第十八節
『…20%ですか?』
電話先の若い男の声には疑いがあった。
「なんだ不満か?」
遼太郎は顔をしかめた。
『いえ、逆です。20%で済んだんですか』
「正確には、ブラックストームが議決権付き株式20%。西尾興業が追加で5%。それと、外部役員1名の受け入れです」
ベッドの上。
隣に座るユーリが訂正した。
声はやや冷たい。
いや、疲れている。
ポスッ。
ポスッ。
手持無沙汰なのか、ユーリは枕を叩いている。
それ…富田兄ちゃんの枕やで?
窓際の広縁。
椅子に座る富田を見た。
文庫本を手に乾いた笑いをしていた。
『それでも十分です!』
電話の主、ニコラス・ペイジの声は明るい。
十分、か。
頑張った甲斐があった。
「第一弾の1000万ドルは6月、第二弾の1000万ドルは12月、残りの500万ドルは俺から来年2月に出す。それで良いな?」
『勿論です』
「7月には外部役員が着任するらしい。デスクの準備をしておけよ?」
間があった。
電話口で物音がした。
『ボス、あの…その役員の方は…』
女の声だった。
「サーシャ、実務のプロという要望は聞いてもらえたから安心しろ。情報と会社作りのプロを選任するらしい」
情報と会社作りのプロ…ねぇ。
遼太郎は眉間にしわを寄せた。
昨日。
ホテルオークラ。
フランス料理店「ラ・ベル・エポック」。
会食が終わるとユーリと共に中庭で伸びをした。
緊張で体がバキバキだった。
会場に戻るとメリーとヨシノが待ち構えていた。
『シール、LAMPのロイヤリティ代わりがまだだったな』
メリーは悪びれも無く髭を弄っている。
やっとかいな。
『情報分析官だろ? ジョニーにも催促したんだがな』
情報入手経路の偽装。
日本経済新聞。
ウォールストリートジャーナル。
フィナンシャル・タイムズ。
ワシントン・ポスト。
怪しまれないための新聞。
購読料は案外馬鹿にならない。
さっさと止めたかった。
『喜べ。ヨシノが逸材を見つけてきたぞ』
メリーはそう言ってヨシノの肩を叩いた。
『西尾様、遅くなって申し訳ございません。人選に手間取ってしまいました』
『逸材って?』
ユーリが口を挟む。
ヨシノが掌を広げる。
『はい、まず情報収集、分析能力に非の打ち所がない人物』
指を一本折る。
『次に西尾様の拠点が日本であることから日本に明るい人物』
指を一本折る。
『最後に西尾様がスタートアップ企業に力を入れておられるので、会社作りに精通している人物』
指を一本折った。
『これらの条件を満たす人物を選出しました』
ヨシノの声からは自信を感じられた。
『待ってください、そんな凄い人材がいるんですか? それに情報収集とかに非の打ち所のないって、まさか…』
ユーリが言い淀む。
『ええ、中央情報局出身者です』
ヨシノが声を潜める。
『名前は、ネイサン・ヒロカワ。日系です』
中央情報局。
CIA。
ジャック・ライアン。
イーサン・ハント。
火が付いた導火線。
ミッションインポッシボォウ。
『スパイってこと!?』
ユーリと声が被った。
声が大きくなってしまった。
メリーが人差し指を口の前にかざす。
『声が大きい。勘違いするな。本人は実務屋だ。工作員じゃない』
メリーが鼻息を荒くした。
『だが、CIAだけあって中々タフだ。こき使え』
そう言って薄ら笑いを浮かべた。
悪い顔や。
ヨシノが口を開く。
『それから、本人の了承が得られ次第、Gagoyleの外部役員を兼務させたいと思っています』
『兼務?』
思わず声が出た。
メリーが顔を寄せてくる。
『シール、はっきり言おう。下手な人間に役員を任せて何かしでかしたら、お前らが牙を剥いてくるんだろう?』
牙…?
『まぁ、怒るかもしれないなぁ』
『お前らコンビと渡り合って、Gagoyleの学生どものお守りもする』
メリーが豪快に笑う。
『そんなガッツがあるのはCIAしかないだろう?』
『情報と会社作りのプロってどんな人なんですか?』
スピーカーモードのPHS。
そこからニコラスの声がホテルの部屋に響く。
本当のことを言うべきか。
遼太郎は頭を掻いた。
部屋の主である富田と目が合った。
きょとんとしている。
最近は何を言ってるか理解できるようになったらしい。
…この場で知らせたら知らせたで面倒くさそうやな。
「なんでも政府で働いていた凄腕だそうだ。どんどん頼れ」
ふと隣のユーリを見た。
あーあ、言っちゃった。
そんな顔をしていた。
ベッドに寝転がる。
疲れた。
ベッド脇のサイドテーブル。
そこに埋め込まれたデジタル時計。
5月5日 21:38を示していた。
サイドテーブルの上には、明日の帰路で着るであろう服。
綺麗に折りたたまれて置かれている。
部屋を見渡した。
壁のフックに掛けられたスリーピースのスーツ。
空気清浄機。
小さな冷蔵庫。
キャリーケース。
整っていた。
…俺らの部屋とは大違いや。
父が散らかした衣服。
母が無理やり詰めたキャリーケース。
栞が買い込んだ土産の山。
スタシア親子の部屋もどっこいだった。
『ボス』
ニコラスとサーシャの声が重なる。
『この度はありがとうございます』
二人の声ははっきりしていた。
「良いってことよ。ただ、これからが大変だぞ?」
『はい、覚悟の上です。皆さんの期待は無駄にしません』
覚悟、か。
「きちんと報告も忘れないように。泣きつくのは仕方ないですが、早めの連絡を」
ユーリが口を挟む。
富田の枕を抱きしめている。
『勿論です、ミス・ユーリヤ』
「財務報告は私と母も見てますから。新しい役員とも上手くやってください」
ん?
