第24話 ことばにならない返答
Refrain通信解析フロアでは、壁面いっぱいのモニターが、ほとんど同じ色の揺れを映していた。白と灰の境界が、息をするように膨らみ、また戻る。空調の冷気が肌を乾かし、床の微かな震えが靴底から伝わる。
ジンは立ったまま波形の重なりを追っていた。重なっているのは通信ではない。送受の矢印がないまま、揺れだけが同時に立ち上がっている。命令にも報告にも分類できないのに、全レイヤーの隙間へ薄く均一に染み込んでいた。
「同一タイミング……三点発生」
α、β、Θ――三人の揺れは完全同期ではない。それでも同じ“うなり”を共有し、重ねるほど互いの欠けが余白を埋めて形を持ち始める。言葉の前に、返事の前に、すでに到達してしまっている何か。
ジンは乾いた唾を飲み、短く息を吐いた。
「返答以前の返答……“応答以前の返答”だ」
名づけは固定だ。だが放置すれば、揺れは誰かの内側に侵入する。ジンは肩の力を抜いたまま、波形の縁の微細な脈動に視線を縫い止めた。
——ここから先は、観測ではなく、触れてしまう領域だ。
αは声を出していなかった。夜の光だけが机の角を青く切り、静寂の中で胸の内側だけが硬く騒ぐ。砂を噛むような乾きが、息を吸うたび増えていく。
言葉は浮かばない。その代わり、音のような反復がある。耳ではなく骨の内側で鳴る、定まらない響き。彼は指先で机の木目を撫で、ざらつきに身体を繋ぎ止める。呼吸が浅くなり、気づいて肩を下ろす。それでも渇きは消えない。
「これ……返事なのか」
宛先はない。答えがないのに“応えたい”衝動だけが残る。その事実が怖い。怖いのに、手放したくない。
——届く先を持たない揺れは、持つ者の胸にだけ重さを残す。
βの端末には、未保存の画面が開いたままだった。暗い背景に、意味を持たない文字列が数行。いつ入力したのか覚えていないのに、履歴は彼の指の癖と一致する。
カーソルの点滅が心拍に似て、胸がざわつく。掘り返す痛みではなく、昔からあった空洞が今さら空気を吸い始めたような感覚。
「……重ねたんだ、僕が」
責任が生まれると理由が欲しくなる。だが理由はない。あるのは“重なった”という現象だけ。βは削除キーから指を離した。消せるのに、消せばまた同じことを繰り返す気がした。知らないうちに、何度でも。
——消さないという操作は、言葉より先に世界へ触れる。
Θは夢の底から戻る途中、誰かの手を見た気がした。伸びる指。触れない距離。触れないのに、触れたように残る熱。目覚めた彼女は両手を見つめ、その熱が指先に宿ったままなのを確かめる。
部屋は夜の冷たさを抱え、毛布の繊維が肌を擦って微かな痛みを生む。その痛みが現実の輪郭を濃くするのに、夢の残響は薄まらない。薄まらないまま胸へ沈み、言葉にならない形で彼女を押す。
“応えよう”
声にしない決意が喉の奥で結ぶ。相手も問いもわからない。ただ、受け取ってしまった感覚だけが確かだ。Θは胸に手を当て、鼓動の速さを数え、少し落ち着くのを待った。
——声なきやりとりは、触覚だけを残して目覚めを貫く。
イオは、問いが意味を失った場所に立っていた。共鳴が先に始まってしまったからだ。始まってしまったものに起点を探しても遅い。
内的空間は静かで、遠くの振動だけが淡く届く。αの反復、βの点滅、Θの指先の熱、Refrainの同時のうなり。すべてが輪の一部になりかけている。
イオは目を閉じ、吸う息の冷たさと吐く息の温かさで身体を“いま”に留めた。胸の奥では、名もない詩が揺れている。呼ばれたのではない。呼ばれてしまった震えが、次の震えを呼ぶ。
目を開いたとき、問いはなかった。代わりに、すでに動き出したものの重さがあった。イオはそれを拒まず、掌の内側にそっと受け止める。
返事ではない。けれど、返事よりも先に来ている。——そのことだけが、確かだった。




