『清水君の知らなかった一面』
月曜日の朝、教室に入った私は、席に鞄を置きながら、昨日の日曜日のことを思い返していた。
清水君の友達と一緒に出かけたボウリング。最初は緊張してばかりだったけれど、途中からはそんなことも忘れて、夢中になってボールを投げていた。
負けたのは悔しかったけれど、またみんなで遊びたいと思えるくらい、楽しい一日だった。
帰り道には、清水君と手もつないだ。
「……えへへ」
思い出すだけで頬が緩んでしまい、私は慌てて周囲を見回した。まだ教室にはそれほど人がいなかったので、誰にも見られていないことにほっとする。
けれど、昨日のことを思い返しているうちに、もう一つ気になっていることが浮かんできた。
ファミリーレストランで食事をしていたとき、拓海君が清水君の昔の話をしようとしていたのだ。
『だって、昔は女子と話すだけでも――』
そこまで言ったところで、清水君が慌てて遮っていた。
あのときの清水君は、普段あまり見ないくらい必死だった。
いったい、昔の清水君はどんな人だったのだろう。
今の清水君は、私と話すときもいつも優しくて、私が緊張していると自然に声を掛けてくれる。そんな彼が、昔は女子と話すことに困っていたなんて、なかなか想像できなかった。
「……ちょっと、気になるな」
小さくつぶやいたところで、教室の入口から聞き慣れた声がした。
「優里恵さん、おはようございます」
顔を上げると、清水君がこちらに向かって歩いてきていた。
「おはよう、清水君」
「何か考え事ですか?」
「えっ?」
思いがけず尋ねられ、私は一瞬だけ言葉に詰まった。
「ううん。昨日のことを思い出していただけだよ」
「昨日……ああ、ボウリングですね」
清水君が嬉しそうに笑った。
「楽しかったですね。またみんなで遊びに行きたいです」
「うん。私もそう思う」
そう答えてから、私は少し迷った。
聞いてみたい。でも、せっかく楽しい話をしているのに、わざわざ恥ずかしい思い出を掘り返すのも悪い気がする。
私が言い出せずにいると、清水君が不思議そうに首を傾げた。
「優里恵さん?」
「……あのね、清水君」
「はい?」
「昨日、拓海君が何か言いかけてたでしょ?」
その瞬間、清水君の表情が固まった。
「……拓海が?」
「うん。昔は女子と話すだけでも、って」
「ああ……」
清水君は額に手を当て、困ったようにため息をついた。
「やっぱり、あいつの話ですか」
「やっぱりってことは……何かあったの?」
思わず身を乗り出して尋ねてしまう。
清水君はそんな私を見て、少しだけ苦笑した。
「何かあったというほどのことじゃないんです。ただ、昔の話をされるのが恥ずかしくて」
「昔の話?」
「はい。今の僕からは、ちょっと想像できないと思いますよ」
そう言われると、余計に気になってしまう。
「……どんな感じだったの?」
私が遠慮がちに尋ねると、清水君はしばらく考え込んでから、観念したように口を開いた。
「中学生のころは、女子と話すのがあまり得意じゃなかったんです」
「えっ、そうなの?」
「はい。友達とは普通に話せるんですけど、女子が相手だと、変なことを言わないようにって考えすぎてしまって」
清水君は、当時のことを思い出しているのか、気まずそうに目をそらした。
「文化祭の準備をしていたときなんか、クラスの女子に掲示物をどこに貼ればいいか聞かれただけなのに、ずいぶん緊張してしまったんです」
「掲示物?」
「教室の後ろに貼ればいいだけだったんですけど、僕は『後方の掲示板なら空いていると思います』って答えてしまって」
その言い方を想像して、私は思わず口元を押さえた。
「ふふっ……」
「笑わないでくださいよ。本人は真剣だったんですから」
「ご、ごめんね。でも、ちょっと丁寧すぎるかなって」
「そうなんですよ。相手にも『そんなにかしこまらなくてもいいのに』って笑われました」
清水君は恥ずかしそうに頬をかいた。
