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放課後君は夜と踊る。ハリボテの月を俺は撃つ。  作者: 空野子織
第2章:東京が目指すべきは、「世界で一番○○な街?」
20/61

017 大都会北千住。成田空港へも近かった!


「おはようございます。今日はよろしくお願いします」

「おはようございます。……もしかして、上野の方がよかったかしら。ごめんなさい。黒海さん、北千住のイメージ強いから、北千住から来るものと思い込んでました。すずりと一緒だから神保町ですもんね」

「北の丸でカラス達に顔出してから、東京駅まで歩いて、山手線です。上野はJRと京成が離れてるから、日暮里の方が早いですよ。自分、成田空港行くの、初めてなんですよね」


 10時集合となっていたので、早めに着いておこうと思って、9時30分に着くようにしたけど、七瀬さんの方が早かった。まぁでも、こういう事を気にする人じゃないな。


「まだ切符買ってないんです。10時5分発に乗れたらいいなって思ってたんですけど、1本早めちゃいますね。9時45分発に乗りましょう」


 日暮里駅から成田空港第2ビルまで、約40分弱とのこと。ちなみに、我らが大都会北千住駅から、日暮里まで10分かからない。

 北千住ー南千住ー三河島ー日暮里。

 つまり、大都会北千住は成田空港ですら、およそ50分。新宿から出ている成田空港行きの専用特急使うと、1時間以上。


 なんと!北千住は新宿よりも、世界に近かった!


 これは、今日始めて知った発見である。すごいぞ、北千住。さすがだ、北千住!



 ……ド庶民は国際空港なんて、一生縁ないですけどね。今日だって、到着ロビーに顔出すだけだし。



★ ★ ★



 コロナによる各国の渡航制限は徐々に解除されてきているとは言え、国際空港の利用客は、まだまだ回復していない。

 現在乗車中の、成田空港直通特急も、1両に4〜5人ってところ。前後左右に誰も座ってない。

 これなら周囲を気にせず、何話しても大丈夫だろう。


「昨日のカンファレンスも、おかげさまで無事終わりました。いろいろやってもらっているので、とても助かってます。黒海さん、本当なんでもできるんですね」

「大抵のサラリーマンがやってることは、「ゴルフとゴマすりを除いてなんでもできる」つもりでいますんで。お役に立ててなによりですよ」


 当たり障りない世間話をしつつ、七瀬さんはタブレットを広げて、キーを叩いている。お得意様たちと、メールのやり取りをしているっぽい。在来線の線路を高速でかっ飛ばしてる特急だから、なかなか揺れがあって、キータイプ大変そうだ。

 もちろん、画面覗いたりはしない。


「希姫から連絡きたんだけど、公安のお偉い様にコンタクトとるのは、一週間くらいかかりそうですって。他のお客さまで埋まってて、すぐにお会いできないようね」

「四條畷さん、しっかりしてますよね。コンディション管理とかペース配分とか。錦織さんのフォロー、めっちゃきめ細かいですもんね」


 錦織さんは、とてもフワフワしてる女性で、普段何考えてるか分からない。というか、何も考えてないようにしか見えない。いや、周囲の仕事仲間たちを労うことばっかり考えてる、というべきか。いつ会っても、手作りの差し入れが出てくるのだ。それも毎回違うアイテム。スコーンだったり、ピクルスだったり、オリジナルレシピのクラフトコーラもあったな。

 彼女一人にしておくと、周囲の人間、特に男たちを際限なく甘やかしてしまうそうで、四條畷さんがそばで私生活から人付き合いまで、日々の行動をこと細かくマネージメントしている。

 カリスマアイドルと、敏腕マネージャーって感じ。


「あの二人ともねー、ピンで見ると、お互い足りないところが多いのだけど、……もういいのかしらね。とりあえず十分な貯金はできてるはずだから、この仕事から離れることになっても、そう困ることはないはずだけど、「二人で一人」ってスタイルで収まってしまってるのが、心配といえば心配なんです」

「まだ20代なんだし、いいんじゃないですか?彼女達と同年代の女性、前の会社に何人もいましたけど、その子たちよりずっとしっかりしてますよ。しっかりしてるというより、アウトプットが全然違う感じしますよ」

