9.ひとやすみ
運動後の食事は格別だ。極度の激しい運動後の場合においてその原理は時として働かないが、腹の虫が鳴きだしている状態であれば、口に入れるものは基本的に美味となる。そこかしこに先の魔族による攻撃の爪痕が残っていようが、差し出された食物が生ものばかりだろうが、実はそれが神殿へのお供えとして奉納された品々だろうが、それらを持ってきてくれたグラナーテの視線が疑惑だったり引いてたりする視線であろうが気にはしまい。
「よ、よく食べるな」
もぐもぐ、ぱくぱくと攻撃対象にはならなかった奥の部屋にある机に広げられた果物や乾物等を頂いていると遠慮がちにグラナーテが声を発した。グラナーテは魔族と化してしまった神官、ダウトの守護者に現場の指揮を任せ、形を保っていた奥のこの部屋にある簡易ベッドに巫女セレッサを横にさせてから兄妹と竜に食物を用意し、リオンには人型に戻る際の衣服を手渡してくれた。
騒ぎがあったにしては随分落ち着いた女性である。更に追加の揚げパンまで持ってきてくれた。お腹に溜まるものは嬉しい。
「すみません、ちょっと俺ら燃費が悪いもので直ぐに腹が空くんです」
机に置かれた途端にソルが大きいのをかっさらう。私が狙っていたのに。
「いや、構わないが、その・・・・・・先程の事なのだがいくつか聞いても宜しいか?」
初めて相対した時の様子と違い、彼女は警戒する様子もなく、むしろ丁寧な物腰になっていることに少々違和感を覚える。
ソルと視線を合わせてから「どうぞ?」と揚げパンを口にしつつ先を促した。
「ひとつ目に、ダウト殿は一体・・・・・彼は、もう?」
表情を曇らせ言いにくそうに問われる。
調律の妨害をし、神殿内で突如変貌した白羊宮の神官ダウト。彼の本質は魔族と同化し、その人格は既に消えてしまっていた。いつから浸食が始まっていたのかは定かでは無い。彼は魔族の憑代として完全に乗っ取られ、ソルの攻撃により跡形も無く消え失せてしまった。即ちそれは神官ダウトはもうこの世には存在していないということ。
「・・・・・すみません。助けられなかった」
「あ、謝るな、いや、その謝らないでくれっ。我々がもっと早く異変に気づいていれば。・・・それに、魔族、とはこの世界に害成すモノだから滅しなければならないのは必然だ。ソル殿がしたことは正しい。我々は助けられたんだ、ありがとう」
彼女は寂しそうな表情を浮かべる。彼女達は本来の神官ダウトと共に神殿を守ってきた同僚だ。その同僚がこの世にいないと知らしめればその心情は言われなくても分かる。
しかし、そこに疑問も残る。
魔族は12宮の加護により本来この世界から隔絶されたモノだ。彼等は加護の無い“外”の世界に存在すると言われている。そして生命の流の穴を見つけ侵入し、この世界の負の感情を糧として世界を脅かしているとされているが、穴は調律師達によって発生されないよう調整されている為、魔族と呼ばれる意志を持つモノがこの世界に潜り込むことは難しい、筈なのだ。その結果、魔族よりも矮小な悪意を持つ集合体が僅かな穴や亀裂等からこの世界に侵入し、精神が発達していない動植物や、時には無機物等に憑依し、魔物化して我々を襲う。人間に憑依するには、人は精神が独立し意思が存在していることから、それを屈服させ更に身体を乗っ取る程の力を行使する事は矮小な奴らにはできないらしい。ところが、だ。今回は明確な意思を持つ魔族そのものがダウトという人間を乗っ取った。今まで周囲に違和感なく溶け込んでいたということは、魔族そのものが化けたモノでは無い筈。そもそも魔族そのものがこの世界に実態を持って存在しているとしたならば、それは由々しき事態となる。魔族は我々の理解の範疇を超えたモノ。その力量は実体を持たずとも膨大な魔力を有し、瘴気を孕みこの世界に恐怖をまき散らして影響を与える。世界の天敵とも言えるだろう。幸い12宮の加護によって侵入する手立てがない為彼等自身が侵攻してくることは今の所無いのが幸いだ。
