男装少女と騎士の出逢い2
一
天の階。それは千年ごとにこの世界のどこかに現れる奇跡だ。
文字通り、天から地上へと光の階段が伸び、そこからは天上に住まう神が降りてきて、これはという人間の望みを何でも叶えてくれるという。なぜそんなことをしてくれるのか、神とはいったい何者なのか、選ばれる人間の基準は何なのか。全ては曖昧で、正確な情報は伝わっていない。
その神を祀っている聖階教会内部でさえ、それらの解釈について対立が起こり、いくつかの宗派に別れてしまっている。しかし、選ばれる人間は少なくとも何らかの分野において秀でている人間である、という解釈はおおかたどの宗派でも一致していて、そのせいで戦となれば右に出る者のないフィリップ王子の増長が止まらないわけだ。
千年前、神に選ばれた人間はこの世界に魔法という新技術を望み、神は彼の部族にそれを与えた。魔術師と呼ばれる異能者たちはそのとき生まれたのだという。もし神に選ばれたなら、フィリップ王子は何を望むだろう。……穏やかな祈りではないことは確実だ。
「頼んだよ、シャーリー」
ユーファウスさまはそう言って、王廟からわたしを送り出した。彼はこれから、アナベル王妃が懇意にしている宗教画家のところで絵を習うと言っていた。宗教画家ならば、聖階教会に連なる聖堂すべてを商売相手としてやっていけるし、聖階教はこのタルグ大陸全土に権勢を誇る一大宗教だ。いざとなれば、ユーファウスさまのお顔を知らない他国に移っても商売できる。きっと大丈夫。そう信じよう。
わたしはユーファウスさま付きだった侍女のヤンビーだけを、唯一事情を知る供として、王都から寄越された迎えの馬車に乗り込んだ。
もう、わたしはシャーリーではなくなった。ユーファウス。それがわたしの名だ。
王都ダンド。本物のユーファウスさまならば、王廟に閉じ込められて以来のこの景色を懐かしく思っただろうが、わたしには初めて訪れる場所だ。
れんが造りの街並みは整然としており、都市計画の正確さを思わせる。各地区は石畳で舗装された太い通りで区切られている。壮麗な白亜の王宮を中心に、それを守るように官庁街があり、商業的な中心地として市場が、それに集まるように住宅街が。
オールダンドは内陸にある、山の多い国だ。木材にも石材にも事欠かないため、建築技術が進んでいる。肥沃な平野の広がる南を除けば周りを山々に囲まれ、戦時の防衛のしやすさという点でも悪くない。
王宮の塔に登れば、その山々を遥か遠くに望むこともできるだろう。わたしはそれだけは少し、ほんの少し楽しみだった。
馬車は王宮の通用門を通り、わたしは出迎えてくれた侍従に案内されて広い王宮に足を踏み入れた。
(……綺麗だなあ……)
彫刻の施された柱の一本一本が、壁や床、天井に描かれた絵画のひとつひとつが、わたしの目を奪う。しかし、キョロキョロしてはいけない。わたしはユーファウス。こんなものは見慣れていますという顔をしていなくては。
「成人の儀は正午より始まります。しばし、こちらでお待ちくださいませ」
王宮内の一室にわたしとヤンビーを通し、侍従は一礼して部屋を去っていった。
わたしはすかさずヤンビーを振り返る。
「ふたりきり?」
「ふたりきりです」
そのことにほっとして、わたしは上等な籐の椅子にほとんど倒れ込むように座った。
「あー、緊張した。バレてないよね?」
「大丈夫です。さっきの侍従、シャーリーさまがユーファウスさまだと完璧に信じてましたよ」
「良かったー! これで第一の問題はクリアだ!」
あとは肉親を騙せるかどうか。紺色の礼服……もちろん男物だ……の皺を伸ばしながら考えて、わたしははっとした。
「ねえ、ヤンビー」
「何でしょう」
「敬語とか、さま付けとか、やめてよ。わたし本当はそんな身分じゃないんだし」
「ユーファウスさま」
ヤンビーの、お世辞にも表情豊かとは言えない顔が冷たく引き締まる。わたしはびくりと肩を跳ねさせ、かしこまった。
「は、はい」
「ボロというのは、そういう日常における気のゆるみから誘発されるものです。敬語も敬称もわたしは取りません」
「ご、ごもっともです」
かしこまるわたしを、ヤンビーはちらっと横目で見てかすかに微笑んだ。
「演技のこと、礼儀だけのことです。心の距離は、これまでと何も変わりませんよ」
「…………。そうだね。ありがとう」
ヤンビーはわたしの数少ない友達だ。王廟で密かにユーファウスさまの影武者をしていたわたしは、その存在自体極秘だったから。
彼女によそよそしくされて、少し不安になってしまっていたみたいだ。情けない。わたしは気恥ずかしさに目を逸らし、「ここの天井にも絵が描いてある。すごいねえ」と話題をあからさまに変えた。
