原点
伊丹空港は「宝急の空港」と揶揄されることがある。これは建設の経緯から、その後の運営などで宝急電鉄が深く関わっていたからである。
そもそも伊丹空港の計画は現在とは異なるものだった。当初計画では、面積312ヘクタールでA滑走路 (1,828 m) とB滑走路 (3,000 m)と現在よりも若干小さいものである。
それが現在のような姿になったのは、当時土地買収に当たっていた砂岡が大和航空や宝急電鉄などの数多くの企業の意を受けて、計画よりもより多くの用地を買収したからだった。彼らは少しでも大きな空港にすることで、自社の利益を拡大することを目論んだ。
空港が大きくなれば、それだけ滑走距離が延び駐機スペースが広くなる。そうなれば、大型機を増やすことができ乗客数を伸ばすことができた。
航空会社はもちろんのこと、空港に関連する企業も求めていることだった。宝急にすれば空港線の利用者が増え、燃料会社にすれば燃料の消費が増えるなどの経済効果が期待できる。正しく「大きいことはいいことだ」であった。
そんな利害関係者たちは、運輸省に対して案の修正を求めた。しかし運輸省は建設費がないという理由で門前払いにした。実際に建設費がないことは事実ではあったが、それ以外にも理由があった。それが幻の淡路島国際空港である。
運輸省は淡路島の北部にオープンパラレル(滑走路間隔が1,310m以上)の井桁型配置で4,000m滑走路4本の国際空港を構想していた。そして、空港へのアクセスとして道路鉄道併用の明石海峡大橋を掛けるというものだった。
運輸省にすれば伊丹空港などは、淡路島国際空港までのつなぎの空港でしかなく、そこに大金を投入したくないというのが本音であった。
しかし航空会社を始めとする空港の関係企業たちは、この空港の実現性があるとは全く思っていなかった。大阪都心から遠い淡路島で、しかも建築ができるかどうかも分からない明石海峡大橋の完成を待たなければならない。
そんな無理な計画のために機会損失を出したくない彼らは、運輸族の有力議員であった園部に近づいた。彼らは園部に運輸省とは異なる空港整備案を政府に通して貰うよう依頼した。
しかし、事は運輸省だけでなく予算を握る大蔵省なども絡んでくるため、簡単に通すことはできなかった。そこで彼らは空港用地を自分たちの案に沿って購入し、それを政府に突き付けて案を飲ませるという強引な手法を用いることにした。
そこで白羽の矢が立ったのが砂岡であった。
元々、砂岡は日本鉄道大阪鉄道局の職員であった。敗戦後、GHQの占領下にあって混乱していた日本で、砂岡は日鉄にまつわる事件を鎮圧し続けていた。時には暴力団を使って鎮圧活動に勤しんでいた。これは当時の警察力が敗戦の混乱で大きく低下していたため、それに代わる治安維持を暴力団に頼らざるを得なかったからである。
この暴力団を使った治安維持では、やり過ぎることも多々あり、砂岡は責任を取らされる形で退職をした。しかし、その砂岡の剛腕に注目したのが政党自由政友会(以下、自政会)の重鎮であった園部だった。園部は砂岡の剛腕と日鉄時代培った裏人脈活用すべく、砂岡を拾った。そして砂岡を参議院議員選挙に出馬させ、参議院議員とさせた。
参議院議員となった砂岡は、表の顔である参議院議員と裏の顔である裏社会の顔役といった二つの顔を巧みに使って園部の爪牙となって働いた。
GHQの占領が終わり、晴れて日本が主権回復をしたとき、日鉄内で高速鉄道構想が検討され出した。現在の新幹線である。この国家プロジェクトに園部は砂岡を使って用地買収を行わせていた。
砂岡は裏の人脈を活用して強引な用地買収をしながら、表の参議院議員という表の顔を活用して沿線の警察と調整をしていった。特に大阪駅新幹線ホーム設置とそれに伴う梅田貨物駅宮原地区移転では、その辣腕を発揮した。
そんな新幹線の用地買収がひと段落ついたタイミングで、園部は砂岡に、伊丹空港拡張のための用地買収に携わせるようにした。
政府からの資金で運輸省が計画した分の用地買収を行い、それ以上の土地は銀行からの借り入れで行う。資金は宝急の実質的子会社であった豊中銀行(現:豊中岸和田銀行)やその他数行の銀行が融資する。
政府購入が定かでない土地買収に銀行団が融資した背景は、当時は高度経済成長だったからである。仮に独自で購入した用地を政府が購入しなくても、購入した金額と金利以上の価格で政府以外にも売却できる皮算用があったからであった。
こうして砂岡による地上げが行われるようになった。砂岡は例によって、裏の人脈を活用する。この裏の人脈たちが予定地の近くにトルコ風呂(今のソープランド)や飲み屋、場外馬券販売所といった歓楽街を簡易的に造った。そして周辺住民から生活資金を巻き上げ借金まみれにしていき、借金返済で土地を砂岡に売却させた。
また表の顔である参議院議員という立場を生かして、地元の政治家や有力者、更には警察にも働きかけ陰に陽の支援を受けた。
そして砂岡は彼らに値上がり確実な土地を安く売却したり、彼らの商売の口利きをしたり、警察官の再就職先を斡旋したりと見返りを提供した。
この手法は当空港の用地買収で始めて用いられたものでなく、既に新幹線の用地買収で用いられた方法であった。元々は地方の地主が村人から土地を巻き上げるために使った手法を大掛かりにしたものである。
この手法は関東国際空港の用地取得の際に行われるが、その原点が新幹線建設と伊丹空港建設にあったのである。




