後編 そして私は星に平和を願った
「うーーーん…………」
「うーーーん…………」
「うーーーん…………」
「…………」
からっと晴れた冬空の下、冷たい空気の中に差し込む暖かな太陽の陽気とは対照的に私たちの心にはうす暗く分厚い雲が覆いかぶさっていた。
今日は魔王との対談である。
魔王と勇者に対談の席が設けられるというのは歴史的な出来事であるような気もするが、話し合う内容はバカ息子とバカ娘の結婚事情である。この対談が歴史に残ってしまったら私は幽霊になっても恥ずかしくて死んでしまいそうになるかもしれない。
「うーーーん…………」
「うーーーん…………」
「うーーーん…………」
「…………」
しかも話は一向に進まない。
対談場所は魔族との戦争の主戦場、バーグサン盆地の中央に陣を設け行われた。どちらの陣地にも属していない場所を選んだことからお付きの者たちが敵の騙し討ちや奇襲の警戒を行っていることが分かるが、実際私たちにはそんな余裕がない。
まさに自分の子供が敵の子供と結婚を結ぼうと着実に準備を進めているところなのだ。しかもそのことごとくが成功を収めている。
私たちはいつも後手に回り、そして失敗をしている。
「…………前に例の町に侵入して魔族の悪評を流したんだよ、私」
「…………どうだった?」
「失敗した。来いって人をバカにするんだな……歴史がどうとか……まるで通用しなかった…………」
「…………俺も同じことしたけど……ダメだった……」
「…………そうか……」
魔王も同じことをしていたのか…………
で、結果は私と同じで失敗をしている…………
「……妻も……家の使用人たちもお前の娘を気に入り始めているんだ…………反対する人が……少なくなってきたよ…………」
「うちも同じだよ…………お前の息子、いい子だって……うちの息子にしたいって……妻が…………」
「そっか…………」
2人して俯く。
「……胃が痛い」
「……胃が痛い」
2人で同じ言葉を吐き、2人で大きなため息を吐いた。
「最近では例の町の存在も世間に広く知られ始めていて、人族の世では賛否両論だな。魔族と共存するなんてあり得ないっていう主義と、長い戦争に疲弊して戦争が終わるなら何でもいいという中級階層、貧困層の意見に分かれている…………
人族の間ではそんな感じだ」
「うちの魔族も同じようなものだ。あ、あと、出会いがあるなら何でもいいという恋人に飢えた層が新天地を求め例の町に繰り出す、といった感じか」
「あぁ……うちにも多いな、そういう層…………」
思春期に出会いを求めて旅に出る人たちが意外と多い。そして着実に町の規模は大きくなっている。思春期独特の恋愛バカなのだ。いや、仕方ないのかもしれない。人類皆恋愛バカなのかもしれない。
「はぁ~~~…………」
「はぁ~~~…………」
解決案は出なく、ため息しか出ない。
人族と魔族の共存に反対派は現状多く、戦争がすぐに止むということはないのだが、息子たちにとってはそんなことどうでもいいのだろう。つまり、少数派でも共存賛成派の陣営を作れれば、その中で幸せに暮らしていけると考えているに違いない。
そして時間をかけて人族、魔族共存賛成派を増やしていく。自分たちの結婚を旗頭として…………
そしてその作戦は順調にうまくいっているように見える。
止められない流れが出来始めている。
「…………一つ、よろしいですか?」
「ん?」
「ん?」
私の付き人の上級将官が一歩前に出て声を発した。
「軍事力に物を言わせ、その町を滅ぼしてしまうということは出来ないのでしょうか?」
「え?」
「え?」
強硬策?
「理由ならいくらでも付きます。魔族と共謀していることへの国家反逆罪、軍事的な活動の邪魔をする施設の建設、または機密情報を敵に流している疑いだってかけることが出来ます。
町を攻めるにはどんな小さな理由でもいいと思いませんか?」
「いや…………」
「でも…………」
「それは良くないんじゃないか…………?」
私と魔王は頭を抱えながら考える。でもやっぱりそれがいい案には思えなかった。
「何故です?国家の戦意を陥れる存在ですよ、あの町は」
「でもさ……あの町にいる人たちってほとんどが非戦闘員だろ…………?」
「そうそう、軍人や犯罪者の町って言うならいいかもだけど…………普通の町人を国家反逆罪で焼き払うのは…………」
「それに、犯罪っていう程悪いことはしていないしなぁ…………」
「そうそう……殺すっていうのは…………良くないんじゃないのかなぁ…………?」
私と魔王の口から出たのは否定的な意見であった。
なんかこう、あの町を武力で滅ぼしてしまうのは正義に欠けてしまうような気がするのだ。それは魔王も同じのようで、あの町が崩壊するならばそれは意志による崩壊でなくてはならず、力任せな破滅はフェアではないと考えている。
そう、フェアではない。
敵対する魔族が多く住むとはいえ、武力を持たない人たちを武力をもって攻め滅ぼすのはフェアではない。
私も魔王もどうやらそう考えていた。
「そうですか……賛同が得られなくて残念です…………あなた達からは賛同が得られると思ったのですが…………」
そう付き人の上級将官が言った。
「ですが、もうこの作戦は実行されているのです。あなた達の賛同が無くても、もう既に町の侵攻が始まっているでしょう」
「え?」
「え?」
え?何?どういうこと?