だが、今回ダウトを乗っ取った魔族は大きな“穴”を生み出そうとした。彼らの王の道を創る、と。ダウトの身体を人知れず乗っ取り、期を図って実態を持つ魔族を呼び込もうとしていたという、明らかに計画的な犯行。何かが蠢いているとしか思えない。
いつぞやあった事件を嫌でも思い出させ一つ息を付いた。
「この件はセレッサ様が目覚め次第白羊宮の調律師に報告をして調査を進めることにする。良ければソル殿にアルマ殿にも調査の方の手伝いをお願いしたいのだが」
「あー・・・多分それは既に中央から調査班が手配されたと思うから、専門に任せればいいかと・・・?」
「私達はしがない旅の者なので」
「しがない旅の者とかな訳無いでしょ?! 二人とも!!」
グラナーテさんの申し出は面倒な方向しか指し示していない。
二人で速攻断りを入れてみた所、人型に戻り着替えを終えたリオンが興奮冷めやらぬ様子で口をはさんだ。尻尾がぴこぴこと上下している。つ、掴みたいっ。
「二人ともさっきの、さっきの説明してっ?!一体何がどうなってるのっ?!」
ばんっ!と机を叩き割るかの如く手を付き詰め寄ってくる。いや実際に机がみしみし言っているからこのままだと危険極まりない。食料を確保するべきか。
「リオン、お前も座ってとりあえず落ち着け。その問は今から私も聞こうとしていたところだ。だから二人も皿を置け」
私もソルも、更にウラガンまでが思い思いに出された皿並びに食料を持ち上げてみたがグラナーテに静止される。リオンも何かまだ騒いでいたが、彼女に無理矢理座らされていた。
結構この方強引だと身に染みる。
「それで、御二人の先程の所業について伺っても?いや、というよりも御二人は一体何者ですか?」
真剣な二人分の眼差しがこちらを見据える。純粋に好奇心を含んだものと、僅かな警戒を含めたものと。
リオンはまぁ、調律師に憧れを抱いているだろうが故に興味本位に違いない。しかしグラナーテに至っては白羊宮の魔導師であるセレッサの守護者でもあり、彼女に仇為す者、加えて得体の知れない輩には最大の警戒をし白羊宮領の安寧を守らなければならない、というところか。先程の一件では魔族を共に退けたことから敵として見られてはいない(と思う)が、それでもその目には明らかに疑惑の色が浮かんでいる。
さてどうしたものか。
ソルの方に視線を寄越せば同じようにこちらを見やる視線とが交錯した。
何だその“お前が説明すれば?”みたいな命令目線。元はと言えばソルが調律を手伝い始めたのが原因だろう。魔導師ではないと宣言した癖に、だ。私が説明する謂れが一体どこにあるのやら。面倒な事は私に押し付ける気か、この役立たず、ってすみません、その目やめてください、穏やかな視線な癖に、その奥が一向に笑ってませんお兄さん。
お互いが説明権の擦り付け合い、もとい譲り合いをしている間にも二人の熱視線は前方からビシバシと突き刺さる。兄に至っては自分が説明する気は毛頭無い、とそのにこりとした笑みに滲ませている。この笑みに逆らった時の後々の仕打ちを思うと、不本意ではあるが私が彼らに適当に説明するのが最善の策なのだろうか。
「・・・・・グラナーテ、あまり、御二人を困らせてはいけませんよ」
思案していれば目覚めたセレッサが上体を起こしこちらを見つめている。いつから起きていたのだろうか。心なしかまだ顔色が良くないが、眼差しも状態を起こす様も体力は回復しているようだ。
「セレッサ!もう、大丈夫なのか?」
「えぇ。心配かけてごめんなさい。・・・この様子だと、貴方達二人があの状況を打破してくれたみたいね。流れが調律されて安定している」
