黒凛の羞恥心
「気持ちの良い焼け野原ね」
「どこかだよ、ただの見るも無残な荒地だ」
「いや、そうじゃなくて……心が暖かくなるの」
もしかして家が炎上した時の、熱が残っているのだろうか、黒凛はそう言い張る。風も少し強く、スカイブルーの髪は清流のように流れ、しかし蒼眼だけはとても懐かしいものを見るように、ただ一点を見つめていた。
僕は今、昨日帰ってきた(実際には帰っていないのだが)今はなき僕の求める睡 眠環境が全て揃っていた桃源郷の地に居た。
今ではもうノスタルジアさえ感じるその地は、相変わらずのあたり一面真っ黒の焼け野原で、不思議とここだけ世界と隔絶されている気がした。もしかした らそれを黒凛も感じているのかもしれない。
僕は今一度、周囲を見渡す。
「よしっ!なら探すか!」
「探すって何を?」
首を横に傾げ、頭の上に疑問符をうかべる黒凛。
「いや、黒凛の服探そうと思ってね。さすがにそんな物じゃ頼りないだろ」
「そんな物なんて言わないで!」
「―――――――っ!………………ごめん」
突然顔を紅潮させ、憤慨する黒凛。どうやら黒凛にとってこの黒マントは、大切な物らしい。その証拠に黒凛は穏やかな蒼眼でマントを見つめ微笑んでいた。何が黒凛をそうさせるのか知りたかったのだが、黒凛のマントを見つめる優しい表情を見ていると、聞くのはどうしても憚られた。
「でも、いくらなんでもそれじゃあ寒いぞ」
今度は言葉を慎重に選ぶ。
「いいの、寒くないし」
「でも…………」
「いいの、これで」
頑なにいつもの澄ました口調で、断り続ける黒凛。
しかし彼女と僕の世間体を守るためにもここで引くわけにもいかない!
「本当か〜、周りの人から冷たい眼で見られるぞ〜」
「いいの、気にしないし」
「それじゃあ何処も歩けないぞ」
「いいの!」
くっ!なかなか手強い、しかし諦めるか!
「その格好じゃ、急な突風とかで見えちゃうかもよ〜」
「えっ……えー大丈夫よ、私が防ぐ…し」
さっきとは打って変わって 明らかに動揺している。視線を横に泳がせ、必死に冷静を保っている黒凛。しかし黒凛は依然として拒否し続けている。だがそれもここでチェックメイトだ!
「本当にいいのか〜、道行く人からはマント一枚で町を練り歩く破廉恥な人だと蔑まれ、そしてまたある人には怪しい人物がいると警察を呼ばれ、そしてその警察に職務質問を受け、そしてその恥ずかしい服装のまま警察に連行され、恥ずかしい服装のまま見た目も何もかも、可哀想な子だと変に同情され、そしてその恥ずかしい格好のまま……」
「あー!そんな恥ずかしい恥ずかしい連呼しないでよ、分かったもんちゃんと着るから!」
いつもの澄ました口調は何処へやら、黒マントと腰まで伸びたスカイブルーの髪を感情と連動させているようになびかせる。そして観念したのか僕を涙で濡れた蒼の双眸で恨めしそうに見ていた。
言葉遣いは完全に乱れ、普段よりもだいぶ子供に見える。意外にこの子にも可愛い一面が有るらしい。
おそらくもともとこっちの姿が本当の彼女の姿だったのだろう。こんな姿が見れるのもなんだか嬉しい。…………変態的な意味じゃなくてね
「おっ!…………何だこれ?」
僕が見つけたのは煤がついているせいで黒ずんではいるものの、よほど頑丈なのか、さぞ凄まじかったであろう、僕の家全てを贄とした爆炎を軽く防いで見せたらしく傷などは一切ない銀色に光るアタッシュケースだった。
そう、まるでとあるがたいのいい厳ついおっちゃんが自らの腕と手錠で鞄を結ぶ危ない代物のような…………
ここはさっさと捨てて逃げるべきか、それが一番良いのかもしれない。しかもよく見ればそれとなく付いている手錠が僕の肘にさっきから当たっているし…………これ絶対に開けたらいけないやつじゃね、中に白いブツが入ってたりして…………でも、
こういうドラマでしか見た事無いような物ってテンション上がるんだよね……何かこう裏の仕事やってます、みたいな感じで……
「さっきから何を一人でニヤニヤしながら鞄片手にポーズ決めてるの?頭大丈夫なの?あとそれ全然似合ってないから。ウタの存在感が、銀色によって消されてるみたい」
「…………………………ごめん」
自分の想像のシーンと合わせてポーズをとっていた僕に浴びせられる冷たい声。黒凛の抑揚が無く静かな声は、こういう時結構心に来る。特に最後のが……
「分かったよ、ならもうこれいらないな」
そう言ってブーメランのように水平投げを投げようとし、指から取っ手が離れようとした刹那!