「我が国王と大将閣下の許可が下りました。あの町は国家の害意としてまさに今、掃討作戦が行われています。もう半時もせず、あの町には灰の一片も残らないでしょう」
「え?」
「え?」
「ご理解ください、勇者様、魔王殿。全ては平和のため。長い歴史から見ても和解の道はあり得ない。今までも和解の策を取ろうとしてそれが失敗してきたことは歴史が証明しています。
どちらかが滅びるまで戦い続けるしかないのです」
「それは…………」
「その通りなのだが…………」
「そのためにあの町は百害あって一利無し。滅ぼしてしまうのが一番なのです」
「………………」
「………………」
…………理屈は分かる。
500年も続いた戦争だ。当然その間に和解の道を探る動きもあった。
しかしその尽くは失敗し、さらに戦火を広げる結果となってしまった。今までの被害、苦しみ、悲しみはそう簡単に消せはしないのだ。
あの町は大きな火種を抱えている。
今は町中が恋に浮かれているため平和そのものだが、何か一歩間違えばその恋が憎しみに反転することも大いにあり得る。そうした危険性を孕んでいる。
火薬庫が爆発する前に、それを武力をもって取り除く。一理はあると思う。
でも、
でもだ……
滅ぼさなければいけないほどだろうか?
殺さなくてはいけないほどだろうか?
あの町は死罪に値するほど悪いことをしているだろうか?
それは正義なのだろうか?
魔王の顔を盗み見る。
魔王も困っていた。ただ、悩んでいた。
今からでも止めるべきなのだろうか…………
「報告しますっ!」
そんな時、遠方から馬を走らせてきた兵士が大きな叫び声をあげた。連絡用の早馬だ。
「お、丁度結果が出たようですね。良かったですね、お二方。これであなた達の悩み事は解消されましたよ」
「…………」
嫌らしい笑みを浮かべながら上級将官は笑っていた。
「報告しますっ……!報告しますっ……!」
「ははは、そう慌てないで下さい。報告はゆっくりと聞きましょう」
上級将官は馬を降りた連絡係の肩に手を置きながら歌うように陽気に語りかけた。
「細かく細かく状況を説明しなさいね。町がどのように焼けていったか、どのように惨めな抵抗があったか、どのような命乞いがあったか、どんな悔しそうな顔をして魔族が死んでいったか……
細かく、詳しく、楽しく説明しなさいね……」
「―――負けましたっ!」
「…………へ?」
連絡役の方はそう大声を出した。
「―――我が軍は大敗しましたっ!」
「へ?」
「え?」
「え?」
「町に被害はなく、我が軍は敗走中であります…………!」
連絡係の人は苦しそうに大声を出した。
「勇者殿の息子、レイク殿と魔王の娘と他数名の圧倒的な力によって我が軍は壊滅しましたっ!
