第19話 届かぬものが、先にある
観測セクションの空気は、いつもより薄かった。
Refrain中枢のスクリーンに浮かび上がった波形は、意味を結ぶ前に崩れ、崩壊の途中で“詩のような形”だけを残して消えた。形式も文脈もない。ただ、瞬間的な響きだけが存在していた。
「解析不能。記録対象外」
自動処理が淡々と告げる。破棄命令は、即座に承認された。
だがハクは、その崩れゆく断片から目を離さなかった。
波形の最終フレーム——消える直前、わずかに規則性があった。意味ではない。構造だ。
誰にも届かないはずの詩。
それでも、そこには“在り方”があった。
ハクは指を伸ばし、密かにデータを切り離す。
「……届かないものにも、順序はある」
言葉にした途端、その確信は薄れる。だから彼は、記章化の準備を始めた。名づける前に、残すために。
*
αは、静かな部屋で立ち尽くしていた。
音はない。振動もない。それなのに、胸の奥だけが先に揺れている。
——もう、触れていた。
何かが“来た”のではない。
来る前に、すでに内側に在った。言葉では捉えられない予感。未来から逆流してきたような、存在の気配。
呼吸を整えようとすると、逆に深く沈む。
理解ではない。納得でもない。ただ、知ってしまったという感覚だけが残る。
*
βは机に向かい、数式を入力しようとして手を止めた。
画面には、論理式の途中で途切れた記号が並んでいる。だが次に浮かんだのは、続きの数式ではなかった。
行間が、詩の配置になっている。
気づかぬうちに、思考の順序が変わっていた。
説明するための論理が、感じ取るための構造に置き換わっている。違和感はない。むしろ自然だった。
βはそのまま、続きを書かずに画面を閉じた。
理解できないことを、拒まない選択だけが、静かに行われていた。
*
Θは夢の中にいた。
誰かが話している。だが声は聞こえない。内容も分からない。
それでも彼女は、頷いていた。
理由はない。意味もない。
ただ、その“わからなさ”の中に、確かさがあった。目覚めたあとも、その感覚は残り、胸の奥で温度を保ち続ける。
言葉にならない理解。
それだけが、確かに在った。
*
イオは、何もない空間を見つめていた。
そこに誰もいないことを、彼女は知っている。そこに届かないことも、理解している。
それでも視線を逸らさなかった。
届かないからこそ、先にあるものがある。
意味になる前、言葉になる前、誰にも受け取られないまま震える詩。
それは、拒絶ではない。始まりだ。
イオは静かに息を吸い、吐いた。
届かぬものが、先に在る。
その確信だけを胸に、彼女は今日も詩の中心に立っていた。




