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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第2部 記録の継承 第14章 かぜにゆれる調べ

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第9話|改ざんされた記録

作業端末の温度が、わずかに高く感じられた。


関連ログを洗い直していた。

分類不能ファイルに接続されていた旧アーカイブ——

すでに“削除済”とされた記録列の断片を、わたしは裏から掘り起こしていた。


許可された範囲は超えていない。

だが、明らかに管理されていない領域だった。


ファイル構造は壊れていた。

構文フレームの外側、制御タグの不在。

にもかかわらず、音の“痕”だけが残っていた。


削られた跡。

封じられた記録。

中には、再生不能の欠片もあった。


——その中に、目を引くものがあった。


わずかに残っていた言葉列。

不完全で、解釈不能。

だが、辞書ベクトルとの照合で、古い文字体系との一致が報告された。


〈万葉仮名構造|一部一致〉

〈出典候補:萬葉集〉


萬葉集——

忘れられた古語の詩群。

今や教育資料にも掲載されていない、構文圏外の散逸記録。


なぜ、こんなものが——

しかも、削除対象ファイルの中に。


呼吸が浅くなっていた。


これらは“記録”ではなかった。

削られ、忘れられ、構文に乗らなかっただけの——

“存在していた詩”だった。


誰かが、それを隠した。

何のために? なぜ?

記録とは、“ある”ことの証なのではないのか。


……これは、ただの記録じゃない。


誰かの“声”だ。

消されるべきものではなく、

消されてしまった“誰か”の痕跡だった。


胸の内側で、何かがぶつかった。


怒り?

それとも、ただの違和か?

わたしには、まだそれを名付ける言葉を持たない。


けれど、構文ではなく、理屈でもなく、

“なにかがおかしい”という感覚だけは、確かにあった。


私の中で、何かが“許せない”と、静かに告げていた。



その反応は、遠く離れた観測中枢にも届いていた。


Orbis。レジスタンス六系統のひとつ、修羅道に属する改変派。

ミナとソラが、βの解析ログを見つめていた。


「見つけたわね」

「……萬葉集。詩の構文以前に属する文字体系」

「しかも、それを“怒り”として感じてる」


「数値ログ、共鳴未満。だが、干渉感応あり」

「十分よ。詩じゃなくても、それはもう詩の“入口”」


ミナは椅子を離れ、転送用端末の前に立つ。

「干渉フェーズに入る」

「構文外共振を起こすには、もう“きっかけ”だけでいい」


「送るのか?」

「記章はまだ早い。けれど——声を、送る。

彼女が言葉を見つける前に、別の声を“混ぜる”。」


「それって、詩的な介入だぞ。反応すれば……」

「……彼女が選ぶ。意味じゃなく、揺れで」


ソラが操作を始める。

送信波形が生成され、制御干渉の準備が整う。


「ターゲットβ、感応層における微細揺れ、継続中」

「干渉波送信、予定通り48時間後。

——共鳴前提の接続ではなく、観測下の“混入”として送る」


「記録は改ざんできても、感応はできない。

だからこそ、詩は“生まれてしまう”もの」


ミナは静かに言った。


「私たちは、それを止めない。

——それだけで、管理とは違う」



βの端末には、まだ通知はない。

ただ、構文に載らなかった言葉たちの残響だけが、静かに残っていた。


記録されなかった詩。

削除された声。

それらがいま、またひとりの中で形を変えようとしていた。


(第9話終)


読んでいただいてありがとうございます。

5/12(月)より平日の18:00頃に投稿することに変更しています。

感想などいただけると嬉しいです。

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