「埼玉県民が食べさせられてるそこら辺の草のような、汎用量産型の一般女性と比べても意味がありません。彩命術に関わってしまった以上、いかに生きていかに死ぬか、日々突き詰めていってもらいたいんです。でないと、美羽一人が突っ走ってどこか遠くへ行ってしまうわ。……ごめんなさい。黒海さんにする話では、ありませんね」

希姫繭(キキマユ)コンビじゃなくて、鈴懸さんの方を心配してるんですね。彼女を一人きりにさせたくないと」


 すずりちゃんや恵史郎は、代々彩命術に関わってきた家系(かけい)の、いわば「親藩」なんだけど、鈴懸さん四條畷さん錦織さんは、高校時代にとあるきっかけにより、彩命術に関わることになったそうで、いわば「外様」とでも言うべき立ち位置の人達だ。両親が彩命術師ではない。彩命術師として生きて、彩命術師として死んでいった親の背中を、見てきてない。


 「葦船流し」をしてしまっている時点で、人の道を外れ始めている。己の生き様を常に強く意識して丁寧に生きていかないと、なにかの拍子に、とんでもない方向に飛んでいってしまうことがあるそうだ。自分の生き方というか、魂が。



「やっぱり、「葦の船のアレ」は、重たいんですね。すずりちゃんも最近、あまり元気なくて。今年の……を、そろそろ始める時期だから、そのせいじゃないかと思うんですけど」

「重たいですよね。痛い思いもするし、罪深いですものね。止めようと思えば止められるところがまた、酷なんですよ」

「あの、「葦の船のアレ」は、そこまで必要なものなんですか?自分は男なんで、とやかく言える立場じゃない訳ですけど。チキンレースとまでは言わないですけど、みんなやせ我慢して続けてたり、しませんか?」

「チキンレースという側面は、確かにあります。ですけれど、女の人生はそもそもが、チキンレースって言えなくもないですよ?結婚と出産が「リタイア宣言と同義」って業界は、少なからずありますでしょ?」

「女優声優だけでなく、広告代理店とかファッション業界ですかね。若さというか、女性であることを強みにできる業界ですよね。……陰キャの自分には、近づけない世界ですけど」


「「パパとママから、どれだけ沢山の愛情を浴びて育ったか」、それを競い合う世界です。「ただの見栄の張り合い」と言ってしまえばそれまでですけど、私はそういう世界が、あっていいと思います。女のなかの、動物としての本能なんですよ。「世界で一番輝いて、世界で一番幸せな結婚をする」。そこら辺のつまらない男相手に股開いてよしとできない、愚かな女たちの幼稚なエゴ。だけれどそれが、この星の彩りと活力になっていると、思うんですよね」


「「この星の彩りと活力」ですか……なんか深くて、スケールの大きな話ですね……ですけど、そうですよね。しんどいばかりじゃ、生きてて楽しくないですもんね」


「そもそも「生命とは、なんのために存在しているのか」って考えた時に、私達はこう思うんですよ。「宇宙や地球は、もしかして寂しいんじゃないか」。「同じ時代・同じ空間を一緒に生きて、泣いて笑って遊んでくれる、友達が欲しいんじゃないか」って。だから私達は、「不幸でないだけの小さな人生」よりも「不幸でも苦しくても、たった一つの大きな人生」を生きていきたい。「この星やこの宇宙に覚えていてもらえる、何者かでありたい」。それが私や椿姫の、人生観なんです」


「なるほど……ロマンがあって、素敵だと思いますよ。そこまで壮大な人生観をお持ちの女性が、同じ時代にいてくれると、頼もしい感じがします」

「押し付けませんけどね。押し付けだすと、まんまカルト教団の教祖さまになりかねないので。美羽やすずりには、ちゃんと自分で考えなさいって言ってます」


「いやぁ、そういう話を聞いてしまうと、チキンレースと分かっていても、降りられなくなってしまいますね。もったいない気がしてしまって。持って行き方が、さすがお上手ですね」


「オホホホ……このしゃべり一つで、今まで立ち回ってきましたの。歴代の日本人女性の中で、一番の自信がありましてよ?」


「紫式部にも敗けなそうですね」

「もちろんですわよ。オホホホホ……」




★ ★ ★ ★ ★



 あっという間に、空港第2ビル駅に到着。いや、驚いた。まさか成田空港がこんなに近かったなんて。日暮里ー成田空港間が約40分弱という所要時間は、北千住ー中目黒、北千住ー代々木上原と、ほとんど変わらない。もうこれは、毎日通勤出来てしまう。もっと早く知っていればよかった。海外行く用事なんてないにしても。



