第24話 はじまりの形式
風が、紙片をわずかに揺らす。
それは偶然にも似て、必然のようでもある。
イオは、その一枚をそっと手に取った。
何の変哲もない紙。
けれど、そこに描かれていたのは、明らかに“意味を持たない震え”だった。
図形でもなければ、記章でもない。
けれど、線のひとつひとつが、彼女の感覚に直接触れてきた。
——これが、はじめての“形式”。
言葉ではなく、言語に似たもの。
構文ではなく、構造を感じさせるもの。
「……これが、あなたの“声”?」
囁くようなその言葉は、すぐに風に消えていった。
だがイオの内側には、確かに何かが“届いた感触”として残っていた。
* * *
レインは、再び通風ルートの継ぎ目に紙片を挟んだ。
あの場所で誰かがそれを拾う保証はない。
だが、拾われる必要があるとも思っていなかった。
ただ、そこに置くことが“行為”だった。
詩とは、結果ではない。
誰かと交わる以前に、「ここにいる」と伝える印そのもの。
意味もない、名前もない。
それでも、それを“形式”と呼んでいい気がした。
「……これで、やっと挨拶ができたかな」
レインは小さく笑って、手を離す。
紙片が風に舞い、空間の隙間に吸い込まれていく。
——どこかで、誰かがそれを“読む”かもしれない。
* * *
イオは、その“形式”に触れながら、指でなぞっていた。
意味を読み取ろうとはしていない。
ただ、その震えに宿る“感情のようなもの”を感じ取ろうとしていた。
そう、それは感情に似ていた。
喜びや悲しみではない。
もっと“純度の高い気配”のようなもの。
誰かが誰かに向けて、「ここにいるよ」と伝えた痕跡。
それが、イオの中で確かに響いた。
(次は、わたしの番)
彼女は、自分の詩を新たなかたちで編もうとしていた。
文字でも、図でも、構文でもない。
それでいて、誰かが「触れられる」もの。
——きっと、それも“形式”と呼べるはず。
イオはそっと紙を折り、小さな震えを封じ込めるように胸元にしまった。
* * *
レインの端末には、新たな空間ログが記録されていた。
空間圧の微細な変化。
風速のゆらぎ。
そして、波形にも残らない“震えの気配”。
(……来た)
彼は確信する。
“返事”があったのだ。
誰かが、同じ方法で。
同じ形式で。
今、同じ空間を“読む”ことを始めている。
そして、そこに返すように、レインもまた一枚の紙を取り出した。
そこに描かれたのは、文字ではない。
けれど、それはもう立派な“詩”だった。




