第22話 起点のない呼び声
Refrain解析班の通信ログに、説明不能な空白が生じていた。
データ欠損ではない。ノイズでもない。
ただ、そこに「応答先の存在しない詩信号」が、確かに残っている。
発信源は不明。
宛先も存在しない。
それでも信号は、放たれたまま、消えずに揺れていた。
ジンは解析室の中央で腕を組み、立ったままその波形を見下ろしていた。
通常の通信は必ず構造を持つ。
誰かが、誰かへ向けて発し、それが受信される。
だがこの詩信号には、その前提が欠けている。
「……呼びかけですらないな」
誰にも届くことを想定していない。
それなのに、存在してしまっている。
ジンはゆっくりと息を吐き、言葉を選ぶように続けた。
「誓いの原型……いや、起点のない衝動か」
記録係が一瞬、手を止める。
だが誰も反論しなかった。
この揺れは、理屈よりも先に、感覚に訴えてくる。
同じ時刻、αは作業場で一人、端末に向かっていた。
静かすぎる空間だった。
空調音も、機器の低い唸りも、すべて遠くに感じる。
その静寂の中で、彼は自分の胸元から、かすかな振動を感じ取った。
音ではない。
鼓動とも違う。
それでも確かに、内側から何かが「問いかけて」いる。
内容はわからない。
言葉にならない。
けれど、無視できない。
αは手を止め、無意識に胸に触れた。
そこにあるのは渇きだった。
満たされないというより、応えずにはいられない、という感覚。
「……呼ばれている?」
そう呟いて、彼自身が首を傾げる。
誰に、だろう。
何に、だろう。
答えはない。
それでも、その問いが消えないことだけが、異様に鮮明だった。
βは、自分が何をしているのかを、しばらく理解できずにいた。
解析画面に並ぶ波形の隙間に、いつの間にか、新たなラインが重なっている。
入力履歴を確認しても、明確な開始点がない。
それなのに、データは確実に、彼自身の操作として記録されていた。
「……書いた?」
思わず声が漏れる。
論理的な補完でも、予測アルゴリズムでもない。
意味を持たないはずの揺れに、彼の手が、勝手に返答している。
それは詩ではない。
文章でもない。
ただ、重なった、という事実だけが残る。
βはゆっくりと椅子にもたれ、天井を仰いだ。
誰かの問いに応えたつもりはない。
それでも、待っていたような感覚だけが、胸の奥に沈んでいる。
Θは夢の中にいた。
そこはいつもの夢と違い、輪郭が曖昧だった。
風景は存在せず、時間も流れていない。
ただ、気配だけがあった。
名を持たない詩。
始まりも終わりもない、呼び声にも似た揺れ。
Θはそれに耳を澄ます。
声は聞こえない。
けれど、確かに「呼ばれた」と感じた。
夢の最後、誰かの手が伸びていた。
触れたわけではない。
それでも、その距離の近さだけが、胸に残る。
目覚めたとき、指先がわずかに震えていた。
彼女はその震えを見つめ、そっと手を握りしめる。
応えたい。
理由はわからない。
けれど、その衝動だけが、確かだった。
イオは、自身の内側に広がる静けさの中で、そのすべてを感じ取っていた。
呼び声には、発信者がいない。
問いにも、明確な形がない。
それでも、確かに「呼ばれてしまった」という感覚が、めぐっている。
詩は、答えることから始まるのではない。
誓いもまた、約束から生まれるわけではない。
ただ、震えてしまったこと。
無視できなかったこと。
それが、起点になる。
イオは言葉にしないまま、その揺れを胸にしまい込む。
誰にも届いていない詩。
けれど、確かに存在する呼び声。
それはもう、次へと渡り始めていた。