負傷者多数ですが、死者は0ですっ!軍の戦意は決定的に下がっております!現在、敗走中であります!追手はいませんっ!」
「そ……そんな馬鹿な…………」
「現実ですっ!我が軍は、あの町に完全な敗北をしましたっ…………!」
「う……嘘だ…………」
そう最後に呟いて、上級将官は泡を吐いてビターンと倒れ気絶した。
「…………」
「…………」
私と魔王は顔を見合わせる。
困ったように、笑いながら、眉に皺を寄せながら、疲れながら、弱りながら、迷いながら……
それでも出てて来たのが……
―――ほっ、
としたため息だった。
「…………とにかく魔族と人族の和解はあり得ない。私たちの立場では特にな」
「そうだな。それぞれ種族のリーダーとして、この戦争を全うする義務がある。そうでなくてはこの戦いの中で倒れていった死者の遺志がどうして浮かばれよう……」
「そうだな…………先人の遺志を蔑ろにして……国は成り立たない…………先人の遺した戦いを……完遂しなくてはならない…………」
「……お互い大変だな」
「……そうだな」
そう言って二人して笑った。
疲れ切った笑みを見せていた。
「……あの町、ほんと、どうしよう…………」
「……お互い、バカ息子達には苦労させられるな…………」
「……ほんとにな」
もう1回、2人でため息をついた。大きな大きなため息であった。
「あぁ……胃が痛い…………」
「あぁ……胃が痛い…………」
2人でそう呟いた。
* * * * *
それからというもの、色々やった。
町で魔族の悪評を流してみたり、カップルが別れるよう小細工をしたりもした。
でもどれもこれも愛の力で乗り越えられた。愛とか恋とかってバカみたいな力がある。こっちの小細工などもろともしない。
ほんと、バカみたいな力があるのだ。
人族の領内で魔族排斥派を集めたりもした。
そこで集会を開き、魔族との戦争の意味を改めて再確認した。そして、世間にその考えを訴えかけた。
結果から言って何の意味もの無かった。
あの町は恋をパワーにして成り立っているのだ。歴史とか戦争の意味とかが通じる世界ではないのである。
愛とか恋とかってバカみたいな力がある。ほんと、バカみたいな力があるのだ。
その町に感化されてか、息子の活動に感化されてか、人族領内でも和平を訴えかける声が大きくなっているように感じる。
血みどろの戦争よりも愛や恋などの華やかで煌びやかなものの方が民衆に受けが良いのはよく分かる。
平和のために和平を。
平和のために愛を、恋を、和平を。
最近分からなくなる。
私も確かに平和を願っているのだ。
息子が生まれたときに平和な世を作ろうと願ったのだ。
星に祈りを込め、本当に本気で平和を願っていたのだ。
そしてそれは私の中で魔族を打ち滅ぼすことと同義だった。
長いこと勇者として戦い続けてきたせいか、魔族との戦争でたくさんのものを奪われた。戦友は死に、いくつもの町は攻め落とされ、何回も苦汁を舐めさせられてきた。
長く生きてきた者には魔族への恨みが強く心に沁みついている。
しかしそれは魔族の方も同じなのかもしれない。
「平和な世を作ろう……」
あの日、生まれたばかりの息子を抱いてそう誓った。
魔族を打ち倒し、永遠の平和を掴み取るんだと誓った。
軽く小さく、しかし溢れんばかりの生命力で泣き叫ぶ赤ん坊を抱え、私はこの子のために強く強く平和を願った。
そして今、私はここにいる。
悩んでいる。
悩み続けている。
分からなくなってしまっているのだ。
魔王とはあれから少し手紙をやり取りしている。
お互い困った子供たちに悩み、いくつか意見をやり取りするが結局いつも答えは出ない。
答えは出ないのだ。
今日もまた、例の町の視察をしている。
例の町のカフェで私が雇った悪評流しの様子を見ている。
しかし、箸にも掛からず棒にも掛からず。最近ではこの行動の意味の無さを感じている。
ついため息をついてしまう。
胃がきりきりと痛む。もう、なんのために胃がきりきり痛むのかすら分からなくなっている。
「お困りのようですなぁ……」
不意に声をかけられた。
その人は小柄で小太りの中年男性であった。シルクハットを深く被っており顔がよく見えないが、知らない人であると断言できる。
「あなたは……?」
「もっと端の方の席に行きましょうかね?小声でしたいお話があるんですよ……」
その男は私の耳に口を近づけ、小声でそんなことを話した。促されるままに誰にも話を聞かれない端の方の席へと私たちは移った。
「わたくし……実はこういうものでして…………」
「はぁ……商人……それも武器商人の方ですか……」
シルクハットの男性は名刺を差し出してきて、その素性を知る。
