9、ブルー・テスタメント
待ち合わせは、東京にほど近い県の、私鉄沿線の駅だった。
改札を出たところで、ふらりと近づく影が一つ。
「おい」
声をかけてきたのは、よれよれのTシャツとジャージズボンの男。
ひげは剃り残し、髪の毛もざんばらで、一般人と路上生活者を反復横跳びしているような姿だ。
「久しぶり」
敬語も敬意もなく、ぶっきらぼうな親愛めいた感情がのぞかせる。
こういう人間でも生きられるんだ、というある種の赦しの塊のような存在。
それが本永充という、アーティストだ。
「お久しぶりです。八月は、お帰りにならなかったんですか?」
「空港。偉いさんが使うって。チケット、取り忘れたし」
例の査察団のあおりを喰らったわけだ。だが、本人は気にした風でもなかった。
「孝人の話が聞きたいって?」
「……正直、大体のことはわかってしまったので、ご足労いただくことも、無かったんですが」
「いいよ。孝人の先輩のとこ、行ったんでしょ」
どうやら、世間の動向をまったく気にしてないというわけではないらしい。
彼はぶらりと歩き出し、こちらもそれに従う。
幸いなことに、空はいくらか雲があって、涼気を感じる風が吹きわたっている。
「あんた、孝人の話、先輩にした?」
「……いいえ。その辺りは、こっちにも事情があったんで」
「よかった。あいつにも、口止めされてたから」
初めて会った時とは、別人のように雰囲気が柔らかい。
小倉孝人の調査を依頼してきた時には、この世界すべてを焼き尽くしそうな、憎悪を発散させていたが。
「ごめん、いろいろ」
「え? なにか、ありましたか?」
「孝人のこと、調べる時、無理させたかなって」
まるでこっちの心を、読んでいるような発言だ。
いや、もしかして。
信二はずっと疑問に思っていたことを、問いかけた。
「もしかして本永さんは、他人の心が、読めるんですか?」
「読める、のとは違うかな。でも、そいつがうそ言ってるのか、本当なのかは、大体わかるよ」
第一印象は、感情優先のコミュニケーション不全者。
だが、話していくうちに、言葉以外の部分を拾って先回りし、異常な理解力を示すことが何度もあった。
言語による対話ではなく、非言語対話を重視しているのだ。
「相手の声とか、しぐさとか、オレの内臓が反応する。うその言葉が入ってくると、体の……マップがずれる。ほんとのことなら、しっくりくる」
「もしかして、共感覚、って奴ですか?」
「師匠が言ってた、そんなこと。みんなは、わかんないんだってさ」
おそらく芸術家の資質と、本人の特異な感覚が組み合わさった結果。彼にとって、世界はどんな風に見えているのだろう、そんなことを思った。
住宅街を縫うようにして歩き、一件のアパートの前で立ち止まる。
「あそこ、孝人が住んでた部屋。ちょっと前まで、俺もいたよ。引き払ったけど」
「その……詳しくは言えないんですが、小倉孝人という人物は」
「どうでもいいよ。あいつ、もう死んだんだ」
振り返った顔は、やさしく笑っていた。
「おかしいよね。今じゃ、あの姿の方が、本当に思える」
「……それで、いいんですか?」
「いいんだ。俺はあいつじゃない。あいつも、俺じゃない」
何もわからない、過程をすっ飛ばした言葉。
それでも、彼はすべてを納得して、首を振った。
「みんなも、わかればいいんだけどな。でも、わからないと思う」
「なにを、ですか?」
「どうしようもないことは、どうしようもないって。だから、孝人も、おやじさんたちには、会わないで行ったんだ」
多分、彼は運命とか、因果の話をしているのかもしれない。
人間の死、相手が何を思っているのか、自分は他人とどう向き合えばいいのか。
そんなものは結局、誰にもわからないのだと。
「そういえば、首藤さんに描いてあげた絵、見ましたよ」
「ああ」
