巣空鳶辰郎氏の植物との会話ワークショップ 第二回
第二回 葉っぱの裏側
「シフ、ちょっといいかな」
朝食のあと、巣空鳶辰郎氏は
娘のシフに声をかけた。
「なあに、パパ?」
「日曜日のワークショップなんだけどね」
「ええ」
「少し困ったことがあって」
……。
巣空鳶辰郎氏が植物のことで困るなんて
珍しい。
「どうしたの?」
「参加者の皆さんが
植物の声を聞こうとしてくれるのはいいんだけどね」
「うん」
「どうも最近、植物に話しかける方が多くて
観察する方が少ないんだよ」
……。
シフは、ちょっと笑った。
「それは、パパが
植物との会話ワークショップなんて名前を
つけたからじゃない?」
「そうかなあ」
「そうよ」
鳶辰郎氏は、しばらく考えた。
「じゃあ、次は植物の方から何を伝えているのか
じっくり見てもらおうかな」
「いいんじゃない?」
「葉っぱの裏側なんか、面白いと思うんだよ」
「裏側?」
「そう。普段あまり見ないだろう?」
……。
シフは、温室の方を見た。
葉っぱの裏側。
……。
そういえば。
あのおばあちゃんも
最近やたらと鉢植えを持ち上げて
裏側ばかり見ていた。
*
日曜日。
巣空邸の温室には、八人の参加者が集まった。
前回も来ていた小学生の男の子。
園芸好きのおじさん。
年配の女性。
それから、新しい参加者が五人。
僕とミルも、今回はお手伝いに来ていた。
「皆さん、こんにちは!」
鳶辰郎さんが、にこにこしている。
「今日は、植物の裏側を見てみましょう」
……。
裏側?
「先生!」
小学生の男の子が手を挙げた。
「はい」
「植物にも裏の顔があるんですか?」
……。
……。
みんな、思わず吹き出しそうになった。
鳶辰郎さんは、真面目に答えた。
「あると言えば、ありますよ」
「ええっ!」
「葉の表側と裏側では
色も手触りも違うことがありますからね」
「へえ!」
「今日は、そういう小さな違いを探してみましょう」
……。
なるほど。
植物の裏の顔。
なんだか、面白そうだ。
*
参加者たちは、それぞれ鉢植えを選んだ。
ミルは、葉っぱの丸い観葉植物。
僕は、細長い葉の植物。
男の子は、またサボテンを選んでいた。
「先生!」
「はい」
「このサボテン、裏がありません!」
……。
……。
鳶辰郎さんは、少し考えた。
「そうですねえ。サボテンの種類によっては
葉が棘になっていますから」
「じゃあ、どこを見るんですか?」
「表面の棘や、その付け根を観察してみましょう」
「わかった!」
……。
鳶辰郎先生。
うまいなあ。
*
「ねえ、ソレイユ」
ミルが呼んだ。
「何?」
「これ、見て!」
ミルは、葉の裏をそっとこちらへ向けた。
「表より色が薄いでしょう?」
「本当だ」
「それに、筋がきれい!」
……。
ミルは、嬉しそうだった。
僕も、自分の植物を見た。
細い葉脈。
小さな点。
光の透けるところ。
……。
いつも見ている葉っぱなのに
なんだか知らないものを見ているみたいだった。
*
「皆さまー!」
……。
……。
あ。
また、あの声だ。
おばあちゃんが、温室の入口に現れた。
「今日は皆さま、何をなさっているんですの?」
「葉っぱの裏側を調べてるんです!」
ミルが答えた。
「まあ!」
おばあちゃんの目が輝いた。
「それは面白そうですこと!」
……。
……。
この人。
何でも面白がるんだなあ。
「私もお手伝いしてよろしいかしら?」
「もちろんですよ」
鳶辰郎さんが答えた。
「では、こちらの鉢を運びましょうか?」
「ありがとうございます」
「それから、奥の棚の鉢も」
「ええ、お願いします」
「ついでに棚の下も……」
「おばあちゃん」
……。
シフだった。
いつの間にか、温室に来ていた。
「はい、シフお嬢様」
「今日は、植物の観察会よ」
「ええ」
「お掃除は、あとにしましょうね」
……。
おばあちゃんは、少し考えた。
「……まあ、そうですわねえ」
……。
あっさり引き下がった。
……。
シフ、すごい。
*
しばらくすると、参加者の一人が声を上げた。
「先生! これ、何でしょう?」
……。
見ると、葉の裏に小さな白い粒がついていた。
「虫の卵でしょうか?」
鳶辰郎さんは、拡大鏡を取り出した。
「どれどれ」
……。
しばらく観察する。
「これは、植物自体の組織のようですね」
「へえ!」
「葉の裏には、こういう
小さな構造が見られるものもあるんですよ」
……。
鳶辰郎さんは、嬉しそうだった。
……。
その時。
「まあ、こちらにも!」
おばあちゃんが声を上げた。
……。
……。
また?
