17
何が起きたのか、サラにはよく分からなかった。
酷い気分でイバラに飛び込もうとした事までは覚えている。
最初は自分の体が小さくなったのではないかと錯覚した。隙間を見つけてイバラの棘に触れようとした時、棘がすうっと引いていったような気がしたからだ。
しかし続いて、枝が揺れて視界がどんどん開いていく。
吸い込まれるように開けた空間に飛び込むと、あっさりと自分の体は受け入れられ、棘に傷付けられるどころか綿の花に包み込まれているような気分になった。
それもほんの一瞬の出来事で、次に気が付いた時には、サラは美しい庭園にいた。
…どこかで見たことがある。
春の花が咲き乱れ、小鳥が囀るその様子を何処で見たのか、サラは必死になって思い出そうとした。
そしてすぐにそれが城内のエリーのお気に入りの庭園であったことに気が付くと、サラは急に不安な気持ちに襲われた。
似ているけれど、ここはあの庭園ではない。
この美しさは、人間の手によるものだとはどうしても思えなかった。
ふと足下の花を見て、サラははっとする。
フローラの花冠に使われていた花だ。
その他にも、見たことのない種類の花が咲き乱れている。
サラは恐る恐るその花に手を伸ばした。サラの手が近付くと、ぽうっと花の色が明るくなる。
「花の精から授けられた力が、其方をここへ導いたか」
聞き覚えのある声が背後から聞こえ、サラは驚いて振り向いた。
「王女の戴冠式前であるというのに、まさか茨が其方の侵入を許すとはな」
「ソニヤ…」
「久し振りだな、サラ」
サラにとってはあまり思い出したくない相手がそこにいた。
嬲られた苦い思い出がサラの心臓をぎゅっと締めつけ、傷ついてなどいないはずの頬に痛みが走る。
「どうして怪我をしている。あの茨が其方を傷付けることなどない筈なのに」
ソニヤにそう言われたサラはぎくりとして頬を押さえ、その掌に血が付いていないことを確かめる。ソニヤはサラのその行動を不審そうに見つめていたが、やがてすっと近寄ってサラの右腕を摑んだ。
「痛いっ!」
「…剣の傷ではないな」
クレイから逃げている時に枝に切り付けられたのだろうか。腕にあった大きな傷はかなり深いらしく、そこから鮮血が流れていた。
サラ自身も驚くほどの大きな切り傷にソニヤが手を翳すと、傷は見る見るうちに消えていく。
「まだ痛むか?」
「いいえ…」
サラは不思議な気持ちで自分の腕をじっと見つめた。
すっかり消えてしまった傷痕を探し、痛みの感覚を思い出そうとするが、それすら難しい。
よく見ると、擦り傷まですべて消えていた。
「あのようなひどい傷を負いながらも気付かないとは…。余程、他に気にかかることがあったのだな。ここへ呼び寄せられたのはそのせいか。しかし女王の庭に剣を持ち込んで来るとは非礼にも程があるぞ、サラ」
「女王の庭?」
驚いてもう一度庭を眺めるサラに、ソニヤは手を差し出した。
「女王の御前だ。その剣は預からせてもらう」
サラは慌てて剣をソニヤに渡す。ソニヤは剣を受け取るとそれをしばし眺め、そして厳かに言った。
「…予定より早くなったが、まあいい。よくぞ参った、サラ。女王の処へ案内しよう」
目の前から消えた景色に取り残されたクレイは、しばし呆然とその場に佇んでいた。
しかし次に起こすべき行動に思い至ると、クレイは空を仰いだ。そして進むべき方向に当たりをつけて歩き出す。
あれだけの距離を走ったというのに、クレイが佇んでいたのは湖からそれほど遠くない場所だった。水の匂いですぐに湖に続く小径を見つけ、そこから狩猟小屋へ向かう。
ケイトに問い質さなければ。
精霊の力で幻惑されていたのは明らかだが、どうしてああもサラが精霊の力に関わらなければならないのか。
エリーと仲が良い、だけでは説明不足だ。そんな理由で王家の人間が庶民を戴冠式に迎えるなどという話は聞いたことがない。
サラが戴冠式に参加する、然るべき理由が存在するはずだ。
ここ数日、クレイは王家と村長との関係について調べていた。
城に潜ませている間諜へ命じ、書物から歴史的背景を調べさせても王家と長の家系の繋がりは出て来ない。長の妻の家系は王家と繋がりがあるようだが、婚姻による繋がりのみで、それほど強い縁でもない。
ではどうして、王は姫を村長へ預けることにしたのか。
昔から城で働いている者に噂話を訊ねても、誰一人としてエリーが村に預けられた理由について語れる者はいなかった。
今はデラが街の噂を集める為に歩き回ってくれているが、デラ自身が精霊の存在を否定している以上、情報の収集は困難を極めるだろう。
ケイトが納得のいく答を持っているという保証はない。だが、少なくとも一番真実に近い答を知っている筈だ。
狩猟小屋が見えてくると、クレイは更に足を速めた。