「この町って……おかしいと思いませんか…………?」
「…………」
その男は語りかけてくる。
「戦争中だというのに愛だの恋だのと浮かれ、町を成り立たせようとしている。そんなの違和感で異質で異形そのものです。この町の形は間違っている」
「……あなたは武器商人ですものね。この町がきっかけで和平を結ばれてしまったら戦争が無くなり、そしたら商売あがったりだ。それでは困りますものね」
「ま、そうですねぇ。でも、あなたもこの町に困っているのでしょう?」
にたぁとした嫌らしい笑みを浮かべ私にその大きな顔を近づけてくる。
「あなたはこのカフェから魔族排斥運動を行っている団体をじっとずっと見ていた。この恋に浮かれた町で、あの団体に興味を持ち、じっと見ているのはこの町があると困る人間だ。
あなたもこちら側の人間なのでしょう?戦争が無くなると、困る人間なのでしょう?」
…………こんな会話この町では誰にも聞かせられないな。
「私は…………」
天井を見上げる。
「私は……悩んでいる。
平和のために魔族を打ち滅ぼすことが正しいことだと信じ、平和のため、その一心でただひたすらに剣を振るい戦ってきた。何十年と生きてきた価値観が簡単に変わる筈もなく、背負ってきたものも大きい。その中には死者の遺志も背負っている。
だから戸惑っている。この急激な変化に戸惑っているのだ…………」
そうだ。
簡単に変えられるはずもないのだ。
私も魔王も訳が分からなくなってきはじめているのだ。
何が平和に繋がるのか、何が正しいのか。
生きてきてから揺らぐことのなかった信念が揺らがされているのだ。
「……それだったら猶更、この町を滅ぼさないといけませんねぇ?」
「…………え?」
目の前の武器商人から帰ってきた返事はそんな答えだった。
「だって考えてみてくださいよ。この町がまともだと思いますかぁ?戦争中の種族同士が出会いを求めて恋をする町なんて、まともに機能すると思いますかぁ……?」
「それは……確かに…………」
この町には困難が多く、大きい。それは分かっている。
「今はまだ大丈夫でしょう。でも、もっと規模が大きくなったら?時間がたったら?摩擦や衝突が大きくなったら?何か事件が起きたら?
この町が正常でいられなくなる理由なんて腐るほどありますよ」
「―――――」
「そうなった時、この町は火薬庫となるでしょう。この町を中心に新たな火蓋は切って落とされ、激しい戦場へと様変わりするでしょう。しかも、愛や恋と言ったものをエネルギーにしているこの町は、それが憎しみになった時、より大きなエネルギーへと変化する。
そうなればあなたの言っている平和はより遠ざかりますよ。この町のせいでね…………」
「…………」
確かに彼の言うことは一理ある。
この町はまだ全く安定していない。いや、安定することなんてあるのか疑問にすら感じる。それだけ500年の戦争が抱えた溝は深い筈なのだ。
この町が新たな戦いの火種となることは十分ある。あり得る。
「私は戦争のために……あなたは平和のために……この町を滅ぼしませんかぁ…………?」
「…………手段がない。これでも私は私なりに色々やっている」
「手段ならありますぅ。とても簡単で単純な手段がねぇ…………」
目の前の武器商人が笑った。
悍ましく下品な笑みを浮かべ、私はぎょっとした。
「殺すんですよぉ……」
「…………え?」
「人族が魔族を殺し、魔族が人族を殺せばいいんですよぉ…………
殺しの憎しみは深い。1つの殺しが怒りの渦を作り、恋は消え、愛は崩れ、後は勝手に憎しみが連鎖する。
誰か1人、殺してしまえばいいのですよぉ……」
「まさ……か…………」
わざと殺人を犯させ、種族の溝を浮き彫りにする?
「そ……それは……ダメだろ……やっちゃいけないだろ…………」
「いやぁ?別に?私が計画しなくてもいつか誰かが法を犯しますよ。殺人のない町なんて存在しませんから、つまりこういう問題は遅かれ早かれ起こるんですよ」
「それは……そうだが…………」
事件のない都市など存在しない。
ただこの町はその事件1つで種族の問題が浮き彫りになってしまう程、繊細な事情を抱えている。遅いか早いかの問題。確かに目の前の男の言う通りではある……
「ほら、見てください。大広場を。そろそろですよ……?」
「…………そろそろ?」
「はい、あそこで私が雇った人が魔族の誰かを殺すんですよぉ…………」
「…………!?」
「これで間違いなくこの町は内部から崩壊します。良かったですねぇ」
目を凝らして大広場を見る。
