#011 コードネーム
学院の外。
駅に続く大通りの両脇に並ぶ店と店の間、その人気のない場所に彼女はいた。
彼女を見てまず目を見張るのが鮮やかな水色の髪だ。勿論地毛ではない。
背は低く、童顔なので精々十代になったばかりの少女にしか見えないが、彼女は十六歳のレゼルより十も歳上だったりする。歳の話をすると「子供で悪かったね?(怒)」と起こられるのでその話題は禁止だ。
普通のロリータ・ルックなら「若く見えるでしょう?」とかも言えるのだが、彼女の場合、背が低くて童顔の癖にプロポーションがかなり良いのである。特に胸が。
彼女は栄養が背の高さではなく胸の大きさにいってしまった、中途半端なロリータなのである――という表現が適切な容姿だとレゼルは思っている。
そんな可哀想(?)な見た目ロリの女性は、酷く不機嫌な顔でレゼルとセレンを迎えた。既にセレンはレゼルの腕の中から降りて彼の隣に立っている。
「……遅いよ、レー君?」
長い水色ツインテールの髪――この髪型がロリータ・ルックに拍車を掛けているとレゼルはいつも思う――を弄りながら、彼女は低い声で言った。
因みに、レー君とはレゼルの事だ。何だか恥ずかしいので、呼ぶなと精一杯抵抗した時期もあったのだが、既に渾名の訂正をするのは諦めている。
「貴女が来るのが早いだけでしょう」
レゼルは彼女の前で止まると素っ気なく言い返した。
「ちょっとレー君、あたし女の子だよ? 女の子の方が早く来るっておかしくないかな? レディーファーストの意味、勘違いしてない?」
「集合時間は二時にしたと記憶してますが」
「……」
はぁ、と少女にしか見えない二十代後半の女性が溜め息を吐いた。
「まぁ、いいよ? あたしは優しいからね? それじゃあレー君、奪った物、渡してくれる? 三十分前くらいに赤毛ちゃんから連絡もらったけど、上手くゲット出来たんだよね?」
「セレン、緑さんと連絡取ってたのか?」
「はい。レゼルが眠った後に。その方が良いかと思って……余計な真似、でしたか?」
「いや、そんな事はない。ありがとう、セレン」
レゼルは赤毛ちゃんことセレンの頭を少し不器用に撫でた。彼女は相変わらず無表情だが、レゼルを見上げる緋色の瞳が嬉しそうに見えた。
「ちょっとー、そこのお二人さーん? いちゃつくなら他でやってもらえませんかねー? つか何度も言ってるけど、レー君、あたしの名前『緑』じゃないよー?」
水色ツインテールの女性が白い目を向けてくる。
しかし、レゼルにもセレンにも、自分達がいちゃついているという自覚は更々無かったので彼女の発言はスルーした。
「じゃあ緑さん、頼まれた物、持って――」
「ちょっと? 『緑』さんじゃないから、あたし? そこはスルーしちゃ駄目じゃないの?」
――来たんですけど、と言う前に女性が口を挟んできた。
余程『緑』さんと呼ばれるのが嫌らしい。まぁ、そんな事はとっくに知っていたけれど。
「じゃあ何て呼べば良いんですか?」
「普通に名前で呼べば良いって発想はレー君には無いのかな?」
「いや、だって名前が『緑』でしょう」
「違うよ!? ……レー君、あたしの本当の名前覚えていてくれてるよね?」
「……」
「何、その沈黙? あたし大声で泣いちゃうよ? レー君の事、不審者扱いするからね?」
「そんな事をすれば今から貴女に渡す筈だった物を学院長に渡しますよ」
「……」
彼女は口を噤んだ。口の端が小さく震えている。
レゼルを上目遣いで見る瞳が小動物みたいに弱々しく揺れていて、泣きそうではないけど可哀想にはなってきた。普段はロリータ・ルックをコンプレックスに思っている癖に、たまにそれを無意識化で利用してくる。本当に、ずるい女性だと思う。
「冗談です、ちゃんと覚えていますよ。ルチアーヌ・セヴェリウムさん」
彼女の本当の名前を呼んでやると、ルチアは蕾が花開くように笑顔になった。
性格は少し幼い感じがするがそれは外見にぴったりだし、幼いからこそ素直な所は彼女の良い点だとレゼルは思う。だから彼女の事を嫌いにはなれないのだと、表面上どう嫌いですって素振りをしても彼女の笑顔を可愛いなぁ、と思ってしまったレゼルは再認識した。
しかしその感情を表に出すのは癪なので、レゼルはポーカーフェイスを保ったままだ。
