38 氷の魔女の由来は
稽古をおえて気がつけば夜になっていました。
いつものように師匠にお礼を述べてお祖父様の家まで向かうとその日の夕飯はリゾットでした。
森のきのこをふんだんに使用した、おいしいチーズリゾット。
それを食べたあと、一緒に住む叔母さんが食事を持たせてくれました。
師匠の夕飯です。
わたしはお皿を手に持ち、森を抜け、大陸湖のほとりへと向かいました。
(師匠は……ああ、いました……)
夜風に吹かれながら湖畔に座る師匠の姿を発見。
手には固そうなパン。
こうみえてわたしの視力は鷹並みなので、遠くの距離からでもそのパンに青カビが生えていることを確認できました。
躊躇いもせずに噛る師匠はすごいですね。
一歩近づくと、師匠がゆっくりと振り返ります。
さすがは師匠です。
まだ林の中だというのにこちらの動きを察知しました。
民家数件ぶんほどの距離をさくさくと詰めて師匠にお皿を渡します。
「お祖父様が師匠に持っていくように仰っていました」
リゾットを受け取った師匠は「ありがとう。それから先生だ」と言ってから、傍らにカビたパンを置きました。
──どうして、シショウと呼んではいけないのでしょう?
毎回呼び方を訂正されるので、そこに並々ならぬ熱い想いを感じますが、それよりもまだそれを食べるのでしょうか。
絶対捨てたほうがいいと思うのですが。
カビパン食べても平気な師匠はさすがとしか言いようがありません。
わたしなら、間違いなくお腹を壊します。
ともあれ、師匠がリゾットを口にするのを確認してから、わたしもその隣に座ります。
肩を並べてちらりと横をみれば黙々とリゾットを口に運んでいるようです。
相変わらず静かなかたですね。
わたしはそっと師匠から視線を外して湖を眺めました。
湖面を揺れる白銀の月。
草木が風に流れてとても幻想的な光景です。
静かな暗がりの中で、唯一響くのは、師匠がリゾットを飲みこむ音だけ。
普通はこんなシチュエーションならドキドキしてしまうのが年頃の女の子というものでしょう。
ですが、残念なことに、わたしは早く帰りたい気持ちでいっぱいでした。
(夜は嫌いです……)
ええ、夜なんて大嫌い。
自分を置いて、森を出ていった両親のことを思い出すから。
だから夜は嫌いです。はやく帰って眠ってさっさと朝日を迎えたい。
だけどお皿の回収もありますから、わたしは膝を抱えて待機です。
しかしまぁ隣の人はずっと無言ですし、大嫌いな夜ですし、この間がけっこう辛くて、つい弱音をこぼしてしまいました。
「先生……どうしてわたしには高い魔力が宿らなかったのでしょう」
「……」
「もしも強い力があれば、両親だってあんな風に喧嘩をすることも家を出ることも無かったのに」
「……」
返事はありません。当然です。きっとこんな話をされて困っているのでしょう。
師匠は森の外からやってきた人ですから、ここの事情なんて知りえないと思いますし。
それでも、わたしは話したかった。
聞いてほしかったのです。
「瞳の色が赤に近づくほど魔力が高い証拠だそうです。事実、森族には紫色の瞳が多い。けれど、わたしの瞳は氷色。だから氷の魔女だって、みんなからいつも馬鹿にされるんです」
火の魔法が得意なのに。
わたしは膝に顔をうずめて、ひとりでしんみりしていました。すると、一拍置いてから静かな声が頭に落ちてきました。
「……氷の薔薇」
「え?」
顔をあげると、空になった木皿を脇に置いて師匠が言いました。
「雪原に咲く氷の薔薇。君は見たことがあるかな」
「氷の、薔薇? いえ……」
わたしが首を横に振ると、師匠は湖を見つめていつもように淡々と話をつづけました。
「『竜帝』と呼ばれる花があってね。竜帝国の雪原地帯に咲く美しい薔薇があるのだけれど──」
「それってヴィクトルローズのことですよね? その花なら知っていますが、氷で出来た薔薇ではなく、ただの青い薔薇ですよね、それ」
──おっと! 師匠の話をとめてしまいました。ですが仕方のないことです。口をつぐんで、そのまま耳を傾けると、
「そうか。では、見たことは?」
「え……いえ。実物は……その、あれは北部に咲く花ですし……」
これは気まずいです。
いま偉そうに師匠の話を遮ってしまった手前、その質問にはたじたじです。
ヴィクトルローズ。
