友達作り2
。屋上で、一人孤独に佇む僕の姿。
赤坂から告げられた言葉を頭で繰り返しながら、これから先のことを考えていた。
「二度と関わるな……か」
もちろん、それは僕にとって避けたいことだ。
唯一できた、たった一人の友達である神梨と関われなくなるということは、友達のいない昔の僕に戻るということだ。
あるいは、僕が努力して自分でほかの友達を作ればいいだけだが、神梨がいなければそれは難しい。
結局、僕は神梨に頼りきっているのだ。甘えているだけなのだ。
だからこそ、ここで手を引くべきなのかもしれない。
このまま神梨がみんなから嫌われてしまうくらいなら、僕が消えてそれが解決するのなら、余計にそうしなければならないのだろう。
「?」
ふと、先ほど赤坂が出て行った扉が開いた。誰か来たようだ。
(赤坂が戻ってきたのか?)
「――月影くーん? いるのー?」
セミロングの黒髪を風に揺らすその少女は――他の誰でもない、神梨明祢だった。
「ど、どうしたんだ? 神梨」
動揺を隠せず、震えた声で問いかける。
「さっき赤坂君が帰ってくのを見たんだけど、月影君が全然戻ってこないから心配になって」
扉を閉め、僕の目の前まで来ると、不安を込めつつも優しい笑顔で答える神梨。
「そ、そうか。……いや、大丈夫だったよ」
後ろめたさに、目を逸らしながら誤魔化そうとする。
「……嘘」
「う、嘘じゃないって。赤坂とは友達になれたし」
神梨に心配を掛けたくなくて、つい事実と異なることを言ってしまう。
その態度が明らかに不自然だったのだろう。
「嘘、だよ」
笑顔を失くし、真に迫った表情で僕を見つめる。
「……」
そんな神梨を見てしまうと、もう何も言えなくなった。
「ねぇ、月影君……私たち友達でしょ? だから、私に気を遣うのはやめてよ。この前約束したばかりじゃん、お互いのことをちゃんと理解しようって」
「……」
真っ直ぐに僕の目を見つめ、真剣な面持ちで諭すように思いを言葉にする神梨。
いつだってそうだ。
神梨は他に友達もいないような僕に勇気を振り絞って話しかけて、友達になってくれて、その上友達を作るために一緒になって考えてくれた。
そして、このたった一週間で僕の心を大きく変えさせてくれた。
人生を変えてくれたのだ。
こんなにも僕を思ってくれる神梨に、どうして僕は素直に言葉を伝えることさえできないのだろうか。
こんなにも正直な気持ちを向けてくれる女の子に、僕は……。
「……駄目だった」
小さく、息を吐き終える寸前に出したような声で告げる。
「赤坂とは、友達になれなかった……」
神梨から目を逸らさずに、その真実を言葉に表した。
「折角神梨が作ってくれた機会を無駄にして……ごめん」
神梨に謝るのはこれで何度目だろうか。たった一週間の間にどれだけ迷惑をかけただろうか。
「……ありがと。本当のこと言ってくれて」
それでも神梨は優しく微笑んでくれる。
その笑顔を見るだけで救われたような気がした。
「……」
だけど、それと同時に切ない気分に襲われる。
きっと、神梨に対して少なからず後ろめたい感情が残っているからだろう。
事実、赤坂から聞いた噂のことはまだ話せていない。
そのことを話したとき、神梨から笑顔が消えてしまうことを恐れたからだ。
「ほら、暗くなる前に帰ろう?」
俯きがちに口を噤んだままの僕に、神梨が変わりない微笑みを浮かべながら手を差し伸べてきた。
「……ああ、そうだな」
対する僕は、その手を取らずに若干引きつった笑顔を向けながら低いトーンで返事をする。
その言動から他に隠し事をしているということは神梨に露見されたはずだ。
けれど、神梨はそのことを追求しようとしなかった。
いくら本当のことを言えと言われても、どれだけ親しい人間にでも言えないことがあると神梨は推し量ってくれたのだろう。
「月影君?」
返事をしたにも関わらず、茫と立ち尽くしたまま動かない僕に神梨が名前を呼びかける。
「……え? あ、ああ。帰るか」
我に帰したように改めて言葉を返した僕は、神梨に先立って屋内へ繋がる扉の方へ足早に向かった。
「……あれ?」
そこでふと違和感を覚える。