そうだ。あいつだ。大広場のカップル達の中に1人だけ静かで誰にも気づかれない様な殺気を纏っている男性がいる。戦場を長く潜り抜けた者でないと分からないこの異質な感覚。大広場を幸せそうに歩いている者たちでは気付くことが出来ない。
今、誰かが、殺される。
「火薬庫が爆発するなら早い方がいい」
男はそう言った。
「この町が大きくなればなるほど、歪みは大きくなる。その時に爆発が起こってしまったら、誰も抑えきれなくなる。武器商人の私ですら操り切れない大戦火となりかねない」
「―――――」
「これは平和のためなのです。この歪みをいち早く爆発させることが平和への道なのです。遅くなれば遅くなるほど誰にも手が付けられなくなる。
殺人など、いつかは必ず起きる。そしてその時この町の火薬は爆発する。それに耐えることが出来なければ、この町は誰が手を下さなくても崩壊するでしょうねぇ」
そうかもしれない。
目の前の男の言うことは正しい。
この町の歪みはこの町が越えなければならない。その歪みが殺人によって大きくなり、この町に罅を入れ崩壊させるなら、放っておいてもこの町は消えてなくなる。
これは試練なのだろうか。
この町に贈られる試練なのだろうか。
「……動いた」
「……ほう、よく見えますね」
殺気を纏った異質な男が動き出す。カフェと男との距離は遠く、商人の目ではその異様な男の姿は判別できないみたいだ。
その男はポケットに手を突っ込んでいるが、その中の手に握られているのはナイフだろう。
近づいていく。
頬を赤らめ幸せそうなカップルの背後に近づいていく。
「…………」
カップルには何の警戒心もない。
これは試練なのだろう。
この町に贈られる試練なのだろう。
『殺人』という憎しみを超えられなければこの町は戦争の憎しみを超えられない。それでは戦いは止まらず、本当の平和は訪れない。和解の道は困難で、これはその最初の試練なのだろう。
「さぁ……この町が変わりますよ……」
男は近づいていく。武器商人は笑っている。
ゆっくりと、殺意を込めて、幸せな恋人たちの片方の命を引き裂こうとしている。
目をぎらつかせながら近づいていく。
誰かがやらなくてもいつか犯罪は起きる。
だからこれは試練なのだ。この町が乗り越えなければならない試練なのだ。
「………………でも」
男はポケットからナイフを取り出した。
太陽の光がナイフの刃に反射し、銀色の光が一瞬辺りに煌めいた。
そのまま男は勢いよく駆け出し、そのナイフに体重を乗せて……
人の体に突き刺した。
体の肉にナイフが食い込む。血がポタポタと垂れ落ちる。
周囲の者たちがぎょっとする。突然目の前で起こった凶行に頭の中がパニックになる。
狙われた2人の恋人たちも何が起こっているのか分からず、2人して目を見開いていた。
凶行による驚きのせいか、一瞬周囲がしんと静まり返っていた。
犯人の顔でさえも驚きに包まれ、目がただ丸く丸くなっていた。あり得ない、と顔に書いてあった。
腕から血がポタポタと流れる。
傷は浅い。鍛えられた筋肉を傷つけるにはこの殺し屋の力量では力不足だったようだ。
―――男のナイフは私の腕に刺さっていた。
「……え?」
「な………?」
「きゃ……きゃあっ……!」
カフェの中にいる武器商人の顔が見える。その顔には驚愕と理解不能の文字が浮かんでいた。彼の考えていることが手に取るようにわかる。『なんで邪魔をするのか。それ以前に今の今まで目の前にいたのにどうしてもう大広場にいるのか』と言ったところか。
簡単だ。
最近忘れそうになるが、私は人類の中で最強の者に与えられる勇者の称号を背負っているのだ。
この距離くらいなら高速で移動して、人を守り刃を防ぐことなど造作もない。
私は魔族を庇ったのだ。
殺し屋も武器商人も目を見開いて驚いている。
計画の失敗とか、何故邪魔が入ったのかとか考えている余裕などなく、ただただ私の存在、行動に驚きを隠しきれていないようであった。
狙われていた恋人たちも、大広場で刃傷沙汰を見ている人たちもいきなりの出来事に驚きで体を硬直させていたが、その痺れがだんだんと切れ、大声で悲鳴を上げた。
「きゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
大広場がパニックになる。
とりあえずその場を離れようと逃げ出す者、恋人を背に庇い守ろうとする者、殺し屋を抑えようと臨戦態勢に入る者。行動は様々で大広場は荒れた。
そんな中、私は殺し屋と目が合っていた。
驚きで丸くなった殺し屋の目をじっと見ていた。
「お前……一体…………」
お前は一体何者なのか、一体どうやってナイフを防いだのか。
