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かみがみ拾遺譚~掉尾の物語~  作者: 真上犬太
掉尾の三、ブルー・テスタメント
23/24

8、モータル

 

 九月は、八月のボーナストラックだった。

 ハレーションを起こす日差しに、あらゆるものが白飛びしていく。毒の滴るような夏の折り返し地点でもあった。


「よう」


 ご他聞に漏れず、上野駅不忍口の周辺も、焼けたアスファルトに増幅された熱気に支配されている。

 高架下の影にいても、それは同じことだった。

 すでに先に待っていた安納は、振り返って無言で片手を挙げる。

 

「ひでえ顔だな」

「これでも、昨日は丸一日寝たんだが」


 体の厚みが、一回りぐらい縮んでいる。着ているものが身頃にあっていないのは、激務と運動不足のせいだろう。

 顔色はましだったが、頬はこけて、目の周りも暗い。


「どっかで休むか?」

「いや、うちで飲もう」


 そのままタクシーを拾い、無言でセーフハウスへ向かう。

 目的地から少し離れた通りで降り、飲み物やつまみを揃えると、狭い小路の奥にある小さなマンションに潜り込んだ。


「何度、お前に恨み言を言ってやろうかと思ったよ」


 ぐったりと座り込み、吐息を漏らす。

 缶ビールを手渡そうとして、友人は首を振り、水のボトルを手に取る。仕方なく、信二もそれに倣った。


「あれを提出した時、死ぬかと思った。嘲笑、罵倒、叱責、それを搔き分けて、証拠集めと各省庁への根回し。その後は、アホの議員どもの頭に、事実を噛んで含めてねじ込むような、折伏しゃくぶくの連続だ」


 怨念としか言いようのない、それでもかなり抑えた調子の言葉。

 酒を遠ざけたのも、呑んでしまえば、これ以上の悲惨を叫ぶことになるからだろう。 


「終わったと思えば、外務省の連中と角突き合わせて、海外のお客さん用の『パンフレット』を制作。それ以上にめんどくさかったのは、警視庁の連中から、ねちねちと嫌味を喰らったことだ」

「警視庁が、なんで?」

「『A』と交戦した『異世界』の連中の情報をよこせってな。要は、テロリストを自分の管轄でのさばらせてたのが我慢ならん、って話らしい。知るかってんだ、クソが」


 あの青年が残した資料には、さりげなくそのことが添えられていた。

 未確認生物Aと交戦していた存在が、明かされないうちは、納得しないものも出てくるだろうということで。


『魔王軍の残党ですが、現在人間として生活しています。我々は、連中の身分を保護する条約を締結しました。ゆえに、あなた方に開示できるのは、『そんな連中がいた』という事実だけです』