「おーつーかーれー!」

 成田空港の第2ターミナルビル地下1階、不思議なハニワ像の前で、恵史郎が七瀬さんと俺を迎えてくれた。

 俺達より早く、車で来ていたらしい。


 100m離れていても見つけることの出来る、ウサ耳フード。パンダ顔のショルダーバッグ。ゆるキャラ路線は相変わらずか。

 「かわいいは正義」を男子の分際で実践するという変人だが、意外と街に溶け込んでいて、違和感がないのが、さすがというか。

 あるいは、これからの東京は、男性までもかわいさを追求していく位になるかもしれないな。




「にーちゃん、昨日の晩ごはん、ありがとうね。すずりちゃん元気出たって」

 恵史郎が、こそっと耳打ちしてくる。

「オーケーオーケー。出費額にはちゃんと注意するからって、伝えといてくれ」

 今日の本題ではないので、俺の方もごく手短に応対する。


 この恵史郎と俺とは、いわゆる「穴兄弟」の間柄である。なんだけど、不思議とな、NTR(ネトラレ)方面のドロドロしたわだかまりは生まれてこなくて、なかなか仲良くやれている。

 むしろ、「二人で協力して、すずりちゃんを支えてあげようよ」って感じで、意気投合してる感があるかな。

 すずりちゃんとは20歳もオッサンの俺からすると、本当は恵史郎とすずりちゃんが二人で一緒になるのが、すずりちゃんには最善に思われるけれども、恵史郎には椿姫さんがいるし。

 すずりちゃんはすずりちゃんで、俺ら二人の男子を、上手く使い分けているところがあって。

 俺に対しては「プロの彩命術師としての自分」を前面に出して、自分を鼓舞しているところがある。

 一方恵史郎の前では、自分の一番弱いところをさらけ出して、すっかり甘えちゃってるらしい。


 彩命術をやっている人間は誰もが、<愛よりも尊い何か>という感情があることを分かっているので、<愛>って感情に執着しない。これは俺も同じ。

 うまく言葉では説明できない「暗黙の役割分担」のようなものがあって、それぞれの人間関係を構築している。


 なので俺もすずりちゃんも、直接顔を合わせて伝えにくい事柄を、恵史郎経由で伝えたりしてる。





「まだ飛行機が到着するまで時間があるんでしょう?先にランチにしましょう」

「到着は13時だってさ。今営業してるの、よくあるチェーン店ばっかりみたいね。普通のカフェでいい?」


 コロナの影響だろう、営業休止中のレストランがまだまだ多い。

 食事が終わってからしばらく居座っても怒られなそうな、カフェ・ダイニングに入る。

 七瀬さんは、炙り鶏サラダごはんとアイスコーヒー。

 俺は、タンドリーチキンカレーとアイスコーヒー。

 恵史郎は、ハンバーグエビフライコンボとオレンジジュース。


 12時近くなったら店内かなり混み始めたが、カフェの利用客をよくよく見ると、首からネームタグをぶら下げた空港関係者ばっかりだ。海外旅行客はまだまだ少ないんだな。

 恵史郎は、メニューの中から一番お子様ランチに近いものを頼んで、ものが届くやいなや、自分で持参した爪楊枝の旗をハンバーグに立てて喜んでいる。狙ってやってるならかなり寒いんだけど、素でやってるのがすごい。精神年齢が7歳あたりで止まっている。



「今回一時帰国するのは、やっぱりアレ?」

「そう。「葦船流し」のための種付け。1ヶ月もいないでまた戻ると思うよ」

「イスラエルなぁ……とりあえず、日本人にはあまり縁がないよな」

 椿姫さんはここ数年、ほとんどイスラエルで生活しているそうだ。理由はよく知らない。誰に聞いても、「まだ、知らないほうがいいと思う」って返されちゃう。

 高校の世界史でもほとんど取り上げられない国だからな。ユダヤ人の国。ユダヤ教の国。ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の聖地、エルサレムのある国。その位しか分からない。

