男装少女と騎士の出逢い3
二
晴れて金緑騎士が決定したあと、王族での会食を済ませ、わたしはジンとヤンビーを伴って、馬車でアガムへ向かった。
フィリップも、自分の馬車でわたしの先導をしている。アガムは今日付けでわたしの領地となるが、それまではフィリップが統治していた。引き継ぎのため、フィリップも同道しなくてはならない。
アガムはオールダンド南部の高地とその一円である。規模としてはオールダンド内最小の領地で、なんというか、相続するには「ハズレ」の土地と言われてきた。規模の小ささもさることながら、これまで何度も近隣の領主たちのいざこざに巻き込まれたり、強引な領主のとんちんかんな統治にたびたび振り回されてきた経緯があり、歴史的に不運な土地なのだ。政治の迷走の被害をもろに受けてきたため、領内は荒れているらしい。
だから、こんな小規模な領地にも関わらず、民衆による反乱が頻繁に起こる。
戦好きのフィリップは、それを嬉々として鎮圧してきた。いや、鎮圧というレベルではない。血に酔い、酩酊して、民を虐殺している。アガムの人口はフィリップの治世で一気に減ったそうだ。ユーファウスさまがそうおっしゃっていた。
領内に三カ所ある城のうち、政庁として機能している山の頂上にある城にわたしたちは向かっている。街道を走る馬車の窓からは、近くの集落の様子が見える。
街道に座り込む物乞い。略奪の痕が生々しい空の村。遠くで何かが燃えている。黒煙が空へのぼっていくのが見えた。
フィリップ。あなたは何年も、ここで何をしていたの。
「あんまりまともに見るもんじゃない」
一瞬、誰が言ったのか分からなかった。窓に釘付けになっていた視線を戻すと、向かいに座ったジンが醒めた目でわたしを見ている。
「殿下の目には酷でしょう」
「私が今日から何とかしなくてはいけない景色ですよ」
そう返すと、ジンは心底驚いたように目を丸くした。
「……殿下。あんたはここを治めないでしょう? 何を言ってんです?」
「…………」
わたしは内心でやっぱりか、と思った。叙任の際、わたしに忠誠を誓った慇懃な態度はどこへやら、一転してこれだ。わたしはやっぱりハズレを引いたようだ。ちょび髭の男のほうが当たりだったか。
わたしは静かに控えているヤンビーを一瞥して、口出し無用であることを伝えると、ジンに向き直った。
「それは、私がフィリップにアガムを委ねるだろうと考えての言葉ですね」
「そうしないんですか」
「しません」
ジンの表情が怪訝そうに歪む。
「その様子だと、私が名ばかり領主になるものと思って、自分は実際にはフィリップに仕えることになるものだと考えていたみたいですけど、そうはなりませんよ。あなたには私の指示でキリキリ働いてもらいます」
わたしはにっこりと微笑む。半分は自分に言い聞かせているようなものだ。どのみち、一度フィリップを退けないかぎりはアガムを救えない。その覚悟を決めなくては。
「……殿下は世評よりも理想家なことで」
早々に忠義者の仮面を取っ払ったジンは、呆れたように肩をすくめた。
すかさずわたしも笑顔で嫌みを返す。
「あなたも、思ったよりも実際家で利にさとい。以後、私に敬語は不要です。フィリップに付きたいならそうしなさい」
「それはどうも」
彼は悪びれることなくそう答えた。
これまでの人生で味わったことのない淀んだ空気を詰め込んで、馬車は走りつづけた。いつも無表情のヤンビーが珍しく居心地悪そうに身じろぎするくらいのギスギスした雰囲気のまま。
すっかり辺りが夜になったころに城に着くと、さっそくわたしたちは執務室に赴き、各種の引き継ぎ手続きを行った。
しかし、今日引き継ぎだと前々から分かっていただろうに、城内にはフィリップの部下たちがうようよ残っている。これを見ただけで、フィリップの腹は知れようものだ。
「よし、こんなところか。領内の聖階教会との連携は明日だな。今日はもう時間が遅い」
「ありがとうございます、兄上」
机上に広がった紙束をひとまとめにし、わたしは椅子から立ち上がる。
