第1話
王立魔法学園の修練場には、鼓膜を揺らす轟音と、目を焼くような閃光が絶え間なく満ちていた。
「次、レオン!」
教官の呼びかけに応じ、金髪を綺麗に撫でつけた特待生が前に出る。彼は胸元のバッジを見せびらかすように胸を張り、大仰な身振りで長い詠唱を紡ぎ始めた。
数秒後、彼の手から放たれた灼熱の炎が、巨大な魔力測定器に着弾する。
爆炎が巻き起こり、測定器の魔力ゲージが跳ね上がった。けたたましい電子音が鳴り響き、高得点を知らせる。
「素晴らしい! 威力、規模、そして何より派手さ。完璧だ」
恰幅の良いバイス教頭が、満足げに手を叩いた。周囲の生徒たちからも感嘆のどよめきが漏れる。
魔法の威力と派手さが、人間の価値のすべてを決める。それがこの学園の、いや、この世界の絶対的なルールだった。
「次、ルーク」
教官の声が響いた瞬間、修練場の空気が一変した。期待と熱気は冷ややかな嘲笑へと変わり、無数の視線が僕に突き刺さる。
僕は小さく息を吐き、重い足取りで測定器の前に立った。
「さっさとやれよ、落ちこぼれ」
誰かが小声で吐き捨てた言葉に、周囲からくすくすと笑い声が起きる。僕は唇を噛み締め、測定器を見据えた。
僕に使える魔法は一つだけ。攻撃力もなければ、派手な光も放たない。
それでも、やるしかなかった。
僕は右手を前に出し、魔力を練り上げる。
「……『消音』」
短い言葉と共に、僕の魔法が発動した。
その瞬間、修練場を包んでいたざわめきが、ふっと遠のいたような錯覚に陥る。
僕の手から放たれた見えない波が、魔力測定器を包み込んだ。
だが、何も起きない。
爆発も、閃光も、風の刃も生まれない。
ただ、巨大な機械の塊がそこにあるだけだ。
いつもなら、微弱な魔力であっても測定器は反応を示す。エラー音を鳴らすか、針がわずかに揺れるはずだ。
しかし今回は違った。
測定器はエラー音すら鳴らさず、完全に沈黙していた。ランプの点滅すら止まり、まるで機械そのものが死に絶えたかのように静まり返っている。
「なんだ? 故障か?」
教官が眉をひそめ、測定器に近づく。
僕自身も戸惑っていた。僕の魔法はただ音を消すだけのはずだ。なぜ機械が動かなくなったのか分からない。
「機械の故障ではありませんよ」
冷ややかな声が響いた。バイス教頭が、細い目をさらに細めて僕を見下ろしていた。
◆ーーーー◆
「彼の放った魔力が、あまりにも微弱すぎて測定器が認識すらしていないのです。あるいは、無意味な魔力の波長が機械の探知波を乱したか……いずれにせよ、評価に値しない」
バイス教頭は忌々しそうに鼻を鳴らし、僕に向かって冷酷な宣告を下した。
「攻撃力ゼロ。派手さも威力もない役立たずだ。お前がいても何の役にも立たない」
一瞬、指先が止まった。僕は何も言い返せず、ただ俯くことしかできなかった。
長年浴びせられ続けてきた評価だ。分かっていたはずなのに、言われるたびに無意識に萎縮し、自分の存在価値が足元から崩れ落ちていく感覚に襲われる。
「教頭先生の言う通りですね。魔法使いの面汚しめ」
レオンが進み出て、僕を鼻で笑った。
「お前みたいな魔力のないゴミが、いつまでもこの学園に居座れると思うなよ。僕たち特待生と同じ空気を吸っているだけで不愉快だ」
傲慢な選民思想が滲み出る口調。周囲の生徒たちも、レオンに同調するように僕を蔑む視線を向けている。
反論の言葉は出なかった。
結果がすべてだ。僕の魔法は、この学園では何の価値もない。
「ルーク。貴様にはすでに何度も警告を与えてきたはずだ」
バイス教頭が、高価な魔法石の指輪を光らせながら言い放つ。
「今回の実技試験をもって、貴様を退学処分とする。直ちに荷物をまとめて出て行け」
目の前が真っ暗になった。
退学。
それは、僕がこの世界から完全に不要だと切り捨てられたことを意味していた。
僕は俯いたまま、ただ拳を強く握り締めることしかできなかった。
