男の娘襲来(2)
とんでもないことになった。
薫は手に顔を突っ込んで呻く。
確かに人手は欲しいと思っていたが、だからと言ってヴィーゼルはない。
ため息を吐きつつ、薫はカウンター内に入った。
そこでしばらく待っていると、ヴィーゼルと桃子が売り場に戻って来た。
「見て下さい竹山さん! 美世留ちゃん、すっごく可愛いですよ!」
興奮気味の桃子の後ろから出て来たヴィーゼルは、薄緑色のワンピースと白いエプロンドレスを着ていた。
ワンピースの袖は絞って膨らみ、スカートはふわりと広がっている。
とても女の子らしい制服で、桃子と同じものだ。
「あの……。桃子さん」
「何ですか?」
薫は言いにくそうに答える。
「ヴィ……じゃなくて、美世留は男です……」
「え?」
桃子は目をパチクリさせる。
そして、ヴィーゼルと薫の顔を、何度も交互に見た。
「え、ええ? えええ〜!」
ヴィーゼルは桃子の驚きをよそに、その場でくるんと一回りした。
どうやらスカートの広がり具合に満足しているようだ。
「ご、ごめんなさい! 私てっきり女の子かと。あれ? でも、昨日はスカートをはいていたような。あれ? え?」
桃子はだいぶ混乱していた。
これはヴィーゼルが悪い。
「ボクこの制服でいいです」
「え、でも!」
「ボク可愛い格好は好きですから」
「そ、そう?」
桃子はまだ戸惑っている。
「この格好はボクに似合いませんか?」
ヴィーゼルは小首を傾げて桃子に尋ねる。
少し眉を寄せ上目使いのヴィーゼルは、同じ男のはずの薫から見ても可愛く映った。
「ううん! 可愛い!」
首を横に振って、桃子が急いで答えた。
「ありがとうございます!」
ヴィーゼルは桃子の首に腕を回し、思い切り抱き付いた。
桃子はそれを嫌がらず、逆にヴィーゼルの頭を撫でて可愛がる。
「こらっ! 美世留!」
薫はカウンターから出て、ヴィーゼルを桃子から引き離した。
「何してんだお前!」
ヴィーゼルの頭を思い切りはたく。
「喜びを身体で表しただけです」
「それがダメなんだろうが!」
薫はヴィーゼルの両頬をギリギリと引っ張った。
「桃子さんも! こいつに抱き付かれて、頭を撫でている場合じゃないでしょう!」
ヴィーゼルの頬を引っ張りながら、薫は桃子に顔だけ向けて注意した。
「可愛くてつい……」
「ついって……」
桃子の返答に、薫は脱力した。
これが、ヴィーゼルの言っていたガードが緩むというやつか。
うらやま……じゃなくて!
思わず出て来た嫉妬を脇にどけ、薫は再び桃子に注意を促す。
「桃子さん分かっていますか? こんななりでも高校生男子ですよ」
「高校生男子……。そういえばそうですよね」
ヴィーゼルがいきなり女に抱き付いていいような年頃じゃないことは、桃子は理解出来ているようだが、頬に手をあてて、目をぱちくりさせている姿は危機感が足りていないように見えた。
「桃子さん?」
「えーと。私よりちっちゃくて可愛いから、男子高校生って感じがしなくて……」
桃子は困ったような顔をしつつも笑っている。
これは危ない。
そう判断した薫は、頬を掴んだままのヴィーゼルに向き直った。
「桃子さんにいきなり抱き付いたら飯抜きの刑」
桃子には聞こえないように、薫は小声でヴィーゼルに言った。
「ううう」
ヴィーゼルは抵抗しようとしているようだ。
頬を引っ張られながらも、不満を顔に表す。
そのヴィーゼルに薫は顔を近付け凄む。
「返事は?」
「……ひゃい」
ヴィーゼルは渋々答えた。
返事を聞いた薫は、ヴィーゼルの頬を離してやる。
「飯質とは卑怯な……」
ヴィーゼルは頬を擦りながらぼそりと呟いた。
全然反省していない。
また頬をつねってやろうかとした時、低い声が聞こえてきて薫は手を止めた。
「お前ら仕事しろ」
声の主は、厨房と売り場の境に立つオーナーだった。
「あ、ごめんなさい」
「すみません」
薫と桃子はすぐに謝る。
「それと、働くのは良いが、桃子に手ぇ出すんじゃねえぞ」
ドスの利いた声で言いながら、オーナーがヴィーゼルをギロリと睨んだ。
手に持ったままの包丁が、オーナーの恐さを倍増させる。
それを見て、ヴィーゼルが一瞬で固まった。
ヴィーゼルの近くにいたせいで、オーナーの睨んだ顔を薫ももろに見てしまい、身体が勝手に縮み上がる。
とんだとばっちりだ。
「ちょっとお父さん! 恥ずかしいからやめてよ!」
桃子が顔を赤くしながら、オーナーを慌てて厨房に押し入れる。
「今のは気にしなくていいからね」
顔を赤くしたまま、桃子が厨房から戻って来た。
「さあ! 仕事を始めようか」
気分を一新させるかのように、桃子が大きな声を出した。
「はい。よろしくお願い致します」
フリーズが解けたヴィーゼルが、桃子と一緒にカウンターの中に入る。
桃子がヴィーゼルに作業内容を教え始めた。
薫も厨房に戻って仕事を再開する。
そして、みっちりと指導を受けたヴィーゼルは、バイトの審査を見事に合格した。
無表情なのはかなりの減点ポイントだったが、それをカバーしてあまりあるほど完璧な接客だった。
さすが王族の相手をしているだけのことはあるといったところか。
女を苦手とする薫や、厳つい顔で客を恐がらせるオーナーより、よほど使える人材だった。
ほとんど一人で応対をしていて、接客で苦労していた桃子は、ヴィーゼルの採用を歓迎した。
ヴィーゼルの女好きを考えると採用してほしくはないが、接客に関して役立たずな面もある薫に、否を唱える権利はない。
こうして、ヴィーゼルはケーキ屋の一員となった。