彼は自分が羽織っているコートのポケットから小さな四角い物を取り出した。
それは立方体の形をした石――結晶、と言っても良いかもしれない――だった。透き通った黄色の石はその中心で、とくん、とくん、と光が瞬いている。
これは《融合結晶》とか《フューズ・クリスタル》とか言われる物だ。
その名の通り《融合結晶》は、星の光とエナジーが同調した融合体が結晶に凝固した物。それは創造術師が人工的に創る物ではなくて、完全な自然物だ。創造術師も《融合結晶》を創る事が出来るには出来るそうだが、自分の融合体を凝固させて一々融合体を供給しなくても半永久的にそこにあるものにするには、かなりのエナジー制御力が必要になる。
人間に流れるエナジーとは少し違うが、それに似たような力が大地の下――地脈とか竜脈とか言われる場所を廻っているらしい。それが時間を掛けて星の光を取り込み低確率で同調する事があり、そうして出来た融合体が凝固したのが《融合結晶》である。
エナジーに似た地脈を流れる力――地力が星の光と同調するのも、融合体が凝固するのも稀な事だ。何万分の一、という確率だろう。だから《融合結晶》は希少で、それ故に値段は少し裕福な程度の貴族なら手が出せない程高い。
つまり、《融合結晶》とは一言で言ってしまえば、融合体の結晶だ。その効果は、一度だけと限定される使い捨ての道具だが、創造術師でない一般人が創造術を使えたり、創造術師なら自分の創造術をサポートする役目に使える。
だが何せ値段が高いので殆どの創造術師は《融合結晶》などに頼ったりはせず、自分の創造術を磨くのが普通だ。それが求められる創造学院の学生創造術師は、《融合結晶》を使う事自体がきつく禁止されている。
「これで良いんですよね?」
レゼルが訊くと、ルチアはコクコクと頷いた。水色ツインテールがその動きに合わせてピョコピョコと跳ねる。
「とりあえず、ターゲットが持っていた分は全部取ってきましたけど」
レゼルは更にポケットの中から、同じ形と色をした《融合結晶》を十数個取り出した。
ターゲット――これらの《融合結晶》を持っていた、実技試験で相手をしたナイフ先輩の事だ。
「一、二……十三、十四、十五……うん、ちゃんと十五個あるね? ありがとうレー君、依頼は完遂されましたよー?」
無駄に語尾にはてなマークが付きそうな口調で《融合結晶》の数を確認すると、ルチアはレゼルからそれを受け取ってジャケットの懐に隠した。
ほかほかした顔で笑顔を向けてくる彼女に、レゼルは呆れた顔を返す。
「全く……何で学生創造術師に《融合結晶》を売ったんですか?」
「あー……それはね、仕方ないと思うんだ? あんな大金見せられたら、例え《融合結晶》を学生創造術師に売るのが違法だと知ってても、売っちゃうと思うのよね?」
「何が『思うのよね?』ですか。……学院長、この事に気付いてましたよ。まぁ、ルチアさんが関わってるとは気付いていなさそうでしたが」
レゼルの言葉を聞いてセレンが「そうなのですか?」と言うように見上げてくるが、当のルチアは全く動揺しなかった。
「だろうね? 天才だから、彼女は……まぁ、それでも二年間、コバード家のお坊ちゃんが《融合結晶》を使っていると気が付かなかったけどね?」
「コバード家の……?」
レゼルは眉を顰めて、《融合結晶》を回収してきて欲しいとの依頼を受けた時にルチアに渡された写真をコートの懐から取り出した。
そこには実技試験の相手だったナイフ先輩の姿が写っていた。
彼がカメラ目線になっていない事から、これは隠し撮りされた写真だと分かる。
「コバード家のお坊ちゃんってコイツの事ですよね?」
「うん、そうだよ? 今回の依頼のターゲット……ああ、言い忘れていたかな? 彼がコバード家の人間だって?」
コバード家。
優秀な創造術師を代々輩出する、創造術の世界の名門だ。且つ、コバード家は大金持ちの貴族でもある。
これで納得した。ただの学生創造術師が《融合結晶》を手に入れられる筈が無いから、あのナイフ先輩は何かしらのパイプを持っているのだろう、とは思っていたが、コバード家ならば眩暈がするほど高価な《融合結晶》にも手を出すのも簡単だろう。
ルチアーヌ・セヴェリウムは《融合結晶》を扱う闇商人である。