先ほど神梨が閉じていたはずの扉が半開きになっていたのだ。
風で開くはずもないし、誰かが来た気配もなかった。
それとも、神梨が扉を閉じたように見えたのは気のせいだったのだろうか。
「なあ、神梨」
疑問を正すべく、神梨のいる方へ振り返って尋ねかける。
「――っ! ……あっ、な、何? 月影君?」
すると、神梨は何か慌てた素振りで聞き返してきた。
「あ、いや、さっき神梨この扉閉じてたよなって……」
「扉? えと……うん、閉めたと思うけど……それがどうかしたの?」
「それが、今見たら扉が開いてたから……」
急変した神梨の態度に困惑を覚えながらも言葉を返す。
明らかに様子がおかしい。
いつもと違う、明確な作り笑顔。
神梨と出会った後、友達になる前に見た表情とまったく同じだ。
「誰かが開けたんじゃない?」
「僕もそう思ったんだけど、人が来た気配もなかったし……」
あくまで平然を装って、だんだんと落ち着きを取り戻す神梨にできるだけいつも通りに応答する。
あの神梨がここまで動揺する姿は初めて見た。
やはり、僕が隠し事をしているせいだろうか。
「私の締め方が甘くて、風で押し開けられたのかも」
顎に指を添え、何か考える素振りを見せながら神梨が言う。
すでに冷静さが返っているようで、落ち着いた口調だ。
「けど、そんな音しなかったよな。風もそんなに強くないし」
意図せず神梨の意見を一蹴。
「んー……」
再び考え込む神梨。
「……まあ、そんなに気にしなくていいんじゃない? 何かあったわけでもないし。それより早く帰ろう? 暗くなっちゃう」
もっともな意見を簡潔に述べ、僕に代わって扉のノブを掴んだ。
「そうだな」
神梨の言う通り、あまり考え込んでも仕方がないと判断し、そのまま屋内に入って行く神梨の後に続く。
「……」
「……」
その際、わずかな沈黙が訪れた。
今までになかった不明朗な気まずさに襲われる。心に痛みを覚えるほどの蟠りができる。
そして、先程から神梨の態度がなんだか素っ気ないと感じていた。
急変した態度に、以前に見た作り笑顔。口調も少し違う。
確かに、一目した所感は普段通りの神梨に見える。けれど、はっきりとは見えないが、その裏から何か倉皇とした感情が伝わってきたのだ。
「……なあ、神梨」
沈黙に耐えられず、名前を口ずさむ。
「うん? 何?」
一方の神梨は、気まずさを感じていない様子で返事をした。
「……い、いや、やっぱなんでもない」
「えー、なにそれ?」
やはり、何かがおかしい。
全身に巡る違和感。
今目の前にいる神梨が、いつも見る神梨ではないような気がした。
……いや、これは確信だ。
表情、口調、言動。そのすべてが相違している。
僕が隠し事をしているからとかそういったことではなく、まるで誰かが乗り移っているかのような、そんな感じ。
その結論に至る所以、それは、一週間友達として過ごしてきた僕の直感。
今まで友達がいなかった僕の感があてになるかと言われれば、それは肯定できない。
だが、それでも僕は看取したのだ。
一直線に繋がっていたはずの回路が、第三者の手によって二つに分断されたことを。
――思えば、この時から異変は起こり始めていた。
○●○
「……それにしても、まさか赤坂君が断るなんて思ってもいなかったよ」
あの後、屋上を後にした僕と神梨は荷物をまとめて帰路に就いていた。
様子のおかしかった神梨もいつのまにか元に戻っており、先ほどまで感じていた違和感は消えていた。
表情、口調、言動。そのすべてが普段通りの神梨だ。
そっと胸をなでおろし、安心の溜め息をもらす。
同時に、屋上で見た神梨への疑念を抱きながら。
「すごく気前が良くて、友達想いで、話しかけやすい人だと思ってたんだけどなぁ……」
予想が外れたことを残念そうに口走る神梨。
「もうそのフレーズわざと言ってるだろ?」
本気で言っているのか冗談で言っているのかは定かではなかったが、とりあえずツッコミを入れておく。
「んー、わざとじゃないんだけど、赤坂君がいつも自称してるから覚えちゃったんだよね」
「何を考えているんだアイツは……」
呆れ気味に息をつく。