「ユダヤ教を信仰してる直接の知り合いでもいないと、ピンとこないよね」

「やっぱりアレ? 彩命術に興味を持ってる「海外の宗教家」さん関係なの?」

「実は違う。……なんだけど、まだにーちゃん知らなくていいよ。知っちゃうと、多分後悔する」

 ウゲーって顔する恵史郎。逆に気になるんだけど。

「椿姫のことは、まぁいいよ。会えばどんな奴か分かるし。ちょっと話して終わりだし」

「そうね。けれど黒海さんにとっては、会って損はしないはずです。……後は、会ってみてのお楽しみね」

 う〜ん、椿姫さんについては、これ以上詮索しても無駄そうだ。



★ ★ ★


「そうそう、すずりちゃんからのメッセージ、見た?ブラック飲食店さんの件」

「あぁ、目は通してるよ。すずりちゃんから「当分ROM専でいい」って言われてるからなんも返してないけど」


 ウチの会社のシステム管理を担当している男性社員さんが開発した、ウチの社内専用のSNSアプリがある。

 東京都内で発生する霊的なトラブルは、いつどこで起こるか分からないこともあり、ウチの社員たちは普段バラバラで仕事している。

 業務中のこまごました連絡は、スマホでやり取りするわけだけど、この専用SNSアプリは、グループメッセージに各自の位置情報を紐づけることができたりと、ウチの業務にあわせて使い勝手が良くなっている。自社開発アプリの方が、セキュリティ面で安心だし。



 例のブラック飲食店の件について、すずりちゃんが引き続き調査を続けてくれていて、そこに進展があったという投稿をくれたのだ。


 首吊りのあった7店舗について、共通点が見つかった。

 どの店も、とある「キュレーションメディア」の、同じ女性インフルエンサーによる、PR記事が書かれていたのだ。

 その「女性インフルエンサー」って人がちょっとおもしろい経歴で。なんでも、若い頃にアイドルをしていたそうだ。アイドル時代からのフォロワーが、今でも多数残ってくれていて、ネット上では、そこそこの知名度を持っているようだ。


「あんまりなー、若い女性が「インフルエンサー」とかやるの、どうかなって思うけどなぁ。地に足つけた仕事しなさいよって。でも、アイドルからの転身だったら、着地点として悪くないかもな。顔出し抵抗ないだろうし」

「このキュレーションサイト?元アイドルとか元女子アナとか、そういう人ばっか集めてやってるみたいだね。テレビだけじゃやってけないんだろうねー」


「……今このインフルエンサーさんの書いた記事読んでるけどさ。あんま中身ないなぁ。こりゃ行灯記事だわ。お店が金出して記事書いてもらってんだな」

「元アイドルのネームバリューで人集めて、お金はお店から貰うわけね。結構高いんだろうね」


「事件のあったお店そのものは、どうだったのかしらね。私も料理店にはある程度心得があるけれど、私が知ってるお店は、一件もないのよね」

「俺、この北千住の店は、店の前を通ったことありますよ。出来てまだ2年くらいですかね?餃子ですね。酒飲むための店ですね。最近北千住、なんか餃子の店ばっかり増えてて」


「飲食はさー、ブラックってわけじゃなくて「丁稚奉公(でっちぼうこう)」なんだよね、元々。昔から続いてるちゃんとやってる店はさ、何年も下積みやらせるけど、その代わり面倒みるんだよね。若手がさ、結婚して子供つくれるように。「一人前」になれるように」

「「一人前」か。今はあまり使わなくなっちまった言葉だよな」


「これはオレらから見てなんだけど、中国が経済発展して東京にお金落としてくれるようになって、東京の飲食業は「悪い方向」に変わっちゃったと思う。上下関係の厳しい世界で何年も下積み修行して、親方とか先輩の仕事盗んだりってやらなくてもさ、プロデュース会社に金払ってさ、新しいビルに入ってお洒落なインテリアに仕上げてさ、ホールに性格いい子並べておけば、それなりに儲かる店になっちゃうから。あとは立地と、資本力の勝負。料理人の腕じゃなくてね」


 さっきまでハンバーグに旗立てて喜んでいた恵史郎が、「かわいいは正義系男子」に不釣り合いの、引き締まった顔つきになる。……パティスリー界で天下取った男の顔になる。



★ ★ ★


 以前ちらっと話題に出した、「La Marie du Ciel」なる、かつて一世を風靡した伝説の洋菓子店(パティスリー)