そのとき、フィリップがわたしの肩を掴んだ。
「なあ、ユーファウス」
来た。
わたしは平静を装ってフィリップを振り返る。
「何でしょう」
「お前、本当にアガムの領主をやれるのか?」
フィリップの表情こそ親愛の情に満ちているように見えるけれど、その皮一枚下は違う。わたしは黙って彼の顔を見上げる。
「領主に休みはない。戦の指揮も執らねばならん。聖階教会の僧侶どもとの付き合いは向かっ腹が立つことばかりだ。お前の身体が保つか?」
フィリップはわたしの両肩を掴んで言い聞かせるように言う。
「兄はお前の身を心配しているのだ。さいわい、アガムは俺の治めてきた場所。お前が俺に任せたいと言うなら、俺はそれを容れる用意がある」
予想していた通りの提案だ。ここでわたしが「では、そのあと私をどうなさるおつもりですか」と訊ねたら、フィリップは適当に嘘をついて取り繕うだろう。アガムはフィリップの暴政にさらされ続け、わたしはユーファウスとしてどこかへ監禁されて、おしまい。
緊張で心臓が口から出そうだ。けれど、頷けない。そうするわけにはいかない。
わたしはフィリップの視線を真っ向から受け、首を横に振った。
「……なぜだ」
フィリップの顔色が変わる。掴まれている両肩が痛みを訴える。
「兄上のお気持ちは嬉しいです。でも、私は大丈夫です。王廟での修練を経て、私も少しは逞しくなりました。兄上は他にも大きな領地を治めておいでですし、これ以上煩わせはしません」
「馬鹿なことを。兄たる俺に嘘は通じないぞ、ユーファウス。お前では無理だ。分かっているだろう?」
そうだ。ユーファウスさまは自分では無理なんだ、と血を吐くようにおっしゃった。
だからわたしがここにいる。
「アガムは私が治めます。そうさせてください、兄上」
フィリップの顔が嗜虐的に歪んだ。
「……いいだろう。この兄が直々に思い知らせてやらねば、お前は現実を見られないようだ。剣を帯びよ。外へ出る」
わたしは密かに周囲に視線を巡らせた。城には大勢のフィリップの部下。この部屋のドアも窓も、彼らに押さえられている。
対して、わたしの味方は戦闘訓練の経験のない女性のヤンビー。ジンはわたしの金緑騎士ではあるが、フィリップに付く可能性が高い。
わたしは仕方なく浅く頷いた。
フィリップがにやりと笑い、「行くぞ」と部下に声を掛けて悠然と部屋を出て行く。わたしもそのあとに続こうとして、足を止めた。ジンが足音も立てずにやってきて、わたしの隣に並んだからだ。
「ほらな。言わんこっちゃない」
彼は呆れたような、不思議そうな、戸惑っているような、複雑な表情でわたしを見下ろしている。
「だから言ったろう、なよっちい王子さん。結末は変わらんよ。あんたが余計に痛い思いをするだけだ」
「…………」
恐らくわたしを逃がさないために部屋に残っているフィリップの部下たちの視線が突き刺さる。ジンは、わたしを逃がしてやるとは言わない。剣に手を掛けることさえしない。
それは正しいことだから、がっかりしてはいけない。今そんな敵対行動を示せば、数の差で鏖殺されるだけだ。
「力こそが全てってのも、一種の真理だ。アガムのことは諦めろ。今は悔しくてたまらなくても、いつか忘れられる。人間そんなもんさ」
わたしは黙って歩き出した。
城の外へ出ると、馬が用意されていた。てっきり城の前の広場で剣を抜くことになるだろうと思っていたわたしは驚いて歩みを止めた。
フィリップが意地悪く笑う。
「何をしている? 村へ下りるぞ」
村? どうしてそんなところへ。
疑問が口をつきそうになるが、今は、言いなりになるしかない。
フィリップの部下たちがともす松明の明かりが夜の道中を照らす。わたしはしきりに心配するヤンビーを城に残し、馬上の人となった。ジンは勝手に付いてきているみたいだが、わたしの乗る馬は周囲をフィリップの部下に囲まれていて様子はよく分からない。
フィリップは危険など犬に喰わせろとばかりにずんずん進んでいく。獣や野党に襲われる可能性を考えていないわけじゃないだろうに。