彼のしたかった質問はそのあたりなのだろう。その身のこなしから彼も殺しのプロであることは見て取れる。その彼が十分周りを警戒し、必ず殺せると確信しナイフを振るったのだ。
それが警戒外の場所から人が飛び出て自分のナイフを防ぐ。殺し屋の彼にとってみれば不可解な現象だったのだろう。
お前……一体…………
でも私はその『一体』の別の意味を考えていた。
――― 一体何故、魔族を守ったのか。
そんな意味で『一体』を捉えていた。
私は人族と魔族の共存には反対の立場だ。いや、人族の息子と魔族の娘の結婚に反対の立場なのだ。
それは私の長い戦争経験が私自身にそう訴えかけている。
失ったたくさんの仲間の無念、長い歴史の中での非道な事件、先人たちの苦しみなど、長く生きていると背負うものが多くなっていく。
だから私はこの町の存在に否定的だ。
そして武器商人の言うことにも一理あると思う。
2つの種族の和睦が難しいことは歴史が証明している。
今この町は上手くいっているが、今後どうなるかは分からない。町が大きくなればなるほど、時間が経てば経つほどその歪みは大きくなっていき、誰も制御できない大爆発を起こしてしまうのかもしれない。
平和への道が100年遠ざかるかもしれない。
この町は火薬庫だ。
危険を孕んだ火薬庫だ。
そして、この殺し屋が殺人を起こさなくてもいつか必ず殺人が起こる。
その時にこの火薬庫は爆発するかもしれない。
ならば早めに爆発させるのが正しいのかもしれない。
火薬庫が小さい内に。
それに耐えきれなければ、所詮この町もそれまでの町だったということだ。
「でも…………」
それでも…………
私は殺し屋に微笑みかけた。
「ここで見逃したら……もっと胃が痛くなると思ったんだ…………」
ナイフが刺さったままの右腕を振り、殺し屋の顎を殴る。脳が揺れ、ふらふらとよろけ、一撃で殺し屋は昏倒した。
事件は去った。
大広場はまたしんと静寂に包まれた。
誰も何もわからないまま事件は起き、事件は過ぎ去った。
「あなた……大丈夫ですか…………って、父様っ!?」
騒ぎを聞きつけ駆け付けたのか、バカ息子のレイクが私の傍にやってきた。
傍には魔王の娘のフィーネもいた。
「レイク…………」
「父様、腕から血が……大丈夫でしょうか?」
「かすり傷だ」
私は腕に刺さったナイフを乱暴に抜き、帽子をより深めに被った。
「父様、一体何が起きたのですか?駆け付けたばかりでさっぱりで…………」
「混乱目的の殺人の企てだ。カフェの端に首謀者がいるぞ」
「は、はい……衛兵、その男に任意同行を持ち掛けろ」
レイクが命令すると傍に控えていた衛兵がさっと動いていった。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
そう言えば、このバカ息子と正面から顔を合わせるのは久しぶりかもしれない。
どことなく恥ずかしさがある。今自分が行った行動も相まっているし…………
「……父様まずはお礼を。私の町民を守って頂きありがとうございました。町長として、一個人として、そして父様の息子としてお礼を致します」
そう言って息子は深々と頭を下げた。
綺麗な所作だと思った。バカ息子はいつの間にこんなに大きくなったのだろうか……
「……どうするつもりなんだ?」
「…………はい?」
私は質問をする。
「今回の殺人は私が防いだ。でもいつか必ず殺人は起こる。そうすれば否応なく2つの種族の間に憎しみが膨れ上がる。そうすればここは火薬庫となり、大爆発を起こす。
お前はこの町の設立者として…………平和を願うものとしてどうするつもりなんだ?」
目を見た。
息子の目をじっと見て、答えを待った。
少しの時間がかかった。息子は必死にじっくりと頭の中で自分の言葉を纏めているようだった。
でも、一時も私から目を逸らさなかった。
それを見て、あぁ、息子は大人になったのだな、と私は思った。
「父様……その障害はきっと……きっとこの町は乗り越えて見せます」
「……その根拠は?」
「それは……2つの種族の垣根が薄れていっている気配があるのです…………
始め僕は2つの種族を結びつけるため、2つの種族の間で出会いを生ませようとしました。人族と魔族の恋人を増やし、2つの種族の結びつきが強くなるのでは……僕たちの結婚が有利になるのでは……そう活動を始めていました」
「―――――」
「でも、どうでしょう……分からないかもしれませんが、この町には人族と人族、魔族と魔族のカップルも多くいるのです。2つの種族の垣根が薄く、崩れ始めようとしている…………」
「…………?」
息子の言っていることが一瞬分からなくなる。