 この月護恵史郎は、そこのシェフ・パティシエだったのだ。今から10年ほど前の話。

 恵史郎は、当時小学生。小学生で、シェフ・パティシエ。


 当時の七瀬さんや椿姫さんが、彩命術と経済活動の両立をどうするか考えた時に、出した答えが「パーソナル・ラグジュアリー・ホテル」という事業だった。

 生きることに疲れ果ててしまった都会人をお客に迎え、仕事からも家族からも離れて、本来の自分を取り戻すための時間を過ごしてもらうホテル。

 人間らしく生きる力を取り戻す。他人と自分を信じる力を取り戻す。そのための時間を過ごすためのホテル。


 それが、「パーソナル・ラグジュアリー・ホテル:夢の産屋」。


 ユメツナギノオホミタマの前身となる会社だった。

 「La Marie du Ciel」は、そのホテル内での飲食を提供する、カフェ、レストラン、パティスリーを兼ねる店だった。宿泊客でなくても利用できるお店で。


 ホテルもパティスリーも大好評で、経営上はまったく問題なかったそうだ。恵史郎の代表作「千五百(ちいほ)の産屋」は商業的に大ヒットするだけでなく、日仏のトップパティシエからも絶大な評価を受けた。

 しかし、インバウンド需要が拡大するにつれ、ホテルもパティスリーも「転売屋」に目をつけられるようになる。


 宿泊予約も生ケーキも本来の10倍もの価格で取引されるようになり、「こりゃちがうよね」ってことで、閉店してしまった。もったいない。

 生ケーキに至っては、消費期限当日中の商品が、冷凍されて出回るようになったそうで。そりゃ閉店もやむなしである。


 当時小学生のガキんちょだった恵史郎も、「菓子作りが楽しいから」ってことで、よかれと思って学校サボって夜も朝も製菓に没頭していたそうだが、当然労基法違反である。

 恵史郎は問題なかったのだ。彩命術やってて、頑丈だから。


 しかし、「La Marie du Ciel」の名声に引っ張られて、より高度な菓子作りが求められるようになった他のパティスリーはそうはいかない。製菓スタッフの長時間労働が社会問題として取り上げられるようになり、恵史郎達も、店の在り方を見直さざるを得なくなる。


「オレらもさ、他の店苦しめるためにマリエデュやってた訳じゃないからね。そもそもさ、よく出来たバターや卵使えば、普通の焼き菓子だって十分おいしいんだ。最近はデパ地下ブランドでもバターや卵にこだわるようになったんだよね。生産農家さんと協力して。オレらの仕事は一定の役割を果たしたかなーって」とのこと。



★ ★ ★



 ……話、戻しましょう。


「恵史郎の目から見て、この7店舗はどうだ?真っ当な料理人は、いない感じか?」


「いないね。そもそもさ、飲食店にブラックが多いって言われるのは、「頑張れちゃうから」なんだよ。自分の作った料理をさ、お客さんが目の前で「おいしい」って食べてくれて、喜んでくれて、「ご馳走様でした」って言ってくれる。それだけで、料理人は頑張れる。売上とか経費とかスタッフの労働時間とか、商売として考えなきゃいけないことは沢山あるけど、それは後から辻褄合わせる話でさ。まずは、自分の仕事で「食べ手の心を満たすことができるか」。料理人は、そこだから」


「小学校中退のくせに、いっちょ前に語っちゃって」

「ばーちゃんだってオーケーしたじゃん!……あぁちなみに、勉強は別にちゃんとやったからね。進○ゼミと、Z○で」

「わかったわかった。Z○までやってたんなら大丈夫だろう。……話、進めるぞ。仮に今回の自殺連鎖が、彩命術の悪用だとして、真っ当な料理人が真っ当な料理を出してる店だったら、そう簡単には被害に合わないっていう理解で、いいんだよな」


「そうそう。料理店ってそもそも、「命を頂く場所」でしょ。牛とか魚とか他の動物たちの身体を預かって「一番おいしくなるように、感謝の気持ちが一番大きくなるように、整えて」供する場所だから。ちゃんと仕事すれば、「生命が巡る」。ちょっとやそっとの悪意を浴びたぐらいでは、その店で働く人間は、首を吊ったりしない」


深いなー、さすがは、すずりちゃんが全幅の信頼をよせる男。良いこと言いよる。


「飲食ビジネスも、多重下請け構造化が進んでいるのよね。店舗プロデュースに、内装工事に、スタッフのユニフォームに、厨房機器のレンタルに、決済システムに、料理も各食材をパーツ化して、委託でしょ」