《融合結晶》が一般人には手を出し難いという特色を持つ商品であるから、それを扱う商人はどうしても商品流通の闇ルートに行き着いてしまうのだ。
ある理由から、国交間でも《融合結晶》は広く売買が行われているので、国は《融合結晶》を扱う闇商人を甘く見ているという背景がある。それでも学生創造術師に《融合結晶》を売る事は違法だが。
創造術の名門出身の創造術師は例外無く、国境を越えて活躍する。国交貿易と深く関わる《融合結晶》に手を出すのは、コバード家ならば造作も無い。
「成程な……」
しかし、一方で納得はしたものの、レゼルは小さく呟きながら疑問に思っている事があった。
実技試験で戦う事になった男子生徒。四年の先輩。
彼はコバード家の創造術師にしては、あまりにも――
「ルチアさん。さっき、学院長にも二年間気付かれなかったと言いましたが、それは……?」
レゼルの思考に被るようにして、セレンがルチアに訊ねる。
ルチアはばつが悪そうな顔をして言った。
「……実は、コバード家のお坊ちゃんはあたしのお得意さんなのね? 二年前からの常連さん、だったり?」
「……それで二年間、貴女はそのコバード家のお坊ちゃんとやらに《融合結晶》を売り続けていたと?」
静かな、淡々としたセレンの声。彼女は無表情だが、声には確かに少しだけ非難の色が含まれていた。
ルチアは、そんな十も歳下の少女の様子に困ったような顔をした。
「あたしだって、闇商人やってるとはいえ、常識が無い訳じゃない。最初、あたしは断った。学生創造術師に《融合結晶》は売れないって。……だけど彼は、コバード家の落ち零れだった」
ルチアの口調から、疑問符が消えた。
「あたしに接触してきた時、彼はとても必死だったの」
「必死、ですか?」
セレンが首を傾げる。
「……もう、《融合結晶》しか頼れるものが無いんだ、って。彼は、あたしにそう言った。それで思わず、ね? まぁ、大金に目が眩んだって理由もあるんだけどさ?」
ルチアの口調が元に戻り、セレンに曖昧な笑みを向けた。笑っているのにその笑顔には違和感がある。まるで、無理矢理作って失敗したような、引き吊った表情。
「まぁ、自業自得だね? ついに学院の長にバレちゃって、慌ててレー君に依頼したって訳さ? コバード家のお坊ちゃんが持っている《融合結晶》を誰にもバレないように回収して、あたしが関わっていた事までバレないようにする依頼をね? あたしの売る《融合結晶》はブランド認定されてるから、ミーナ・リレイズの情報網があれば《融合結晶》を見ただけで誰が売った物か分かるだろうし?」
最後に「レー君が学院に編入するって聞いて助かったと思ったよ?」と付け加えて、ルチアは歪だった表情を消した。
成程、確かに《融合結晶》回収の依頼はレゼルが適任かもしれない。学院は聖域。闇商人であるルチアが入る事は許されないし、そんな事をすれば学院長に《融合結晶》の件で関わっていたと勘付かれる。
回収した《融合結晶》の受け渡しが今日の午前中と無茶苦茶な条件にしたのも、彼女は分かっていたからだろう。早くしなければ、学院長に気付かれると。
「まぁ、天才に気付かれた所で面倒なだけなんだけど、ね?」
天才、とは学院長ミーナ・リレイズの事だ。
彼女を敵に回すという事は、並みの創造術師ならば竦み上がってしまう程の事態だ。
だが、ルチアは彼女の存在を脅威に思っていない。
それは、考えてみれば、当たり前かもしれない。
――彼女、ルチアーヌ・セヴェリウムも緑の名を冠する《暦星座》なのだから。
どれだけ幼い外見でも、彼女は《暦星座》。創造術師の頂点に立つと言って良い十二人の中の一人。
しかし、レゼルにとってそれは既知の事実であり、どうでも良い事だった。
彼の思考は、今、セレンを傷付けようとした――正確に言えばそれは結果的に、に過ぎないが――実技試験で戦った男子生徒に向かっていた。
先程も感じた事だ。
彼はコバード家の創造術師にしては、あまりにも――
――弱過ぎる。
落ち零れだと言ったって、仮にも創造学院に入学出来た最高学年の創造術師が、あんなに弱い筈が無い。
――ああ、成程な。
しかし、レゼルはその疑問の答えを既に打ち出していた。
――二年前からの常連さん、だったり?