ガチャ…………
あたりに響いたのは、まるで鍵をアンロックした時のような、聞くと少し昂揚感に包まれるあの軽快音だった。
ヤバイ…………急いで逃げるべきか、この中にはおそらくヤバイブツが…………!
未だに僕の指によって支えられているそれは吹き抜ける風に流され、微かに揺れていた。今は引っかかっているのか空いてはいないが、おそらく少しでも力を加えれば簡単に開いてしまうだろう。
この微かな揺れによって今にも開いてしまいそうで非常に怖い。手を離すのも怖いくらいだ。しかしかといってこのままの状態を維持するわけにもいかない。ならどうするべきか。
「なにを突っ立っているのよ、…………空いてるよこれ」
必死に思案する僕を見てそう言うと、黒凛は僕の手に握られている危険物をはたき落とす、…………はたき落としやがった!!
当然僕の手を離れたアタッシュケースは重力に導かれるまま地を目指し、地に当たった衝撃により左右に開かれる。
「なーんて事してんだ黒凛ー!?その中にはな、多分白いブツが入っていて、関わったら消されちゃう系の奴で、いや、もしかしたら爆弾が入ってたりして………………爆弾!?そうだその可能性もある!多分開けたらバン!!の奴で。………………終わった」
僕はすぐさま頭の上で合掌し、透き通るような青空の遥か向こうにあるであろう天を仰ぎ、眼を瞑る。
ああ、天に召します我らが神よ、我らをお助け下さい……
「何この赤い布?」
「へっ?」
思わず口から出る気の抜けたアホな声。どうやら僕は生きているらしい、爆発していないし。こうしてアホな声出せるし。
しかしここ数日で2回も死を覚悟するとは思わなかった。
「なんだそれ?」
黒凛の持っているそれを持ち上げてみると、どうやらそれは赤で染め上げた真紅のTシャツだった。胸元に大きく"熱血!"文字の入った…………
「……は?何だこれ、趣味わるぅ〜」
胸元の"熱血"という見ているだけで暑苦しくなってくるロゴ以外に装飾らしきものは全く存在せず、まさに情熱という名の赤で直接染め上げたようなTシャツだった。
テンションがた落ちだ。さすがにこれはないと思ってしまう。このシャツの持ち主はどんな歪んだ趣味の持ち主なのだろう?こんなものを着るくらいなら裸でいた方が気が楽なくらいだ。
「おっ!これちょうどいい大きさだぞ」
それはTシャツとしてはかなりの大きさだが、今の黒凛の身体全てを隠すには最適な大きさだった。
「ま、まさかそれを着ろ何て言わないよね?」
「えっそうだけど」
「いやっ嫌だもん絶対にこんな服!ダサいなんてレベルじゃないし」
「さっき着るって……」
「物によるもん!こんなの着るなら裸の方がましだよ」
「ほらこの"熱血"の文字活かすだろ」
「ウソ!ウタさっき趣味悪う、って言ってたじゃん!」
「いや、着てくれないと、どこも歩けない……」
「いいもん!歩けなくて」
腰まで届く長い髪を盛大に振り回しながら、拒否し続ける強情な黒凛。しかしこれを着るくらいなら裸の方がまし、というのは女の子としてどうかと思う。
「そう言わずにさ、一回だけ着てみなって意外に似合うかもよ」
「嘘、絶対馬鹿にする」
懐疑の眼で僕を見つめてくる黒凛。その眼には全てを見透かされているような気がする。しかし後ろめくことは何もない。なぜならいつも何時でも僕の心は素直なはずなのだから。
「大丈夫だ、絶対にしない」
「ほんとに?」
上目遣いで僕をみてくる黒凛。それはまるで小動物のようで、妙に愛らしかった。
