8 最終話
翌日、朝食を摂ったら早速ヴァル様が迎えに来られました。その後は怒涛のような時間が過ぎていきましたよ……。
陛下や王妃様との拝謁に行ったら、あら吃驚。お掃除をしてた時に会ったことがある方だったのですよ……知りませんでしたよ、陛下だなんて……だって、メイド服を着ていない私が魔法を使って掃除していたから、何をやってるのかと、気軽~に声を掛けてこられたんですよ。
宰相様という方もそうでした。ラウル様とお掃除道具の打ち合わせをしていた時、しれ~っと見学されてたんですよ。貴族の方だろうなぁと思ってたら案の定でした。
ヴァル様のお母様である王妃様は、威厳の中にも優しさがある方でした。私に会うのを楽しみにしていたと仰ってくださり、息子の力になってくれて有り難うとも仰っていました。
ルイーゼ様ですが、こっそり、あのお願いの件よろしくね!と、力強い目で訴えてこられました……そんなに大変なんですか。そうですか。腹括りましょうかね……。
そして、側妃の間に移り住んだ私のお世話をしてくださるのが、リンジーさんです。頬を染めて喜んでいらっしゃいました。これからも担当になれて嬉しいと。有り難いです。
私は、召喚された際に持っていたバッグを広げて、中身を見納めしています。
もちろん圏外だったスマホですが、思い出の写真があったので毎夜見ていたのが仇となり、バッテリーが切れてしまいました。
お財布や化粧道具。そして――ポートフォリオのファイル――。
webデザイナーの夢。もう使うことは永久にありませんが、絵を習っていたことが役に立ったんです。ラウル様とお掃除道具の打ち合わせをする時、絵にしたらイメージが伝わりやすいかなと描いてみました。そのお陰で開発がスムーズにいったと聞いたときは嬉しかったですね。
芸は身を助けるといいますが、我が身を持って体験しました。
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『あの、貴族教育とはどれくらいの量があるんですか』
『そうですね。貴族の令嬢は、大体五歳から十四・五歳まで家庭教師を雇って学びますな。淑女教育を主とし、嗜みとしてダンスや刺繍。爵位によっては語学が必要になりますな』
『――』
『これを学ばなければ、貴女が社交界で苦労するのですよ。それだけではない。貴女を妻にした夫にまで恥をかかせることになるのです。貴族社会は甘くありません。そしてその家の跡継ぎを産み、家を取り仕切る女主人の勤めがあります。ただ家にいるだけではないのです。いかがですかな? ご希望ならば相応の講師を手配いたしますが』
『――』
『もし万が一、王宮のメイド、もしくは女官等をご希望であれば、それ相応の礼儀作法や、必要な知識を学んでいただくことになります。どの職業も誇りを持った者達ですので、それを希望する者達には狭き門となっています。どうですかな? 考慮されますかな?』
『――』
『神殿の聖女となられたら、相応のお相手と婚姻することになるでしょう。聖女の血筋は受け継がれ、代々神官として尊ばれることでしょう。私では神殿の暮らしぶりの詳細は分かり兼ねますが、大主教方が歓迎してくれるはずです。聖女という存在は、この世界では神の御使い。ですから稀なる光属性を授かっているのです。神官最高位である大主教よりも上位の身分ですな』
『――どうして、私は側妃になれないの』
