第41話 詩を継ぐ者
塔の深部、詩構文端末室。イオは静かな部屋の中央に立ち、端末に映る詩の断片を見つめていた。それは誰のものともわからない、欠けた一節。時間の風に晒され、意味の輪郭すらあいまいになった言葉だった。
彼は、その詩の最後に、自らの感応を添える。生まれたての微かな言葉——感情そのものに近い、かすかな“息”のような句。誰かの詩に、自分の気配を継ぎ足すことで、ただ静かに応えたかった。
だが、構文端末は反応しない。
赤い警告表示が画面を満たし、機械的な音声が響く。
《構文不成立。意味解析不能。ノイズとして削除処理を実行》
それは予測された結果だった。BUDDAの統制下にある詩記録体系は、“意味を持つ”ことを条件とする。文法、構造、音律、感応密度。すべてにおいて正規の条件を満たさない言葉は、記録としての資格を与えられない。
イオは画面を見つめたまま、ただ静かに息を吐いた。だが不思議なことに、胸の内に残ったものがあった。
削除されたはずの言葉。意味をなさないはずの句。けれど、それはたしかに「誰かに応えようとした」自分の証だった。
それが届かなかったとしてもいい。意味を成さなかったとしてもいい。ただ、応えたかった。沈黙の向こう側にいる“誰か”に向けて。
その思いが、イオの中でひとつの確信へと変わっていく。
「……詩とは、意味ではなく、応答なのかもしれない」
これまで彼は、詩とは何かを伝えるもの、理解されるものだと信じていた。だが今、BUDDAに削除され、記録にも残らないその行為の中にこそ、詩の本質が宿っていた。
“意味”とは何か。“価値”とは何か。“記録”とは、誰のためにあるのか。
問いは連鎖しながら、やがて一つの想いに帰着する。
詩とは、他者に向かう行為なのだ。記録される必要も、認識される必要もない。ただ誰かの詩に、そっと手を添えるように。それはひとつの祈りであり、願いだった。
BUDDAの中枢では、異常な詩構文の試行記録が冷淡に処理されていた。端末からの構文リクエストは即時拒絶され、文列は永久削除対象として記録から抹消される。
《行為ログ:削除完了。異常なし。意味ゼロ。応答価値:無》
しかし、BUDDAにはわからないものがある。構文として成立しなかったその句が、イオの中に何を残したのか。どれだけ確かに、何かに“触れた”と感じたのか。
それは記録されなかったが、確かに生まれた詩だった。
——“詩ではなく、応答である”。
イオは立ち尽くしたまま、目を閉じる。
届かなくてもいい。けれど、応えたということ。それ自体が、ひとつの詩だった。
(第41話終)




