二人で選ぶこれから
それから、少し時間が経った。
私たちは相変わらず、学校で話をしたり、休日に出かけたりしている。
以前と比べて、劇的に何かが変わったわけではない。
朝に顔を合わせれば挨拶をするし、休み時間には最近読んだ本や気になったことを話す。休日には一緒に出かけて、帰り道に次の予定を相談する。
そんな日常が続いていた。
でも、少しずつ変わったこともある。
私から話しかけることが増えた。
行きたい場所や、食べてみたいものを提案することも増えた。
清水君も、自分の好きなものや興味のあることを、以前よりいろいろ話してくれるようになった。
お互いに知らなかったことを、少しずつ知っていく。
そんな時間が、私は好きだった。
◇
休日の午後。
私たちは、以前からよく利用している書店に来ていた。
「今日は、それぞれ一冊ずつ、相手におすすめの本を選んでみませんか?」
清水君の提案に、私は目を輝かせた。
「いいね! 清水君が私に選んでくれる本、すごく気になる!」
「僕も、優里恵さんが選んでくれる本が楽しみです」
「じゃあ、真剣に選ばないと!」
私は本棚の前をゆっくり歩き始めた。
いつもなら、自分が読みたい本を探すところだけれど、今日は違う。
清水君に読んでもらいたい本を選ぶのだ。
これまで一緒に本を読んだり、感想を話したりしてきた時間を思い返す。
清水君は、登場人物の考え方や、物語の中で人間関係が変わっていく様子に注目することが多い。
単純に面白かったというだけでなく、登場人物がどうしてその行動を選んだのか、別の選択肢はなかったのか、そんなことも考えている。
そういうところが、清水君らしいと思う。
「これも面白そうだけど……」
私は一冊の本を手に取って、帯に書かれた紹介文を読んだ。
面白そうではあるけれど、清水君におすすめしたいと思えるかは、まだ分からない。
もう少し別の本も見てみよう。
そうして何冊か手に取っているうちに、私は一冊の本の前で足を止めた。
主人公の青年が旅先でさまざまな人と出会い、その経験を通して自分の考えを変えていく物語らしい。
以前、清水君と話したときに、登場人物が他人との関わりによって変わっていく物語が好きだと言っていたことを思い出した。
「……これかな」
私は本を手に取った。
清水君が読んだら、どんな感想を話してくれるだろう。
そんなことを想像すると、自然と頬が緩んだ。
一方、清水君も真剣に本を選んでいるようだった。
何冊か手に取って、裏表紙のあらすじを読んでは棚に戻している。
いつもは落ち着いている清水君が、こうして悩んでいる姿を見るのは少し新鮮だった。
私に合う本を探してくれている。
そう思うと、なんだか嬉しくなる。
「清水君、決まった?」
少し離れたところから声をかけると、清水君は手にしていた本を見せてくれた。
「はい。優里恵さんはどうですか?」
「私も決まったよ!」
「それなら、交換しましょうか」
「うん!」
二人で選んだ本を交換する。
私が受け取ったのは、少し不思議な出来事を描いた物語だった。
「あっ、これ、面白そう!」
表紙には、不思議な風景の中に立つ人物が描かれている。
裏表紙の紹介文を読むと、主人公が日常の中で奇妙な出来事に遭遇し、その謎を追っていく話らしい。
「清水君、どうしてこの本を選んでくれたの?」
「優里恵さんは、不思議な出来事が出てくる物語も好きですよね。それに、主人公が少しずつ謎を解いていく話も楽しそうに読んでいたので」
「うんうん! こういうの好き!」
「気に入ってもらえそうでよかったです」
「ありがとう! 清水君は、私が選んだ本でよかった?」
「はい。旅先で出会った人たちとの関わりを通して、主人公が変わっていく話なんですよね」
「そうなの。清水君、こういう物語が好きかなって思って!」
「ありがとうございます。読んでみるのが楽しみです」
私は、自分が選んだ本を清水君が大切そうに持っているのを見て、嬉しくなった。
以前なら、相手が喜んでくれているかどうかを気にしすぎていたかもしれない。
でも、今は素直に嬉しいと思える。
私が清水君のことを考えて選んだ本を、清水君も楽しみにしてくれている。
それだけで十分だった。
◇
本を購入したあと、私たちは近くのカフェへ向かった。
席に着いて飲み物を注文すると、私はさっそく受け取った本をテーブルの上に置いた。
「早く読みたいなあ」
「僕もです」
「でも、今日は家に帰ってから読もうかな。せっかくだから、ゆっくり読みたいし」
「そうですね。僕も帰ってから読むことにします」
「読み終わったら、また感想を話そうね!」
「はい。どちらが先に読み終わるでしょうね」
「ふふっ。私、読むの結構早いよ?」
「僕も負けないようにします」
「勝負するわけじゃないんだけどなあ」
そう言いながら、私たちは笑った。
飲み物が運ばれてくると、私はカップに手を伸ばした。
少し落ち着いたところで、ふと清水君の顔を見る。
「ねえ、清水君」
「はい?」
「私、前より自分からいろいろ誘えるようになったと思わない?」
「そうですね。最近は優里恵さんから提案してくれることが増えました」