『おや? 殿下のお話を聞かれていませんでしたか。では改めてご説明しましょう。貴女には大変な運命を課しましたが、貴女はその使命を最後まで全うされませんでした。ご自分で仰いましたな? 殿下が最後の浄化を願われたが、貴女はそれを拒まれた。身代わりとなったハル様の勇気と心根の優しさ、健気さ、人を敬う心、礼儀正しさ、勤勉さ、その全てに殿下はお惹かれになったのです。ですが、貴女はメイドにお礼も言ったことがない。殿下が許してもいないお名前を、貴女は何度も呼んでいましたな』
『だって! 何も言われなかったものっ』
『おや? そうですか? 私が殿下とお呼びくださいと申し上げましたが聞こえていなかったので?』
『――』
『貴女は、自分を特別だと思われていたのですかな? 特別だから何をしても許されると? だからハル様の同行を強要したのですかな? 何を考えてのことだったのでしょうか。明らかにハル様は、戦闘能力が低かった。それは即ち、殿下方の命をも脅かしたにほかならない。貴女は幼い。あまりにも無知すぎる。結果的には、貴女はハル様の影の存在だと自ら招いたのですよ。貴女はハル様のように学ぼうとなさいましたか? 自分の意見ばかり押し付けていたのではありませんか? ハル様が名乗られたのに貴女は名乗り返さず年上を尊厳を踏みにじった。そして点数稼ぎと蔑んでいましたが、貴女は特別だからと、他者を見下してもよいと? 身の回りの世話をと希望されていましたが、あれが人に頼む態度でしょうか。殿下は全てをご存知です。だから側妃を望まれなかったのですよ。人の道理としてそうではありませんかな?』
『――どうして、どうしてっ』
『私はいったん席を外しましょう。ご納得いただくまでお考え下さい。いつでも助言いたしましょう』
『陛下、今はまだ耳を傾ける気配もありません』
『――拙いな。神殿へ送るにも不安が出てくる。その道を決めたなら、神殿側に誠意を示しておくがよい』
『御意に』
『殿下は何処にいるのか教えて』
『殿下に何用ですか? 聖女殿』
『会いたいの。会って話をしたいの』
『殿下のご予定と、お目通りが叶うか許可が必要です。勘違い召されるな。貴女は王族より身分が上と思われては困ります』
通路にいた騎士に背を向けて、姫香は歯ぎしりをしながら自室に戻っていった。
『なによ! どいつもこいつも私に説教ばかり! なんなのよ! 私を無理やり連れてきたのはあんた達でしょう‼ なんで私がこんな目に遭うのよ‼』
『ふぅ……殿下。あれが騒いでいるそうですよ』
『煩わしいな』
『無理やり連れてきた責任を取れと』
『はぁ……父上と相談してくる』
『それが賢明ですね――もしやあれを?』
『ああ』
『父上』
『ふ。やはり来たか』
『ええ。あの様子では、神殿も迷惑でしょう』
『この事を詳らかに伝えてみる。向こう次第だな』
『ええ』
翌日――。
『父上。お呼びでしょうか?』
『ああ。神殿から結論が来た』
『それで?』
『本人が望めば実行はやむを得ないとな』
『やはり、あちらも迷惑でしたか』
『であろうな。神殿は神聖なる場所。信仰心の欠片もない者が務まる場所ではないからの。ましてや、欲に塗れた者が神殿の長とは認められぬ。各国も承認せぬだろう。真実を知ればな』
『暮らしぶりを知り、自分はやっていないとまた叫ぶでしょうね』
『ああ――で、ハルはどうするつもりだ?』
『真実を伝えるのが誠意でしょう――彼女の選択次第です』
『見上げた根性だな。ハルに感化されたか』
『彼女の事だけですよ。他は何も変わらない。綺麗ごとだけで政はできないことは百も承知』
『汚濁に塗れぬ一滴の清き水か』
『その清き水もまた、必要ですからね』
喉が渇いたとき、求めるのは清き水――何ものにも代え難き存在――。
+++
「ハル」
「あ、ヴァル様。今日は早いですね」
いつもは夕食が終わった後くらいに訪れてくるヴァル様ですが、今日はまだ昼間ですよ?
