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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第3部 言葉の帰還 第29章 やどりのことば

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第26話 とどまる声

 ──空気が、何かを覚えている気がした。


 イオは、塔の下層へと続く階段をゆっくりと降りていく。

 冷気が肌を刺す。すでに空調は切られ、保管の意味を失った資料群は、湿気を帯びながら朽ちかけていた。


 かつて「旧資料室」と呼ばれたその場所は、学術記録や未分類の言葉が山と積まれていた空間だった。

 今では──誰も立ち入らない、“沈黙の箱”と化している。


 けれどイオは、そこに足を踏み入れる。


 探していたのは、“声”の残り香だった。


 誰かが語り、届かずに消えたはずの言葉たち。

 空気が震えた痕跡。吐息と詩がすれ違ったあの瞬間。

 音はもう残っていない。それでも空気の重なりには、まだ“何か”が残っている。


 イオは、壁際の棚の隙間に目を留めた。

 埃をかぶった紙の束の奥に──一枚の封筒が、ひっそりと落ちていた。


 


 拾い上げると、中は空だった。


 何も書かれていない。紙片もない。

 それでも、イオの指先は“確信”した。


 これは、たしかに「何かを入れていた」封筒だと。


 微かに折れた線。指先で触れると、ふわりと“重さ”がよみがえる。

 その空虚さそのものが、「かつてあったこと」を物語っている。


 


 イオは、そっと封筒の内側に指を添えた。


 ペンは使わない。声も出さない。

 ただ、指の腹で紙をなぞる。圧をかける。言葉にならない圧痕が、静かに紙に染み込んでいく。


 ──これは、詩だ。


 意味ではない。

 音でもない。

 記録にも残らない。


 けれど、それでも、たしかに“ことば”だった。


 この空間にしか宿せない詩。

 残響なき場所にこそ、とどまる可能性がある詩。


 イオは、しばらくその封筒を手にしたまま、じっと空気のゆらぎに耳を澄ませていた。


 そして、静かに棚の奥へと戻す。


 今度は、彼女の“触れた痕跡”を帯びて。


 


 その頃、レインは塔の下層へ向かう途中だった。

 資料庫での確認作業を終え、昇降機のない階段を下りていた時、ふと──立ち止まった。


(……今、何か……)


 誰かが呼んだのではない。

 けれど、確かに“聞こえた”。


 壁の奥。空気の奥。

 声なき“手触り”が、彼の背筋を撫でていく。


 彼は足を止め、静かに目を閉じる。


 風はない。音もない。

 だが──何かが「そこにあった」と訴えかけてくる。


 


 封筒。紙。擦れた指先。

 誰かの痕跡。詩の気配。


 それは情報でも記録でもなかった。

 だが、心のどこかが反応していた。


(……“言葉”……なのか?)


 思考ではなく、感応のように。

 レインの中に、静かに“ことば”が宿りかけていた。



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