「何がですか?」
僕が尋ねると、おばあちゃんは
小さな鉢を持ち上げた。
「ほら、葉っぱの裏に、かわいい模様が」
……。
僕たちは、鉢を覗き込んだ。
……。
小さな点が、いくつも並んでいる。
……。
……。
「あれ?」
ミルが言った。
「何かに似てない?」
……。
僕も、そう思った。
小さな点。
細い線。
少しずつずれた並び。
……。
どこかで見たような。
「……チロリアンテープ?」
僕が呟くと、ミルが顔を上げた。
「そうそう!」
……。
……。
え?
*
「どれ、見せてごらん」
鳶辰郎さんが近づいた。
葉の裏を、じっと見る。
「ふうん」
……。
「これ、何ですか?」
僕が尋ねると、鳶辰郎さんは少し考えた。
「まず、葉そのものの模様なのか
何かが付着しているのかを調べないといけませんね」
「……」
「それに、葉脈との位置関係も見ておきたい」
……。
鳶辰郎さん。
さすがだ。
……。
その時。
「まあまあ!」
おばあちゃんが、嬉しそうに言った。
「さすが鳶辰郎さま!」
「いやいや」
「細かなところまで、よくご覧になりますのねえ」
……。
……。
僕は、何となくおばあちゃんを見た。
……。
この人。
セイジにも同じようなことを言ってなかったっけ。
褒めて伸ばすのが上手いような気がする。
*
「ところで」
シフが、静かに尋ねた。
「おばあちゃん、その鉢はどこにあったの?」
「あら?」
「さっき、持ってきたでしょう?」
「ええ」
「どこから?」
「奥の棚でございます」
……。
……。
シフの顔が、少し変わった。
「どの棚?」
「昨日お掃除したところですわ」
「……」
「ほら、床に段差がある辺りの」
……。
……。
シフは、黙った。
僕は、何が気になるのかわからなかった。
「それ、いつからそこにあったの?」
シフが尋ねた。
「さあ」
おばあちゃんは、首を傾げた。
「ずいぶん前からではないでしょうか」
「……」
「でも、昨日は少し場所を変えましたのよ」
……。
……。
「どうして?」
「お掃除の邪魔になりましたので」
……。
……。
シフは、目を細めた。
「……そう」
*
その後も、観察会は続いた。
葉の色。
葉脈の形。
茎のつき方。
同じ植物でも、古い葉と新しい葉で
違うところがある。
……。
僕は、思っていたよりずっと面白かった。
ミルも、楽しそうに記録していた。
小学生の男の子は、サボテンの棘を数えていた。
「先生!」
「はい」
「これ、百本以上あります!」
「ほう!」
「途中でわからなくなりました!」
……。
……。
それは、そうだろうなあ。
*
最後に、鳶辰郎さんが言った。
「皆さん、今日は何か発見がありましたか?」
「はーい!」
男の子が手を挙げた。
「サボテンの棘は、数えるのが大変です!」
……。
……。
鳶辰郎さんは、にっこり笑った。
「それも、立派な発見ですね」
……。
優しい先生だなあ。
褒めて伸ばす。
「皆さんも、植物を見て
不思議に思ったことがあれば
まずはよく観察してみてください」
……。
「すぐに答えが出なくても、構いません」
……。
「何度も見ているうちに
少しずつわかることもありますから」
*
ワークショップが終わってから。
「おばあちゃん」
シフが呼んだ。
「はい、シフお嬢様」
「さっきの鉢、もう一度見たいの。
持ってきてくれる?」
「もちろんでございます」
「ありがとう」
……。
シフは、鉢を受け取った。
葉の裏を、もう一度見る。
小さな点。
細い線。
……。
確かに、模様がある。
……。
シフは、何かを確かめるように葉を光に透かした。
「……」
……。
その時。
「シフお嬢様」
「なあに?」
「その鉢がお気に召しましたの?」
「ええ。とても」
「それはよかった」
……。
おばあちゃんは、にっこり笑った。
「では、しばらくお部屋に置いておかれては?」
……。
……。
シフは、顔を上げた。
「……そうね」
「鳶辰郎さまにお尋ねしてみましょう」
*
その夜。
巣空邸の二階。
シフは、机の上に小さな鉢を置いた。
父の鳶辰郎氏が、快く貸してくれたのだ。
「気になるのなら、何日か観察してごらん」
そう言って。
……。
シフは、葉の裏を撮影した。
一枚。
二枚。
三枚。
……。
画像を拡大する。
点の並び。
細い線。
……。