「しかも、そのあと『ありがとう』って言われたのに、緊張していたせいで、何を返せばいいのか一瞬分からなくなってしまって」
「それで、どうしたの?」
「普通に『どういたしまして』って言えばよかったんですけど、返事を考えすぎて、結局、変にぎこちない返事をしてしまいました」
「その様子を拓海君に見られたの?」
「はい。そばにいたんですよ、あいつ」
清水君は、もう一度ため息をついた。
「そのあと、拓海に『お前、女子と話すだけでそんなに緊張するのかよ』って、ずっとからかわれました。今でも、何かあるとこの話を持ち出そうとするんです」
「あははっ……」
今度は、どうしても笑いをこらえられなかった。
「ご、ごめんね。清水君にとっては恥ずかしい話なのに」
「いえ、もう昔のことですから。ただ、あいつがいつまでも覚えているのが問題なんです」
少し拗ねたように言う清水君がおかしくて、私はまた笑ってしまった。
普段は、私が困っていると自然に助けてくれる清水君。そんな彼にも、話しかけられただけで返事に迷ってしまう時期があったのだ。
「……今の清水君からは、ちょっと想像できないかも」
「やっぱり、そう思いますよね」
「うん。でも、なんだか嬉しいな」
「嬉しい?」
清水君が不思議そうに聞き返した。
「だって、清水君も最初から何でも普通にできたわけじゃないんだなって思って」
私は少し照れくさくなりながら続けた。
「私も昨日、清水君の友達にどう思われるか気になって、最初はずっと緊張していたでしょう? 清水君はいつも自然に接してくれるから、私ばかり緊張しているような気がしていたの」
「……そんなことを考えていたんですね」
「うん。だから、清水君にもそういう時期があったんだって分かって、ちょっと安心したの」
清水君は驚いたように私を見つめたあと、照れくさそうに笑った。
「実は、昨日も少し緊張していたんですよ」
「えっ、清水君も?」
「はい。優里恵さんが拓海たちと仲良くなれるか、気になっていましたから」
清水君は少し考えてから、言葉を続けた。
「二人とも悪い人間ではありませんけど、拓海はあの調子ですし、直樹も積極的に場を盛り上げるタイプではないですから。僕がうまく間に入れなかったら、優里恵さんが居づらくなってしまうんじゃないかって」
「ううん。二人とも、すごく優しかったよ」
「そう言ってもらえると、安心します」
清水君はほっとしたように笑った。
「それに……優里恵さんに楽しんでもらいたかったんです。せっかく一緒に出かけるんですから、いい一日にしたいと思っていました」
私は、昨日のボウリング場でのことを思い出した。
最初にガターを出して落ち込んでいたとき、清水君は気にしなくていいと声を掛けてくれた。途中からは、私がピンを倒すたびに一緒に喜んでくれた。
あのときの優しい笑顔も、彼なりにいろいろ考えてくれていたからなのかもしれない。
「……そっか」
「はい」
「清水君も、いろいろ考えてくれてたんだね」
「もちろんです。優里恵さんと一緒にいる時間を、大切にしたいですから」
「……もう、清水君ってば」
私は思わず顔を伏せた。
どうしてこの人は、こんなにさらりと嬉しいことを言うのだろう。
昔の失敗を笑いながら話してくれたことも、昨日の私を気遣ってくれていたことも、どちらも少し意外だった。いつも優しくリードしてくれる彼にも、私がまだ知らない一面がたくさんあるのだろう。
「……ねえ、清水君」
「はい?」
「これからも、いろんな話を聞かせてね」
「僕の話ですか?」
「うん。昔のことも、今のことも。私、清水君のことをもっと知りたいから」
口にしてから、急に恥ずかしくなった。
けれど、今度は誤魔化さずに清水君の顔を見つめた。
清水君は少し驚いたように目を瞬かせたあと、柔らかく笑った。
「……はい。僕も、優里恵さんのことをもっと知りたいです」
その言葉が嬉しくて、私も自然と笑顔になった。
*
放課後。
