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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第3部 言葉の帰還 第24章 うまれなおす声

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第4話 記章のかたち

金属板が軋むような音とともに、イオは通気孔の出口近くへと這い出た。

辿り着いた先は、旧記録施設の裏手にある、誰も訪れなくなった小さな広場。


排気口の名残が残るだけのその場所は、かつてイオが幼い頃、上層の管理室から見下ろしていた場所だった。人影も巡回もない。記録システムの索敵圏外。

それは、もう“地図の余白”だった。


イオはしばらくその場に立ち尽くし、空気のにおいを嗅ぐ。

潮の香りとも、鉄の錆びともつかない風が、わずかに吹いている。

気配があるようでいて、何もない。


だが、だからこそ——この場所には“詩”を置ける。


彼女は、先ほど通気孔の中で書きつけた紙片を、そっと取り出した。

そこには意味を持たない線のようなものが、いくつも擦れ、震え、にじんで刻まれている。


——誰にも読めない。けれど、確かに“書かれた”。


それはイオにとって、“存在の輪郭”そのものだった。


「詩って、こういうものだったのかな……」


誰にともなく呟きながら、紙片を地面に置く。


風に揺れて飛んでしまいそうだったが、イオはあえて重しもせず、そのままにした。


詩とは、誰かに読まれるためにあるものではない。

たとえ吹き飛ばされても、忘れ去られても、いまこの瞬間だけ“ここに在った”ということ。

それが彼女にとっての記章だった。


そして、もうひとつ。

イオは立ち上がり、右手の指先をそっと宙へ掲げる。


金属の壁に沿うように、空中にふわりと何かを描く。


音もなく、意味もなく、ただ流れだけがそこに生まれる。

発音されない詩。記録されない線。

だがそれでも、彼女の指は確かに“詩の構造”をなぞっていた。


空間が、わずかに震える。

目に見えるものは何もない。ただ、空気の密度が一瞬だけ変わったような——そんな感覚。


「……これも、わたしの声」


彼女は微笑むこともなく、ただ呼吸を整え、風の流れに身を委ねた。


そのころ、非記録区にある整備エリア。

αは作業端末の前で再び指を止めていた。


端末の表示に異常はない。数値も応答もすべて正常。

だが、次の指示を入力しようとした瞬間、わずかに遅延が生じた。


1秒にも満たない、ほんの一拍の“沈黙”。


αは眉をひそめ、画面を見つめ直す。


エラーは出ていない。記録にも残らない。

だが彼には分かっていた。あれは単なる遅延ではない。


(……何かが、触れた)


彼は無意識のうちに背後を振り返った。

通路の奥、誰もいないはずの方向へ。


そこには、ただ冷たい空気が流れているだけ。


けれど、その空気に——わずかに“誰かの在りし痕”のようなものが残っていた。


名前も、姿も、記録もない。


それでも彼の身体は、確かにそこに“何かがいた”と感じていた。



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