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下町の魔法屋『霧の魔女堂』  作者: あどん


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花見と団子と千年桜

――春、というにはまだ少し早い日だった。


「花見をしましょう」


唐突に、アリシアがそんなことを言い出した。


「……は?」


吾輩――アルカポウネは、カウンターの特等席で丸くなったまま、片目だけ開ける。


「花見、じゃと?」

「ええ」


当たり前のように頷くアリシアの横で、ミーアがぱあっと顔を輝かせた。


「おはなみ! なあにそれ、美味しいの?」

「おいしいわよ。ふふ、ルナも行くわよね?」


足元で白銀の毛並みを揺らすルナが、主人の声に応えて「キュイ!」と短く鳴く。

やれやれ。お主ら、花見が何かも知らんくせに、アリシアが「行く」と言えば何でもめでたいのか。


「まだ寒いじゃろうに」


外はようやく雪解けが進み始めたばかり。花など咲く気配すらない。


「向こうに行けば、ちょうどいいんじゃない?」


にこり、とアリシアは笑った。


――ああ、“向こう”か。


やれやれ。また面倒なことを言い出しおって。


吾輩が舌打ちする間もなく、アリシアは厨房へ向かう。もちろん、これから始まるのは恒例の菓子作りだ。


アリシアが持ち出したのは米の粉。東方由来の食材「もち米」をすり潰した粉だという。それにぬるま湯を加え、耳たぶほどの柔らかさまで捏ねる。


ミーアも興奮気味に手伝い始める。服についた粉が頬についても気づかぬほど夢中だ。


「はい、ミーア。丸めてごらんなさい」

「こう?」


ミーアの小さな手が真っ白になりながら、こね、ちぎり、ぎこちなく丸める。形はいびつだが、それがまたよい。


「上手い上手い。さあ、茹でるわよー」


沸騰した鍋の中で、白い玉がぷかぷかと浮かび上がってくる。それを見つめるミーアの瞳は、まるで宝物を見つけた冒険者のようだ。ルナも興味深そうに覗き込み、鼻をひくひくさせている。


やがて、浮かび上がったそれを串に刺せば――


「団子よ」


つるりとした白い玉が並ぶ。


「いただきます!」


ミーアは我慢できず、一口かじった。


「美味しい!!」


頬を膨らませるミーアに、アリシアは満足げに微笑む。


「ええ、そのままでも十分美味しいわね。でも……少し魔法を足しましょうか」


取り出されたのは風変わりな瓶。甘辛い醤油のタレ、香ばしい胡桃の粉、春の香りがする桜葉の塩漬け。


団子の上でそれらが重なるたび、台所は抗いがたい幸福な香りに満ちていく。


「味を変えると、もっと楽しいわよ」

「わあ……!」


ルナもすっかり“食べる気”だ。


やれやれ。花見より団子の方が主目的ではないか?


「じゃあ、行こうかしら。アル、お願いね」

「やれやれ、吾輩がやるのか」


文句を言いつつ、吾輩は庭へと降りた。


そこにあるのは、古びた木の扉。どこにも繋がっていない、ただの飾りにしか見えぬ代物。


――だが。


そこに魔力を流し込めば、話は別じゃ。

ぎぃ、と軋む音を立て、扉が震える。

その隙間に、アリシアの詠唱が重なる。


空間が――ほどける。


次の瞬間。扉の向こうに広がっていたのは、空を覆い尽くすほどの枝を広げた、一本の大樹。


「うわぁぁー! 綺麗!!」


ミーアが歓声を上げる。


淡い桃色の花が風に揺れ、ひらひらと舞い落ちる。


――千年桜。


時を越え、咲き続ける春の象徴じゃ。ルナは嬉しそうに駆け出し、花びらを追う。ミーアも負けじと走り出した。


「待ってー!」


やれやれ。風情を理解するには、まだ早いようじゃな。

アリシアは敷物を広げ、腰を下ろす。団子と湯呑みを並べれば、即席のお花見の完成だ。


「さあ、召し上がれ」

「わーい!」


団子を頬張りながら湯呑みを受け取ったミーアは、一口飲んで首を傾げた。


「なんか……変わった味がする」


初めての緑茶の渋みに、少しだけ眉を寄せる。ルナも一口舐めて、同じように首を傾げた。


「クロちゃんは飲まないの?」

「猫に熱いお茶を飲ませるな。冷ましてからじゃ」

「お団子と合うのよ。口の中を春の風で洗うようなものね」


アリシアが優雅に湯呑みを傾ける。確かに、この苦味があるからこそ、団子の甘みが引き立つ。


「ほんとだ!」


すぐ団子に戻るあたり、現金なものじゃ。

やがて満腹になると、ミーアは遊び始めた。舞い落ちる花びらを、夢中で集めている。


「見て! いっぱい集めた!」


両手いっぱいの花びら。


「お姉ちゃんに見せるの!」


フン。そんなに持って帰っても、すぐに萎びて茶色くなるだけじゃろう。


「そうね。じゃあ、こうしましょうか」


アリシアは花びらにそっと手をかざす。


「――《時の揺籃にて永遠に眠れ。干すのではなく、抱くように》(エターナル・ブロッサム・エンヴェイルメント)」


淡い光が花びらを包み込む。気づけばそこには、瑞々しさを残したまま、軽やかに形を保った桜があった。


「これでよし」

「えっと……何をしたの?」

「簡単な保存魔法よ。水分をほどよく抜いて、腐敗を防ぐの」


ふん。ただ乾燥させるだけの魔法のくせに、大層な詠唱じゃ。


「これで長く持つわよ」

「わーい! どのくらい持つの?」

「そうね……一年くらいかしらね」


「じゃあ――!」


ミーアが満面の笑みでアリシアの裾を掴む。


「一年経ったら、またお花見しようね!」


その言葉に、アリシアは優しく頷いた。


「ええ、約束ね」


……まったく。一年後のことなど、気軽に言うものじゃ。


だが――


やれやれ。たまにはこんな日があってもよかろう。


……なに? 振り返れば、こんな日しかない、じゃと?


まったく、魔女堂の日常というやつは。


ありきたりで――退屈する暇もないわい。


吾輩は桜の根元で丸くなり、春の微睡みへと落ちていった。

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