やがて一団は森を抜け、近くの集落に出る。そこでフィリップは馬上からこう言った。
「おい、出てこい! グリース国王陛下が第一王子、フィリップである!」
大慌てで家々から飛び出してきた民衆が、松明の橙色の光に照らされる。わたしは息を呑んで彼らの汚れた顔を見た。フィリップに対する恐怖が染み付いて、みな青ざめている。
これがフィリップの治世の成果か。
すると、フィリップは馬から降りて、おもむろに近くの家の戸口に立てかけてあった鉄製の鍬を手に取った。人々があっ、と悲鳴を上げる。
「そ、それは……!」
「おやおや。これは鉄を使ってあるではないか」
おののく人々の前でフィリップはこれ見よがしに鍬を眺め回し、それを部下に投げよこす。
「これは没収だな」
「お、お待ちください! それがなくては畑が……」
取り縋ろうとする村人を、フィリップは鬱陶しそうに蹴り飛ばした。わたしを振り返って言う。
「ユーファウス、見ろ。今の世の民ときたら、金属を用いた農具を隠し持ち、隙あらば反乱を企てる。お前にそれを御せると言うのか? 王家の者が農具で殺されるなどという不名誉をこさえるのが関の山だろう」
詭弁だ。
わたしは怒りのあまり声も出せず、フィリップを睨み返した。自分の暴政を棚に上げて、武器になるからと農具を没収して回っていたなんて、それでは実るものも実らない。みな、飢えて死んでしまうではないか。だから村を捨てる民が増え、野党が跋扈することになる。
フィリップはわたしの様子を全く気にせず、村人たちに向き直る。
「この者は我が弟、ユーファウス!」
村人たちがにわかにざわめく。
彼らもフィリップからユーファウスに領主が替わるという報せは受けていたはずだ。新旧の自分たちの領主を前にして、異様な状況に戸惑っている。
フィリップはにやつきながら続ける。
「だがお前たちも聞き及んでいよう。ユーファウスは残念なことに身体が弱く、到底アガムを治められる男ではないのだ。しかし我が弟は兄の忠告を聞かぬ。このままではお前たち民を混乱させてしまう。よってこの場で、誰が正しいアガムの主か、明らかにしておくこととする」
なるほど、そういうことか。わたしはここまできてやっと得心がいった。
わたしを村に連れてきたのは、わたしをダシにして村人たちに改めて自分に対する恐怖心と恭順を刷り込むためか。領主の交代と聞いて、フィリップの統治に苦しめられてきた人々は少なからずユーファウスの存在に希望を託していたはずだ。この場でそのユーファウスを叩きのめせば、もうフィリップに逆らおうとする民はいなくなる。
フィリップがゆっくりと剣を抜いてこちらに一歩踏み出す。
「ユーファウス。さあ、一対一の決闘だ」
わたしは馬から降り、腰に帯びた自分の剣を抜いた。今日陛下にいただいたばかりの宝剣だ。こんなかたちで使うことになるとは夢にも思っていなかった。
離れて立つわたしたちを、フィリップの部下たちと村人たちが見守る。フィリップの部下たちは半笑いで、村人たちは唇を噛み締めて。
わたしは深呼吸して剣の柄を握り直す。
冷静にならないと。怒りは頭から追い出して、冷静に。
「——兄の裁きを受けるがいい!」
そう叫ぶや、フィリップが斬りかかってきて、わたしは剣を胴の前に立てた。
腕にびりびりと痺れが走る。受け止めた剣は重く、戦狂いのフィリップらしい力強さで押してくる。
考えなければ。騙さなければ。
わたしにチャンスがあるとすれば、フィリップがわたしを侮っていることだけだ。
間近に迫ったフィリップの顔に驚愕が浮かんでいる。病弱なユーファウスが、まさか自分の剣を受け止めるとは思っていなかったのだろう。とはいえ、彼はまず、一回かぎりのまぐれだと考えるだろう。
思った通り、彼はにやりと笑って後ろへ跳んだ。わたしはよろめくそぶりをする。
「ふん、鍛錬をさぼっていなかったのは感心だ。しかし俺には及ばん!」
「っ!」
また剣が交わる。真っ向から力勝負しては負ける。相手は戦狂いのフィリップなのだ。
わたしは体勢を崩したふりをして手首を傾けて刃の上を滑らせるようにし、フィリップの剣を受け流す。