母?
思わず起き上がった。
『え、ミス・ユーリヤとスタシアさんって親子なんですか?』
ニコラスの声に戸惑いが混じる。
ユーリの顔が歪んでいる。
やっちまいよった。
『スタシアさんって結構年増?』
サーシャが食いついた。
年増は禁句や。
スタシア親子に効く。
ユーリがPHSに飛びつく。
「あーあー、もういいです! そっちは深夜?いや、朝か。二度寝でもしてなさい!」
通話を切ろうとする。
「じゃあ、頑張れよ」
急いで声を掛けた。
『え、あ、はい、頑張りま――』
通話が切られた。
ユーリは俯いている。
首筋は真っ赤だった。
「ミス・ユーリヤはネズミーランドでお疲れでちゅね~」
ユーリが顔を上げた。
顔も真っ赤だった。
構わず続けた。
「ビックリシタダーマウンテンに乗りすぎまちたかぁ?」
ネズミーランドのビックリシタダーマウンテン。
コースターとしては優しい部類らしい。
そんなの嘘だ。
コースターは苦手だ。
苦手だと知ってるくせに。
5回も付き合わせやがって。
隣でケタケタ笑いよってからに。
煽ってやった。
いい気味や。
その瞬間。
衝撃と暗転が襲って来た。
枕だった。
「うるさい、クソガキ!」
ユーリはそのまま飛びかかってきた。
やりやがったな。
ユーリの笑い声。
楽しくなってきた。
二人が絡み合ったまま、ベッドの上に転がる。
投げつけられた枕を外すと…。
目の前にはユーリの顔があった。
顔が近い。
頬は紅潮している。
目が合う。
ユーリの目が泳いだ。
この顔に昨日も助けられた。
二人で成した共同作業。
ブラックストームの上場話の把握。
撤退ラインの設定。
攻め役と逃がし役もちゃんと決めた。
55%の吹っ掛けは予想外だった。
ユーリの機転で跳ねのけられた。
仕事もできて好いてくれる。
ほんま、ええ女やで。
唇をわずかに開く。
ユーリは拗ねたように唇を尖らせる。
まんざらでもない表情。
二人は吸い込まれるように唇を…。
「オホン!」
わざとらしい咳が聞こえた。
二人は即座に顔を離した。
咳の方向を見ると栞が仁王立ちしていた。
「遼太郎、ユーリさん。そういうことは二人だけでやってもらえませんか?」
声に険がある。
「富田、あなたは何ぼーっと見ているのですか?」
富田は我に返ったようにビクついた。
「あ、いえ、映画のワンシーンみたいだったので、見入ってしまいました」
富田も顔を紅潮させている。
お子様には刺激が強すぎたかな?
「栞ちゃん、随分と戻ってくるのが早かったね?」
ユーリの声が冷たい。
そこまで怒らんでええやん。
栞が鼻を鳴らした。
そして、冷蔵庫を開けた。
「ええ、スタシアさんたちが甘いものが食べたいと言い始めたので」
栞は中からキットカットの袋を取り出した。
「それ、ウチの!」
チョコが溶けないよう、ユーリが入れておいたものだった。
「いただいていきますね? ユーリさんは大人ですから、こんなお菓子は要りませんよね?」
栞が楽しげに尋ねた。
ユーリは唇を噛んでいる。
「…どうぞ。年下に譲ってあげるよ」
声には感情がこもっていなかった。
目は据わっていた。
明日、帰るんやから喧嘩すんなや。
「喧嘩す――」
口を開こうとした。
「あ?」
二人の声は合っていた。
それ以上、開かなかった。
栞がキットカットを手に戻ろうとした時。
トンッ。
トンッ。
ノックがした。
栞がドアを開ける。
父だった。
「すまん、ちょっと助けてくれ」
普段より一層情けない顔をしている。
母が嘔吐でもしたのだろうか。
吐くほどの本数は買ってなかった気がした。
「ビニール袋ですか? 今日は抑えてたのに早いですね」
栞が部屋のゴミ箱からビニール袋を引っこ抜く。
隣を見ると、ユーリもベッド横のゴミ箱からビニール袋を取ろうとしていた。
「いや、戻しはしてへんねんけど…」
父が言い淀む。
「じゃあ、なんですか?」
栞が圧をかける。
「べろんべろんやのに風呂行く言うてんねん。二人して」
「ママも?」
ユーリが反応する。
「せやねん。止めるの手伝って欲しいんや。さっき部屋に押し込んできたんやけど……」
その時。
「ごうぞぉ!風呂行くぞぉぉ」
「私のユーリちゃんはどこでちゅかぁぁ」
廊下から声がした。
父の苦労は無駄だったらしい。
ため息が聞こえた。
誰がしたかは分からない。
自分かもしれない。
皆が声のする方に歩き始めた。
これからの事よりも、あの酔っ払いたちをどうするかが悩ましかった。
基本的には好き勝手に書いております。
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