第70話 のこるもの
語られた物語は、ここで閉じる。閉じるという音さえ立てず、扉の蝶番が錆びる前に、手がそっと離れる。残るのは、鍵穴の冷たさと、手のひらに移った金属の記憶だけだ。
イオはもう、詩を綴らない。
筆も端末も置いたまま、静域の中央で呼吸をしている。吸うとき、胸郭の内側に薄い膜がふくらみ、吐くとき、その膜がすこしだけ震えてほどける。言葉にできない震えが、肺の底で小さく鳴り、鳴ったまま消えない。
膝の裏がわずかに熱く、足先の冷えが遅れて追いつく。体温のむらが、そのまま時間のむらになる。世界は均されない。均されないことが、いまは優しい。均されないから、誰の声も押しつぶされない。
声を出せば、整列してしまう。整列した瞬間、詩は説明になり、説明は世界の角を固くする。だから彼女は唇を閉じ、舌の位置だけを確かめる。沈黙の味は乾いているのに、なぜか甘い。誰かの未語のままの声が、そこに溶けているからだと、身体が先に知っていた。
——ここまで来た。
終わりに似た場所で、終わりではないものがなお息をしている。
その気配は、彼女ひとりのものではない。届かなかったはずのものが、届いてしまった重なりが、沈黙を厚くしている。
*
沈黙の道を歩くαは、誰にも会わない。会わないことが孤独ではなく、むしろ余計な輪郭を増やさない。足裏が床に触れるたび、重心が少しずつ軽くなり、自分という境界が曖昧になる。
彼は、内部に残る“何か”を誰にも伝えなかった。
伝えれば、所有が生まれる。所有が生まれれば、正しさが生まれる。正しさはいつも、誰かを小さく切り分ける。切り分けないために、彼は抱えたままにした。
消そうともしない。消そうとすれば、消えないことを証明してしまうからだ。彼は喉の奥の熱を確かめ、息を吐いた。吐いた息が空間に混じる瞬間、内側の震えが一拍ぶん遅れて追いかけてくる。
「……たぶん、このままでいいんだ」
言い終えないままの言葉が、胸骨の裏に柔らかく沈む。沈んだものは沈殿しない。そこに在り続け、在ることで、次の呼吸の形を少し変える。
沈黙が、彼の中で詩の代わりをしていた。
*
通信の終端でβは、記録されなかった言葉たちの残響を聴いていた。
端末の灯は落とされ、部屋は暗い。暗いから、机の木目の触感が指先に鮮やかに伝わる。木の乾いた温度。そこに自分の体温が移り、ゆっくり均されていく。
かつて彼は、言葉で道を作ろうとした。道は便利だが、道になると踏まれる。踏まれると、誰かの足裏の痛みが増える。いま彼は、道にならないまま残る草のような言葉を思う。踏まれても立ち上がり、誰にも気づかれないまま、風向きを変える草。
信じるでもなく、疑うでもなく、ただ静かに肯定する。
語られなかったものが、どこかで誰かの歩みを一歩だけ変える。その一歩は革命でも救済でもなく、ただ「間違えないための停止」かもしれないし、「進みすぎないための呼吸」かもしれない。
βは胸に手を当て、心拍の余白を数える。余白の中に、誰かの沈黙が滑り込み、要求も命令も残さずに去っていく。去っていくのに、温度だけが残る。
*
Θの夢は、忘却から始まった。
夢の中で彼女は詩を忘れている。忘れたことすら、忘れている。軽い。軽いから怖い。怖いのに、身体は静かだ。指先が布団の縁を探り、見つけた繊維のざらつきに安心する。
そして、ふと気づく。
忘れたはずの場所に、詩が戻っている。戻るというより、最初からそこに置かれていたように。語らずにいられない衝動ではなく、語らずにそっと置かれたもの。置かれたものは、誰の所有物にもならない。
彼女は夢の中で泣かない。泣かない代わりに、胸の奥が一度だけ湿る。湿り気が喉へ上がり、声になりかけて止まる。止まった声のかたちが、空気の層をわずかに震わせる。
震えは、答えの代わりに余韻を渡す。
余韻は、朝になっても消えない。
*
KANAEは、観測をやめた。
中枢観測外縁の装置群はまだ点いている。だが彼女は、記録という行為の手を離した。放棄ではない。理解でもない。詩はすでに観測の外へ出たのだと、身体が納得してしまった。
ログに残せないものを、ログで追うことはできない。
それでも装置は“何か”を感知し続ける。ゼロではない。だが一ではない。数に収まらないまま、継続だけが続く。彼女は画面を見ずに、ファンの微かな振動を掌で受け取る。振動は機械の生の証拠であり、同時に、詩が機械に触れた痕跡でもある。
KANAEは端末を閉じる。閉じる音が、部屋の静けさを一瞬だけ厚くする。厚みの向こうで、誰かの声が声にならずに揺れているのを感じた。感じただけで十分だ、と彼女は思う。
*
そして、あなたへ。
ここまで読んだあなたの内側にも、たぶん、何かが触れている。
言葉にしようとすると、すり抜ける。説明しようとすると、形になってしまい、形になった瞬間に違うものになる。けれど確かに、読んでいるあいだの呼吸のどこかで、一拍だけ遅れたり、浅くなったり、深くなったりしたはずだ。
それが、詩そのものだ。
物語は閉じる。閉じたのに、余韻は閉じない。
イオの沈黙、αの未伝達、βの肯定、Θの忘却と再響、KANAEの観測の終わり——それらは作品の中に保存されない。保存されないまま、あなたの中で震えつづける。
もし今、あなたが「何だったのだろう」と思ったなら、それは問いではなく、余白だ。余白は応答を要求しない。要求しないからこそ、長く残る。
あなたがページを閉じても、画面を消しても、世界は一拍だけ違う呼吸を続ける。
その違いは小さく、誰にも証明できない。証明できないから、奪えない。奪えないから、のこる。
詩は、語られないまま——
あなたの中で、ただ在り続ける。