しばらくそうしてヤンビーと雑談しながら待っていると、重厚な木製の扉がノックされ、「ユーファウスさま、よろしいでしょうか」とあの侍従の声がした。
……いよいよ、成人の儀だ。
成人の儀は、玉座の間で執り行われる。
国王陛下に臣従の礼を取り、手ずから宝剣を与えられ。
そして、金緑騎士をもらう。
金緑騎士とは、王族ひとりにつきひとりだけの特別な護衛であり、一生をともにする忠臣であり、時に友となる騎士のこと。組織はトップの良し悪しでなく補佐官の良し悪しで決まる、とはよく言われる言葉だが、それと同じことがここでも言える。金緑騎士の質が、王子の統治ぶりに与える影響は大きい。
だから選別には慎重を期したいところだが、これがなかなか難しい。御前試合で決してしまう。
トーナメント形式のこの御前試合には、なんとオールダンド国民ならば誰でも出場可能。一旗挙げようと出場する野党崩れや傭兵崩れが後を絶たない。本来、人間性をこそ重視すべき金緑騎士は、強さのみで決まってしまうのだ。
もちろん、正規軍の軍人たちも出場するので、めったなことは起こらないが、こっちはハラハラものだ。
「ユーファウス。立派になった。そなたをオールダンドの成員の一員として認める」
「ありがとう存じます。国王陛下」
宝剣をおしいただき、わたしは深々と頭を下げる。
玉座を背にして立っている輝くような金髪の偉丈夫、グリース国王陛下はわたしを感情のない目で見下ろしている。バレてはいない。わたしはユーファウスとして接されている。ただ、身体が弱く戦働きに期待できない末の王子ユーファウスは、陛下にとってはもっとも興味のない子どもだったのだ。
玉座を囲むように立っている五人の兄弟たちも、わたしとユーファウスさまの入れ替わりには気づいていない。
……良かった。
「では、金緑騎士の選定と参りましょう」
執政官が厳かに言った。外からは、すでに興奮した民衆の歓声が聞こえてきている。
御前試合は王宮の前庭で行われる。金緑騎士を選定する今日という日だけ民衆に解放されるため、前庭は見物客でごった返している。民衆にとっても、王子が成人したときだけの武の宴は一大娯楽イベントなのだ。
わたしたち、つまり国王陛下と王子たちは王宮二階のバルコニーでそれを観覧することになっている。
鼓膜が割れるような歓声に包まれた円形の闘技場で、戦士たちが剣を切り結んでは勝者を決していく。練習用の木製の剣なんかじゃない。本物の剣で、彼らは戦う。くぐもった悲鳴が上がって、血が飛び散るけれど、そのたび民衆は怒号のような歓喜の声を上げている。
王都では、罪人の処刑にも見物客が殺到すると聞いている。それに、命と金を賭けた槍試合も流行だと。
何が楽しいのかわたしにはいまいち分からないが、こういったものに楽しみを見いだす人々は、きっと何か満足していないことがあるのだろう。
フィリップは目をぎらぎらさせて試合に見入っているし、グリース国王も満足そうに髭を撫でている。
熱狂の渦の中で、時間は飛ぶように過ぎていく。
「あの銀髪、市井の者のくせにやるじゃないか」
フィリップが肩まで伸ばした金の癖毛を振り乱し、嬉々としてとある戦士を誉めた。わたしはもう、彼に心の中で「王子」を付けて呼ぶことをやめていた。血に酔っているような彼の態度に、かなり引いていたからだ。
「あいつ、軍人をもうふたり斬り伏せている。どうする、ユーファウス?」
「……どうするとは?」
わたしは慎重に問い返す。フィリップは馬鹿にしたような笑みで、
「どこの傭兵崩れとも知れん男がお前の金緑騎士になるかもしれん、というのだぞ。俺たち兄はみな、正しき軍人を得られて幸運だったな」
ははは、とフィリップは下品に笑う。他の兄弟たちもさざめくように笑う。単なるお追従だ。フィリップはグリース陛下の一番のお気に入りで、今はその陛下の前だから、同調しておくしかないのだろう。彼らの目には罪悪感の色があったから、すぐに分かった。
「……私に出来るのは、祈ることくらいです」
「ははは! 面白いことを言うなユーファウス。お祈りは良いものだ、今ここに天の階が来るかもしれんぞ」
そう笑っていたフィリップだったが、銀髪の剣士が三人目の正規軍人を倒し、破竹の勢いで勝ち上がっていくにつれ、笑みは消えていった。
まさか彼も、オールダンドの誇る正規軍人が市井の剣士に負け通しになるとは思っていなかったのだろう。何せ、正規軍には彼もしばしば直々に稽古をつけていた。
「……軟弱者どもめ。鍛え直してやらねばならんようだな」
歯噛みしてそう呟いたのを耳に挟んだときは、緩みそうになる口角を制御するのに苦労した。ふふふ。ざまあみなさい。心の中だけで笑っておく。