「そうなのです、あの後アルマ殿が」
「グラナーテさん」
ベッドの端に座り立ち上がろうとするセレッサに慌ててグラナーテが駆け寄りながら、彼女は見ていた事象をセレッサに伝えようとしていた。そこに遮るようにソルが口をはさむ。貼りつく笑顔が又うすら寒い。余計な事は言うなという明らかな牽制。
セレッサさんはソルが調律をする術を持っている事を先程知ったが、私については見ていない。ついでに言えば、ソルが魔族を打倒したことも知りはしない。彼女の中ではソルが調律をし、私が魔族を滅したことになっているだろう。
「セレッサさん、神殿は滅茶苦茶になってしまいましたが、調律は無事終えました。魔族も倒しはしましたが、ダウト殿は、残念です」
ソルが静かに目をつむると、セレッサも「そう、ですね」と同じように視界を床に落とす。そしてゆっくり歩み寄り、我々が腰かける机の椅子の一つに腰かけながら穏やかな笑みを浮かべた。
「本当に、ありがとうございます、ソル殿、アルマ殿。アクエルド家は誰もが調律が可能なのですか?驚きました」
ばれてら。
ぶち、と指先で目の前の丸い果物を房からむしり採りながら固まる。隣のソルも珍しく動揺している。動きが固まった。ウラガンだけがもしゃもしゃと乾燥肉をかじる音が部屋に響く。
中々どうして、巫女様の感覚を甘く見ていた。穏やかな笑みが今では食えない笑みにしか見えない。
「ふふ、意地悪な物言いをしてしまったわね。ごめんなさい。でも、アクエルド家の方に再びお会いできるとは思っていなかったわ。最後にお会いできたのはケルサス殿かしら、ね」
懐かしい名前が出てくる。ケルサス=ディ=アクエルド。私達の父親だ。若かりし頃に父親の学会報告で知り合ったことがあるらしい。どうせ変な開発でも報告した時だろう。セレッサさんは昔を思い出すようにした後少し悲しそうに私達を見た。
「アクエルド家はもう失われた一族かと思われたのだけれども、貴方達お二人がいらっしゃったのね。確か、」
「昨年の魔術学院の闘技大会で突如頭角を現した二人一組が確か“ソル”に“アルマ”と耳にした。家名が出ていなかったが、御二人の事だったのだな」
「そうそう、貴女の甥っ子が物凄く興奮して話していたのを私も思い出したわ。どちらがどちらも魔術を行使し、剣技に長ける故に鉄壁の要塞で崩せない、と」
「いや、その、えーと」
「じゃあ二人とも調律師だったのっ?!」
話に花が開きだした神殿二人一組に、リオンが喜々として話に加わる。
しかしその問の答えはノー、だ。
調律師と呼ばれる者は各宮において契約をし、認められた者だけが称される。各宮、一人の調律師。それ以上の数の調律師を生み出そうにも、契約をするための儀式を行っても各宮が認めたことが無かった。力ある魔導師達の中から選ばれた存在、と言える。
私達兄妹は生まれ月の加護はあるが、12宮どの印も持っていない。契約等していないから。換言すれば魔導師でもなく唯の魔術師だ。
「では、何故調律が可能なのです?」
「さぁ?体質ですかね」
セレッサさんの問に小首を傾げながら即答してみる。
ソルが呆れたようにこちらを見ていたが事実なのだから仕方がない。
昔は誰もが調律が可能だと信じて疑わなかった位なのだ。
「ケルサス殿は優秀な魔導師でしたし・・・様々な事を創り出していらしたし・・・」
少しばかり困惑気味のセレッサさんだったが、考えても仕方がないと思ったのか頭を振ってこちらに向き直る。
「御二人はこれから?グラナーテも進言したかもしれませんが、良ければこの一件に関して暫く調査等に協力して頂きたいのだけれども」
「その件は、中央から調査班が来ると思うので、そちらに任せた方がいいかと」