人族と人族、魔族と魔族同士でカップルが出来たらこの町の意味がないのではないか?それでは2つの種族が結びつくことはない。
「つまり僕が何を言いたいかというと……種族間の意識が薄くなり始めているんです。
始め僕は人族と魔族のカップルを増やすことを推奨してこの町を作りました。
でもすぐにそんなのは関係なくなって……恋と言うものを制御できなくなって……みんなが自由に恋をし始めました。種族なんて関係なく恋をし始めました……
人族とか、魔族とか、そういうのではなく、個人として、個人として気に入ったから、個人として好きだから交流が育まれ、友情が生まれ、恋が生まれる…………」
「―――――」
「僕は恋の制御に失敗しました。でもそれで良かった……
個人として見るから……そこに種族なんて関係が無くなって…………個人として人を好きになったり嫌いになったり、遊んだり、恋したり、喧嘩したりする…………
種族の間を埋めようと僕は頑張ってきたけど……種族なんて関係無くなってきて……ただ個人として人を見るようになってきた……」
レイクは恋人のフィーネの手を取った。
2人の手がぎゅっと握られる。
「この町はそうなります。そうなるよう、努力します。必ず、成功させてみせます。
最初は生半可な気持ちだったけれど……今では僕の、一生を掛けてやり遂げたい願いになりました……」
「…………そうか」
私はついに息子の目から自分の目を逸らしてしまった。
息子の目は眩しくて、輝いていて、頼もしくなっていて…………嬉しくなったから逸らしてしまった。
「それでも……簡単な道じゃないぞ…………人族と魔族との和睦が何度失敗したか、歴史は知っているな?」
「はい」
「もう一度よく勉強し直しなさい。お前は少し……楽観的なところがあるからな…………」
少し、父親らしいことを言ってみる。
バツが悪くなって深く被った帽子を少し弄り、息子に背を向け歩き始める。しんみりとしてきた目頭を隠すために。
「お義父様っ!」
フィーネに大声で呼び止められ、体がびくりとする。
「また、挨拶に行きます!何度でも、挨拶に行きます!私たちのことを……人族と魔族のことを認めてもらえるようになる、その日までっ!」
一度向けた背を翻すような真似はしない。
でも自分のバカ息子の愛する人が真剣な目でこちらを見ているのが背中越しに伝わってきた。
「……簡単には、認めんぞ」
私にはそれしか言えなかった。
「はいっ!」
「はいっ!」
2人分の元気な声を聞き、私はこの町を後にした。
確かに私の中で何かしらの変化を起こしながら、私はこの町を後にした。
* * * * *
庭に寝転がりながら星を見上げていた。
使用人が整えた綺麗な芝生をベットとし、ただぼぉっときらきら光る美しい星空を見上げていた。
「もう、気が抜けすぎですよ。あなた」
私の頭上から妻の声がして、星空を見上げていた私の視界が妻の顔で塞がれる。
「確かになぁ……分かってはいるんだけどなぁ……」
それでもどうしてもごろごろとしてしまう。やる気が起きない。というよりもやることがあまりに少ない。
「戦争……少なくなってきているしなぁ…………」
勇者としての私の仕事は戦場での活躍だ。
他にも軍の整備、鍛錬、事務作業などの仕事もあるが、やはり最大の仕事は敵の魔族を切り裂くことであった。
でも、今はその戦争自体が少なくなってきている。
無くなったわけではない。
でも戦争は少なくなり、小規模になり始めている。
バカ息子たちの活動はもう既に世に広く広く知れ渡り、人々の心に迷いが生じ始めている。
バカ息子たちの活動が完全に受け入れられたわけではない。ただ、新しい風が人々に迷いを生み、戦いの火が停滞してきている。
停滞してきているのだ。
それだけでもバカ息子たちの活動は大成功なのかもしれない。
そうなると、私のやることが少なくなってしまったのだ。
なんか、こう、なーーーんも、やる気が起きない。
「あなたの気持ちも分かりますが、ほら、さ、立って!次男と三男の結婚相手を見繕ってあげなきゃっ!」
「息子の結婚相手かぁ……上手くいくかなぁ…………」
子供の結婚の見繕いに関しては、もう完全に自信が無くなっている。
……上手くいく気がしないなぁ…………
私は妻に手を引っ張られ、ようやくのろのろと体を起こした。
その時だった。
「父様!母様!」
「お義父様、お義母様、夜分遅くにすみません」
聞き慣れた声がした。
聞き慣れたバカ息子の声がした。
今、あの町で一生懸命頑張っているはずの息子とその恋人の声がした。
「レイク……どうし…………」
どうした?と聞こうとして、ビクッと体が硬直した。
そこに見えたものに驚いて、次の言葉を紡ぐことが出来なかった。