竜帝国の雪深い場所に咲く青薔薇のことですが、師匠が『氷の』などというから、てっきり本当に氷で出来た薔薇を想像してしまい、からかわれた……いえ、そういうわけではないのでしょうが、ついむっとしてしまったんです。
わたしがおずおずと師匠の顔を見ると、とくに気にしたそぶりもなく、湖を見つめたままです。
白い髪が微風に揺れるその横顔は、落ちついた大人の男という印象でした。
「──その青薔薇が夜間に凍りつくと美しい花の結晶になる。そして夜明け。朝日を浴びて青白い光を発する。君の瞳はその輝きによく似ている」
「はあ……」
よくわからない。
きらきらとした結晶の中に青い薔薇がある。そんなイメージでしょうか。
師匠がこちらを向いて、わたしの頭にそっと左手を置きました。
波風ひとつ立たない湖畔のように静かな瞳。
それでいて、夜を明るく照らしてくれる篝火の色。
吸い込まれるような師匠の眼差しが、わたしを射貫いた──
「綺麗だよ。まるで、氷の薔薇のようだね」
「……っ」
きっとその瞬間に、わたしは師匠に恋をしたのだと思います。
◆ ◆ ◆
「──と、いうお話があるのですよ!」
「それって真面目な話? それとも笑っていい話?」
もちろんマジメなお話ですし、いつもニコリともしない師匠がこの時だけほんのわずかに見せた笑顔に即落ちしたのは言うまでもありません。
さらに。
この頃のわたしの髪の長さは肩よりも上でした。
それを師匠好み(長い髪が好きらしい)に寄せるため、伸ばし始めたのもこの時からでした。
「とまぁ、そんなわけでわたしはそれ以来『氷の魔女』と名乗るようになりました。それが氷の魔女誕生秘話ですね」
「ふぅむ……、でもそれ、元は集落のやつらから言われてた悪口だろ? そこはいいのかよ、名乗って」
「まぁ、そんなことは些細なことですよ。それよりもこの青い薔薇と同じ、ということのほうが大切なんです」
わたしの瞳よりも濃い群青。美しい薔薇はたしかに師匠の言う通り、氷漬けなら同じような色味に見えるかもしれません。
さすがは師匠。うまい喩えをしたものです。
「ちなみにこのとき師匠にお渡ししたリゾット。さきほどペリードさんにもお出しした、森族秘伝の『三種のきのこのチーズリゾット』てす」
もう顔も忘れてしまった母、その妹である叔母様がよく作ってくださった料理です。
当時、長老だったお祖父様は叔母様夫婦と一緒に住んでいました。
そこに転がるこむ形で引き取られたわたしは当然のごとくお邪魔虫。
森族秘伝だろうがなんだろうが料理を教えてもらえるはずもありません。
ですので、叔母様が作っているのをこっそり見て覚えました。
「ほーん。んで、そこにオレンジの隠し味が入っていると?」
「いいえ、入っていませんよ。お祖父様はオレンジが苦手でしたから。ただ……」
わたしが師匠に恋した翌日のことです。
キノコもいいけどオレンジのリゾットが食いたい。
と、師匠からリクエストがあったとお祖父様が仰っていました。
なお、その場に居合わせたエルフィードおじさまが即却下したとのことでした。
エルフィードおじさまはお祖父様以上にオレンジの実が嫌いなのです。
「ですので、今度師匠に会えたらオレンジリゾットをお出しできればと、わたしがこの店を開いた理由のひとつでもあったりします」
「お前のセンセー、ほんとオレンジ好きな……」
本当ですよね。ブレない人です。
「──まあ、お前の愛するお師匠さんの話はいいや。それよりどうすんだ? このままじゃマジで店潰れちまうし、なんか手を考えねぇと」
「そうですねー……」
真面目な顔(ウサギなのでほとんど無表情ですけど)に切り替え、ノルさんは店内を見渡します。
本日のお客さんは0人。
つまり、さきほど昼間にいらしたペリードさん以外は誰もこの店には来ていないということです。
これはかなりまずい状況です。
お金を稼がなければ師匠を見つけるどころか、わたしはステキな漁礁……。
もういっそ、ベルルーク家のご当主様を亡き者にして借金踏み倒そうかなあ、などとよからぬことをわたしが心に描いていると、ノルさんが言いました。
「俺、思うんだけどさ。『爆発する店』うんぬんのウワサで客が来ねぇんなら、それを逆手に取るのはどうだ? 悪いウワサを活かす。その方向でなにかひとつ考えてみたらどうだ?」
「悪いウワサを活かす……そうですね。でしたら──」
わたしは店内中に置かれた無数のキャンドルを見てピンと閃きました。