「・・・・・・お二人はもしかして魔術学院の関係者にお会いしたくない感じかしら?」
鋭い。
にこにこにっこり。セレッサさんの笑顔が誰かと重なる。あ、隣の兄上様か。
「セレッサさん、俺達ウラガンを“竜の域”に連れて行く途中でして」
「きゅ?」と大きな乾燥肉を口一杯に頬張ったウラガンを指さしてソルが言う。それを聞く三人が僅かに目を見張る気配がある。“竜の域”はあるか無いかも定かではない幻の領域。遥か昔に竜はこの世界の至る所に生息していたというが、今では竜の域と呼ばれる土地にしか住みつかないとされている。
「ついでに、アルマの卒業研究の課題に竜の生態について考えてるみたいだから、なるべく早く探す必要性があるもので、出立は早目にしたいんですよ」
ソルがさらさらと口上を述べる。嘘と本当が入り混じったそれっぽい話。常に思うが我が兄は口が上手い。魔術学院からの調査班等に出くわす前に早めに切り上げる口実にもなる。
「しかし、竜の域はどこにあるのか定かでは無いのでは?」
「魔術学院図書館で少し資料を得たのでそれを頼りに。それから各領の主都神殿に何かしら蔵書があるとも聞いたので行ってみようかと」
「・・・分かりました。御二人を引き留めるのは諦めましょう」
おぉ、滞在を免れた!と思ったら「ですが」と続けられる。何か他の用事でも言い渡されるかと思ったが、セレッサさんはそのまま指先に魔力を貯め宙に字を綴る。そしてその魔力を込めた字を圧縮し、一つの玉にした。精製魔法。父も得意としていた魔術の一種。元素魔法と違い、自身の魔力のみを利用して何かを創造しこの世に形として生み出す力だ。セレッサさんはその玉を机にことりと置く。淡い朱色の玉がきらりと光った。
「これを持って行ってください。これがあれば、各宮の蔵書関連への閲覧に役立つでしょう」
今回の件のお礼です、と言って微笑んだ。確かに竜に関する本格的な資料は禁書に近いものが多い。魔術学院でも調べる際には基本的に学院長の許可が必要だったりと中々手続が面倒だった。各場所に蔵書されている物であれば、同じように面倒な手続きがいるのかもしれない。そこに役立つ物としてセレッサさんがくれるというのであれば、恐らく面倒な手続きが省かれるのだろう。自信を持って提示する彼女は想像以上に顔が広いのかもしれない。
「ありがとう、ございます」
「では、俺達は明日にでも出立するのでそろそろ宿に戻ります。最後までお手伝いせずにすみません」
「いいえ、本当にありがとう。あなた方の道中に白羊宮の加護を」
ひんやりとする感触の玉を手に取り、御礼とお暇を口にする。セレッサが目覚めたのならば、早急に首都にも中央にも連絡をするだろう。名残惜しそうにしながらもちゃっかり余った揚げパンを頂いて神殿を後にした。
「さて、と。アルマ、さっさと行くぞ。多分居場所がばれた」
「え?行くってどこに?今日は泊まるでしょ?」
心底訝しげに問うリオンに私はだろうね、と内心ソルに同意をする。
宿に戻ってからの行動は早かった。神殿の騒ぎで宿には人はおらず、さっさと荷物をまとめて受付に代金だけ置く。そしてそのままメサルティムの町を宵闇に紛れて後にした。
「ってちょっと二人とも僕を置いて話進めないでよっ!」
喚くリオンがしっかりと後から付いてくるので完璧に紛れる事はできなかったけれど。
夜は騒いではいけません。というか何で付いてくるんだろう。
翌日メサルティムの白羊宮神殿には巫女に昨日の事件収拾に貢献した三人と一匹の行方を聞きに来る参拝者が溢れたというが、その事実に関しては知る由も無かった。
ここでとりあえずプロローグ?1章?めいたものが終了です。これから兄妹の謎やら魔術学院からの追手やら、美味しいもの探してウラガン君を生まれ故郷に戻していってあげたいものです。