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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第2部 記録の継承 第13章 わすれられぬ声

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第1話 記録の狭間に潜むもの

【Refrain観測ログ|機密区画A-12】

——感情制御社会に対する干渉には、“渇望・瞋恚・無知”の三因が必要。

それは、制御されざる“衝動”の純粋形態である。

現在、対象αに“むさぼり”の微弱反応を検知。

タグ:感応候補。

詩的共鳴の誘導実験、段階1を開始する。


……“三毒ピース”のことを、私はジンから聞いた。Refrainの観測統括者。

任務開始前、極秘の地下回廊で、彼は私に語った。


「イオ。君に頼みたいのは、単なる潜入ではない。記録できない“衝動”を、その目で見つけてきてほしい。BUDDAの制御外にある感情。特に、“三毒”の兆しを持つ者を——」


その声は静かだったが、その内側にある確信が、空気を震わせた。


「三毒。むさぼりいかりまどい

この三つは、人間の本質そのものだ。BUDDAはこれを定義も分類もできない。なぜなら、それは“意味”ではなく、“衝動”だからだ。

……もしも純度の高い三毒の発露が同時に現れたとき、記録構造は、間違いなく揺らぐ」


私は息を潜めていた。


「我々レジスタンスには、六つの系統がある。これを『六道りくどう』と呼んでいるが、それぞれの抵抗の形は異なる。

Refrain——理性と記憶を継ぐ者。

Orbis——記録を壊し、書き換える者たち。

Limina——境界の夢と沈黙を扱う観測者たち。

Novaは空間そのものを詩で編み直し、Hollowは欠落と孤独を祈りに変える。

Fall……奴らは破壊と絶望そのものを詩にする。制御不能な危険因子だ」


それぞれの詩には、それぞれの方法がある。

けれど、目的は一つだった。


「——BUDDAの絶対制御を揺るがすこと」


ジンは言葉を区切ってから、続けた。


「君の識別データは、Orbisのミナが書き換えた。観測員I-09としての記録は、本体ネットにも通っている。

Liminaの干渉詩も、お前の精神波形に重ねた。過剰な共鳴が起きても、沈静化できる」


「Refrainは記憶の詩を扱う。だが詩は、構造と無意識をまたぐ。

そのためには他系統の協力が不可欠だ。これは“六道すべて”で挑む戦いだ」


「君の震えが、“誰か”を目覚めさせるかもしれない。だから、行ってくれ」



記録管理施設・第3層地下区画。

塔域の奥深くに沈んだその階層は、地上からの光も熱も届かない。

空調は循環気流によって整備され、匂いも音も抑制されている。人工照明は最低限。防音処理された廊下には、誰かの足音すら吸収されて消えていた。

この空間に、偶発性はない。

すべてが、定常であり、静謐である。


イオはそこにいた。

記録上の任務名は、“特別観測員”。

社会全体の感情・行動・発言を記録するBUDDAの構文定義に照らし、逸脱した文字列や非構文語句を検出し、報告する役割。

といっても、その多くは意味をなさない断片だ。

たとえば韻律の欠けた詩形、文法的解釈の不能な古語、あるいは発話者不明の独白。

それらは、記録されても“ノイズ”として処理されるだけだった。


イオの背後には、脳内ユニット・カナエの声が流れていた。

「午前09時08分。ラインB-7端末、定時検査開始を確認しました」

「本日の処理対象:構文未定義データ3件。エラー予測閾値、標準域です」


彼女は無言で歩いた。

この任務が“表向きの監視”ではないことは知っていた。彼女はただの技術者ではなかった。ほんのわずかでも、予測不能な共鳴や逸脱に反応できる、選別された個体。

施設の最奥、古い壁面に埋め込まれたユニットのひとつに、イオは左手をそっとかざす。

表面はわずかにぬるく、そこは感情制御干渉域に隣接する特殊処理区画だった。

ここでは、ときおり“意味をもたない震え”が現れることがあった。


静かだった。

端末が内部でデータの並び替えを行う間、イオの耳の奥には何も届かないはずだった。


——なのに、そこに“誰かの声”があった。


最初は錯覚かと思った。

空調の漏れ、微弱な周波数、過去記録の誤再生。

だがそれは、どの分類にも当てはまらなかった。

意味はなかった。言葉でもなかった。

けれど、確かに“触れられた”感触が、耳の奥に残っていた。


彼女は思わず、数歩後ずさる。

装置の表面は変わらず静かに脈打っていた。

記録ログを確認する。——何もない。

再生履歴も、感情パラメータも、すべて正常。

なのに、耳の奥だけが、妙に温かい。


カナエの声がまた響いた。

「身体反応に異常はありません。記録ログを保持します」


イオは、手を静かに引いた。

何も語らず、何も報告しなかった。

だがその“声”は、確かに彼女の中に——残っていた。

それは記録されなかった。

再生もされなかった。

にもかかわらず、存在していた。


彼女の呼吸が、ほんのわずかに、乱れていた。




(第1話終)

読んでいただいてありがとうございます。

5/12(月)より平日の18:00頃に投稿することに変更しています。

感想などいただけると嬉しいです。

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