それは、ルチアが言った言葉。
――俺は、二年の時から『能力創造』が出来るんだぞ?
それは、あの男子生徒の言葉。
今から二年前といったら、あの男子生徒はちょうど二年の頃じゃないだろうか。
そこまで推測出来れば、自然と分かる。
あの男子生徒が、弱い理由が。
「『能力創造』が出来た事に浮かれて、頼ってしまったんでしょうね、《融合結晶》に。そして、手放せなくなってしまった。だから、コイツは弱い」
手に持っていた写真を片手で握り潰す。それは次の瞬間、ボッと炎と音を立てて消えた。
炎の創造術。
レゼルの髪と瞳の色に刹那の間だけ変化が訪れたが、すぐに元に戻った。
「コイツは弱い……って、レー君、何でそんな事分かるの?」
ルチアのその問いに答えたのはセレンだった。
「レゼルと彼が戦ったからですよ、実技試験で。戦い、どころか試合とも呼べないものでしたが」
ルチアはけらけらと笑う。
「当たり前だよ、それは? 赤毛ちゃんは学生創造術師に力を求め過ぎじゃないかな?」
「そうなのですか?」
「そうだよ? 今まで君達のいた環境には優秀なのがいすぎただけだね?」
「例えばルチアさんとかですか?」
レゼルが悪戯な笑みを浮かべながら言うと、彼女は本気で照れてしまったようだった。
「レー君が、ほほ誉めてくれた……!?」
動揺した瞳がゆらゆらと揺れる。
そんな彼女には悪いが、レゼルはルチアを誉めたつもりなど更々無かった。冷めた顔でルチアを見詰めると、彼女はわざとらしく咳払いをした。
「じゃ、じゃあレー君はその実技試験の時に《融合結晶》を回収したのかな?」
「はい。相手への攻撃で〔光剣〕を振り抜いた時にどさくさに紛れて。正直、写真を頼りにターゲットを捜すのも面倒だったし、助かりました」
「レー君、実技試験の時、彼が出てこなかったらあたしの依頼すっぽかすつもりだったでしょう?」
「当たり前でしょう。編入試験の日の翌日の午前中がタイムリミットなんて無茶振り依頼、無い事にしようと思いましたよ」
「……まぁ、良いよ? 今日の所は許してあげようじゃない?」
何だかんだ言って、無茶振り依頼だったとルチアも理解しているんだろう。
「それに二年間でかなり儲けさせてもらったからね、満足かな?」
ぱちっ、と音がしそうなウィンクをするルチア。
どれだけ儲けたのかはしらないが、《融合結晶》の商人――一般に「石屋」と呼ばれる――の中でも色々と大きな客を抱えている彼女が「お得意さん」と言うのだ、かなりの額を懐に入れられたのだろう。
「……さっきまでは、コバード家の息子の事、結構心配してるように見えましたが? 何だか急にドライになりましたね」
そのうち「コバード家なんか知らないよ?」と素知らぬ顔で言い出しそうに笑うルチアを見て、レゼルは無表情に訊ねた。
「あぁ……うん、あたしもちょっとは悪かったかなって思ったよ? あたしが《融合結晶》を売らなきゃ、彼は地道に努力して今頃は強くなってたかもしれないし?」
そこで彼女は言葉を切った。
変わらない笑顔を幼い顔に浮かべたまま、レゼルをしっかりと見上げてきた。
レゼルは彼女より頭三つ分程も背が高い。見上げられると彼女は殆ど夜空を仰ぐようになり、ツインテールが、ぷらん、と寂しげに揺れた。
そして、再び口を開く。
「でもね、考えてみたら、あたしに接触してきたのはあっちだよ? あたしは最初に売るのもちゃんと断ったし、悪いのは全面的にあっちじゃないかな? そりゃ、金に釣られて最終的に違法だと知ってても売ったけど、金をあたしの前に積んだのはあっちだからね? 何か、あたしが反省するのも罪悪感に駆られるのも違う気がしてさ、今回の事はあたし、関係無いと思うんだよねー?」
