昨夜のその後
遠い彼方から意識が戻ってくる。体の感覚はほとんどない。寝起きはいつもこうだ。体は機能しているのか分からないし、意識もぼんやりとする。しかしこれは毎度の事だった。
まだ朝日を浴びておらず、意識の朦朧とした頭から記憶を呼び起こす。昨日何があったのか
………………よし、思い出した。
しかし一つ思い出せない事があった。結局僕は何処へと行ったのだろう?昨夜の時点では、何処かを目指したはずなのだ。しかしそれが今では何処だったのか全く思い出せない。今この瞬間目を開ければ済む話なのだが、僕は朦朧とした頭で必死に考える。
そうやって思考を進めるに連れて、僕の意識もだんだん明瞭なものとなっていった。だが疑問は何も解決しない。
とにかく現在地を確かめるためにも、現実へと眼を開ける。
そこは視界いっぱいに広がる暗闇だった。開けた瞬間に朝日が僕の両目を穿つのかと思っのだが、どうやら早く起きすぎてしまったらしい。まだ日の出の時刻にはなっていないらしく、視界に飛び込んでくる光は皆無だった。
寝られる時に寝ておけ!
をモットーとしている僕が朝早く起きるということは、今までに全くと言っていいほどなかったが、状況が変わると珍しい事もあるのだろう。
僕は硬くなった身体をほぐすために、再び眼を閉じ寝返りを打つ。しかし柔らかい布のような感触をした物が身体に引っかかる。うっとおしいので払おうとするのだが、それは僕の身体に張り付いているのかなかなかに取れてくれない。
こうなってはせっかくの二度寝タイムを棒に振ってしまうことになる。僕は仕方なく眼を開け、あけ?
何も見えないと思ったのだが、僕の眼は暗闇の中で微かに存在を示す肌色を見つけた。しかも目の前に。
手のひらで触ってみる。それはまるで人の皮膚のような控えめな弾力で、優しい温かさをもっており、滑らかな肌触りを持つそれは、まるで人肌のようだった。
…………いや、人肌だった。
「うぉっ!!」
「きゃあっ!!」
僕は即座に寝転がった状態から背面跳躍を決め、クラウチングスタート状態に移行する。その時に先程の何かが身体に引っ付いて来たようなので引っ剥がす。すると暗闇に包まれていた視界に眩くも優しい光が飛び込んで来た。
僕は思わず眼を瞑るが、あまり不快には感じなかったのですぐに眼を開ける。そこで僕はようやく今の状況を理解した。
ここは公園だ!しかも昨日僕がお世話になった。しかし今回は滑り台ではなく、中身が空洞の半球の形をしており、所々に人がくぐれる程の穴が、半球の表面上に空いているコンクリート製の遊具の中に僕はいた。(名前は知らない)丁度僕が見上げると、所々に穴の空いたプラネタリウムのようになる。
昔からどのようにして遊ぶのか謎だった。しかし僕の子供の頃の無邪気な疑問は今日になって氷解した。おそらくここは今回の僕のような可哀想な風来坊の優しい無料宿泊所として機能しているのだろう。この遊具の設計者は果たして、どんな聖母のごとき心の器を持っているのか?非常に気になるところである。…………雨が降った時の安全性は所々に空いた穴のせいで保証できないのだが。
まあ、そんな事は非常にどうでもいいとして、さっき何故か声が二重に聞こえたような気がする。
誰の声なのか?しかし答えは分かりきっている。何故なら僕の目の前には、人魚のように足を折りたたんで座る裸の女の子がいたからだ。少女は顔を真紅に染めて隠すように己の体を抱いている。
この子一体誰だ?
という疑問がふと浮かぶが、その答えは考えずとも弾き出される。もちろん昨日の少女だ。
……………はぁ
起きてから今まで忘れていた。僕は一晩寝ただけで、直ぐに昨日の大事を忘れてしまうような頭をしているのだろうか。そう思うとなんだか無性に自分が小さく思えてくるな。
よし、思考変更!