◆ーーーー◆
試験が終わり、生徒たちが三々五々散っていく中、僕は一人で中庭のベンチに座り込んでいた。
膝に置いた両手は、まだ微かに震えている。
「おい、ルーク」
不意に声をかけられ、顔を上げる。
そばかす顔の小柄な少年、トムが立っていた。制服を少し着崩した彼は、いつものお調子者らしい笑顔を浮かべている。
「気にすんなよ、あんなの。教頭もレオンも、魔力ばっか気にして頭が固いんだよ」
トムは僕の隣にどっかりと座り込み、肩を叩いてきた。
「俺だって成績は下から数えた方が早いしな。お前がいなくなったら、俺が最下位になっちまうだろ」
冗談めかして笑うトムの言葉は、彼なりの不器用な励ましだった。
落ちこぼれ同士として、彼は僕を馬鹿にしなかった数少ないクラスメイトだ。
「……ありがとう、トム」
僕は無理に口角を上げ、笑ってみせた。
だが、心の中は冷え切ったままだ。トムの優しさは嬉しかったが、退学という現実は覆らない。僕はもう、ここにはいられないのだ。
ふと視線を感じて顔を向けると、少し離れた渡り廊下から、こちらを見つめている生徒がいた。
透き通るような銀髪と青い瞳。完璧に着こなされた指定制服。
主席優等生のエリアだった。
彼女は真面目で正義感が強く、僕のような落ちこぼれにも分け隔てなく接しようとしてくれる数少ない人間だ。
エリアは何か言いたげに唇を動かし、こちらへ一歩踏み出そうとした。
しかし、その足はすぐに止まった。
「あーあ、あんな無能がいつまでも中庭にいるなんて、目障りね」
「本当。さっさと出て行けばいいのに」
通りすがりの生徒たちが、僕を見て嘲笑の声を上げる。
その声を聞いたエリアは、苦しげに目を伏せた。
彼女が信じる正義や公平さは、この才能至上主義の学園の空気の前では無力だ。彼女が僕を庇えば、彼女自身が異端として糾弾されかねない。
エリアは小さく首を振り、逃げるようにその場から立ち去っていった。
彼女を責める気にはなれなかった。
誰も悪くない。ただ、僕が無能なだけだ。
◆ーーーー◆
夜の帳が下りた王都。
僕はわずかな荷物を詰め込んだ鞄を提げ、あてもなく石畳の道を歩いていた。
学園の寮を追い出され、行く当てなどどこにもない。
冷たい夜風が頬を撫でる。街灯の光は、僕を避けるように薄暗い影を作り出していた。
これからどうすればいいのだろう。
魔法がすべてのこの世界で、魔法が使えないに等しい僕が生きていく術などあるのだろうか。
再び誰からも必要とされず、無能として路地裏で朽ち果てる。そんな未来のビジョンが脳裏にこびりついて離れない。
気がつけば、僕は繁華街から外れた、人通りのない暗い路地裏に入り込んでいた。
両側を高いレンガ壁に挟まれ、月明かりすら届かない場所。
ここで朝を待つしかないか。
そう思って足を止めたときだった。
――空気が、変わった。
肌を刺すような、異様な気配。
路地の奥、濃い闇の中から、足音もなく何かが近づいてくる。
僕は息を呑み、思わず後ずさった。
「誰だ……?」
震える声で問いかける。
闇の中から姿を現したのは、長身の男だった。
黒い外套を身に纏い、顔の半分を影に隠している。だが、その隙間から覗く鋭い眼光が、僕を真っ直ぐに射抜いていた。
男からは、魔力とは違う、もっと生々しくて危険な匂いがした。
血と、死の匂い。
凄腕の気配を纏うその男は、僕の数歩手前で立ち止まった。
敵意は感じない。だが、圧倒的な存在感が僕の身体を金縛りに遭わせる。
男は静かに口を開いた。
「探したぞ、ルーク」
なぜ、僕の名前を。
心臓が早鐘のように打ち始める。
学園を追放されたばかりの僕に、こんな危険な男が何の用があるというのか。
男は外套の懐にゆっくりと手を伸ばした。
僕は身構えたが、逃げ出すこともできず、ただその動きを見つめることしかできなかった。