 明らかに情報ですらないものを開示されたのだから、治安維持の組織としては、怒らないわけはないだろう。

 そして、八月にやってきたアメリカの調査団は、開示された事実に紛糾した。


「驚いたのは、勇者の何人かが、その場に呼ばれてたことだ」

「お前らが手配したんじゃないのか?」

「恐ろしいことに、俺たちはおろか、誰も(・・)、そのことを把握してなかった」


 岩倉悠里と辻隆健、それと三条日美香が、会談の席に現れ、事実確認の説明を行った。

 一応、日本政府としては、情報の開示タイミングをできる限り伸ばす、という姿勢を取るはずだったのだが。


「その上、ここでの会話とすべての情報を『各国首脳部に発信しろ』と、要求されたよ」

「な……なに!?」

「さらには『勇者』に対して、各国政府機関からの私的公的な接触の一切を禁止する、ってな」


 実のところ、『日米合同調査』は、八月の段階でいったん解散となり、今後の予定は不明という発表がなされていた。

 九月現在、アメリカはおろか他国からの打診も、公式には行われていない。

 当然、友人の言ったような事実も、公開されていなかった。


「もちろん、そんなものは認められるわけがない。調査団の連中も鼻で笑う始末だ」

「だろうな」

「そして、その七日後に、情報開示は行われた」

「なんで!?」


 友人は両手で顔を覆って、ため息を吐いた。


「先月、CIAの長官が『退任』した話は聞いてるか?」

「病気療養のためって情報くらいは」


 放り出された、一枚の写真。

 ある意味、時代錯誤的な代物に、特徴的な執務室の画像が映っている。

 豪奢な執務卓、見事な起毛が施された絨毯。テラスを望む大窓があり、白を基調にした壁も、きれいに整えられていた。

 そんな、絵にかいたような政府高官の個室に、異常が映っていた。

 白壁に黒々とした、シミが、こびりついている。

 人の形をした、シミが。


「同じものが、全世界の首相、大統領、国家主席、政治的指導者の、執務卓に置かれていたそうだ。もちろん、日本にもだ」

「みせしめ、だってのか?」

「分からん。多分、永遠に」


 不穏を感じて先制したのか、あるいは命令を下したことを確認したか。

 いずれにせよ世界最高峰の情報機関の長を、ためらいなく、妨害も受けず『消去』できる存在であると、明確に示したことになる。


「面白い話をしてやろうか」

「ホントに面白い話か? それ」

「日本に置かれた各国大使館。そこの駐在職員連中がな、この一月あまり、配置転換やら長期の病気療養で、入れ替わりまくってんだよ」


 具体的な国名は挙げなかったが、尋常ではない数の『追加実例』があったことは、友人の様子から想像に難くなかった。


「……棍棒外交かよ」

「外交ですらない。黙って首を垂れて従え、それ以外は許さない。そういうことだ」


 二人は水を飲み干し、ため息をつく。

 空調の利いた部屋の中で、この事件の奇妙な結末を、無言で見つめていた。


「あの連中は、こうなることを見越してたのかな」


 沈黙を破ったのは、信二からだった。


「弱腰でぐずぐずな日本の態度も、自国の保身と利益のため、貪欲に他人の庭を荒らしてくる、厚顔無恥な連中の行動も」

「結果、日本は一種のモラトリアムを手に入れた。あちらさんからは、合同調査再開の、ごの字も出てこないそうだ」


 信二は思い出していた。

 すでにおぼろな影になりつつあった、それでも魂を凍らせるような奈落の記憶を。


「国民への情報開示は?」

「その点だけは、あらゆる国家で意見が一致してる。"なかったことにしろ"、だとさ」

「……だよな」


 いくら現代地球で、宗教が求心力を失いつつあるとはいえ、『神の実存』などを公開すれば、世界は確実に『発狂』する。

 なにより、彼ら『外なる神々(アウターゴッズ)』が、地球人類を忌まわしき者として扱い、その絶滅を願っているなど、伝えられるわけがない。


「まさか『原罪』が、実在してるとはな。その上、どれほど赦しを乞うても、肝心の神様は、絶対に振り返らないときた」

「神様は死んだ、悪魔は去った。神も悪魔も降り立たない荒野に、俺たちはいる。って奴だな」


 そして、地球は回り続ける。

 この星で生きる定命の人々(モータル)が、その愚かしさを解消することもできずに争い、いつか自らの毒にこらえきれなくなって、死に絶えるまで。

 そうなったとき、外なる神々は、憐憫を垂れてくれるだろうか。


「これは、非公式な話なんだが」


 そんな信二の妄想を断つように、友人は告げた。


「日本に、いわゆる『諜報機関』を作る動きが出てきた。俺も、そっちに従事するかもしれん」


 ある意味、当然と言えた。

 確かに敵は超然とした存在で、それに対して何も手を打てなかったのは仕方ない。

 だが、その隙を容易に他国から突かれ、有象無象のテロリストに、戦車まで準備されたという事実は、『守る側』の組織の威信を粉砕した。


「この国の現状で、どこまでやれるかはわからんけどな」

「その一切が、無駄だとしても?」

「知るか。神なんざ、クソくらえだ」


 信二は、水のボトルを投げ捨てて、ビール缶を手に取った。

 友人もそれに倣う。


「気が向いたらな」

「それでいい」


 互いの缶を打ち合わせ、温い液体を干す。

 その一杯を最後に、信二は部屋を後にした。

 外気は相変わらず暑さしか感じず、滝のような汗が流れ始めた。


「――?」


 たっぷり一駅歩いたところで、切っておいたスマホの電源を入れると、一通のメールが届いていた。

 差出人は、本永充。


『今来れる? 日本にいる』


 ぶっきらぼうすぎる連絡に苦笑しつつ、必要なことを聞き出すために返信する。

 奇妙な探索の旅の果てにふさわしい、インタビュー相手。

 連絡を終えると、ビルと電車の高架に挟まれた空を仰ぐ。

 そこには、湿度でにじんだ紅が、広がっていた。

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― 新着の感想 ―
今回も面白かったです。 全て、収まるべきところに収まった……という感じですかね? 振り返って考えたら……。 グラウムさん達が孝人君たちにしたことも、 この章で勇者君たちが置かれた状況も……。 そし…
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