「君ま、また裸だぞ」
天井の穴から降り注ぐ朝日が少女の容姿を、昨夜の暗がりの中の微光とは比べ物にならないほど鮮明に映し出していた。このまま見つめ続けるのも何か恥ずかしいので、眼を背けつつ冷静沈着に忠告してみた。
……少しどもったようだが。
「またって……今回はあ、あなたがそうさせたんでしょう」
少女は真っ赤になりながらも必死に弁明する。その声は小さく、呟いているだけのようなものなのだが、不思議と鮮明に僕の耳に届いてくる。声に焦燥は含まれておらず、あくまで冷静な風を取り繕っているようだ。
……少しどもったようだが。
このまま僕がマントを持った状態では見た人に取り返しのつかないような誤解を与えてしまいそうなので、取り敢えずマントを投げ渡す。
それを見た少女は身体をだいている片方の手で上手くキャッチしようとするのだが、上手く掴めず地面に落としてしまう。少女は恥ずかしいのか顔を俯かせ、四つん這いになってマントを自分の手元に急いで手繰り寄せる。そして自分の体すべてを覆い隠すように巻きつけた。
…………なんか見ているとこっちが恥ずかしくなってくるな、四つん這いになった時見えそうで危なかったし。
「こっちあんまり、見ないで」
「あ、あぁごめん」
よからぬことを考えていたせいか思わず情けない声で謝罪する僕。それを聞いた少女は感が鋭いのか、僕があからさまだったのか、僕を横目で睨んでいた。
しかし全く僕は恐いとは思わなかった。むしろ微笑ましいくらいだ。
そういえば昨日よりは体調はだいぶ回復しているらしい。声はだいぶ滑らかに出せているし、何よりも昨日の驚く程の白さだった血色もだいぶ良くなっている。
「ところで何で僕たちこんなとこにいるの?」
出来るだけ柔和に言う僕。しかし少女は呆れたように僕を冷たい蒼眼で真っ直ぐに見つめる。そして眠たそうに目をこすりながら答える。
「何でってあなたが連れ込んだんでしょう。しかも寝る時私を抱き寄せて来たし。…………まあ、私も眠っていたけど」
おやまぁ………………
昨夜の僕何やってんだよー!!全く記憶に無いがどうやら僕は病気か何かで弱っているのをチャンスと見たのか、幼女を公園という健全で有るべき場所に連れ込んでしまったらしい。まあ、でも大丈夫だろう。まだ何かやったわけじゃない…………
「寝ていた時、私の身体触って来たような気がするわ」
さよなら、僕の人生…………
どうやら僕は少女と一緒に漆黒のマントにくるまれて寝ていたようだ。だから先程のような事になったのだろう。
…………と言うか裸の少女と一緒のマントにくるまれて寝るって、どう考えてもアウトだろう。どうやら僕は今すぐにでも警察に出頭しなければいけないらしい…………
よし!ここは現実逃避で行こう。
「と、ところで君名前は?」
あまりに不自然さまるだしの話の替えようだったのだが、少女は意に介す風もなく悩むように首を傾げる。その少女のその様はやたらと可愛く見える。
「さぁ、わからないわ」
あくまで平坦な口調で綴られたその言葉は、僕の理解の範疇を超えていた。
「さぁって…………、そんなわけ無いだろう。そもそも君の両親は……」
「っく!!」
突然の悲痛に顔を歪め、鮮やかな蒼髪ごと頭を押さえる少女。その表情は痛々しく見ているのも辛い。
「おい、ど」
言葉は最後まで続かない。
少女はそのまま意識を失い、地面に体を投げ出してしまう。
「どうしたんだよ……」
少女に問いかけたつもりだったのだが、当然返事があるはずもなく、その声は誰一人いない静寂に包まれた公園に寂しく響くだけだった。