私の隣に腰かけて、手元を覗き込んでこられました。
「何をしていたんだ?」
「あ、好きな絵を描いていたんです。ルイーゼ様みたいに公務があるわけでもないので時間がいっぱいあるから」
そうなのですよ。側妃とは公に出ることが無いんですよ。役目はヴァル様をお慰めする事らしく、後は自由にしていいと言われたので、この部屋に移ってからは手始めに絵を描いてみました。
「絵?」
「はい。あっちで趣味でやってたんです。いろんな絵を描きたかったんです」
「ほう。これはまた見たこともない技法だな」
「そうでしょうね。人間だけど人間ぽくなく描くと、夢が広がるんですよ。見せていただいた肖像画は立ったり座ったりですけど、これは物語の動きを考えて描くんです」
「面白いな。私が読んだ本に、そのような挿絵はない」
「ヴァル様が読む本って、政治学とかでしょう?」
「ああ、そうだな」
「もっと平民が読むような本ですよ。子どもたちが想像しやすいように絵にしてあげたりとか」
「なるほどな。今度そういった本があるか調べさせよう。お前も読んでみたいであろう?」
「はい! ありがとうございます!」
「ああ」
すると、ヴァル様の大きな手が私の手を包み込んできました。
「ハル。今から私の言うことを黙って聞いてくれ」
「はい」
一度目を閉じられます――これは、前にもありましたね。何か言いにくい事を仰る時の癖。
「――ハル。再び元の世界へ帰れるとしたら、お前は帰りたいか?」
――今、なんと仰いました⁇
「帰れ、ないと……」
「すまない……討伐前に帰還できることがわかれば、使命を放り出して逃げ去ることもあると考えたからだ」
「ああ……そういう事、ですか……そうですね。怖いと言って帰らせてくれとごねられたらどうしよもないからと。覚悟がいることですからね……」
「そうだ。伝承では、帰還の手段も伝えられていた。女神は――このことを見越していたとしか思えぬ。神の目は、全てを見通す、か」
ヴァル様が抱き締めてこられました。
「ハル……お前はどうしたい。あの者にこの事を告げれば帰ると言うだろう。神殿も拒み、貴族教育も拒み、勝手に連れてきた責任を取れと喚いている。確かに我々の身勝手から行った儀式だ。それ相応に責任を取るつもりだった。だが、あれほどあちらも身勝手では、我々も手の打ちようがない。あのような者を我が王家の血に入れたくない。ルイーゼの息子が将来害されるとも予測できる。欲は止めどなくなるものだ。更には贅沢を貪る気であろう。民の血税をそのようなことに使うのが許されるはずがない」
ヴァル様が仰る未来が予測できて、思わず身震いをしてしまいました。
……側妃の座から王妃の座を望むために、か……。
「お前もわかったようだな」
「はい……そんな物語も読んだことが。強欲な人は、人の命なんて何とも思わない」
「ああ。我が子が暗殺などの憂き目に遭うなど耐えられぬ」
そうか。だからルイーゼさんが私に会いに来たんだ。私がどんな人間か自分の目で確かめるために。そして、私なら王子が危険な目に遭うことはないと判断してくれたんだ。だから、後は任せると――。
「だからだったんですね……夫婦の営みがないのは……」
「お前は、愛しているというときは恥じらうくせに、そういう言葉は平気なのか」
「え! そんなんじゃありませんよ!」
「じゃあ、どういうつもりだ? もしかして、放っておかれたのが寂しかったのか?」
「ぅにゃ‼ そ、そんなわけありません‼」
「そうか? どれ、顔を見せろ」
「いやぁぁ‼」
「くははは! 図星であろう!」
「ぅ~~‼」
意地でも離さないんだから‼
「――ハル。もう一度聞く。お前はどうしたい? 今みたいに私を離さないでいてくれるか……?」
あっちに戻ったらまた一人……ヴァル様とも永遠に逢えなくなる……でも、ここに残れば自分の実力がどれだけ通用するのか未来がなくなる。
……でも、でもっっ‼
「ヴァル様の……傍にいたいですっ」
途端に、ぎゅうっと抱き締められました。
やっぱり離れたくない!もう一人になりたくない!愛する人と離れたくない!ここで知り合った沢山の人たちと離れたくない!一緒に旅をした仲間と離れたくない!
私は、ここで生きていく‼
「ありがとう、ハルっ……愛している……私はお前を心から愛している……」
+++
『殿下っ。ずっと待ってたんです! どうして私じゃダメなんですか!』
姫香の部屋を訪れたイーヴァルに、姫香が駆け寄っていく。が、護衛のヴォルターにその行く手を阻まれた。
『無暗に殿下に触れようとするな』
『なんでっ』
『教えられなかったか。聖女とはいえ、王族を軽んじるなと』
『軽んじてなんかっ』
『御託はいい。要件を話す。聖女、元の世界に帰れるなら帰りたいか』
『え? 帰れるの?』
『ああ。其方が望むならな』
『でもっ、私は殿下と一緒にいたいっ』
『其方の血を王家に入れぬ。永遠にな』
『っ⁉ なんでっ、なんで、あの女ばっかり!』
『其方のそういうところだ。強欲が顔を出したな。贅沢をするためか? それとも自分が王妃に成り代わりたいからか? 自分は特別待遇されて当たり前だと? 我々は誠意を持って其方に礼を尽くそうとした。だが、其方は役目を全うしなかったどころか、ハルの命を害そうと企んでもいた。同行させたのは、ハルが死ねばいいと思ったからであろう。使用人達と仲がいいのを妬んでの事か? 我々がハルと一緒にいたことが妬ましかったか? 我々は自分のものだと? 複数の男に色目を使う其方のような者を愛するとでも思ったか』
姫香は顔を真っ赤にしてぶるぶる震えている。
『図星のようだな――王宮には留まらせぬ。ハルを守るためだ。貴族教育も拒む。神殿も拒む。宰相の言葉も拒む――何もかも拒む其方にもう一度聞く。帰りたいか。意思を示せ』
『――』
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「え、何よ」
「これ、落としてたわよ」
「あっそ」
女子高校生はペンケースを受け取ると、スマホに視線を戻してそのまますたすたと去っていきました。私は踵を返して、元来た道を戻ります。
うわぁ……あれが素だったのね……あの子やっぱり怖っ!
