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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第3部 言葉の帰還 第28章 くうかんの詩法 

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第21話 空気の継ぎ目

イオは塔の中層、古い通風室の片隅に身を沈めていた。


 そこはもう使われていない空調区画。かつて冷却管と補助空調が交差していた空間で、今は役割を終え、記録にも残らない。けれどイオにとって、ここはただの廃区画ではなかった。


 ——空気が、つながっている。


 風はわずかに流れていた。見えない微細な流れが、壁や床の継ぎ目を伝って、空間の輪郭をなぞっている。


 イオは目を閉じる。手を広げる。耳を澄ませる。


 詩が、そこに“浮かんで”きた。


 それは言葉ではなかった。構文でも、記章でもない。ただ空気の「継ぎ目」に宿る“変化の場”。そこに、彼女は詩のかたちを感じ取っていた。


 たとえば、風が変わる瞬間。圧力の揺れ。音の反響。ひとつひとつが、世界の“呼吸”のように感じられる。


 「……ここは、読まなくていい詩で満ちてる」


 声に出さず、心の内でそう呟く。


 詩とは、誰かに向けて“語るもの”ではなかったのかもしれない。ただ、空間に宿り、そこに“感じ取る者”が現れたときにだけ、詩は響きはじめる。


 その確信が、イオの指先に静かに宿っていた。


    * * *


 一方そのころ、塔の下層にて、レインは静かな足取りで通路を進んでいた。


 空調搬送ルート。かつて熱排気の通り道として使われていたが、今は機能を停止して久しい。記録上も存在しない“余白”の空間。


 ——なぜ、ここに来たのか。


 自分でも理由はわからなかった。ただ、何かがそこに“ある”と感じた。それだけで十分だった。


 レインは壁際に手を当てる。そこには何の記章もない。ただ冷たい鉄と、薄い空気の層。


 しかし、その空気が、どこかおかしい。


 風が、流れていないのに揺れている。


 風速はゼロ。だが紙が、ふわりと震えた。


 胸ポケットに入れていた小さな紙片が、まるで“誰かの気配”に応えるように、空気の中で動いたのだ。


 「……誰か、いるのか?」


 問いは声にならなかった。ただ、心の奥で“応答”を求めるように、彼の意識が揺れる。


 壁には何もない。けれど、そこに何かが“残っていた”感覚。


 空間が、誰かを記憶している。


 それは情報記録ではなく、物質の痕跡でもない。


 もっと曖昧で、名もない震え——それでも、レインの中には確かに届いていた。


    * * *


 イオは、通風室の風の交錯点に立ち、そっと手をかざした。


 まるでそこが、空気の“継ぎ目”であるかのように。


 そしてその継ぎ目は、今この瞬間、どこか遠くと、誰かと、静かにつながっている気がした。



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