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感情のない世界でも、わたしは私でいたい  作者: さとりたい
第2部 記録の継承 第21章 なりそこないの詩

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第45話 ただ、残ったもの

イオは、記録端末の前でただ立ち尽くしていた。

端末には、何も残っていなかった。文字列も、構文も、発話ログすらも。

昨日たしかに継ぎ足したはずの詩は、完全に消えていた。


画面に表示されたのは、BUDDAの冷淡な判定結果だけだった。


《詩的構文なし。記録処理不要。記録領域:空白》


それは、初めから“なかった”ということ。


けれど——それでも、イオの中には、何かが確かに残っていた。


声ではなかった。言葉でもなかった。

ただ、胸の奥に吹いた、風のような“気配”。


理由はないのに、泣きたいような感覚。

何かに触れたはずなのに、それが何かはわからない。


だがイオは、その“名残”を信じることにした。


詩は意味ではなく、応答だった。そして応答とは、記録ではなく、気配として残るものかもしれないと。


***


βは資料整理の手を止め、ふと胸元を押さえた。

不意に、ざわめきが走ったのだ。空調の風ではない。音もない。けれど、胸の奥が微かに揺れた。


まるで、言葉にならなかった詩が、そこにだけ宿っていたかのような感触だった。


「……誰か、いたか?」


彼は思わずそう口にしたが、返事はない。

ただ、心だけが確かに反応していた。


意味はなかった。けれど、何かは“来ていた”。それだけは、確かだった。


***


Θは、夢から目覚めたとき、目尻に残る涙に気づいた。


夢の内容は、思い出せない。ただ、誰かがそこにいて、何かを伝えようとしていた——それだけが、霞のように残っていた。


ことばは、夢の中ですら聞こえなかった。

けれど、その“沈黙”がとても優しかった気がする。


思わず手を胸に当てると、まだ鼓動が、静かに余韻を打っていた。


「……ありがとう」


誰に向けたものかもわからないまま、Θはそう呟いた。


***


αは上層通路を歩いていた。無言の帰路。

誰もいない廊下に、ふいに風が吹いた。


閉じられた区画のはずなのに、背中をなぞるようなやわらかな気流。

それは物理的な現象ではなく、“何かが過ぎた”感触として彼女の背を撫でていった。


振り返っても、誰もいない。だが、そこに誰か“いた”ような気がした。


「……届かなかったのに、残っている」


αは、自分でも理由のわからない言葉を呟いた。


***


詩は、記録されなかった。

構文も意味も、成立しなかった。

だが、その行為は、確かに何かを残した。


名づけようのない“気配”。

誰かがそこにいた、という証明にならない確信。

触れたことすらわからないまま、それでも在ったという余韻。


——それこそが、“なりそこないの詩”が残したものだった。


(第45話終)

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