ただただ驚き、体は動きを止めた。
時間が止まったかのようだった。
「レイク……フィーネちゃん…………
その……その子は…………」
「はい、母様……」
「はい、お義母様……」
妻は何とか声を震わせながら言葉を振り絞った。
私と同じものを見て、私と同じように緊張しながら、彼らに声をかけた。
フィーネがとても穏やかな、優しい笑顔を浮かべた。
「―――私たちの子供です」
彼女の腕には小さな小さな赤ん坊が抱きしめられていた。
白い衣に身を包み、何にも染まっていない純白な目でこちらを見て、ぼんやりと口を開けている無垢な赤ん坊がそこにいた。
理解などできていないのだろう。見たことのない祖父、祖母の姿をただぼんやりと見ていた。
「父様、母様……僕たちに……元気な子が生まれました」
「名前はトイエル……昔の言葉で『2つの繋がり』を意味する言葉です」
3人の家族が近づいてくる。
幸せそうな家族が私たちのすぐ傍にやってきた。
「ま……まぁ…………!」
妻はすでに泣いている。
両の目から涙をぽろぽろ零している。
私たちは碌な言葉を紡げなかった。ただ心臓が痛いほどドキドキして、体中が強張って、新たな命への激しい感動の波が私たちの心をどこか遠くに連れていき、体はただ置き去りにされてしまっていた。
「……抱かれますか?」
フィーネが自分の息子を私たちの前に差し出した。
私はただぼんやりとしていて、現状への理解が追い付いていない。というよりも、感情の激流に気持ちの整理がついていない。
「あ……ぐひっ……あなた…………ひぐっ……さ、先に…………どうぞ…………ひえぇん……」
だが、妻は身動きが取れない。
目から溢れ出す涙をハンカチで拭うのに精一杯で、とてもじゃないが他のことをする余裕なんてない。彼女の目からは無尽蔵に涙が溢れ出しているのだ。
「ぁ……あぁ……」
そんな小さな声を出し、フィーネから赤子を受け取った。
震える腕で、落とさないように、力を込めすぎないように、大事に、大事に受け取った。
その子は軽く、そして重い命だった。
今までずっと育ててきた息子が生んだ、新しい命だった。
大きな目が私をじっと見ている。初めて見る顔だということが分かっているのだろうか、その目は徐々に丸く丸くなっていった。
腕から伝わる重みは軽い。
でも、その体温が、脈打つ鼓動がとても熱く感じられた。
赤ん坊がわっと泣きだした。
知らない人に抱きかかえられていることが分かったのだろう。不安からか、大声で泣き出した。
周りの者たちが慌てだす。
フィーネが我が子の大泣きに慌て、おろおろしだす。いつの間に集まったのか、この家の使用人たちも赤ん坊のつんざくような泣き声におろおろと慌てだした。
泣いていた。
目から涙が零れ始めていた。
―――私の目から涙が零れていた。
「平和な世を作ろう……」
私はその子を抱きかかえてそう願った。
それは祈りにも似た思いだった。
「平和な世を……」
人族と魔族の血が混じった私の大切な孫が大声で泣いていた。
一生懸命生きていた。
それを見て、涙が止まらなかった。
今までの歴史とか、無念とか、怒りとか、憎しみとか……色々と背負ってきて、たくさんの難しいことを考え続けてきた。
私には難しすぎて答えが出なかった。
でも、ただ……ただ……いま私の腕の中に抱かれている子に平和を届けたい。
人族と魔族の血が混じったこの子に、平和を…………
赤ん坊を抱き、新たな家族に囲まれ、今や増えに増えた5人の家族で星を見上げた。
祈るように星を見上げた。
平和を願い、星を見上げた…………
* * * * *
「……魔王には…………魔王にはもうこのことは知らせたのか?」
夕食の後、私は新婚の2人にそう聞いた。
「いえ、パパ……お父様にはまだ伝えていません。驚かせたいから、これから直接見せに行こうかと」
「そうか……それなら、少し待ってなさい……ちょっと予定を変えてくれないか?」
そう言ってその場を離れ、自室に入った。
そして筆をとった。
魔王とももう少なくない回数、手紙をやり取りしている。
『魔王へ
元気か?久しぶりだな。
見せたいものがあるんだ。例の町に来ないか?
きっと驚くぞ。びっくりして腰を抜かすぞ。
絶対来いよな。妻も連れて来いよな。
驚きで、世界がひっくり返ってしまうから……
勇者より』
そんな短い文章を魔王に送り付けた。
孫の姿に目を見開いて動けなくなる魔王の姿を想像して、私は笑った。
静かに、平和の匂いを微かに感じながら、私は笑った。
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