「お返しと言っちゃなんですけど、これ」
人目を気にしつつ、スマホに記録させた一匹のネズミの雄姿を、見せてやる。
彼は吹き出し、腹を抱えて笑った。
「そっか、こんなことやってんだ、あいつ」
「この一枚のおかげで、俺はこの三か月近く、死ぬ思いをしましたけどね」
「いいなあ。俺も見てみたかったよ」
それから、近くの河川の土手へ、長い散歩をした。
生まれ変わった一匹のネズミの冒険譚を聞きながら。
「それじゃ、帰ったところは見ていないんですか?」
「あいつは孝人だったけど、もう孝人じゃないから」
「そう、ですか」
あの異界の怪獣を倒すのに、小倉孝人はさまざまに動いたらしい。この世界に禍根を残さないようにと。
これもまた、現場のニンゲンが頑張りすぎて、収まってしまった結果だ。
「ねえ、本永さん」
「なに?」
「神様って、どう思います?」
彼は、信二に向きなおり、ずいぶん長いこと、見つめていた。
それから、笑った。
「俺らと同じだよ」
「……受け入れられないです。それは、あなたが、アーティストだから言えることだ」
「そっか」
芸術家はあきれたように笑い、風に吹かれて川岸を眺めていた。
それから、足元に視線を落とした。
「子供のころ、なにもわからなかった。みんなが、わからなかった。うそばっかついて。怖くて、嫌で、全部捨てたかった」
虚空を見つめているのではなく、そこにいた誰かを、やさしく見つめていた。
「俺はうそなんてつかない、俺のほんとうを分かってほしいって。でも、それも、うそだった。俺も、うそをつくんだ。みんなも、怖いんだ。そういうのが、わかった」
それから彼は、彼方を見晴るかす。
雲の切れ間から届く、ぎらつく太陽をあびて、世間に真実を打ち明ける様に。
「神様も、同じだよ。怖いから、わからないから、閉ざしてるだけだ」
語り終えると、なにもかもを置き去りにして、歩き出していく。
「俺たちは同じで、違う。分かるのは、それだけだ」
追いかける気はなかった。
多分、信二がついて行けば反応するだろうし、ついて行かなければ、そうと受け入れるだろう。
だから、
「ありがとうございました!」
挨拶し、背を向ける。
束の間の晴れ間が、雲によって隠され、急激に空を黒い帳で覆い始める。
夕立、という言葉は失われ、ゲリラ豪雨なんて風情のない言葉が、幅を利かせる昨今。
さすがに、濡れるのはごめんと、走り出そうとしたとき。
「え?」
見たこともない、一人の少年が立っていた。
黒髪、栗色の目、細身の体を学生服のシャツとズボンで包んだ男。
平凡を絵にかいたような存在。
「気になったんで様子、見に来たんだけど、大丈夫みたいだな」
なぜか、首からひもでスマートホンをぶら下げたそいつは、こちらの様子を見つめて、うなづいた。
「変に期待させないほうがいいって、ソールたちは言ったんだけど、あいつらに絞られてたみたいだから」
「……今更、アフターフォローのつもりか」
「ただのおせっかいだよ。気に入らないなら、ごめん」
本当に済まなさそうに頭を下げると、少年は今にも降り出しそうな空に顔向けた。
「神去の封鎖は、必ず解いてみせる。ただ、すぐは無理だから、今はあんた一人の胸に、収めといてくれるかな」
「……お前は?」
「神無き星の、カミサマ候補さ」
それは、だしぬけな轟音と、閃光。
全身をしびれさせる衝撃が突き抜けて、
「あ……!」
目に焼き付いた、稲妻。
鮮烈な一撃が、黒い雲を貫いて吹き散らし、晴れ渡った蒼空を、開いて見せた。
それはまさしく。
「青天の霹靂」
信二のつぶやきに応える様に、竜の咆哮のような雷鳴が、鳴り渡っていく。
「新しい神様は、契約の印に稲妻を置くってか」
それはたぶん、信二以外は誰も知らない、祝福。
鼻で笑うと、彼は歩き出す。
神去りし星の、神を忘れた国の民のまま。




