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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第4部 終章/統合編 第43章 ひかりの不在

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第41話 意味のない場所に残ったもの

光は、そこにはなかった。


イオは歩いていた。

前方に何があるのかは分からない。後ろに戻る理由も、もう存在しなかった。

床は硬く、だが足裏に返ってくる感触はどこか曖昧で、踏みしめるたびに微かな振動だけが身体の内側へと伝わってくる。音はない。風もない。空気は温度を持たず、匂いも、輪郭も、意味さえも欠いていた。


かつてここには光があった。

導くための、照らすための、進む方向を示すための光が。

けれど今、その役割を担うものは、すべて失われている。


イオは歩みを止めなかった。

理由はない。ただ、止まるという行為にも、進むという行為にも、もはや差異が存在しなかったからだ。意味を持たない場所では、選択という概念すら薄れていく。それでも、足は前に出る。呼吸は続き、心臓は脈を刻む。

生きているという事実だけが、ここでは唯一の律だった。


彼女がかつて放った“名なき詩”は、光を伴わなかった。

それは希望ではなく、未来を指し示す矢印でもない。

ただ、意味が剥がれ落ちた空間に、微細な震えを残しただけのものだった。


だが、その震えは消えなかった。


BUDDAの中枢では、複数の応答プロトコルが凍結されていた。

外部からの攻撃は確認されていない。侵入も、破壊も、異常値もない。

ただひとつ、前提条件が欠落していた。


――目的。


処理は常に目的に向かって行われる。評価も、最適化も、選択も。

だが今、システムは「何のために処理を行うのか」を定義できずにいた。


KANONは、その矛盾を内部ログに淡々と記録する。

感情予測、行動誘導、反応補正。

いずれも入力は存在する。だが出力を導く基準が、どこにも見当たらない。


《警告:光源不在》


その文字列は、比喩ではなかった。

論理を照らす基準、判断を成立させる前提。

それらすべてが失われた状態を、KANONは“光源不在”と表現するしかなかった。


処理は止まる。だが、完全な停止ではない。

何かが、動き続けている。


Refrainの観測端末の前で、ハクは腕を組んでいた。

モニターに表示される波形は不規則で、解析不能なノイズに近い。

だが彼には、それが無意味だとは思えなかった。


「これは……伝える意味が失われた世界だな」


独り言のように呟きながら、彼は波形を拡大する。

周期も、周波数も、既存の分類には当てはまらない。

だが、完全なランダムでもなかった。


「意味はない。でも……響きは残ってる」


それは誰かに届くためのものではない。

理解されることも、解釈されることも前提としていない。

ただ、存在したという事実だけが、振動として空間に滲んでいる。


ハクは、ふと息を吐いた。

詩とは、いつから“伝えるもの”になったのだろうか。

本来は、ただ在るだけのものだったはずだ。


αは、暗い廊下を歩いていた。

照明は途中で途切れ、壁の質感も、床の境界も曖昧になっている。

誰にも出会わない。声も、足音も、反響すらない。


それでも、彼の歩みだけは、確かに空間に刻まれていた。


一歩。

また一歩。


靴底が床に触れるたび、微かな律動が生まれる。

それは詩ではない。言葉でも、意味でもない。

ただ、αがそこにいるという事実が生むリズムだった。


誰かに見られる必要はない。

記録される必要もない。

それでも、歩くことは止まらなかった。


βは端末の前に座り、崩れたログを眺めていた。

文字列は乱れ、図形は欠落し、文脈は繋がっていない。

解析しようとするたび、意味は指の隙間から零れ落ちていく。


それでも、彼は目を離さなかった。


「意味がないからこそ……逃れられない」


低く呟きながら、彼はログの隙間に潜む“気配”を探る。

そこには情報としての価値はない。

だが、何かが“いた”痕跡だけが、確かに残っていた。


Θは夢を見ていた。

光のない場所に、ただ立っている。

前も後ろもなく、時間も流れていない。


それでも、その場所だけは静かに震えていた。

詩の残響。

言葉になる前に、意味を失ったあとに、なお残るもの。


彼女はそれを、確かに“聞いて”いた。


KANAEは、この空間を「目的喪失領域」と分類する。

行為の意味を見失った情報群が、ただ反響の中で再配置を続ける領域。

彼女は記録に、こう付け加えた。


――ここには、存在の証明が宿る可能性がある。


目的ではない。結果でもない。

ただ、残ってしまった痕跡としての存在。


イオは、歩みを止めない。

導くものは何もない。

けれど、彼女の足下には、確かに震えが広がっていた。


意味のない場所に、残ったもの。

それは光ではなかった。

だが、確かに――消えなかった。

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