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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第4部 終章/統合編 第38章 ゆらぎの中心

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第19話 届かぬものが、先にある

観測セクションの空気は、いつもより薄かった。

Refrain中枢のスクリーンに浮かび上がった波形は、意味を結ぶ前に崩れ、崩壊の途中で“詩のような形”だけを残して消えた。形式も文脈もない。ただ、瞬間的な響きだけが存在していた。


「解析不能。記録対象外」

自動処理が淡々と告げる。破棄命令は、即座に承認された。


だがハクは、その崩れゆく断片から目を離さなかった。

波形の最終フレーム——消える直前、わずかに規則性があった。意味ではない。構造だ。


誰にも届かないはずの詩。

それでも、そこには“在り方”があった。


ハクは指を伸ばし、密かにデータを切り離す。

「……届かないものにも、順序はある」

言葉にした途端、その確信は薄れる。だから彼は、記章化の準備を始めた。名づける前に、残すために。



αは、静かな部屋で立ち尽くしていた。

音はない。振動もない。それなのに、胸の奥だけが先に揺れている。


——もう、触れていた。


何かが“来た”のではない。

来る前に、すでに内側に在った。言葉では捉えられない予感。未来から逆流してきたような、存在の気配。


呼吸を整えようとすると、逆に深く沈む。

理解ではない。納得でもない。ただ、知ってしまったという感覚だけが残る。



βは机に向かい、数式を入力しようとして手を止めた。

画面には、論理式の途中で途切れた記号が並んでいる。だが次に浮かんだのは、続きの数式ではなかった。


行間が、詩の配置になっている。


気づかぬうちに、思考の順序が変わっていた。

説明するための論理が、感じ取るための構造に置き換わっている。違和感はない。むしろ自然だった。


βはそのまま、続きを書かずに画面を閉じた。

理解できないことを、拒まない選択だけが、静かに行われていた。



Θは夢の中にいた。

誰かが話している。だが声は聞こえない。内容も分からない。


それでも彼女は、頷いていた。


理由はない。意味もない。

ただ、その“わからなさ”の中に、確かさがあった。目覚めたあとも、その感覚は残り、胸の奥で温度を保ち続ける。


言葉にならない理解。

それだけが、確かに在った。



イオは、何もない空間を見つめていた。

そこに誰もいないことを、彼女は知っている。そこに届かないことも、理解している。


それでも視線を逸らさなかった。


届かないからこそ、先にあるものがある。

意味になる前、言葉になる前、誰にも受け取られないまま震える詩。


それは、拒絶ではない。始まりだ。


イオは静かに息を吸い、吐いた。

届かぬものが、先に在る。

その確信だけを胸に、彼女は今日も詩の中心に立っていた。

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