とはいえ、銀髪の剣士を応援するわけにもいかない。わたしだって、自分に仕える気がどこまであるのか分からない、ただの金目当てかもしれない男に金緑騎士になられるのは困る。今はひとりでも信頼できる仲間を増やしたいのに。
しかしわたしの祈り虚しく、銀髪の剣士は順調に勝ち進んでいく。
ついに決勝にまで到達してしまった。
相手は中年の正規軍の軍人だった。軍服を着込み、背筋を真っ直ぐに伸ばして、気取った仕草で剣を抜く。どうでもいいけど、その変なちょび髭はなんなんだろう。
「ここまでよく勝ち上がったものだ。市井の者ではあるが、称賛しよう。前髪の長い剣士よ」
吟遊詩人がするような発声方法でそう言ったのを聞いたとき、わたしは確信した。この軍人、変人だと。
だって銀髪の剣士への呼びかけ方ひとつ取っても変だ。銀髪の剣士、と呼ぶほうがよほど自然だろうに、彼は相手の剣士の前髪がやや長く、片目をほぼ隠してしまっていることのほうがどうしても気になったらしい。
面食らった様子の銀髪の剣士が、気の抜けた笑いをこぼす。
「そんな呼ばれ方は初めてだな。あんたのほうこそ、さすが軍人だ。こうしてあんたと当たったのは良かった。負けても悔いが残らん」
飄々とした口調だった。
風に揺られるがままの草花のような、気負わない様子だ。しかし対するちょび髭の軍人も気負っていない。
「前髪の長い剣士よ」
「はいはい、何だい?」
「前髪で顔を隠しての対峙、無礼だとは思わんかね?」
「…………」
銀髪の剣士の顎が軽く落ちる。
「……あのちょび髭、腕はいいのに問題児なのだ」
フィリップがどこか疲れた声で言う。これに関してのみは、彼の心中を察するのもやぶさかでない。
そしてわたしの心中も察してほしい。
どっちが勝っても、わたしの金緑騎士はろくでもないの確定ではないだろうか。
「分かったよ」
銀髪の剣士がやれやれと髪をかきあげる。
あらわになった顔は、意外なことに美しかった。人間味の薄い端正な顔。なるほど、顔も整いすぎるとこうなるのか。冷たくて、温度がない印象が強すぎる。相対した者は例外なく、彼の本心に関わらず彼に突き放された心地になるだろう。
彼の素顔を見たちょび髭は、むっと顔をしかめた。
「うむ、強い顔である。隠すが良い」
「あんたが見せろと言ったのに、勝手なやつだな。まあいい。始めようか」
「良いだろう。参る」
軽口の末に、空気が変わる。
乾いた戦場の空気。
興奮した観客の怒号がその空気を震わす。
ふたりは同時に地面を蹴り、甲高い音を立てて剣と剣をぶつけた。
こちらの筋肉が強張るような激しいつばぜり合いのあと、ふたりはいったん距離を取った。銀髪の剣士の手首がひらめき、風のように軍人の懐に飛び込んでいく。
血は舞わなかった。軍人は身をよじってそれをかわし、驚いたことに格闘戦を仕掛けようとする。かがんでいる銀髪の背中に肘を打ちろし、よろめいたところへ膝蹴りを一発……入れようとしたとき、それを読んだ銀髪がその膝を片腕でホールドして、どういう膂力をしているのか、それを起点にして軍人を投げ転がした。
「むうっ!」
「はっ!」
ふたたび剣戟の応酬が始まる。目にも止まらない、達人どうしの戦いだ。
わたしは固唾を呑んでそれを見守った。ちょび髭か、どこの者とも知れない前髪の長い男か。
「はあっ!」
やがて、銀髪の剣士の懇親の一振りが、ちょび髭の剣をその手から弾き飛ばした。
銀髪の剣士が自分の剣をちょび髭の喉元に突きつけ、ふたりの動きがぴたりと止まる。
「……はあ……」
片手で顔を覆ったフィリップの、深いため息がかろうじて聞こえた。市井の者の優勝で大会が幕を下ろしたのは、これが初だ。
勝負は、銀髪の剣士の勝利で確定した。
してしまった。
「あの男をこれへ」
グリース陛下はいつも通り冷静だ。ユーファウスの騎士が誰になろうと興味はないのだろう。執政官が「はっ」と簡潔に返事をしてバルコニーを駆け去っていく。
すぐに彼は優勝者、銀髪の剣士を連れて戻ってきた。
彼は前髪を引っ張ってくせをつけ、顔を出来るだけ見せるようにしてからわたしたちの前に進み出た。
観客の歓声がひときわ大きくなる。それは当然だ。市井の星が今日ここで生まれたのだから。
陛下が訊ねる。
「名と、歳は」
「ジン・コーネルと申します。二十四歳です」
「よろしい。慣例にのっとり、今よりそなたをわが息子ユーファウスの騎士とする。よく務めよ」
「はっ」
陛下に向かって臣下の礼を取るジンの目がゆっくりとこちらに向けられる。そしてわたしの手を取り、その甲に軽く唇を落とした。
「心よりお仕え致します。ユーファウス殿下」
「……は、はい。こちらこそ……」
いや、こちらこそって何だ。
と返事もおろそかになるほど、わたしは呆然としていた。




