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限界

 伊丹空港の大型化は航空会社の思惑通りに航空需要を喚起させ、乗客を増やすことに大きく貢献した。それに伴い、宝急電鉄の空港線も潤った。曽根駅と伊丹空港間が1971(昭和46)年に部分開業したのを皮切りに1974(昭和49)年には空港線が完成した。空港線は梅田から空港まで最短17分と利便性が極めて高かった。

 新幹線と航空機が競争をすることで進化的軍拡競争が発生させ、東京―大阪間を始めとする都市間交通の需要を喚起させた。これは高度経済成長の余韻もあって、結果として両者を潤した。

 しかし、この進化的軍拡競争は勢いが強すぎて、すぐに頭打ちになった。両陣営ともに騒音公害と供給力の限界で行き詰まってしまったからである。


 新幹線も空港同様に騒音振動公害と供給力の限界に直面した。

周辺住民から訴訟(名古屋新幹線訴訟)を起こされた。当時の0系新幹線車両は当時の技術水準ということもあって、現在の新幹線と比べると3~5倍の騒音を出している感覚だった。

また供給力も頭打ちになる。大阪駅の島式2面4線の新幹線ホームでは増大する需要を捌くには限界であった。

 これらの問題に日鉄は改善を図る。騒音振動公害では防音壁の設置や補償を行い、供給力についてはホームと留置線の増設で対応した。

小手先であったが状況を大きく改善させることはできた。しかし伊丹空港の場合はそうはいかなかった。


 空港の騒音公害問題は先述した通りであったが、発着容量も限界に達しつつあった。伊丹空港は最大19.5万回だった。2本の滑走路が大型機運用に耐えられるということもあって、特にラッシュ時に航空各社は座席が多い大型機のB-747ばかりを投入した。結果、大型機によって騒音公害が酷くなるという状態になる。

 またラッシュ時は北海道方面や国際線の離着陸を制限され、これらの路線は乗り継ぎ連絡で関東国際空港へ回された。関西の航空交通に支障を来していた。

 騒音公害や発着回数、そして今後の需要増大の見込みから、新空港を緊急に建設しなければならないことは誰もが認識するところであった。


 こうした事情から、新空港には騒音公害の解消と発着回数(年間40万回ほど)の大幅な増大が求められる。また、安定運行のため横風用滑走路も併せて求められた。

 尚、以前に運輸省が構想した淡路島に建設する淡路島国際空港は、この時点で完全に廃案となっていた。アクセスの明石海峡大橋建設の難易度が高く、運輸省内でも疑問の声が大きくなり廃案となった。

そうした事情から運輸省航空審議会は、技術的ハードルが高くなく人家がない海上での建設が検討された。そして三案が提示される。


それが神戸沖、大阪南港沖、泉州沖である。


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