鞄からスマホを取り出し、時刻を確認しました。今日は五月一日。目の前の駅を出たのは十四時半ごろのはず。スマホに表示されている時刻は十四時三十二分。
就活面接の断りの連絡を入れ終わった私は、駅へ引き返して我が家へと向かいました。
「えっと、後はスマホを解約して、退学届け出して、生ごみ出して、なんだっけ」
両親が残してくれた我が家を改めて見回し――涙が滲んできました……。
仏壇に飾られた両親の写真の前に座って、ここで暮らした二十二年間を振り返ります。
「お父さん、お母さん、私ね、運命の人と出逢えたよ。地球人じゃないって言ったら驚くよね。普通そうだよね。でもね、本当にあるんだよ。誰も知らないけどね」
零れた涙を拭って顔を上げます。
「新しい家族ができたんだ。もうね、腹違いの息子もいるんだよ。吃驚だね――私、異世界で頑張るから。見守っててね」
――ヴァル様が問うと、全てを放棄した聖女は、地球に帰ることを望みました。ただし、ブレンステット国での記憶を消して。本人には知らせず、魔法で記憶操作をしたそうです。記憶を持ったままだと、帰還したとき私が害されるとマズいからという理由もあるけど、あくまでも、聖女の今後の人生を配慮してとのこと。異世界の記憶がない方が生きやすいですよね。
そして、召喚魔法と送還魔法は表裏一体。どんな仕組みか摩訶不思議ですが、いつでも元いた場所へ帰れるよう、時空間が繋がっていたのだとか。そこら辺はちんぷんかんぷんですが、要するに私も一緒に帰らないと、時間に歪みができて地球にもあちらの世界にも影響が出るのだとか。怖いですね。だから、私も一緒に帰ることになったんです。私を見て逆上しないように眠らされていた聖女と一緒に魔法陣で送還されました。
戻ってきたのは、同じ場所、同じ時間、同じシチュエーション。あの子のペンケースを渡そうとしていたあの瞬間に戻ってきました。あの子は私を見ても、やはり何も覚えていませんでした。こういうのって神の領域のようで、ありのままを受け止めるしかありません。驚きの連続ですけどね。
で、これからがまたファンタジー!と叫びたくなるような出来事が待っています。
そのためにやるべきことを済ませた頃には、日が暮れていました。
――もう一度、家を見渡します。感慨深い思い出がまた浮かんできます……。
「お父さん、お母さん、じゃあ、そろそろ行くね」
この世界のものは何一つ持っていくことができません。時空間を繋げていられるのは、地球の物を持ち込んでいたからだとか。
あちらから持ってきた服に着替え、靴を履き、折りたたまれた布を電気の明かりもない薄暗いリビングに広げれば、それには『魔法陣』が描かれていて。
――魔法陣の中央に立ち、最後にもう一度、写真の二人の顔を目に焼き付けます。
「ありがとう。さようなら、地球で知り合った皆さん。粂葉瑠という人間は実在しました。今夜で姿を消しますが、どうぞ皆さんお元気で!」
私は手に持っていた石ころの様な塊を魔法陣の上に置きました。
ふわっと、その魔法陣から光が溢れると――。
粂家のリビングに広がっていた布も、塊も、そして、葉瑠の姿も忽然と消え去っていた――――。
※※※※※
「お帰り、ハル」
「ただいま戻りました、ヴァル様」
前作も含め、趣味で書き散らした作品ですが、少しでも楽しんでいただけたら幸いです。(*ノωノ)
応援いただいた方、ブクマや評価点をいただいた方、貴重なお時間を割いて閲覧いただいた方々に、この場をお借りして厚く御礼申し上げます。
私事ですが、此れを以ちまして最後の作品といたします。
本当にありがとうございました!