足で歩きながら小声で話していたクレイは、当の料理長の姿が見えないことを訝しんだ。
「料理長は?」
給仕に就いた青年に尋ねると、青年は料理長と同じく人懐っこい笑顔でクレイに答える。
「今からお部屋で食事を取りたいというご希望が出まして、ご準備に行かれました。ここにも軽食がご用意出来ていますが、何か食べられますか?」
「後で貰いに来るよ。とりあえず酒と…あと、女性に人気のある飲み物をくれないか?」
「では、これをどうぞ。料理長が考案した女性向けの飲み物で、数種類の果実のジュースで作ってあります。お酒は入っていませんので安心して勧められますよ。あの美しいご婦人方が大層気に入られたそうで、先程から若い騎士の方々が取りに来られています」
そのご婦人方がケイト達であるのは間違いない。
「遅れを取っているようだな、デラ。お前がエリーの所へ行った隙に、騎士団はしっかりとお近付きになろうとしているようだぞ」
「どうやら、そのようですね」
デラの言葉に棘があることに気付いたクレイは、反射的にサラのいる方向を見る。
一人の若い騎士がサラに飲み物を渡している光景を目にして、クレイは愕然とした。
「我が騎士団にも、大胆不敵な者がいましたね。美女を目の前にして舞い上がってしまうのは、王子も騎士も同じのようです」
追い打ちをかけるようなデラの言葉を背に、クレイは飲み物を受け取るや否や、急いでサラのいる場所へ向かった。