初対面のときから変な奴だとは思っていたが、ますます変な印象がついてしまった。
まあ、赤坂が神梨の前では猫被っているのだということは十分にわかったが。
「猫っていうよりは、虎に近いか」
金髪だし。目つきも鋭いし。
「猫?」
僕の突然の発言に神梨が反応する。
「あ、すまん、声に出てたか」
無意識に口を開いていたようだ。
「うん! それより、猫がどうかしたの!?」
「――!」
神梨が唐突に興味津々な声を上げたかと思うと、僕との距離を狭めてきた。
「ちょっ、神梨!?」
いきなりのことに、慌てて後ずさる。
「もしかして、 近くに猫がいるとか!?」
キラキラと目を輝かせながら、歓喜の声。
「い、いや別にそういうわけじゃ…」
見た事もないような表情に困惑し、曖昧な顔になる。
「ニャー」
「「!?」」
その時、突如として背後の草むらから猫の鳴き声が聞こえた。
二人揃ってその方向へ視線を移すと、そこには一匹のヒョウ柄の猫。
「トラ猫……?」
小柄な体躯で、尻尾を左右に揺らしている。
その猫は草むらから出てきたかと思うと、僕の右後ろ足に顔をこすりつけてゴロゴロと可愛らしい音を鳴らし始めた。
「猫さんだぁ!」
先程から何やら興奮気味の神梨が甘えたような声を出し、僕の足元に体を屈めて猫に近寄る。
「よしよし」
満面の笑みで猫の頭をそっと撫でる神梨。
「ニャー」
猫も嬉しそうに目を細めている。
「……」
一方で、足元に神梨がいる事にドギマギ状態の僕。
「ほら、月影君も撫でてみてよ!」
「え? あ、ああ」
緊張しつつも、神梨に言われるがままにその場にしゃがみ込み、猫の頭を優しく撫でてやる。
「ニャー」
神梨のときと同じ反応。
僕はそのまま撫でている手を首元まで下ろした。
「ん?」
そこでふと気付く。
猫の首を触ると、何か硬いものの感触があったのだ。
「首輪か……」
首に巻かれていたのは、皮製の赤い輪。
「この子、飼い猫なの?」
隣にいる神梨も気付いたようで、猫の方を見つめながら尋ねてきた。
「どうやらそうらしい」
らしい、というか確信した。
よく見れば、首輪の裏側には住所が記載された白い布が縫い付けられてあったからだ。
「あれ? ここ私の家の近くだ」
横からそれを覗き見ていた神梨が声を漏らす。
「そうなのか?」
「うん。確かここの家ってたくさん猫飼ってるんだよね」
「へー。……っていうか、よく住所見ただけでわかったな」
「まあ、近くだからねー」
多少自慢気に答える神梨。まあ、気にしないでおこう。
「どうする? その家まで連れて行くか?」
いつのまにか横たわってくつろいでいる猫を指の腹でそっと撫でながら聞く。
「んー、多分大丈夫だと思う」
「?」
「前にその家の人に聞いたんだけど、この子たちって一人で勝手に散歩に行くんだって」
「勝手に?」
「うん。それで、しばらくしたらまた戻ってくるって言ってた」
「あー、確かに猫ってそういう習性あるらしいな」
いつかテレビでそういった話をしていた記憶がある。
飼い主が餌をくれると分かっているから、どこかへ行っても自然と戻ってくるらしい。
「まあ、それなら大丈夫だろうし、そろそろ帰るか」
「……あ、うん! そうだね!」
名残惜しいという気持ちが全面から溢れる神梨の言動。
きっと、まだ猫と触れ合っていたいのだろう。
「神梨って、もしかしなくても猫好きだよな?」
別に聞かずとも分かることだが、なんとなしに口にしてみる。
「あ、バレちゃった?」
片方の手を後頭部にあて、テヘヘと照れ笑いしながら言う神梨。
「バレバレだ」
冗談めいた口調で答え、二人で笑いあう。
それは、屋上での赤坂から聞かされた事実を忘れてしまえるほどに幸せな時間だった。
こんな時間がずっと続いて欲しいと、心から思った。
けれど、依然として残る非情な現実を見失うわけにはいかない。
この先に待ち受ける未来がすべて幸福であることは決してないからだ。
「それじゃあ、帰るか」
不安を包み隠し、神梨の瞳をこの目にしっかりと映しながら言う。
「うん!」
変わらぬ笑顔で快い返事をする神梨。
そして、靄の中にいるような漠然とした感情を心中に残しつつ、僕は神梨と共に帰路に就いた。