第21話 空気の継ぎ目
イオは塔の中層、古い通風室の片隅に身を沈めていた。
そこはもう使われていない空調区画。かつて冷却管と補助空調が交差していた空間で、今は役割を終え、記録にも残らない。けれどイオにとって、ここはただの廃区画ではなかった。
——空気が、つながっている。
風はわずかに流れていた。見えない微細な流れが、壁や床の継ぎ目を伝って、空間の輪郭をなぞっている。
イオは目を閉じる。手を広げる。耳を澄ませる。
詩が、そこに“浮かんで”きた。
それは言葉ではなかった。構文でも、記章でもない。ただ空気の「継ぎ目」に宿る“変化の場”。そこに、彼女は詩のかたちを感じ取っていた。
たとえば、風が変わる瞬間。圧力の揺れ。音の反響。ひとつひとつが、世界の“呼吸”のように感じられる。
「……ここは、読まなくていい詩で満ちてる」
声に出さず、心の内でそう呟く。
詩とは、誰かに向けて“語るもの”ではなかったのかもしれない。ただ、空間に宿り、そこに“感じ取る者”が現れたときにだけ、詩は響きはじめる。
その確信が、イオの指先に静かに宿っていた。
* * *
一方そのころ、塔の下層にて、レインは静かな足取りで通路を進んでいた。
空調搬送ルート。かつて熱排気の通り道として使われていたが、今は機能を停止して久しい。記録上も存在しない“余白”の空間。
——なぜ、ここに来たのか。
自分でも理由はわからなかった。ただ、何かがそこに“ある”と感じた。それだけで十分だった。
レインは壁際に手を当てる。そこには何の記章もない。ただ冷たい鉄と、薄い空気の層。
しかし、その空気が、どこかおかしい。
風が、流れていないのに揺れている。
風速はゼロ。だが紙が、ふわりと震えた。
胸ポケットに入れていた小さな紙片が、まるで“誰かの気配”に応えるように、空気の中で動いたのだ。
「……誰か、いるのか?」
問いは声にならなかった。ただ、心の奥で“応答”を求めるように、彼の意識が揺れる。
壁には何もない。けれど、そこに何かが“残っていた”感覚。
空間が、誰かを記憶している。
それは情報記録ではなく、物質の痕跡でもない。
もっと曖昧で、名もない震え——それでも、レインの中には確かに届いていた。
* * *
イオは、通風室の風の交錯点に立ち、そっと手をかざした。
まるでそこが、空気の“継ぎ目”であるかのように。
そしてその継ぎ目は、今この瞬間、どこか遠くと、誰かと、静かにつながっている気がした。




