炭鉱労働者
運輸省が巨大化した空港建設計画を発表した1965(昭和40)年11月。団地建設の地鎮祭がひっそりと執り行われた。出席者は地元の市長、市の関係者、建設会社、労働省の役人らである。そして石山はアジア総合の代表として末席で参加し、空港建設を取り仕切る砂岡も参加していた。
団地建設の目的は空港建設の労働者とその家族のためのものである。空港建設と付随するインフラ建設を含めると長期化することが明らかであった。そのため長期間の作業に対応するため、作業員とその家族のための団地を用意することになった。
4~5階建ての棟を70棟建設されることが予定され、3,000~4,000人の建設作業員とその家族が入居することになっていた。
計画は1年で10棟完成させて、そこに団地の建設作業員と家族を住まわせる。それから加速度的に建設棟数を増やして、2年目には20棟建設、3年目には40棟建設する計画であった。
第一期分の10棟は団地建設の建設作業員とその家族が住み、引き続き団地や空港などの建設に従事することになっていた。そして第二期以降に旧炭鉱労働者たちが入居予定されていた。取り分け常磐炭田の炭鉱労働者たちある。
戦前から戦後復興期に掛けて、国内の炭鉱は隆盛を極めていた。しかし次第にエネルギー転換で石炭から石油に移り変わる。更に海外から安くて高品質な石炭が輸入されるようになると、国内炭鉱の経営は完全に立ち行かなくなった。
つまり炭鉱労働者の大量失業問題が起ころうとしていた。彼らを働かせずに放置をすれば、労農党を始めとした左翼勢力によって革命戦士となって、国家の統治に支障をきたす恐れがあった。
過去に筑豊で大規模な労働争議が勃発し、左翼勢力が煽りに煽ってそれこそ革命騒動に成りかけたことがあった。そのような事態を避けるため、炭鉱の失業問題に神経を尖らさなければならない重大な問題であった。
そこで砂岡は炭鉱労働者を土木建設作業員に空港建設を通して、職種転換させようとしたのである。砂岡は自身が実質的にオーナーである建設会社で炭鉱労働者を引き受けた。
炭鉱労働と土木建設作業とは力仕事であるため、親和性が高いため職種転換が容易にできると考えられたためだった。
労働省は炭鉱労働者の失業問題を解決できるため大歓迎であった。そのため、当時においては禁止されていた土木建築における派遣を砂岡の建設会社と数社を特別許可業者として扱って、労働法の一部を改正したくらいであった。
こうして砂岡は空港建設による政府の金で職種転換をさせて、更に法律まで変えて労働者を全国に派遣することで利益を上げようしたのである。
「砂岡先生は社会のニーズを的確に捉えて、それを自身の利益に結び付ける天才だった」
石山はそう語る。
「あの当時は社会主義革命の危機がまだ残っていた。そのような危機があったからこそ、空港用地買収のためにダミー会社をわざわざ作った訳でね。兎にも角にも左翼には神経を尖らしていた。そんな中で炭鉱労働者たちを空港建設通して職種転換させて、その後はその労働者たちを使って、地方空港や原発建設に派遣させることで利益を上げていった。炭鉱労働者を積極的に受け入れて、空港建設を通して職種転換させたことで労働省にも恩を売った。それで、当時あれば建設業の労働者派遣が禁止されていたにも関わらず、法律の一部を変えて労働省許可の特定事業者になることで建設派遣市場を独占的に握る。それでいて、社会がまだ高度経済成長にあったから旧炭鉱労働者たちから恨まれず敬愛されるという奇跡的なことをやってのけてしまう。砂岡先生は本当にフィクサーの天才だと思い知らされた」
ただ地元から離れることに抵抗感を持っていた常磐炭田の炭鉱労働者とその家族は少なからずいた。未知なことに対する恐怖心から抵抗感を抱かせていたのである。
そこで彼らを懐柔するため、説得工作が行われる。それは労働環境と生活環境が現状よりも大きく改善されることを説明だった。
労働省の役人が常磐炭田に出向いて、空港建設は炭鉱作業よりも安全であることを説明する。空港建設では炭鉱事故にありがちな一酸化炭素中毒、落盤、そして炭鉱爆発などがないことを強調して説明する。そして、このまま炭鉱に残っても将来性がないという現実も改めて説明した。
生活面においては、当時の最先端であった住宅団地に入居できることをアピールする。団地は当時においては、戦後の新しいライフスタイルの象徴であり憧れの的であった。懐柔策としては打って付けであった。
こうした労働省の役人の懐柔工作が功を成し、彼らは炭鉱を捨て空港建設に応じるようになった。このとき、砂岡は労働省から貰った「特別建設派遣許可会社」という看板を掲げて、独占的に炭鉱労働者を受け入れる。尚、退官した労働省の役人たちがこの砂岡の会社に役員して迎えられている。
この時点で考えられていた開発の流れは以下の通りである。
1.団地と浄水場の整備
2.空港建設に必要な施設の建設(資材搬入のための道路や鉄道、セメント工場など)
3.空港建設と空港関連施設
後に新幹線建設や新首都建設がこれに加わることになった。
団地建設は予定通りに進み、1年後には第一期が完成し、3年後には全棟完成するに至った。こうして空港建設に向けて着々と準備が整いつつあった。




