男装少女の奮闘2
二
バルディは無精ひげを生やし、だらしなく旅装を着崩した男で、応接室に通されるなり室内の装飾を不躾に眺め回した。
「捨てちまったんですか」
フィリップが治めていたころはあった数々の美術品がなくなっていることを指して、バルディが訊いた。
「いえ、売ったのです。ご存知の通り、金策に苦慮していますから」
「そうでしたか」
訊いてきたのはバルディなのに、返答は適当だった。わたしは彼のそういう態度にペースを乱されないよう注意して、話を切り出した。
「それで、今回はどういうご訪問でしょう?」
わたしはてっきり、バルディが何らかの理由をつけて、わたしが本当に神の加護を受けているのかどうかを確かめようと難題をふっかけてくるだろうと考えていた。ところが、バルディはばりばりと黒い癖毛を掻き回して、
「ああいや、殿下がそう緊張なさることはないんですよ。こっちがお願いに上がった次第なんで」
「……お願い?」
「我が主、フィリップ第一王子殿下が治めている領地のうちのひとつに、今度また宮殿を築くことになったんですけどね。陛下の避暑のためのもんなんですが。そのための石材が不足してるもんで、こちらに融通してもらえないかと」
石材?
なぜアガムに?
そもそも、石材ならばフィリップの持つ広大な領地内でいくらでも採れるはずだ。
「……今のアガムに、そんな大量の石材はたくわえがありません」
訝しむわたしに、バルディは眠たそうな目で答えた。
「そこはほら、砦があるじゃないですか? フィリップさまが統治していた間に築いた北の砦。あれを解体するとか」
「……なんですって?」
わたしは耳を疑った。
バルディはちゃんと話は聞こえてたでしょ、とばかりにわたしを見返してくる。
「ですから、フィリップ殿下はそうお願いしてこいと私に言ってきたわけです。北の砦、解体してもらえませんかね」
「…………」
バルディの提案は、その実脅しだ。
フィリップ統治時代、戦を重視する彼の方針に従ってアガム内には城や砦が新たに築かれた。そのため、今のアガムは貧しい一方、守りの面ではある程度安定しているといえる。
だが、バルディはその守りを自ら放棄しろと言っている。これは「さもないと、こちらに反抗の意志ありと見なすぞ」ということであり、「断れば攻める用意があるぞ」ということでもある。
かといって忍受して砦を解体したとしても、フィリップがアガムを攻めないという保証はない。むしろ、いつか攻めるときのために砦を解体させようとしているのかもしれない。フィリップなら、口実なんかいくらだってでっち上げてくるだろうし。
「陛下は……陛下はこのことをご存知なのですか」
そばに控えていたゲラーが身を乗り出すが、バルディはまるで他人事のように醒めた様子で、しれっと言った。
「あとでご存知になりますよ」
「…………」
青ざめたわたしの顔を横目で見て、ジンが前に出る。
「考える時間くらい、いただけるんでしょ」
「そりゃもちろん」
「気になることもおありでしょう。その間、領内を見て回ってくるといい。気が済むまで」
ジンは表情ひとつ変えず、砦についての脅しの他にもわたしの噂の真偽を確かめたいだろうバルディを皮肉った。ゲラーが応接室のドアを開ける。
バルディはぐっと片方の眉を上げて、「そうしますよ」と椅子から立ち上がった。ヤンビーに導かれて部屋を出て行く彼の背中を睨みつけ、わたしは歯噛みした。
夜になって、わたしは寝室を抜け出した。この城は丘の上に建っているから、屋上に出ると星々がよく見えるのだ。
持ってきた上着を羽織り、しばらく夜空を見上げてぼんやりしていると、後ろに気配を感じた。振り返った先には、想像通りジンが立っている。
「断ります」
開口一番そう言ったわたしに、ジンはやっぱりな、という顔をした。
「いいのか?」
「はい。……というかたぶん、あちらもそれを織り込み済みなんです。こんな話受けるはずないと分かっていてふっかけてきたんだ。断ったら次の『お願い』を出してくると思いますけど、初めからそっちが本命でしょう。最初に到底無理な頼み事をしておいて、次の頼み事を断りづらくするのです」
たぶん、そっちは断れない。受けざるを得ないだろう。
交渉の余地などなかった。わたしの力不足だ。
俯いたとき、ぐっと身体が引っ張られてわたしはぎょっとした。ジンがわたしの肩を抱き寄せて、自分の外套の内側に半ば囲い込むようにしたからだった。
「な、なん、なんですかっ!?」
「何って寒いだろ。どうも忘れてるみたいだが、殿下が丸一晩水風呂漬けだったのはついこの間のことだって分かってるか? ちゃんとした外套を着てくるべきだった」
ま、まあ、春とはいえ夜は少し寒いけれど。自慢じゃないが男の人とこんなに近づいた経験なんかないし、全身が硬直してしまう。
いや、平常心平常心、わたしはユーファウスだ。男ということになっているのだから、こんなことでぎくつくと変に思われる。
ん? いや、男と思っている相手に平気でこんな接触をするジンのほうがおかしいのか。よく分からなくなってきた。
「ああ、これも殿下の不敬ポイントだったか?」
間近に迫ったジンの顔がこちらをのぞき込む。
何だか気が抜けた。
「……気遣いからのことなら不問にします。あ、ありがとう」
なぜかお礼の言葉がどもってしまった。ジンはくすりと笑う。人を馬鹿にした笑みでも、飄々としたいつもの笑みでもなく、穏やかな笑い方だった。
細くたなびく雲が風に流されていく。
さっきまで見えなかった星が雲の後ろから現れ、代わりに別の星が隠される。
「フィリップ殿下の本命の『お願いごと』ってのは」
ジンが空を見上げてぽつりと言った。
「あんたが危険な目に遭うような内容だろう」
「でしょうね」
あくまでわたしが自ら望んで受けたかたちにして、わたしがそれを遂行する中で命を落とすことを期待しての「お願いごと」だろう。王族殺しの罪をかぶらずにわたしを排除するには良い手だと考えたのか。
神の加護を受けていてもいなくても、どのみちフィリップにとってユーファウスは邪魔、ということだ。
「成人してからこっちそんなことばっかりだな、殿下は」
「本当ですよ。いい加減疲れます」
呆れたようなジンの茶化しに、わたしもわざとらしくため息をつく。
すると、わたしの肩を抱いているジンの手に力が込められ、ジンの声音が真剣さを帯びた。
「それでも断るって言うんだな、殿下は?」
わたしはにわかに込み上げた怯えに肩を震わせた。ジンには気づかれてしまっただろうに、彼はそれについては何も言わなかった。
「……心変わりはありません。私は大丈夫です。ここさえ乗り越えれば、アガムはきっと良くなりますからね」
「……そうかい。ま、そうとなれば俺の仕事だ。フィリップが何をふっかけてくるかは想像つかないでもないが、必ず何とかしてやるさ」
わたしは身をよじってジンの顔を見上げる。
彼はわたしの目を見返している。けれどわたしは何と言ったものか、言葉が見つからず、ただ微笑み返して結局空の星々に視線を戻した。