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浪速モノレール

 1984(昭和59)年5月22日、万博記念公園付近にて、浪速モノレール株式会社の「浪速モノレール」の起工式が行われた。

 最大の収益源になるであろう伊丹空港の存廃が不確定であった。それでも建設が行われることになる。それは空港の存廃に関係なく、都心の混雑を早急に解決しないと都市機能が麻痺しかねない事態になっていたからである。逆に言えば、空港がなくても採算性が取れる見通しが立ったということでもあった。

 何より、革新系の自滅で棚から牡丹餅で大阪府知事になった岸口が再選するための事業であった。多少その効果はあったようで、モノレールによる通勤地獄の緩和を期待してサラリーマンを中心に票を伸ばし先月再選を果たした。


 起工式には岸口大阪府知事を始め出資関係者や工事関係者が出席していた。そして石山も出席していた。元々、伊丹空港の利権を守るためにモノレールで利便性を向上させるためにけしかけたのが石山であった。そして石山はモノレールの出資比率の調整に関わる。そのためモノレールにとって重要人物ということになり、賓客の一人として招待された。



資本金は160億円で、出資比率は以下の通りである。

 ・大阪府 64%

 ・宝急電鉄 15%

 ・淀川電鉄 3.5%

 ・関西電鉄 3.5%

 ・山海電鉄 3.5%

 ・泉銀行   3.5%

 ・五山銀行 3.5%

 ・若松銀行 3.5%


 出資者は事業主体である大阪府64%と筆頭にモノレールと接続する私鉄とモノレールに融資する銀行であった。ここで特徴的なのは、出資比率2位の宝急電鉄で15%にも及んでいることである。他は3.5%程度と比較すると際立っていた。

 そのため実質的に運営は宝急電鉄が担うことになり、モノレール運行のための職員も宝急電鉄から出向者が多かった。見方を変えれば大阪府の資金で宝急電鉄の新事業とも言えた。


工事は3期に分けて行われる。

 ・第一期 伊丹空港―門真南区間

 ・第二期 門真南―松原区間

 ・第三期 松原―堺間


 第一期は1990年4月に開催される国際園芸博覧会に合わせて建設される。会場は門真南の近くの鶴見緑地であるため、会場アクセスのため急ぎの工事である。第二期以降はモノレールの利用頻度を鑑みながら、順次建設されることになった。

 モノレールは常盤製作所の跨座式モノレールが採用された。これは宝急電鉄の車両や部品を製造納入している常盤製作所が製造していた形式であったためである。ここでも宝急電鉄が主導であることを伺わせた。


 大阪府は大阪市を取り囲むように副都心建設を目論んでいた。それらを近畿自動車道と浪速モノレールで結び、衛星都市の利便性を都心並みにするというものである。

 大阪市内の混雑が増し、地価も上がり続けていた。こうした経済パフォーマンスが悪くなっている現状を改善しようとした。

 そこで衛星都市の利便性を上げることで大阪市内にある本社や大企業の大阪支社などの移転を促し、開発促進を目指した。そして法人市民税を大阪市から衛星都市へ移そうとした。


 企業にしても、それは悪い話ではなかった。都心に本社機能を置いているのは、社員を集めるための交通が都心に集積しているからである。仮に都心以外に都心に準ずる利便性があれば、本社機能を地価が高騰している都心から移転した方が理に適うものであった。

 大体、本社機能は利益を生み出す施設ではないため、これに費用を投ずるのは得策ではない。都心の高い家賃を払うくらいなら、その分を投資なり社員の給与に回す方が賢明であった。

 

 この動きに対して、危機感を持ったのが大阪市であった。大阪市から本社機能や大企業の大阪支店が移転すれば、それだけ大阪市の税収が減ることに他ならなかった。

 以前より大阪府と大阪市は二重行政で対立することが多かったが、このモノレールによる副都心計画で大阪市は大阪府に対して、より一層の敵愾心を持つようになる。ただ、露骨な態度や発言は行われなかった。

 実際の問題として大阪都心は新幹線の駅が有する梅田を始め、混雑を極めており不便さや防災の面でも問題を生じていた。この解決が出来ていない大阪市が混雑緩和のためのモノレール建設に異を唱えることなど出来なかった。


 ただ、公式の発言でそれを伺わせる発言はあった。大阪市議会において、大阪市内にある本社が郊外に移転することについて、市会議員からの質問を受けたとき、当時の大阪市長であった大西淳平が次のように回答している

「大阪市内から企業が移転することで、税収の減収が考えられ強い警戒感を持っています。そのため市内の混雑問題を解決するため、市内のインフラをより一層整備して、市内の混在緩和をしなければならないと思っている所存であります」


これが後々の「難波筋線計画」へ繋がっていく。

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