何時も通りの、何故か疑問系で軽い口調。
そして何時も通りのレゼルなら、少しくらいは不快に感じていたかもしれない。彼女が責任感の強い人間では無いと知っていても。
だが、今は、彼女の言う通りだと思った。
それは、その思考は、随分個人的で感情的なものだったが。
レゼルが一片も不快感を見せなかった事を、ルチアとセレンは疑問に思ったらしい。
セレンが口を開く前に、ルチアが首を傾げ、彼に問う。
「どうしたの、レー君? 何時もならちょっとは嫌な顔するのに……今日ドライなのはレー君の方?」
「……コバード家の奴にはセレンを傷付けられそうになったんです。少しも庇う気は起きないし、ルチアさんにそう思われても彼に同情なんてしませんよ」
不機嫌な声音が抑えられている事は明白なレゼルの言葉。
彼の半歩後ろで、セレンがピクリと肩を震わせた。しかしそれは声に含まれた不機嫌さでは無く、レゼルの言葉の内容によるものだろう。嬉しかったのか、はたまた恥ずかしかったのか。
「おぅおぅ、すっかり騎士だね、レー君? でも、レー君なら赤毛ちゃんに攻撃が放たれる前、攻撃の予備動作の時点で殺す事も出来たんじゃ?」
ニヤニヤ、と嫌な笑みを張り付けながら未だに見上げてくるルチア。
「学院の実技試験で殺るのは駄目でしょう。まぁ、攻撃を止めて捩じ伏せる事は出来ましたが。……最初から、セレンに敵意が向いていれば」
「どういう事?」
「いや、最初にコバード家の奴は俺に敵意を向けてきてたんです。だから放っておいたら、ソイツの放った投げナイフが俺じゃなくてセレンに飛んだんですよ」
「外れちゃった訳ね、ナイフが……それは、ご愁傷さまだね? どうせレー君、人一人殺せそうな眼で睨んだんでしょー?」
「……人一人殺せそうな眼ってどんな眼ですか」
「……射殺せそうな眼、かな?」
「表現が変わっただけですね」
さらっとセレンがツッコんで、ルチアは拗ねたように唇を尖らせた。
彼女はセレンに対しては、何故か弱くなる、というか大人しくなる。まさか、《暦星座》の一人の百合教師みたいな理由ではないだろうが。いや、ない事を信じたい。
「で、レー君?」
「はい?」
「《暦星座》には会った? ほら、リレイズの創造学院には《暦星座》が多いじゃない?」
五つある創造学院の中でも一番実力的に優れているのはリレイズ創造術師育成学院だと言われている。
未成年の《暦星座》も数人いて、プロの創造術師になるには創造学院卒業資格が必要となる為、本気の本気で創造術師を目指す者はリレイズに集まるのだ。
「三人会いましたよ。天才と神童と死神です」
天才=ミーナ・リレイズ。
神童=ミーファ・リレイズ。
死神=ルイサ・エネディス。
本当に、一日でこんなに多く有名人にお目に掛かれるとは思わなかった。
「あ、そっか、学院長だもんね、天才には会ってて当然だね? で、彼女達の実力はどうだった?」
「……」
興味津々といった態で身を乗り出すルチアに、レゼルは呆れて言葉も出なかった。
いや、何とか、出た。
「……それをどうして俺が知ってると? 貴女も《暦星座》だから気になるのは分かりますが」
「えぇっ、知らないの?」
「当たり前ですよ。あの三人の実力なんて俺が知る訳ないじゃありませんか。唯でさえ編入したばかりなのに」
そこまで言って、レゼルは思い出した。