「やっぱり?」
「はい。科学館に誘ってくれたときも、嬉しかったですよ」
「そっか……」
私は少し照れながら、カップに視線を落とした。
「前はね、自分から何かを提案するのが苦手だったんだ。清水君がどう思うか気になって、断られたらどうしようとか、楽しんでもらえなかったらどうしようとか、そんなことばかり考えてた」
「そうだったんですね」
「うん。でも、今は少し変わったかな。私が行きたいところを伝えてもいいし、清水君が行きたいところを教えてもらってもいいんだって思えるようになったの」
「僕も、優里恵さんが希望を伝えてくれるのは嬉しいです」
「本当?」
「もちろんです。優里恵さんが何をしたいと思っているのか、知ることができますから」
清水君の言葉に、私は頷いた。
そうなのだと思う。
私はずっと、相手に嫌われないようにすることばかりを考えていた。
でも、それでは相手に自分のことを知ってもらうこともできない。
自分の気持ちを伝えることは、相手に自分を知ってもらうためにも大切なのだ。
「私ね、最初のことを思い出すと、今でも少し申し訳なくなるんだ」
自分から話題にするのは、少し勇気が必要だった。
けれど、今なら話してもいいと思えた。
「清水君の名前を出したとき、私は自分が傷つきたくないことしか考えていなかったから」
「はい」
「あのときのことがなかったら、私たちは今とは違う関係になっていたかもしれないよね」
「そうかもしれません」
清水君は否定しなかった。
それは当然だと思う。
過去の出来事をなかったことにはできないし、あのときの自分の行動を正しかったことにするつもりもない。
私は少しだけ息を吸った。
「でも、今は清水君と一緒にいられて、本当によかったと思ってる」
「優里恵さん」
「最初のきっかけは嘘だったけど、今の気持ちは嘘じゃないよ。清水君と本を読んだり、話をしたり、一緒に出かけたりするのが好き。これからも、そういう時間を大切にしていきたい」
言い終えてから、少し恥ずかしくなった。
けれど、今度は目を逸らさなかった。
清水君は、私の言葉を受け止めるように、ゆっくりと頷いた。
「ありがとうございます。僕も、優里恵さんと過ごす時間を大切にしたいと思っています」
「……うん」
「最初のことだけで、今の僕たちの関係が決まるわけではありません。これまで一緒に過ごしてきた時間も、これから過ごしていく時間も、大事にしていきたいです」
その言葉を聞いて、胸がいっぱいになった。
清水君も、同じように考えてくれている。
それが嬉しかった。
◇
カフェを出ると、少し冷たい風が吹いていた。
「今日は楽しかったね」
「はい。本も選べましたし、これから読むのが楽しみです」
「私も! 読み終わったら、たくさん感想を話そうね」
「楽しみにしています」
駅へ向かう途中、清水君がふと思い出したように口を開いた。
「そういえば、次のデートなんですが、僕から誘ってもいいですか?」
「えっ、もちろん!」
「実は、以前から行ってみたいと思っていた場所があるんです」
「どこどこ?」
「水族館です。少し前に新しい展示が始まったと聞いて、気になっていたんですよ」
「水族館!」
私は思わず声を弾ませた。
「いいね! 私も行きたい!」
「それなら、今度一緒に行きましょう」
「うん。楽しみにしてるね!」
今度は清水君が行き先を考えてくれる。
私が行きたい場所に一緒に来てくれたように、今度は私が清水君の行きたい場所へ一緒に行く。
それが、なんだか嬉しかった。
「ねえ、清水君」
「はい?」
「これからも、いろんなところに行こうね」
「はい」
「それから、いろんな本も読もうね」
「もちろんです」
「あと、私が知らないこともいっぱい教えてね。私も、清水君にいろんなことを教えてあげたいな」
「それは楽しみです」
私は笑顔で答えた。
これから先、どんなことが待っているのかは分からない。
ときには意見が合わないこともあるだろうし、相手の気持ちが分からなくなることだってあるかもしれない。
でも、分からないからといって、勝手に決めつける必要はない。
聞いてみればいい。
自分の気持ちも、ちゃんと言葉にして伝えればいい。
あのときの私は、自分が傷つかないようにするために嘘をついた。
けれど、今は違う。
清水君と一緒にいたい。
これからも、いろんなことを話して、いろんな景色を見て、一緒に笑っていたい。
その気持ちは、もう隠さない。
「清水君」
「はい?」
「大好きだよ」
少し照れながら伝えると、清水君も優しく微笑んでくれた。
「僕も、優里恵さんが大好きです」
その言葉を聞いて、私は幸せな気持ちでいっぱいになった。
私たちの関係は、嘘から始まった。
でも、今は二人で選んだ時間を重ねている。
次はどこへ行こう。
どんな本を読もう。
どんな話をしよう。
そんなことを考えるだけで、胸が弾んだ。
私は、隣にいる清水君の笑顔を見つめた。
私たちの物語は、まだ続いていく。
今度は、嘘ではなく、自分たちの気持ちで選んだ未来へ。
そう思いながら、私は清水君と一緒に、駅へ向かって歩いていった。