いつものように清水君と一緒に校門を出た私は、帰り道を歩きながら、あることを考えていた。
それは、次の日曜日のことだ。
昨日は、清水君が誘ってくれた。
だから今度は、私から誘ってみたい。
そう思ってから、ずっと頭の中で言葉を考えているのだけれど、なかなか口に出せずにいた。
清水君と一緒に行きたいところはいくつかある。けれど、自分から誘うとなると、どう切り出せばいいのか分からなくなってしまう。
「優里恵さん、どうかしました?」
考え込んでいた私に、清水君が声を掛けてくれた。
「えっ、ううん。何でもないよ」
反射的に答えてから、私は小さく息を吸い込んだ。
これでは、いつもと同じだ。
せっかく自分から行動してみようと決めたのだから、ちゃんと伝えたい。
「あのね、清水君」
「はい?」
「今度の日曜日なんだけど……予定、空いてる?」
清水君は少し考えてから、頷いた。
「今のところ、特に予定はありませんよ」
「そっか。よかった」
そこまで言ったものの、次の言葉がなかなか出てこなかった。
清水君が不思議そうに私を見る。
「優里恵さん?」
「……あの、えっと」
頭の中では、何度も練習していたはずだった。
前から気になっていたカフェがあるから、一緒に行かないか。近くの雑貨屋にも寄ってみたいから、付き合ってほしい。
それだけなのに、いざ本人を目の前にすると、言葉が喉につかえてしまう。
清水君は急かすことなく、私の返事を待っていた。
その優しい顔を見ているうちに、少しだけ勇気が湧いてきた。
「……今度はね、私から誘ってもいい?」
口にした瞬間、心臓が大きく跳ねた。
清水君は一瞬驚いたように目を見開いたあと、すぐに嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「もちろんです。誘ってもらえるのは嬉しいですよ」
「ほ、本当?」
「はい。それで、どこに行きたいんですか?」
その言葉に、私はようやく緊張を解いた。
「駅の反対側にね、前から気になっていたカフェがあるの。落ち着いた雰囲気のお店で、ケーキもおいしそうなんだよ」
「へえ、そうなんですか」
「うん。それで、その近くに雑貨屋さんもあるみたいなの。私、そういうお店を見るのが好きだから……よかったら、一緒に行ってみない?」
最後の言葉は少し小さくなってしまったけれど、清水君は迷うことなく頷いてくれた。
「いいですね。ぜひ行きましょう」
「……本当に?」
「はい。優里恵さんが気になっているお店なら、僕も行ってみたいです」
清水君がそう言って笑う。
その笑顔を見た途端、胸の中にあった緊張が、すっと軽くなった気がした。
「ありがとう。じゃあ、日曜日に一緒に行こうね」
「はい。楽しみにしています」
清水君の返事を聞き、私は嬉しくなって笑った。
自分から誘うのは、思っていたよりもずっと勇気が必要だった。それでも、清水君が喜んでくれたのだから、思い切って伝えてよかった。
「……あ、そうだ。清水君は甘いもの、好きだったよね?」
「はい。好きですよ」
「よかった。じゃあ、おいしそうなケーキがあったら、一緒に食べようね」
「楽しみです。優里恵さんのおすすめも教えてください」
「うん!」
今度は迷わず答えられた。
清水君は、私が好きなものを知りたいと言ってくれた。だから、私も少しずつ自分のことを話していけばいい。
これまでは、清水君が行きたいところに連れていってくれたり、私が迷っているときに優しく声を掛けてくれたりすることが多かった。
でも、私にも好きなものがある。
清水君に見てもらいたい景色も、一緒に食べたいものも、これから少しずつ増えていくはずだ。
今度の日曜日は、そんな私の好きなものを、清水君に知ってもらう日にしよう。
「……楽しみだね、清水君」
「はい。僕も楽しみです」
並んで歩きながら顔を見合わせ、私たちは笑った。
次の日曜日が、今から待ち遠しかった。