実力を確かめる為、という意図では無かったが、自分は一度ルイサに刃を突き付けていた事を。
「……あ、でも、死神の実力なら、少しだけですけど」
「本当?」
「はい。〔光剣〕を突き付けました」
「おぉ、やるぅ?」
ルチアが相も変わらずワクワクした笑みを向けて話の先を促してくる。
「で?」
「他の事に気を取られてたり、元々彼女は近接戦闘向きの創造術師じゃありませんから、俺が一応勝った感じです。でも攻撃が来ると判断した瞬間に無光創造で、剣を突き付けられている事を考慮して手回しが利き易いように小型拳銃を創造しようとしたのは流石だと思いますよ」
「成程ね、貴重な情報ありがとう? っと、話が長くなっちゃったね? 今回の依頼の報酬は飛空艇の方に送っといたよ?」
送っといた、と過去形になっている事に少し疑問を覚えたが、考えてみれば、ルチアに会う三十分前にセレンが彼女と依頼を成功させた旨の連絡を取っているのだった。
「それで話は終わりですか?」
「待って待って、レー君、まだだよ?」
「まだあるんですか?」
その声に小さな苛立ちが混ざったのは、仕方の無い事だろう。
レゼルは、『能力創造』の際に融合体を細胞などにも吸収させて身体を強化しているように、同じやり方で身体を活性化させる事が出来る。
彼ほどの創造術師なら、一ヶ月以上も一睡しないで過ごす事が可能だ。その後、一週間くらいはベットの上にいるしかなくなるが。
だから一夜の徹夜くらいは何て事ないが、今は彼は学院の生徒である身。夜間外出は出来るだけ避けたい。ミーナを敵に回すのは厄介だし、敵対する理由もない。
ルチアの《融合結晶》回収の依頼を受けた事で、ミーナとは壁を作ってしまったに等しいのだが、彼女はレゼルがこの件に関わっている確証までは掴めない筈だ。不審な目を向けられても、明確な敵にならなければ別に良い。
しかし、夜間外出している事に気付かれれば、必ずミーナに敵視されてしまう。
だから、レゼルは早く学院に帰りたかった。声に小さな苛立ちが混ざったのはその為だ。
「すぐ終わるよ、レー君? だから怒らないで、ね?」
レゼルの声に含まれた苛立ちに気付いていない訳でもないだろうに、ルチアはそう言って無邪気な笑顔を浮かべた。
思わずレゼルは溜め息を吐いたが、次の瞬間、彼女の笑顔は最初から無かったように消えていた。
一転した、真剣そのものの、顔。
彼女の――ルチアーヌ・セヴェリウムの、創造術師としての、顔。
レゼルも、一瞬で表情を引き締めた。
セレンは表情が変わらない代わりにぴん、と背筋を正す。
「――司令官より報告です。日付変更直後、リレイズの街・北側戦闘区域上空の《結界》に歪みが発生、観測致しました。《堕天使》の顕現予測時刻は本日20時47分。歪みの範囲から数は少数と思われますが、歪みの激しさからそれなりの強さを持った上位個体だと推測されます。その他、《堕天使》に関する詳細は未だ不明、現在調査中です」
緑の名を冠した女性はそこで言葉を一度止め、大きく息を吸った。
静かに吐いて、淀みのない、はっきりとした声で続ける。
「飛空艇は現在、西の大国上空を飛空中。20時には間に合いません。本官も今、この街では派手に動けません。適任者はコードネーム『血塗れ』、つまり貴方だけです」
ルチアとレゼルの間に、静寂と、張り詰めた空気と、終わる事の無い夜の闇が漂う。
「『血塗れ』に命じます。20時迄に北側戦闘区域に向かい、単独で《堕天使》を殲滅しなさい」
「――了解」