「なにっ!?」
力の行き場を失ってつんのめるフィリップ。しかしすぐさま次の太刀を放ってくる。
わたしは土の上を無様に転げ回り、近くに積んであった藁を掴んで投げつけることさえして、フィリップの斬撃をいなし続ける。
腕や脚にいくつも裂傷や打撲傷が出来ていくが、わたしは降参しなかった。
フィリップは間もなく苛立ち始めた。
「ええい、ちょろちょろと! ユーファウス……もはや貴様に兄の温情は伝わらんかっ!」
「!」
我慢の限界に達した兄が、大上段から加減なしの振り下ろしを喰らわせようとする。
そのときが好機だった。
わたしは無防備なその顔目掛けてさっき片手に握っておいた土を掛けた。
「ぶぁっ!?」
兄が砂に目と口を潰されてむせる。苦しそうに波打つ腹に、わたしは剣の鞘を叩きつけた。
「————!!」
声のない悲鳴を上げて、兄がもんどりうって倒れる。
「フィリップさま!」
部下たちが血相を変えて彼に駆け寄る。
わたしは肩で荒い息をしながら、その様子を見下ろした。
「あ……アガムの、領主は、私です!」
宣言した声は震えていた。情けないことだが、これが精一杯だった。
村人たちが顎を落としてわたしとフィリップの顔を交互に見ている。
そのとき、背後でがきん、と鈍い金属音がして、わたしは振り返った。
「それは反則だろう」
わたしの背に向かって放たれた、フィリップの部下による剣を、ジンが自分の剣で阻んでいた。わたしは思わず後ずさる。全然気づかなかった。
「じ、ジン……」
「殿下は下がって。……おい、下手な考えを起こすなよ。王族殺しは拷問ののち一族郎党死罪だろ」
ジンの冷静な忠告は効果があったようだ。わたしたちにじりじりとにじりよっていたフィリップの部下たちの包囲網が緩む。
と、森のほうがにわかに騒がしくなり、馬に乗った一団が現れた。みな軍服を着ている。
すわフィリップの増援かと思ったが、そうではなかった。
「われわれはアナベル王妃殿下より遣わされた、ユーファウスさまをお守りする兵である! いったい何をなさっているのですか、フィリップさま!」
アナベルさまが!
先頭の生真面目そうな軍人が胴間声でそう言ったのを聞いて、わたしはほっと胸をなで下ろした。
アナベルさまが与えてくださった兵たちの護衛で城へ戻る途中、わたしは隣のジンに訊ねた。
「どうして助けてくれたのです?」
ジンは微かに笑って答えた。
「助けてはないだろ? 俺はあんたを独りで戦わせた」
それは……まあ、そうだが。
でも、それはわたしも望んだところだった。わたしが戦わなければ、フィリップも納得しなかっただろうし。
「フィリップに点数を稼いでおかなくていいのですか」
「そうだな。あいつに付くなら、常に点数を稼いでおかないと平気で切り捨てられそうだ」
まずくすると、新しい剣の試し斬りの相手として消費されかねない。
ジンは冗談めかして言うが、あながち間違ってはいないと思う。フィリップの酷薄さを身を持って味わった今は特に。
「だから、あんたに付く。あんたはそういう人間じゃないと分かったからな」
「つくづく利にさとい人ですね……」
「もちろん、それだけじゃないさ」
ジンはにやっと笑ってわたしを横目で見た。
「付くなら目に華やかなほうがいい。自分がここの領主だと言ったときのあんたは文句なしに綺麗だった。姫君でないのが悔やまれるな」
「…………」
わたしはじっとりと湿った目でジンを睨んだ。
「不敬罪で処刑してあげてもいいんですよ」
「敬わなくていいと言ったのはあんただろ?」
「そんなこと言ってない。敬語はなしでいい、と言っただけです。姫君だったらなー、なんてよく言えましたね」
「じゃあ王子で良かったって言えば良かったのか? そっちのほうが怖くはないか」
「……もしやそっちの方でしたか?」
「違うっ!」
その晩、わたしはヤンビーに怪我の手当てを受けて泥のように眠った。
フィリップも城に泊まっていったようだったが、未明にこっそりと部下たちを連れて城を去っていったらしい。ヤンビーがそう教えてくれた。