「あぁ昔、ミルクブティックって、おいしい牛乳で勝負するカフェでバイトしてたことありましたけど、そこのスイーツ、委託でしたね。毎朝業者さんが配送してくれるんですよ」


「パティスリーもそうだよ。今自分の店で卵割って、卵白と卵黄分けてるとこなんて、ほとんどないよ。やってたら採算合わないもの。もうそういう時代。もうしゃーない」


「前にネットニュースでみたけど、オリジナリティとかクオリティにこだわらなければ、ほとんど外部調達で賄えるんだろう?今の飲食。上手く立ち回れば、ブラック経営にしなくても、商売できるはずだよな?だったら何故、ブラック経営になるんだ?真っ当な料理人が頑張って、下ごしらえに長時間かけるのでないのなら、どこにブラック要素が出てくるんだ?」


「「ニワカ料理店」が増えてるんだと思うよ?飲食だったら下積み長くて当たり前。上下関係厳しくて当たり前。タダ働きあって当たり前。そういうイメージを利用して、末端のスタッフさんをこき使ってるんだと思う。料理のことなんも分かんないオーナーだか店長がさ、声だけ大きく張り上げてさ、血の通ってない仕事を長時間やらせるんだよ。マウント取ることだけが目的の、何年頑張っても、何も身につかない仕事をさ」


「とりあえず地元にいたくないからってだけで、上京してきちゃう若い子は大勢いるからな。その子達は何も知らずに使い捨てか」


「本当に真っ当な「働く大人」の背中を見て育ってればさ、「ニワカ料理店」の「ブラック経営者」を見抜けるはずなんだよ。だけど「働く大人」の背中を見てきてないから、「そんなもんだ」って頑張っちゃう。でもその職場はニワカの偽物だから、何年頑張っても何も身につかない。気がついたら歳ばっかりとって、身体も心もボロボロ。やってらんねーよって、貯金はたいて借金作って独立する。もっと酷いニワカの店を作る。その悪循環」

「本来は「生命が巡る場所」であるべき料理店が「悪意が淀む場所」になってしまうわけだな」

「そうだね。そんな店は本来、自然淘汰されていくはずなんだけど、インバウンド需要とキュレーションメディアさんのおかげで、延命されちゃうんだろうね。……コロナの助成金もよくなかったよね。助成金もなくなったこれからが、本当の地獄」


「このアイドル出身者集めたキュレーションメディアさんも、悪気があってやってる訳じゃないでしょうけどね。だけど虚無ではあるわよね。お金貰っておいしくない料理を「おいしい」って言うお仕事なのだから」


「なんかこう、飲食産業がどんどん狂っていく感じするな。恵史郎としては、どう思うんだ?なんか元に戻す方法ないのか?」


「簡単だよ。外食一切やめて、全部自分で料理すればいいの。それか、自分で野菜育てるのもいい。自分で育てた野菜を、自分で食べる。そしたら、「まともな料理」がどんなもんか、みんな思い出すから。「ニワカ料理店」を見抜けるようになるから。だけど別にいいんじゃない?みんなで「情報」を美味しく食べて、お金を落として、経済回せば。ブラック飲食店で働くのも、狭い土地で補助金だけが目当ての効率悪い農業やるのも、あんまり変わんないんだから」

「恵史郎、お前、一流の菓子職人だった割には、なんかこう、チラチラっと黒いよな」

美食(びしょく)っていうのは罪深いのさ。「おいしさ」を求めて、品種改良だのなんだのって、他の動植物たちをいじくりまわす。美食(グルメ)の本質は、「悪」なの」


 ニヤリって、悪い顔。すずりちゃんもよくやるけど、あっちよりももっと重たい感じだ。


「はいはい。グルメ談義はその辺にしておくわよ。次の手がかりは、そのキュレーションメディアのインフルエンサーさんね。若いお嬢さん相手だから、希姫達が上手く立ち回ってくれるでしょう。後は、事件の起きた飲食店に、共通の協力会社が関わってるかも知れない。店舗プロデュースかなにかのね。そっちも調べるよう、伝えておきましょう」


「オレらはまだしばらくROM専で大丈夫そうだね。にーちゃんは、椿姫の相手をよろしく頼むよ」




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