「本当だ。約束する」
「なら、そこまで言うなら…………」
そう言って黒凛は僕に後ろ向いてて、と言って着替え始める。(実際にはみていないので詳細は分からないのだが、微かに着崩れの音がしたのでおそらくそうなのだろう。)
途中で着崩れのの音を聞いていると、黒凛の方を向いてやろうとも思ったのだが、僕が無理矢理着替えさせているようなものなのでさすがに今は自粛した。
僕がくだらないコンフリクトにかられているとふいに黒凛からもういいよ、とお許しの言葉を頂く。
そして全てを受け入れる寛大な心を用意し、背後を振り向く。
「えっ」
「言いたいことがあるなら言ってよ」
しかし黒凛の声は僕には全く届かない。それほどに僕の心は、黒いマントを片手に収め、控え目に立っている目の前の少女に奪われていた。
似合っていた……。正直絶対に似合わずに相当残念なことになるだろうと思い、黒凛に罪悪感を抱きながら着せたのだが、似合っていた。全くの杞憂だった。
暑苦しい程の真紅は黒凛のスカイブルーの髪によって調和され、見事なコントラストを演出していた。またうざったらしいほどの存在感を出していた"熱血"というふた文字も黒凛から放出されている冷たい雰囲気によって、控えめなアピールになり押し付けがましさを無くしている。しかも服のサイズが大きすぎるおかげで黒凛の膝下まで隠していた。完璧だ!
「似合うじゃないか黒凛!、凄い似合う!」
思わず感情が昂揚し囃し立ててしまうが、勢いは止まらない。
「えっ、そんなに褒めないでよ…………なんか恥ずかしい……」
そう言って胸の前で手を組み、恥ずかしいのか顔を赤らめ俯く黒凛。
「ありがと…………」
「……うん?なんか言ったか?」
「なんでもない!」
突然声を荒げる黒凛。やっぱり少し怒らせてしまったかもしれない。
「ウタ、肩のところが……」
呼ばれて黒凛を見ると、服のサイズが大きすぎるせいか、片方の肩だけに服が引っかかている状態で、姉御のように片方の肩を全部露出させていた。あと少しでアウトゾーンまで見えてしまいそうなぐらい。
「少し貸してみ」
黒凛の側まで行き、露出している肩のダラリと垂れ下がっている布地が、綺麗に肩にかかるように結び目を作ってあげる。
「これでいいか?」
「うん、ありが、と」
依然として黒凛は顔を俯かせていた。お気に召さなかったのかもしれない。
「これは?」
そう言って胸の前で差し出してきたのは、先程まで黒凛の華奢な身体を隠していた黒マントだった。
「捨てるか?」
「いや!絶対!」
マントを胸元に抱き寄せ、首を大きく振り拒否する黒凛。表情は先程のように必死のそれだった。
「ははっ、そうだよな、貸してくれ」
僕は黒凛からブツを受け取ると、黒凛の細い身体を後ろから包み込む。そして、首元で結び目を作ってあげた。これで先程と何ら変わらない闇夜の吸血鬼スタイル完成である。
「これでいいだろ、似合ってるよ」
「あ、ありが、と……でもこれ以上褒めないで」
最後にもう一回言ってみたのだが、やはり駄目だったらしい。…………さすがにしつこかったか。
僕は一つ深呼吸をする。鼻腔に入ってくる空気は、僕の頭を清涼にしてくれる。とても気持ちがいい。
こうしてこの度の目的は果たされた。黒凛は相変わらず、恥ずかしそうに黒マントを握っているが、これで一応は大丈夫だろう。
「よし、なら行くか」
「どこに?」
「寝床探しだよ」
僕はかつての寝床に別れを告げて、家をあとにした。