思い当たることと言えば。
……。
あのチロリアンテープ。
そして、セイジが見つけた模様のずれ。
……。
でも。
これは植物の葉だ。
織物じゃない。
……。
シフは、画像を保存した。
……。
それから、机に置いた端末を開いた。
……。
しばらく考えて。
もう一度、鉢を見た。
「……」
……。
その時だった。
とんとん。
扉を叩く音。
「シフお嬢様?」
……。
おばあちゃんだった。
「なあに?」
「お茶をお持ちしましたの」
「ありがとう。入って」
「かしこまりました」
……。
扉が開いた。
おばあちゃんは、運んできたお茶を
部屋のテーブルに置いた。
……。
そして、シフの机の上の鉢を見た。
「まあ」
「……」
「さっそく調べていらっしゃるんですねえ」
「ええ」
「熱心でいらっしゃること」
……。
シフは、おばあちゃんを見た。
「おばあちゃん」
「はい?」
「これを部屋に置いて調べることを
どうして私に勧めたの?」
……。
おばあちゃんは、少し考えた。
「……」
……。
そして。
「まあ、シフお嬢様」
にっこり笑った。
「じっくりお調べになりたそうでしたもの」
……。
……。
シフは、黙った。
……。
この人。
本当に、何を……。
*
翌朝。
巣空鳶辰郎氏は、温室で植物の世話をしていた。
「おや?」
昨日、棚から移した鉢の跡を見つけた。
丸い跡。
少し湿った床。
……。
「ああ、そうだった」
シフに貸したんだったな。
鳶辰郎氏は、にこにこと笑った。
「ずいぶん熱心に観察しているようだねえ」
……。
その時。
「鳶辰郎さま」
おばあちゃんが、温室へやってきた。
「おや、おはようございます」
「おはようございます」
「今日は、こちらのお棚の下を
もう一度お掃除したいと思いまして」
「おや、もう一度ですか。
いつも丁寧なお掃除をありがとう」
「いえいえ」
おばあちゃんは、にっこり笑った。
「少し、棚を動かしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
……。
おばあちゃんの顔が、ぱっと明るくなった。
「まあ! ありがとうございます!」
「ただし」
……。
「はい?」
「先に、そちらの蔓植物を
支柱から外していただけますか?」
「……はい?」
「根や茎を傷めないように
ゆっくりお願いしますね」
「……」
「ああ、それから
こちらの鉢も全部移していただきたいんです」
「……全部でございますか?」
「ええ。棚を動かすなら、そうですねえ」
鳶辰郎氏は、鉢を指さして数えた。
「一、二、三……」
……。
「二十七鉢ですね」
……。
……。
「まあ」
おばあちゃんは、微笑んだ。
……。
ちょっとだけ、口元が引きつっていた。
*
それから一時間後。
おばあちゃんは、ようやく最後の鉢を移し終えた。
棚を少しずらす。
……。
その奥。
壁と床の境目に、細い管のようなものが見えた。
……。
「……まあ」
おばあちゃんは、しゃがみ込んだ。
管は、床の隙間へ続いている。
普通の水道管にしては、妙な位置だった。
……。
おばあちゃんは、そっと指を伸ばした。
……。
「おばあちゃん!」
……。
シフの声。
「はい、シフお嬢様!」
……。
「何してるの?」
「お掃除でございます」
「……そこ?」
「ええ」
「そこは、もういいわ」
「でも、まだ少し……」
「大丈夫」
……。
……。
おばあちゃんは、にっこり笑った。
「かしこまりました」
……。
立ち上がる。
……。
管は、まだ床の下へ続いていた。
……。
あと少しだったのに。
*
「鳶辰郎さま」
おばあちゃんが声をかけた。
「はい?」
「こちらのお棚は、明日もう一度
動かしてもよろしいでしょうか?」
「ええ、構いませんよ」
……。
「ただし」
……。
……。
「はい?」
「移した鉢を、全部元に戻してからに
してくださいね」
……。
……。
「……全部でございますか?」
「ええ。植物には、それぞれ
ちょうどいい置き場所がありますから」
……。
……。
おばあちゃんは、棚を見た。
二十七鉢を見た。
……。
床の下へ消える管を見た。
……。
「……そうでございますねえ」
……。
巣空鳶辰郎氏。
今日も、植物のことで明け暮れる予定である。
……。
おばあちゃんも、である。




